日本と比較されがちな「アメリカの学校教育」にも弱点はある
立川裕之氏(以下、立川):私がちょっと気持ち悪いなと思うのが、教育はみんなが経験していますし、誰でも話しやすい分、いろんなことを自由に言えちゃいますし、特に何でもかんでもアメリカと比較して言及することが多いじゃないですか。
実はアメリカの学校教育って、弱点もあることは一部でよく知られていると思っています。例えば、実はかなり多くの生徒が簡単な四則演算ができなかったり、日本人だったら当たり前に持っているような知識を当たり前に持ってないということが、実際にアメリカの教育現場で起こっていると思っています。
そういう意味では、ある種日本的な教育のあり方で成功しているのは、「めちゃくちゃすごい人は生まれないけど、平均的にみんなけっこう勉強しているよね」という構造を作ったことだと思っています。これは一定数評価してもよいのでは、ともちょっと思っているんですよ。
アメリカ的にしようとすればするほど、優秀な子どもたちだけを上手に引っ張り出せるシステムが作れるのならいいのかもしれないんですが、一方で「やらない自由」を与えることにもなり得るんじゃないかなと客観的に感じています。そのあたりって、教えていた保坂さんの立場から見るとどう思いますか?
日本が培ったノウハウを、すべて捨てるのはもったいない
保坂英之氏(以下、保坂):そもそも、私がどういう高校で教えていたかを言っていなかったですが、通信制高校で働いていて、今でも通信制のシステムを作っているんです。私がそこで出会った生徒たちって、だいたい中学校で不登校だったか、高校で不登校になって転入してきたかのどっちかだったんですよ。
保坂:だいたいそういう子は学習経験がすごく乏しいのにもかかわらず、立川さんのおっしゃる通り、四則演算をできない子はほぼ見たことはないです。
立川:そうですよね。
保坂:怪しい子はいますが、そうは言ってもその話がまったく通じないことはなくて。日本の戦後の集団教育は、ある一定の成果を生み出してきたんだろうなという気はもちろんしますよね。
あと、もちろん個人の幸福度もあるとは思うんですが、経済成長みたいなものに絡めてくると、非常に複雑な話になってきちゃうと思うんですが。
よく言われるのは、ここまで日本はなかなかイノベーションをなかなか生み出せてこなかった中で、もうちょっと教育のあり方を考えることも1つあったと思います。突出した才能を伸ばしていくための1つの手段として、そういう子を認めていったほうがいいかなと思うんです。
アメリカみたいに極端な取りこぼしをしないためのアプローチとしては、それなりに日本が持ってきたノウハウや財産もあると思います。それを捨ててしまうことは、確かにもったいない気はするので。
個別最適化を進めるためにも、校務ICTがキーポイント
保坂:やっぱり、今までは先生の人間的ながんばりがあったと思うんですよ。先生たちの詰め込みのゆとりをもうちょっと解除してあげれば、もっとそういった子を(支援したり)、ベースを維持できる幅も広がってくる気がしますよね。
立川:なるほど。このあたりがICTがつながってくるような気がするんですが、もう少し個別最適化を進めていくためにも、生徒一人ひとりに合わせようとすると、どうしてもケイパビリティとしては大変になりますよね。
保坂:そうですね。
立川:そこで教育ICT側ではなくて、校務ICTが大事になってくるはずだと。こんなつながりですかね?
保坂:そうですね。例えば、昔は教室にタブレットを持っている先生がいたら、「え? 何この変わり者」みたいに思ったけれども、タブレットを持っている先生がパッと生徒の細かな情報を確認できたとしたら、それは細かな指導につながると思うんですよね。それが、校務の役割の1つだと思うんですよ。
立川:なるほど。
保坂:だからそういう意味では、先生方の日常の仕事のツールとして校務がよりICT化していくことは、おっしゃる通りの個別最適化の関わりにつながってくるかなと思いますね。
立川:ありがとうございます。
プログラミング教育は、学校だけでやる必要はない
立川:もう1個気になったのは、「学校の外に出す」という話があったと思うんですが、具体的にどういうことなのかうかがってもいいですか?
保坂:例えば学校でやるプログラミング教育って、(学校側での)準備不足も感じられているから、むしろ学校が抱え込まなくていいと思っているんですよね。
立川:なるほど。それは学校の先生が教えなくてもいいんじゃないかと。
保坂:はい。だって、学校できちんと教えるからには、いくつかの準備があって絶対に然るべきだと思っていて。ごまかすような教員研修じゃなくて、しっかりとした教員のスキル養成をするっていうことが1つですね。
立川:先生方にプログラミングスキルを持ってもらえるようにすると。
保坂:そうですね。それもあるけど、これは社会では当たり前なんですが、「ビルドするんだったら何かスクラップしろよ」と思っていて。
立川:なるほどですね(笑)。
保坂:「プログラミング教育が学校で必要であるんだったら、必要じゃない科目は本当にないんですか?」という気がするんですよ。
立川:確かに。
保坂:科目のスクラップをするって、学校に対してはすごく反発がありそうで。優先順位をつけるというのも根拠が見出せなくて、難しいとも思うんですけれども。
でも、それは教員の既得権益を守るためじゃなくて、生徒の成長を守るためにあるんだとしたら、もうちょっとあるべきやり方があるんじゃないかなという気がしますね。
立川:ありがとうございます。
学生たちに課せられた、極めて高度な情報教育
立川:今の「プログラミング教育を外に出す」という話が、ちょうど次のテーマと関係しそうなので移ろうと思います。プログラミング教育を取り入れるのと同じように、今は高校の学習指導要領が変わって、データサイエンスの教育が始まっていると思います。
実際、私も教材はちらちら見たりはしているんですが、率直に言うとけっこう進んだことをやっている印象がありまして、データミックスが教えているような範囲のことがいろいろ入っているものもありました。
情報Ⅰが選択じゃなくて必修で、確か情報Ⅱも選択になったと思うんですが、選択の情報ⅡではPythonもRも両方書くし、多変量解析とか、それこそ今だったらお金を払ってデータミックスで習うようなことが(授業内容に)取り入れられたりしているじゃないですか。このあたりによって、どう変わっていくのかなと。
変わっていくというのは、子どもたちの将来という目線と、先生側のケイパビリティや学校側の状況がどう変わっていくのかを聞いてみたいんですが、いかがですかね。
保坂:立川さんがおっしゃる通り、情報Ⅰと情報Ⅱという科目が入ってきて、けっこうエグい範囲まで(授業のカリキュラムの中に)入ってきているんですよ。
立川:ですよね。
保坂:そもそもの話はまたあとでするんですが、それが完全に高校の情報科の科目の時間の中だけで指導ができて、そのスキルが身についていったら、「大学って何をやるんだろう?」「高校よりも相当すごいことをやっているんだろう」と、大学への期待値がすさまじいものになる気がするんです。
高校にあそこまで(高度な情報教育を)求める理由に関しては、時代の流れもあるとはいえ、「かなり酷だな」という意見も聞きます。
人材不足により、情報教育の“ペーパードライバー”が大量発生
保坂:そもそも高校の情報科という科目の話からなんですが、およそ20年前に必修化になりました。必修は必ずやらなきゃいけないんですが、突然(科目に)入ってきたら何が一番困るかと言うと、(情報科目の)教員免許を持っている先生がいないことなんですね。
教員免許を持った先生がいないのに必修科目が入ってきて、どうしたかと言うと、「90時間の認定講習を受けたら、働いている既存の先生に(情報の)教員免許を付与する」ということで、つまり大学の専門課程を経た場合に比べたら、“ペーパードライバー”みたいな(情報教員が発生する)状況が生まれたと思っています。
立川:(笑)。なるほど。
保坂:そうしたら、情報は必修なんですけど科目が少ないから、1つの学校に1人雇うと(人員が)過剰になっちゃう節があって、兼務でやらせるパターンが多くなっちゃったんですね。
そうすると、新規採用する情報の先生がぜんぜん生まれなくなってしまったんですよ。要するに、専門教育を受けてきた先生をこの20年雇ってこなかったというのが、日本全体の流れになっちゃったんです。
この20年、プログラミング教育というよりかは、どちらかというとコンピュータの使い方、つまり「Word、Excel、PowerPointの授業」みたいな授業も少なくなかったと思います。
前のカリキュラムも、ちょびっとだけプログラムの授業とかは入っていたんですが、どこまで多くの学校が取り組めていたか。
原則として、授業ができるのは教員免許状を持った人のみ
保坂:今後は大学受験科目にもなったり、文科省から「もっと教員を採用しよう」という通知が出ていたり、「民間の人材を入れればいいんじゃないか」という意見も聞いたりします。
「民間を入れればいい」というのは僕も賛同なんですが、考え方として、この段階になって(外部人材を)入れることについては、どういう民間人材が学校と共同していくと良いかなど、もっとしっかりと検討していくべきだと思います。
立川:なるほど。それこそ私とかができるものというか(笑)、実際に民間でやろうとするとどういう手順になるんですか?
保坂:今はまだ「入れようよ」という流れになっただけで、法改正が行われてないので、原則教員免許状を持った人が授業をするしかないんですよ。ただ、臨時免許状というものが日本にはありまして、臨時免許状はある一時だけ免許状を発行するよという特別制度なんです。
国語や数学の免許など、一通り全部の免許を臨時免許状で発行できるんですが、この20年一番足りていなかったのは情報なので、情報が一番臨時免許状の発行率が高いんですが、それぐらい手弁当でやってきたところもあります。
情報教育に対する学生のモチベーションをどう上げるか
保坂:実際、専門領域をしっかり教えられる人もいるはいるんですが、数学や歴史のように、自信をもって教えられる先生がたっぷりいるような科目ではない。データサイエンス教育を高校の段階からしっかりやりましょうよということは、技術だけではなくて考え方も非常に大切だと思うから、備わっていたほうがいいとは思います。
(授業を)黒板でやっちゃったり、教科書なぞってるような授業しかさせられなかったら、生徒たちは嫌にしかならないんじゃないかなという不安があるんです。「データサイエンスっておもしろいよ、本当に役に立つよ」という授業ができる先生が、どれだけいるのかなという気はしますよね。
立川:なるほど。プログラミングは社会との関わりというよりも、「自分で作ってみよう」というモチベートのさせ方が比較的しやすいとは思うんです。ただ、データサイエンスって、例えば統計学は確率論ではなくて、やっぱり統計学を扱うわけじゃないですか。
要は、理論と社会で起こってることをつなぎ合わせる役割を一部担っているのが、統計学だと私は理解してるんですよ。データサイエンスの諸々の方法論も、「知りたいことがあるから、データサイエンスの道具を使って明らかにしていこう」という位置づけにあるものだと思っていて。
もちろん理論として、テストをして「正解」とか「間違っている」ということができるのは部分的にはあるんですが、根本的には「どう活用されるか」というコンテキストがないと、意味がないとまでは言わないんですが、つまらないんじゃないかなと思います。
逆に、そうやって外から働いてる人が増えてくるのは、それはそれでちょっとアリかなという気もしましたね。
学校教員の“プライド”ゆえ、外部人材の活用を嫌がる声も
保坂:例えば、情報の先生がそこにいるけれども、「特別講習で立川さんが来ました」とかもあり得ますよね。(原則として)教員免許のある人が授業をしなければならないですが、立川さんが一緒に授業に入って、TA(ティーチングアシスタント)をするみたいなことは、今の時点でもやろうと思えばできると思います。
先生たちって、良い意味でも悪い意味でも変なプライドみたいなものがあって、「先生が全部やらなければいけないんだ」という思いを持っている場合があると思います。
だから、外の人を呼ぶことを嫌がる人もいると思いますが、生徒の成長や幸福度を考えた時に、もっと学校の中からもそういった声を上げていってもいいんじゃないかなと思っていたりします。
立川:ありがとうございます。このテーマで少し視点を変えますが、最近は一橋大学でもソーシャル・データサイエンス学部ができていて、あと10年ぐらいすると、そういうことを学んだ子どもたちが普通に社会にたくさん出てくるなと、なんとなく思い描いてるんですよ。
すごく楽しみでもありつつ、脅威でもありつつかなと思っているんですが、そのあたりは保坂さんにはどういうふうに映ってるかなと思いました。そんなに言うほど変わらないのか、やっぱり大きく変わるのか、どう思いますか?
保坂:どんどん伸びていく子がいるのも事実だと思うんですが、そういう子って昔からいたんじゃないかな? という気もします。でも、こういった教材を身近に学べるようになったからには、伸びていく子が昔よりもっと伸びていく可能性があることは間違いないとは思います。
データサイエンスを学ぶには、数学の知識も必要になる
保坂:そうは言っても、高校レベル(の情報教育だけ)で「勾配降下法をきちんとスクラッチで書けまっせ」という子が生まれるとは思えないなというのが、私の感覚です。プログラミングスキルというよりかは逆で、そこらへんのメソッドを理解できるかで考えると、ちょっと厳しいんじゃないかな。
今、そういう子たちが高校生の数学を並行して勉強している中で、例えば「二次関数の接線の傾きを微分で求めるよ」と一通り学んだあとに、そこから積み上がっていくものじゃないかなという気もしています。なので、そこらへんはちょっと無茶がある気はしますけどね。
立川:なるほど。急に勾配降下法という急に専門用語が出たんですが(笑)、みなさんに補足いたしますと、これはデータサイエンスでよく出てくるアルゴリズムの1つで、実は機械学習や統計モデルでも似たような原理のものが計算原理として動いています。今話題のディープラーニングや画像解析でも、勾配降下法というアルゴリズムが1つの部品として動いているので、わりと基礎的に学ぶパーツの1個なんですよね。
数学で言うところの微分の概念がわからないと、まったく理解できない仕組みになっているから、保坂さんは「それを両方学ばないといけないのに、じゃあみんな本当に微分をわかっているの?」ということですね。
保坂:そういうことですね。
立川:それは確かにおっしゃるとおりですね。こういうことを言っていいのかわからないですが、恥ずかしながら私もデータサイエンスを学び始めた時は、高校数学がけっこう怪しかったので(笑)。今でも覚えています。
保坂:(笑)。
立川:積分のインテグラルっていう記号の読み方がわからなくて、そもそもググることすらできないという(笑)。よく覚えています。
ただ教えるだけでは、学生たちは勉強を投げ出してしまう
立川:できる子どもをその分野で伸ばしていくことは増えるんだろうけれども、「みんなが当たり前に知ってるよね」という状態になるのは、さすがになかなか難しいんじゃないかなというのが肌感ですかね。
保坂:今、大学で教えていて思うのは、生徒らにいかにモチベーションを持たせられるかができれば、もうそれで終了だと思っているんですよね。それができたら、あとはもう自走していくわけじゃないですか。データサイエンスも同じです。
でも、データサイエンスは事前知識もけっこうあるので、そこのレベルに登るまでが大変だと思うんですよね。僕もデータミックスで泣きそうなくらい勉強をしていた中で、高校生でそれをやれと言われると、投げちゃう子のほうが多いんじゃないかなという気はちょっとしていますね。
立川:確かにそうですね。特にデータサイエンスは数学のパズル的な楽しさがあるわけでもなし、プログラミングでモノづくりがあるわけでもないので、社会で起こっていることとうまく結びつけられないと、子どもたちをモチベートさせるのは難しいのかもしれないですね。
保坂:そうなんですよ。Webサイトを作るのは形があるからなんとなく見えるんだけど、言ってみたらデータサイエンスって数字が動いてるだけじゃないですか(笑)。
立川:それこそ保坂さんもいて教えている時には、「例えば、ビジネスでこういうシチュエーションってありがちじゃないですか」という話をたくさんしてましたが、これを学生で例えるのはかなり厳しいなと思います(笑)。
保坂:厳しいですよね。「あなたはナントカの業界の営業職です」とか言われても、ぽかーんって(笑)。
立川:意味わかんないですもんね。
学校が「自分の人生のすべて」になっている子どもは多い
立川:じゃあ、時間も迫ってきたので最後ですね。かなり大きなテーマではあるんですが、これらを踏まえて今後学校のあり方がどう変わっていくのか、どうあるべきか、実体験も含めて聞いてみたいなと思っています。
今日もいろいろ話があったんですが、我々が思っていたものとは学校自体の定義がかなり違っていて、過去のものとは違う捉え方になりつつあるのかなと思っています。実際に経験した中で、そのへんはいかがですか?
保坂:今、学校ってほとんどの子が「自分の人生のすべて」みたいな感覚になっちゃっているから、夏休み明けに学校に行けなくなっちゃったりすると、「ああ、もう俺の人生終わった」という感覚になっている子が多い気がしています。
でも、そうじゃなくてもいろんな道があるよっていう(提示ができる)ぐらい、学校はうまく使えるところなんだという位置づけまで、柔軟になっていくべきだなとは考えています。
我々の世代の「学び」って、教室にいることで学習もあるし、社会性も培うし、いろんなことが学べるものだと思う感覚が多いと思うんです。
もっと社会全体が(教育を)支えていって、学校に行くことへの敷居が低くなるような学校のあり方に変えていくというのは、いろんな人が「そうあるべきだ」と言ってるんですが、ここまでの段階では誰も具体的な案を示せていないと思うんです。
でも、それは絶対に示さなければいけない方向なので、「いかにICTを使って」「いかにデータをうまく使って」ということが関わってくることは間違いないと思っています。
日本の学校教育に今後求められていくこと
保坂:だからこそ思うのは、社会全体も関わるんだけども、もっと学校の先生も自分の科目以外のところで(教育に関わっていくことが大切です)。データサイエンティストにならなくても、例えばデータミックスでデータがどういう構造で成り立っていて、どういうアルゴリズムやメソッドがあるのかを知るだけでも(教育が変わっていく)。
よくデータミックスさんでも、「ビジネストランスレーター」という言葉を使うと思うんですが、いろんなものが社会とつながっていくことになってくるので、外からも学校を支える。
学校の先生ももうちょっと技術を上げるとか、今は提案できていない未来の展望を内外から変えていくことが、今後求められていくことかなと思います。具体的に「こうだ!」と言うのはなかなか難しいんですが、まずは内外の人が変わっていくことが、その(教育の)あり方に向けての一歩かなと思ってます。
立川:学校教育という、ある種閉じられた空間に先生も同じようにいるような状態だから、先生自身も外に出ていったりすることが、最終的には回り回って、子どもたちが「学校以外の世界があるんだ」と知るチャンスにもなる。
保坂:それは大きいですね。これはちょっと余談なんですが、私がデータミックスで立川さんから教えてもらったTipsとかを、けっこう授業でパクってたりしてたんですよ(笑)。
立川:ありがとうございます(笑)。
保坂:けっこう目を輝かせるような生徒さんもいて。それで1人でも2人でも興味を持ってもらえればいいと思うし。
忙しさを理由に、自分への“投資”ができていない教員たち
保坂:ちょっと話題が逸れるかもしれないんですが、今、教員は「忙しい」を全部の理由にしてしまっている。実際に忙しいとは思うんですが、中からも変えていくための自分への投資ができないようになっちゃっているので、そこらへんはもうちょっと変えていったほうがいいかなとは思ってますね。
立川:なるほど。今日はこういうテーマなので学校について話していますが、いわゆる会社員でも、自分の会社の仕事以外に外のビジネスのことを知りに行くような人って、残念ながらほぼいないですよね。
何かで最近見たんですが、たしか先進国の中でも、社会人になってから学ぶ人の割合が日本はめちゃくちゃランクが低かったはずなんですよ。それは私もすごくすごくあって。
以前とある会社に務めていた時に、例えば仕事以外の時間を使って本を読んで勉強するとか、学びにいくためにお金を払ってどこかに行く方は、めちゃくちゃマイノリティだった印象がありますね。これは学校に限らず、ある種共通のテーマなのかもしれないなと、今うかがっていて思いました。
保坂:本当にそうなんですよ。結局日本は終身雇用で、上の年齢の人が権限を握っちゃうと、物事を変えたがらないような構造になっている……あんまりこんなことを言うとちょっと問題かもしれないですが、がんばっても物事を変えられないと思っていたとしたら、もったいないですよね。
立川:そうですよね。
サイトで調べるだけでなく、授業を通じて得られる学び
立川:実は時間もかなりいいところで、今日はすごくいろんな話が聞けておもしろかったし、本当はもっといろんなことを聞いてみたいところではあるんですが、残りわずかとなってまいりました。
最後に、今日の参加者は現在(データミックスの講座を)受講していただいている方もいらっしゃれば、卒業した方や、受講を検討していただいてる方もいらっしゃるんです。保坂さんには、最後のメッセージをなにかいただければとは思います。
教育の話が多かったんですけど、教育と関係ある方ばかりじゃない気もしますが、特に「これからデータサイエンスを学んでいこうかな」という方がいらっしゃると思うので、もしメッセージがあれば一言いただければと思います。
保坂:現時点ではデータサイエンティストと呼ばれる職ではないんですが、じゃあデータミックスで学んだものが役に立ってないかといったら、ぜんぜんそんなことはなくて。やっぱり、考え方は相当大きいなと思っております。
単にスキルを学ぶだけだったら、YouTubeやUdemyとかどっかのサイトを見れば、(情報が)出ていることもあるだろうとは思います。
こういったものがどういった事例で使われているかを学ぶ上では、データミックスでも「確かに、ああいう時にこういうメソッドがすごく使える時あったな」という想像をしながら授業を受けていたのを覚えています。
データサイエンスを学ぶと、自分の可能性を広げられる
保坂:データサイエンスを学ぶことで、定量的な視点から見てどうビジネスに活かしていけるかという上で、自分が新しくやりたいことや、チャレンジしたいことの足掛かりになることはきっとあるだろうなと思っています。
私も起業して会社をやっていて、Webサービスを作っているんですが、実際に営業をする時にも将来的な展望の話も語れるようにはなりました。データサイエンティストを目指す方ももちろんいるとは思うんですが、自分の可能性を広げることができたという面が、僕はすごく感謝してるところでもあります。
そういった意味で、データミックスの門をくぐることは非常に良いんじゃないかなと思います。ただそのぶん、しっかり成長させてくれるだけの知識量と、7ヶ月の修行みたいなものはあるので(笑)。
親身にやってくれますが、あんまり甘やかされても意味がないと思うので、チャレンジしたい覚悟がある人はぜひやってみたほうがいいんじゃないかなと思いますね。
立川:ありがとうございます。時間も残りわずかですので、今回のイベントはこれで終了とさせていただこうと思います。保坂さん、今日はどうもありがとうございました。
保坂:ありがとうございました。