ICTコンサルタントに転身した元高校教師が語る「教育DX」

立川裕之氏(以下、立川):みなさん、こんばんは。データミックスで講師をやっている立川と申します。本日は「元高校教師のICTコンサルタントに聞く教育DXの実態」ということで、お忙しい中お集まりいただきまして、ありがとうございます。

開催に先立ちまして、お願いがございます。途中でもし聞きたいことがあれば、ぜひその時にチャット欄に書き込んでいただけたら幸いです。

今日はフリートーク形式でイベントを進めてまいりますので、その時に挙がった質問を話題に取り入れて進めていきたいと思います。「気になるな」ということがあれば、ぜひチャットに書き込んでいただけたら幸いです。

では、あらためまして本日のゲストは、高校教師から起業されて現在はICTコンサルタントとして大活躍されている保坂さんにお越しいただきました。保坂さん、本日はどうぞよろしくお願いします。

保坂英之氏(以下、保坂):本日はどうぞよろしくお願いします。

立川:保坂さんは校務ICTコンサルタントではあるんですが、高校教師の時に7ヶ月間のデータミックスの講座に通っていただいておりまして、その時の講師が私だった縁で今日はご登壇をお願いしています。じゃあ保坂さん、簡単に自己紹介をお願いしてもよろしいですか?

保坂:みなさま、今日はお忙しいところお集まりいただきありがとうございます。ご紹介いただきました保坂と申します。

高校の教員を14年間やっておりましたが、紆余曲折がありまして、今は会社を作っています。校務ICTコンサルタントと言っても、実際にはシステムのエンジニアなので(プログラムを)作ったりもするんですが、学校向けのシステムを作っています。

高校でも導入され始めたプログラミング教育

保坂:あとは大学で講師をやりながら、NPOにいろいろ関わりながら、けっこう自由気ままに生きる人生を選んでいます。そんな人間なのに、こんなところにお声掛けいただいたという人間でございます。

立川:いえいえ。

保坂:今日はどうぞよろしくお願いいたします。

立川:よろしくお願いします。本当にいろいろやっていらっしゃって、私もこの肩書をどういうふうにご紹介申し上げるべきか悩ましかったんですけれども、雑誌に寄稿もされていますよね。もうあれは終わっていますか? まだ続いていますか?

保坂:あれは終わっています。『日経パソコン』で、Pythonの記事を書いていたんですね。

立川:ですよね。

保坂:「プログラミング教育」と世に言われて久しくなってきた中で、高校にもその流れがやっと来たんですね。高校のプログラミングがPythonを使う流れになってきたところもあるので、実務的とはちょっと言い難いんだけれども、「プログラミングのいろはを教える記事を書いてほしい」というのが、巡り巡って私のところに来て。

全6回、1回で6ページ書いたものを4月から3ヶ月分ぐらい掲載していたんですが、もし興味がある方は『日経パソコン』のアーカイブを見ていただければと思います。

立川:みなさん、ぜひ見てみてください。あとで探してリンクを張りましょうか?(笑)。

保坂:ただ、あの冊子は無料公開じゃないのでちょっと高いんですよね。

立川:そっか、なるほどですね。ご興味のある方はぜひぜひ。

そもそも、学校における「ICTシステム」とは何か

立川:先ほどお話にも挙がった通り、学校教育の現場がいろんな面ですごく大きく変化しているということで、いろんなお話をうかがっていきたいんですが、大きく4つのトピックに分けて聞いていきたいと思っています。

それぞれお互いに関係するものもあれば、まったく違う論点になる部分もあるとは思うんですが、いろいろ聞いていきたいと思っています。

まず初めに、一応データミックスのスクールがデータサイエンスに関わるということで、そこに少し近しいテーマをうかがっていきたいと思います。校務のあり方をICTで変えようという時に、例えば今だったらGIGAスクール構想(義務教育を受ける生徒のために、1人1台の学習者用PCと高速ネットワーク環境などを整備する5年間の計画)だとか、いろいろとデータを取り入れる考え方もあるんじゃないかなと思っています。

AI・データサイエンスを取り入れるという考え方もすでにあると思うんですが、一方で事前のインタビューでは、「その前にやるべきことがあるんじゃないか?」という話をうかがいました。

今、実際にどんなお仕事をやっていらっしゃるかも含めて、このあたりを聞いていきたいなと思うんですがいかがでしょうか?

保坂:ありがとうございます。聞いたことがある方もいるかわからないですが、校務支援システムというものを作る事業を行っております。「初めて聞くシステムの名前だな」と思う方もいるかもしれないので、まずはそこからご説明します。

学校ICTと呼ばれるものは、大きく2つの柱に分かれているかなと思っていて、1つは「教育」、もう1つは「校務」に分けられています。

ここ20年、目を向けられてこなかった「校務」の情報化

保坂:「教育」のほうが、たぶんみなさんにもしっくりくる部分なんじゃないかなと思います。例えば、最近ではAIドリルも出てきたし、電子黒板を使ったりとか、生徒の教育に直接関わるところが教育です。

「校務」は生徒とは直接関わらないんだけれども、教員もしくは事務職員が事務処理で使う仕事のことです。それをシステムにしたものが、校務支援システムと呼ばれているものです。

ここ日本の20年ぐらいの学校のICTは、おおよそ教育のほうにばかり目を向けられてきたんじゃないかなと思っています。

というのは、特に私立が学校の売りを出さなければいけない時に、校務ががんばったとしてもぜんぜん学校の魅力にはならないので、教育に投資していく側面があったりします。校務はわりと地味な面が多いところもあるので。

さらに、事務に関わってくるので扱うデータがかなり多量で、センシティブなところもあるので、実際に作り込んでいくのも大変だということがありました。

ただ、この時代に来て「教育にデータを利活用しよう」という流れがいろいろ叫ばれてきた中で、現場としては「校務の情報化がかなり脆弱だよね」ということにやっと気づいてきたところだと思っているんです。

教育ICTが「花」だとしたら、校務ICTは「木の根っこ」

保坂:私はよく校務支援システムの研修会にも呼ばれたりして行くんですが、学校ICTを一本の桜の木に例えて考えてみると、校務ICTは“桜の木の根っこ”で、教育ICTは“桜の花”です。

「桜の花がきれいだな」ということは学校の売りにできるから、生徒たちが入ってくることもあるかもしれない。校務は根っこだから見えにくいし、あまり注目もされない。だけど、根が腐っちゃうと木自体が揺らいでしまうことになっていくんですが、根っこが腐っているのかは木が倒れるまでわからないですよね。

立川:なるほど。

保坂:学校の多くは、そこにあまり真剣に目を向けてこなかった。データ管理でも、1年、2年じゃなくて10年分をExcelのシートで溜めたら、Excelファイルがすさまじい量になっちゃったりしている学校さんもあったりして。「これ、どうやってリプレースするんですか?」という感じになっちゃっているわけですよね。

そこらへんをうまくやっているところは、次のステップがいろいろあると思っています。それこそデータをいかに利活用するかとか、自分の学校のウイークポイントを見い出していくとか、まさにデータサイエンスの領域ですよね。実際、そこに踏み出していっている学校さんもあるはあるんですが、1割もない状況になっています。

校務の改善を「学校の成長」と捉えない意思決定者は多い

保坂:私のビジネスで言うと、生徒にとっていい教育をこの先どんどんするために、ICTを使っていく流れは絶対に進んでいくので、そのためにも基盤となるデータをしっかり整えてあげることが、まずは学校ICTのスタート地点になるはずだと思います。

システム開発だけでなくて、私は元教員なので「導入に向けてどういうサポートをしていってあげればいいのか」までワンストップで提供させていただいています。ちょっと長くなりましたが、私の事業と必要なところのご説明です。

立川:ありがとうございます。話をうかがっていて気になったんですが、確かに保護者のみなさんからしても、校務の部分って突っ込みにくいと言いますか、教育のやり方は誰でもいろんなことを言いやすいですよね。当然、その分魅力としてアピールもしやすい。それは、本当におっしゃる通りだなと思うんですよ。

保坂さんは今、中の人間ではないわけですから、提案しようと思った時の意思決定はけっこう難しいんじゃないかなと。要は、それによってどれぐらい・何が良くなるかが測りにくい領域でもあるんじゃないかなと思いました。

正直、法人の中でもけっこう共通する要素はあるかなと思うんですが、実際どんなふうにして提案に入っていくものなんですか?

保坂:立川さんがおっしゃる通りで、ここらへんを学校の成長と捉えられない意思決定者も少なくないんですよね。単に教員たちが「忙しい」と言っているから、業務削減(のための導入だと考えている)。

それも大切なことなんですが、ちょっとネガティブイメージで(ICTシステムを)入れようという思いがあるから、正直かなり値切ってきたりもします(笑)。

立川:なるほどですね。

「情報管理は危機管理」という認識がこれまでは薄かった

保坂:ただ、文部科学省も「校務支援システムをどんどん入れていこうよ」と言っているので、一応社会的な投資もあります。これはあんまり声を大にして言えないんですが、例えば情報管理での誤入力であるとか、実際に誤った処理が起きちゃっているんですよね。具体的には言えないですけれども。

立川:そうですね(笑)。

保坂:「情報管理は危機管理だ」という認識が今まではあまりなかったんですが、「生徒の人生が変わってしまうと、場合によっては訴訟になって、学校の危機管理としても大きな要因になってくるよね」という考え方はなんとなく持っているけれども、こちらがプッシュしてあげることで再認識できる。

ここはたぶん、5年、10年前に比べたらやりやすくなったかなと思います。システムなので単価が高いため、かなり地道に時間をかけて話してあげること(が大切です)。

あと、やっぱり一番大きいのは、私に現場経験があるので「ここをこう改善していって、ここで人件費が浮いた分、こういったところで学校戦略的に新しい価値が生まれますよね」といった提案(ができるの)は、このドメインで生きている人間ならではかなと思いますね。

立川:なるほど。ありがとうございます。

「遅くまで働くのが美しい」という教育現場のカルチャー

立川:(システムを)取り入れる前の話に行かなきゃいけないんですが、いくつか気になることがありまして。2つあるんですが、まず学校にシステムを入れる・入れないの意思決定者は誰になるんですか?

保坂:公立は自治体になるので、私クラスのベンチャーの入札案件だとけっこう厳しいので、今はもう対象にしていなくて。

その代わり私立だと、(意思決定者は)理事長さんや校長さんだったりします。ちっちゃい備品だったらそんなレベルまで行かないですが、我々の売っているものになってくると、そのクラスの方々になってきます。

立川:ありがとうございます。もう1つ気になったのが人件費のお話です。私の印象なので間違っていたら申し訳ないんですが、教師という役割が特殊であるがゆえに、一般企業に比べれば残業代をちゃんと請求するという意識が弱くて。

子どものために、一生懸命遅くまで働くのが美しいとされるようなカルチャーも、少なからず感じるところがあるんですよ。そうすると、「その分を削減するのが、本当に単純な人件費の削減になるのかな?」というのは疑問と言いますか、そのあたりはどうですか?

保坂:おっしゃる通り、人件費の感覚が一般企業とは違って、例えば長時間働いても残業代も定額という場合もまだまだあるんです。これもあんまり言いたくないんですが、人によって事務処理が苦手でそれに相当時間がかかってることもあるんですよ。

事務処理量がまあまあ多いところになってくると、そこで言う人件費というのは、例えば「国からの新しい助成金制度が増えて事務処理がめっちゃ増えるから、アルバイトを1人雇わなきゃいけないよね」という、人員の数のことですよね。

立川:そういうことですね。それはわかりやすいですね。

学習、学費、保健……学校が抱えている大量のデータ

立川:すみません、本題の話に入る前に私のほうから聞いてしまったんですが。さっきおっしゃったように、例えば生徒に合わせてAIを使ってどうこうというのは、プロダクトも多くなってきている印象はすごくあるんですよ。

実際、それよりも先に校務ICTとしてやるべきこととして、具体的にどんな提案をしてやってこられたのかも聞いてみたいです。

保坂:例えば、未来予想図として描くような理想もたまに話すんですが、まずはAIドリルがあります。AIドリルで生成されたデータの中で学習させていって、「生徒に学習を最適化させていく」ということに付随すると、次の時代で求められるものは、システム外のデータをいかに活用していくかが個別最適化につながってくるところですよね。

事前に学習させておくことができるかもしれない、ということが1つあるかなと思います。もちろんそういった展望も話しはしますが、そうは言っても学校で扱うデータってけっこう多いんですよ。

学習もあれば、私立だったら学費もあれば、保健データもあれば、テーブルやカラムの数と言っても数十とかではぜんぜんなくて。

うちが使っているシステムでも、テーブル数も80、90で、カラムがそれぞれ何十とかあると、カラム数も何百とかになってきます。大変なところで言うと、そういった大量の情報を今までコピーしてファイリングで収めていたような学校さんも多かったわけですね。

「データを検索している時間」は想像以上に長い

保坂:情報管理でワンクリックで情報が引き出せるようになることは、業務の削減もものすごいんだけれども、僕が一番よく言うのは「データの完全性が保持できるよ」という話です。

「間違ったデータで入力していて、けっこう後になって気づいたこととかないですか?」と聞くと、「あっ、なんか身に覚えがある」というのが、だいたいの学校の感覚です(笑)。

立川:そうなんですね(笑)。

保坂:そこらへんの僕の感覚値はわりと間違っていないなと思っていて、現実的な売り方はそこかなと思っています。あと、夢の話も語ってあげると教育者たちはけっこう喜ぶので、そういったところも併せて話していますね。

立川:なるほど、ありがとうございます。次のテーマに行く前にまとめると、要するに桜の木のお花の部分(教育ICT)じゃなくて、ふだん扱っているデータを使いやすく整理してあげるだとか、あるいはデータを探している時間がめちゃくちゃ多いんじゃないかなと想像しています。

実は一般企業のビジネスマンも、データを検索している時間がかなり長いのだと、だいぶ前の調査で見たことがあります。だからデータを整理して使いやすくするだけでも、かなり業務の改善が見られる可能性があると。

本来、まずはそういう足元の仕事をやりやすくするべきだろうというのが、保坂さんのお考えになっているところですね。でも、これは学校に限らず、一般企業でもやっぱり同じだなと思いますね(笑)。

保坂:そうですね。

立川:ありがとうございます。

「教育」を学校ですべて支えるのは限界がある

立川:じゃあ、次のテーマに進めていきたいと思います。「個別最適化」なんて話があったんですが、保坂さんとして「子どもたちにとって、本来こういう教育であるべきじゃないか」という教育改革の考え方をうかがっていきたいなと思います。

保坂:もうプログラミング教育と言われて時間が経ってきたかなと思うんですが、多くの日本人の発想で「新しい教育を取り入れる」という時に、学校教育と新しい教育はイコールのような感覚になっていると思うんですよ。(でも)学校教育がすべてを支えるのはもう限界だと思っていて。

立川:なるほど。

保坂:事実として先生方も忙しいんだけれども、いろんなことができないのを「忙しい」という理由にしちゃう風潮もあると思っているんですよ。確かに先生は忙しいんだけど、教育を受ける生徒たちは、「先生によって受けられる教育レベルは絶対に違うよね」ということが、みんなもわかってきちゃったじゃないですか。

それはすごく不幸な気がしていて。学校関係出身者の私が思う「教育」って、いつも学校教育のことを見てしまうんですが、教育できる幅や量を「学校教育」から離してあげるということを、まずは英断しないとダメかなと思っていて。

ただ、「学校は要らないね」と言っているわけではぜんぜんなくて。例えば今、日本ではいろんなICTのツールやいい教育ツールがいっぱい出てきていて、必ずしも先生ががんばらなくてもできることは、この先ももっといっぱい増えてくるはずだと思います。

「同じことを同じように学ぶ」ことへのアンチテーゼ

保坂:もっと社会全体が教育を支えていくかたちになって、それこそ学校はせっかく人が集まる場所なんだから、討議をしたり、学校でしかできない価値を再構築していかないと。

今の時点では、伸びていく子だけに「がんばっているね」と言うけれども、不登校も増えてきているし、ドロップアウトしちゃっている子には社会全体であまり目を向けられてないような気がします。

もちろん「ICTとかで解決しよう」というところもあるんだけれども、社会全体のフレームワークを考え直していければいいなというのは、理想的ではあるんですが、僕が思う今の教育改革として必要なことかなと思っています。

立川:最近、よくこの手の話題というか、みんなで集まって同じことを同じように学ぶことに対するアンチテーゼがあると思うんですよ。

よく海外が引き合いに出されて、もっと個性を尊重するだとか、アメリカ人だと飛び級がわりと柔軟にできたり、特定の科目だけ低い学年のままにするとか、そんなふうにして今の枠組みを緩くしていこう、という話題がけっこうメディアで取り上げられやすいじゃないですか。今の保坂さんのお話は、こういう視点とはまたちょっと違うんでしょうか?

保坂:でもそれも、言っていることと通ずるところがあると思っています。この間も「ギフテッドの子にもうちょっと配慮しようよ」というニュースがあったかなと思います。

全員が全員そうじゃないとは思うんですが、やはりそういった特別な才能を持っている子は「学校に居づらいな」と思う節がある中で、そういう子を伸ばしていってあげたほうが、日本にとっても本人にとっても絶対に幸せだと思います。

立川:そうですよね。

オンライン授業が増えたものの、まだまだ残っている課題

保坂:「これはこうだよね」という当たり前の枠組みをなくして、もうちょっと考えていったほうがいいかなと思うんです。特にコロナ禍になって、世の中でオンライン授業がすっごい増えたじゃないですか。

立川:ですね。

保坂:「これって対面じゃないと成立しないよね」と今まではなんとなく思ってきたことが、わりと成立したのが1つパラダイムシフトになるのかなと思ったら、今は「なんか戻ってきちゃったな」という感じがするんですよ(笑)。

「戻ってきちゃう」とみんなが感じるぐらいだったら、大きな旗振り役がもうちょっと変えていくしかないんじゃないかなと思いますね。

立川:なるほど、ありがとうございます。これ、ぜひ聞いてみたかったことです。例えば、ギフテッドの子どもたちが突然大学に行くとか、我々がよく知っている日本の教育のあり方とはぜんぜん違うやり方をもっと受け入れてあげることに対して、基本的にはみんな「いいことだ」と言っていますよね。

「あの子はああやって自由にやっているんだから、私も好きにやってもいいよね」と、保護者のみなさんや子どもたち本人も考えるんじゃないかと思うんですよ。

私がちょっと懸念しているのは、何をもってギフテッドとするのかは実は非常に境界線が曖昧といいますか、定義できるかと言うとかなり難しいんじゃないかと思っているんですね。

ギフテッドの子どもたちを尊重しようとすると、言い方は悪いですが「ギフテッドでも何でもないけれども、ただ学校教育が嫌で勉強したくないんだ」という子どもにも自由を与えることになってしまうんじゃないかなと思いました。

学校が、子どもたちの“社会のすべて”になってしまわないために

保坂:それはまったく共感するところです。だから、周囲が強制することではまったくないと思うんですよね。

立川:そうですね。

保坂:「(この子は)すごい能力を持ってそうだから、来年飛び級制度がある大学を受けなさいよ」みたいなことになってしまうと、おっしゃる通りつぶれてしまうと思うんですよね。

私が思うのは、あまりに特異な才能がゆえに周りと話も合わないし、何かをやらせてみたらすごく興味が湧く子を伸ばしてあげる上では、今は原則日本では飛び級みたいなものもないわけですよね。だから、そこらへんを柔軟に支えてあげられるような仕組みがあればいいと思っています。

日本って、学校が「超究極の社会」みたいなかたちになっているじゃないですか。ギフテッドの子たちは優れた才能を持っているんだけども、例えば中学校に行けないことで、絶望的な感覚を持っちゃっている子もいるわけです。

中学校へ行かなくても、別のやり方で十分成長していけるし、比較してはいけないかもしれないですが、十分何かできる道があるんじゃないかという「評価指標」ですよね。評価できるいろんな軸を持たせてあげることができるといいんじゃないかな、という気がします。ただ、具体的に何かって言われても今は難しいですが。

立川:難しいですよね。