オーケストラにおける「リーダーシップ」

鈴木優人氏(以下、鈴木):さて次に、実際の(オーケストラの)リハーサルにおいて、リーダーシップが求められる音楽の一例です。これはぜひちょっとお伝えしたいと思います。

これは具体例ですが、例えば運転免許を取られた方。僕は初めて免許を取った時の記憶があるんですけど、車の運転は右に行くか左に行くか、その場で決めないと死んでしまいます。事故を絶対起こさないように運転するには、決める必要があるんですね。

主にリーダーシップというのは、音楽においては「意思決定」と同義語です。この意思決定の1つが「テンポの選択」ですね。有名な曲がありますね。

(ベートベン交響曲第5番『運命』の冒頭を弾く)

ちなみにベートーベンの交響曲第5番の『運命』で、最も難しいのは出だしです。指揮をするのが難しい曲として知られています。難し過ぎるので、オーケストラの方が逆に熟練していて、実はどう振っても、うまいオケだったら入れちゃうかもしれません。ただ、やはり指揮者としてはものすごく緊張します。

そしてどのようにテンポを選択したか、指示することも非常に難しいんです。例えば、これは4分の2拍子なんですね。1、2、1、2、1、2、1、2と、こういうふうな楽譜になっている。でも、だいたいの指揮者は「はああっ!」と振るんですね。勢いよく始まるんです。こういうイメージがみなさんにもあると思います。

最初の部分は勢いで行けるんですが、2回のフェルマータ(程よく伸ばす)を経て、ここからはテンポがあって、動いていくわけですよね。

本当にこの一瞬の間合いで、オーケストラとの合気道のように、パッとテンポが決まっていくんです。この「テンポの選択」が絶対に存在しています。しかも常にあり続けます。

「ではみなさん、テンポ128でやりましょう。1、2!」と始められるのは、ポップスのスタイルかもしれません。これはBPMです。Beats Per Minuteという言葉がありまして、60が1秒ですね。そうやって事前にテンポを決めてやるというスタイルの音楽もあります。

でもクラシック音楽の場合は、だいたいの場合、最初のテンポをまず決めないといけないし、8小節フレーズが進んだら、少し動いていたりする。そういうことがありますから、常に選択しています。

演奏のディテールは、指揮者が答えを示す必要がある

次に「スラーの選択」と書きました。アーティキュレーションですね。しゃべり方のことです。例えば、先ほどちょっと弾いた曲ですけれども……。バッハはスラーをピョッピョッピョッピョッと書いたんですね。非常に滑らかにペンで書いた。

その結果、文字どおりに弾くと(音が)バラバラに聞こえてしまうわけですね。これを滑らかなように弾いたり、あるいは切るように弾くこともできる。ディテールですよね。この語り口の部分は、一旦リハーサルにおいて議論になった時には、指揮者が何かしら回答を示さなくてはいけません。

もちろん「どっちのほうがあなたは好きですか」と聞くことはできます。ディスカッションする時間を取るという選択もありますけれども、ディテールを聞かれた時に「ああ、どっちでもいいけどどうですかね」と考える時間は本当にないし、その瞬間にリーダーシップを否定されてしまって、(オーケストラから)何も質問が来なくなります。

そして「管楽器や合唱のブレス」。管楽器もそうですし、合唱も全員ですね。ここにいるみなさんが一斉に息を吸うようにしなきゃいけないんです。息を吸ったり吐いたりは生理現象なので、ふだんみなさんは、他人の方がどういう息のタイミングなのかを気にせずにいらっしゃると思います。こちらを見てもらっていいですか。

(指揮をする)......はい、というふうにして、みんなに同時に吸ってもらう必要があるんですね。「行きますよ」というこれ(手を前に出す動作)があって、「はい」という合図があります。

ある僕の友だちの指揮者は、「大きな合唱になればなるほど、必ずしも自分が吸う必要がない」と言っていました。つまり、合図さえあれば、それを見てプロの合唱団は息を吸う。私は両面あると思います。

先ほどのバッハ・コレギウム・ジャパンのような、少人数で質の高い合唱をしようと思ったら、指揮者の自分が吸わないのに「合唱だけは同時に吸ってください」って言ってもなかなか実現しないので、結局自分の呼吸が、まずみんなが吸いやすい状態と合っている必要があるんです。

長い音を歌ったら当然息が切れますよね。息が切れたあと、「はー」っともう1回息を吸う。その速さとかを、コントロールするというとちょっと言葉が悪いんですが、そういうところにちゃんと目配りがあるかどうかというところが、非常に重要になってきます。

演奏者同士の衝突に介入するのも指揮者

それから今度は別の面で、リハーサルはしばしば時間が押すんですね。「会議の予定終了時刻になりました。さあ、議長、どうしますか」となったとき、「また明日検討しましょう」というと、そこにいる全員がホッとしますよね。

「すいません。もう15分議論していいですか?」と言うと、たぶんみんなテンションが下がると思うんですけど、でもそうしなければいけない場面もきっとあるでしょう。こういったその場その場でリハーサルを進めていく、スケジュールの取り方が非常に肝になりますね。

あとは人間同士ですから、ここで大っぴらに話せないようなさまざまなコンフリクト(衝突)が起きます。その時にも指揮者という立場が1人でいますので、例えば、AさんとBさんがそこで揉めていたとしても、必ずしも介入しなくてもいいわけです。

いつもそういうことが起きるわけではありませんが、指揮者をずっとやっていると、たまにこういう場面に出くわすことがあります。その時に「さあどうしようかな」と、(指揮者が)正しい態度を示せないと、本当に信頼を損ねる結果になります。介入した上に余計なことを言って、さらに議論が崩壊したりしてね。

「音楽に立脚して話を進める」という信念

私はいろんな人間的コンフリクトにおいて、1つ信念にしていることがあります。それは必ず音楽に立脚して話を進めることです。これでその場で必ずしもその人たちが、「ああ、そうかそうか」とにこやかになるとは限りませんけれども。

逆に言うと音楽の現場においては、「よい音楽を作る」ことが最大の目標であるべきで、そこには一種の信仰があって、それに指揮者が立脚している限り、人間的な争いはもちろんないほうが望ましいんです。

ちょっと不機嫌な人や寝不足な人や、飲みすぎて気持ち悪くて口角が下がっている人や、オーケストラにはいろんな人がいます。人間の顔色を見始めたら、本当にキリがなくなります。いつの間にかみんなが楽しいとなっているのが理想ですけれども、そのためには、音楽からいいエッセンスを引き出すようにリハーサルを進めるというのが、私の1つの信条ですね。

それでも解消しない時は、いろんな人や事務局に委ねたりします。オーケストラには必ず私より年上の人がいるんです。どんな会社でもそうだと思うんですが、社長さんが必ずしも一番年上とは限らないですよね。意外と年長者は長い間そういう場面を見ていて、そういう時にフッと能力を発揮してくださる。みなさんも経験があると思うんですけど、音楽でもそういうことはありますよということをお伝えしたいと思います。

オーケストラに学ぶチームビルディング

「オーケストラに学ぶチームビルディング」ということで、本当にわずかですが、私が1つ、オーケストラの時に考えていることで、しかも組織作りと似ているなと思うことを、ご紹介したいと思います。

1つは、「縦糸と横糸」です。これはどちらかというと音楽の現場というよりも、構造そのものに立脚した話なんですけれども、音楽には「和声と旋律」があります。「和音と旋律」と言ってもいいかもしれません。

「和声」と「和音」の違いは深入りするとあれですが、(いくつかの音が重なった)「和音」が、(進行として)連なったものを「和声」と言うんですね。

これを分析すると、この(高いド・シ・ドの)メロディと、この(ソ・ソ・ソの)メロディと、この(ミ・レ・ミの)メロディと、この(低いド・ソ・ドの)メロディが合わさっています。つまり4本の線なんです。

オーケストラのスコアを見ると、必ず5線は横に書かれています。これが一人ひとりの組織の構成員のメロディ(旋律)、あるいは仕事のフローになります。

それに対して、その瞬間その瞬間に実現しなければいけない、非常に刹那的なゴールが「和声」ですね。この「和声と旋律」。旋律の組み合わせ方のことを「対位法」と呼びます。

この「対位法」を「旋律しか重要でないんだ」と言ったのが、先ほどご紹介したグスタフ・マーラーという作曲家です。マーラー自身の交響曲には、すごい素敵なハーモニーがいっぱいありますが、それを追い求めるのではなく、(見るべきは)「旋律だけだ」と。旋律の組み合わせだけを頭に入れるんです。

「縦と横」を理解していて初めて指揮ができる

ピエール・ブーレーズという人が書いた『ピアノソナタ第3番』という、譜面を見ただけでそっと閉じたくなる、非常に難しい曲があります。その難しさの理由はどこにあるかというと、この旋律です。ピアノは2つの手でしか弾けないのに、たくさんの旋律の組み合わせがいろんなリズムで書かれていて、それを全部頭に入れて弾かなきゃいけないというところに、難しさが生じているんですね。

指揮者は、理想的にも現実的にも、この「和声と旋律」の両方頭になきゃいけないんです。これができなくて指揮ができるということは……そういう人もいるのかもしれませんが、私の周りにはいません。この2つを脳の中で捉えられて、耳で判断できて、初めてみんなの前に立って、みなさんの音がどうなっているかを判断できる。

言ってみれば、財務諸表が読めたほうがいいとか、そういうことですよね。お金に例えると、お金のキャッシュフローがわかってて、財務諸表が読めている状態のことです。

人事に例えると、現在の社員の幸福度とかハッピーさがわかっていて、かつ今後の採用の戦略とか、今後の人事の異動をどうしていくかとか、チームビルディングをどうするかがわかっている状態です。そういった「縦と横」はすごく大事だと思います。

「スコア」は「指示書」というより「目標」である

そして、先ほどからちょっと話している「スコアの存在」ですね。これは必ずしもあらゆる企業にあるとは限りませんが、音楽家にとっての1つの重要な指令書がスコアです。このスコアは、しかもだいたい亡くなられた巨匠の楽譜なので、簡単には変えられません。

ちょっと嫌味っぽく言いますと、変えられるのは音楽学者だけです。新しい楽譜が出版されると、だいたい「○○版」というのが出て、原典版なのに全部違ったりして、どういうことなんだろうと。やはり作曲家のベートーベンの汚い譜面をどう読むかというのは、非常に可能性がたくさんあります。そういう意味でスコアというのは、1つの具体的な指示というよりは、あくまでも目標みたいなものです。

このスコアの存在というのは、僕がクラシック音楽がなくならないと思う1つの理由です。ここに美しい指示書があるから。それこそ佐村河内さんの件で話題になった「指示書」ですが、構成が書かれているだけですけど、あれも立派な作曲と言ってもいいと思うんです。

ベートーベンやバッハやモーツァルトの美しいスコアがあるから、仮に演奏家が誰もいなくなっても、それを掘り起こして演奏しようと思うことは可能です。そういう意味で、私はクラシック音楽は不滅だと思っています。

この「スコアの存在」に関して、仕事現場では指示なく動いていることがけっこうあると思うんですね。バッハ・コレギウム・ジャパンの制作現場でも、「これ、なんでやっているんだっけ」みたいなことが多々起こっていると思います。

(そうなった時に「スコアという」)立ち返れるものがあるのは、音楽作りではすごくありがたいことです。即興演奏もあるんですけどね。即興演奏とスコアはぜんぜん違うものです。即興でできる能力は、1つ、スーパーマンなわけですよね。

同じスコアでも、「解釈」を共有・認識することが重要

「スコアの『解釈』とは何か」というのは、今お話したようなところです。音楽学者が変えるのもありますけれども、現場でも「これはスタッカートと書いてあるけど、そんなに短くではなくて、むしろ1個1個大事に弾こう」とか。

「これはスラーでつながっているけれども、あまりつなげると残響が多いホールだから、そんなにぼやかさないようにしよう」とか、あるいは「もっと大きなスケールで、1楽章から4楽章までつなげて演奏するべきだ」「間は休憩を入れるべきだ」と、さまざまな解釈が存在します。

これは仕事現場でも。それこそ会社のスローガンがあったりしますよね。大きな会社になればなるほど「〇〇の十則」とか、創業者の書いた本とかがあります。そういうものにも、絶対に「解釈」という領域があって、それに似ているかなと思うんです。

この「解釈」はどうしても生まれてしまうので、積極的にそれを(共有して)ちゃんと認識しないと、かえってグチャグチャしたものになります。

ですから、「ここに書かれてある言葉はこういうふうに認識しよう」という、言ってみれば裁判の判例のようなものです。これはいろんなオーケストラが、無言の間に蓄積しているものです。

たまに客演指揮として初めて行ったオーケストラで、よく知っている曲を演奏すると、スコアの解釈が違ってビックリすることが多々あります。

逆に僕もよくわかっている曲のはずなのに、オーケストラ側が既存のやり方を見せてくれて、「こういうやり方もあるのか」と新しい解釈に気付かされることがありますね。

指揮者が出す「指示」が絶対なのか

そういう中で考えるのは、「指揮者が出す『指示』が絶対なのか」ということです。今日の講義の題名が偉そうな故に、一番みなさんに念押ししたいところなんですけど、指揮者は指示を出し、それを団員が聞いて実行するという立場なものでは決してありません。

指揮者というのは、先ほどの「縦糸、横糸」の現状把握から、「次の瞬間はこうなりますよ。こうなるとより良いですよ」ということを示していく存在なんですね。

つまり、「指示」というのは1点の縦しかないわけです。そうじゃなくて、横の軸で考えた提案指示。これを「指示」と呼んでもいいのかもしれません。しかしそれにはオーケストラ側が「解釈」で返してくるので、そこでも会話が必ず必要になります。

オーケストラに機嫌が悪い人がいたら、だいたい指揮者のやり方が悪いんです。指揮者が「おい、ちょっとそこもっと速く吹け」みたいに振ったとしますよね。でもだいたい人間の心理って、そんな「遅い遅い」とか言われたら、もっと遅く吹きたくなるんですよね。

(会場笑)

鈴木:そこまでしないにしても、そのやり方は絶対に効果的ではないわけです。でも、これは指揮者のキャラクターによりますから、自分のやりたい音楽をとにかく出して、「相手が怒ろうがどうしようが知らん」という人もいます。

現代社会の指揮者はわりとそうじゃないタイプが増えてきましたけれども、でも「こうやりたいんだ」というビジョンは明確に示さなければいけません。それに対してファジーに、「この指揮者、これがやりたいんだな。よし、じゃあこうしよう」とオーケストラ(が汲み取るんです)。

「判断が速くて柔軟な組織」ほど、うまくて強いオーケストラになる

オーケストラのすごいところは、誰もミーティングを開くことなく、0.1秒よりもっと短い間で修正して、16音符1個1個の玉をブワッと合わせるところです。

例えば1つの伴奏がこう動いているとします......(ピアノを弾く)。ちょっとショパンエチュードっぽいね。例えばこの時に、指揮者がこうやって(速いテンポで)合わせたとします。こういう時でも、この最後の音の瞬間に、オーケストラのみんながパッと合わせようとするんですよね。

この瞬間のファジーな判断。その判断が速くて柔軟な組織。そういうオーケストラほどうまいオーケストラですし、強いオーケストラです。これは必ずしも解釈を無視するとか、そういうことではなくて、ただその現場で起きている現象に対しての変化の速さです。これが非常に重要です。