未知の新領域に、怖れず突っ込む真田哲弥氏

加藤順彦氏(以下、加藤):ビットバレーの最初の中心だった西川(潔)さんがやっていた、ネットエイジという会社があるんですけど。そこの事務所に行ったら、いつも20人ぐらいの人が集まってワイワイやっていて、「あ、これ昔のリョーマにすごく似てるな」と思いました。

川田尚吾氏(以下、川田):それに関連付けて言うと、結局、真田さんとか加藤さんとかは、いわゆるパーティというか。マーケティングとか企画系のことをやったり、あと運転免許合宿をやったり。あんまりITと関係ない世界から始まったものの、ダイヤルキューネットワークサービスは、一応、ITのはしりみたいな感じで入っていった。

どんどんと、それまで自分がやってきた仕事とはぜんぜん違うところに、0からラーニングしていく。今まさに、Web3をやられていますけど、0からまったく新しいことをやるのになんの躊躇もない。もちろん非常に真剣に取り組むわけですけれども、恐れとかあんまりないところがすごくて。

僕は未だに覚えてるのが、DeNAの時にモバイルのシステムを開発しようとしていて、僕はその開発を統括していたんです。ある技術的なことがわからなくて、「これどうしよう、モバイルのこの領域はあんまりわかってる人いないよね」。その時に頭に思い浮かんだのが、「真田さんってそういえばサイバードのCTO(最高技術責任者)をやっていたよね」だった。

僕の知っている真田さんは、企画とか法人営業の鬼みたいな感じのイメージの人なのに、そういえばサイバードのCTOをやってるよなと思って。真田さんに電話してみて、その技術的な課題について聞いたら、すごく論理的に教えてくれました。それを僕がDeNAのエンジニアに言うと、「なるほど、わかりました」とスムーズに開発が進んだ。異様に詳しかったんですよ。

「こっちだ」と感じたら、フルコミット

真田哲弥氏(以下、真田):僕はインターネットに出会って、「ヤバい。これはインターネットにいかねば!」と考えた。今、ちょうど1年ぐらい前から「もうWeb3にいかないと最終電車が発車する。もうWeb3をやらないと」と思ったのと同じで、1996年、1997年ぐらいに「これインターネットやらないとヤバい」と思った。

でも、「何もわからない。技術もわからない。どうしたらいいんだ俺は」と、当時やってたことをすべてたたんで。「インターネットのことは何もわからないけど、雇ってください」と、当時、インターネットの技術における日本の最先端、日本で唯一ブラウザを開発しているアクセスという会社を訪ねて行きました。

ちょうどその会社は文系出身の社員がまだ1人もいなくて、47番目の社員でした。「じゃあ、君営業できるか?」「営業なら任せてください。技術はまったくわかりませんけど」と言って、アクセスに入社しました。

でも、売って来いと言われたものが、「CPUメーカーにOSを売って来い」だった。「MicrosoftのOSより当社のOSが優れていることを説明しろ」「え、それ何ですか?」みたいな(笑)。日立とかそういうCPUメーカーに、他社のOSよりどこが効率的で優れてるか説明をすることを「営業」と言われて、やって来いと言われたんですよ。

TCP/IPのプロトコルスタックが、当社のものはなぜ効率的なのかを、ドコモに行って説明をする。営業といってもそういうことをやらされていたわけですよ。それで、営業マン真田哲弥が取ってきた案件が、後に「iモード」という名称が付けられて、サービスとして売り出されたんですね。

だから、僕は営業マンだったんですけど、途中からプロジェクトマネージャーみたいなことまでやらされました。iモードプロジェクトの立ち上げの時は、バックエンドのプロトコルをどう実装するかみたいなことをやっていました。だから、当時は異常に詳しかったです。

加藤:イケてる方向を見つけて、そっちに全力、フルコミットするということですよね。

真田:そうですね。

ビジネスの新領域への批判の多さは、可能性の高さかも

加藤:そういう意味では、私も8年前にビットバンクという会社を始めました。始めるきっかけになったのが、世の中で(仮想通貨が)総袋叩きみたいになっていて、ダイヤルキューネットワークの時とすごく似ているなと思ったんです。

これだけ世の中の人が叩くのは、きっと損をする人がたくさんいるに違いない、と。これは大きなアゲインストが吹いている。むしろ、ここがイケてるよと証明してくれているんじゃないか、と思ってやりましたね。

川田:それで思い出すのが、真田さんが22、23歳の頃、僕がまだ10代の若手の時に、僕らに向かって「できないことがあっても、それをできるフリをしろ」と言ったことがある。「できるフリを何ヶ月か続けると、本当にできるようになるんや!」と、すごい叱咤激励を受けた記憶があります(笑)。

今井祥雅氏(以下、今井):けっこういろんな社長に会いに行っていたよね。

真田:僕は若い時、さんざん社長向けに手紙を書いていました。これをやっていると誰かから話を聞いて、「俺もそれをやろう」と決めた。たくさんの社長に、「今、次を変えるビジネスを考えたいです。そのためにヒントをください」みたいな手紙を書いて、送りまくっていました。

ワールドの畑崎(広敏)社長とか、すごく影響を与えていただきましたね。ソフトバンクの孫(正義)さん。

加藤:35年前ですよね。

真田:はい。孫さんとかいろんな人にお会いしました。

真田氏がビジネスに取り組む際の「基本姿勢」につながった言葉

川田:畑崎さんの話は、すごいおもしろい話がありましたよね、あの……。

真田:ああ! じゃあちょっとしゃべってください。

川田:僕が大学4年生になって、就活どうしようかと話をしていて。結局、大学院に行くんですけど、その前にちょっと友だちと一緒に就活をしていて。真田さんのさっきのシェアハウス、「三田クラブ」に転がり込んで就活の話をしたら、横に真田さんが寝転んでいて、僕らの話を聞いてむくりと起き上がって、「実は昔、いろんな経営者に手紙を書いて、畑崎さんに会いに行ったんだ」と。

当時、真田さんはカーネギーの『人を動かす』とか帝王学とか、そういう本を読みまくっていて、それが頭の中にパンパンに入っていました。畑崎さんに会った瞬間に、それを「僕はこういうことやりたいんです。人を動かすにはこういうのが大切ですよね」みたいにブワーッとしゃべって、畑崎さんはずっとそれを黙って聞いていた。

真田さんがしゃべり終わった後に、「君はすごいよね。すごく勉強しているね」「でも、僕が君の歳の頃にはそんなことは少しも考えたことがなかった。僕が君の歳の頃には、繊維のことしか考えなかった」と。「とにかく自分は繊維のことをすごく勉強して、僕よりも繊維のことを知っている人が誰もいなくなった時点で独立して、繊維の会社を、今のワールドを始めたんだ」とおっしゃった。

で、「君は今、帝王学とか、『人を動かす』とかいろいろ話をしたけど、今の君には、僕にとっての繊維が君にとっての何なのか? を探すほうが大事なんじゃないか」と言われたって。

今井:あれはたぶんずーっと、彼がビジネスに取り組む時の、スタートの基本的な姿勢になっていると思いますね。

真田:それはまったくそうですね。

たくさんの経営者に「帝王学」について尋ねたワケ

真田:インターネットを始める時も、インターネットに飛び込んで、とにかく勉強しまくりましたし、今はWeb3のことを何もわからないところからスタートした。でも、やるって決めて「やる」と言わないとできないから、会社作りながら猛勉強してます。

加藤:それは僕も最近そうです。

真田:でも一方で、僕にとっての人生1回目の挫折は、社員が離反して、僕が自分で作ったリョーマという会社を体よく追い出されたことでした。社員である加藤ちゃんとか西山がついてこなくなった。これはやっぱり僕のリーダーシップの限界でした。

だから、僕はその頃はものすごく「自分はこのままじゃ社長失格だ」「社長としてのリーダーシップができてない」と思って、リーダーシップ論の本を読み漁って、どうしたら良い社長になれるのかを研究した。20代前半の頃はすごく勉強するというか、自分はどうならないといけないのか、なるべき自分はどういう自分かを見つけるために、当時すごく本を読み漁っていましたね。

だから、たぶんそれが知りたくて、畑崎さんや、いろんな社長に会っていました。

川田:その当時、22歳とか23歳ですよね?

真田:はい、その頃です。

加藤:物理手紙を送っていたということですもんね?

真田:物理手紙しか、当時は手段がなかったですから。

(一同笑)

人を成長させる環境が持つ「3つの要素」

真田:じゃあ時間もそろそろですが、最後にこんなエピソードもあったよ、ともう1個ぐらいいってもいいのかな? なんかよさそうな別ネタ、何かありますか?

加藤:そうですね。僕で最後の話にさせてもらおうと思うんですけど。このIVS、本当に15年前ぐらいから通っているんですけど、今年はそれこそ20年前のビットバレーとか、35年前のキャンパス・リーダーズ・ソサエティを、彷彿とさせるものをすごく感じていて。若い人たちと昨日、一昨日、たくさんお話しさせてもらっています。

Web3がきて、ワクワクしているものを感じているんですけど。35年前に、リョーマを始めた時も、とにかく新しいこと、おもしろそうなことに飛び込んでいける良い癖がついたと思うんですね。それが今も続いていて、今日に至ってる。

そんな中で、今Web3にワクワクしてる僕がいる。逆に、今回は本当に若い方も多いんですけど、ぜひイケてそうなところにダイブして、深く勉強して誰よりも詳しそうにする。で、自分よりも熱量の高い人に寄って行って、仲間になる。良い意味での自分を高めてくれる意識高い系の仲間を集めていったことで、僕はリョーマが作れたんです。

そういう意味ではこういった場が一番チャンスで、35年前にIVSがあればまた違うやり方でリョーマを作ったんじゃないのかなと思います。

川田:加藤さんが僕によく言っていたのが、「ホットスポット」という言葉で、僕もあちこちでそれを言っているんです。

一定濃度以上の濃さですごく優秀な人たちが集まって、その人たちが「自分たちが世の中を変えるんだ」と完全に信じ切って、狂ったように働く。この3つの要素が集まると、その場が異様なオーラを放つ。その場に身を置いた人は完全に人が変わっていく、そういう場みたいなものがあります。

まさに昔のリョーマ、SYNはそういう場だったし、初期の頃のIVSもそういう空気がみなぎっていた。まさに今年のIVSも、そういう空気がパンパンにみなぎっている。こういう場にとにかく身を浸しきって、いろんなことを吸収していくと、知らず知らずのうちに自分も変わっていく。本当にここはそういうすてきな場だと思います。

「何を」するかよりも、「誰と」するか

今井:名刺交換をしてる時に、「この人は自分の仕事の営業先として明日受注できそうかな?」とか、「この人は明日うちの会社で採用できる能力のある人かな?」みたいな、わりと短視眼的にいろんなことを判断しないといけない場合もあるじゃないですか。で、次のアポイントメントになるのかもしれないんですが。

今日話をしていて思うのは、みんなで大きな大志、大きなビジョン、大きな先の目標を語り合えた奴が、残っている感じがします。だから、IVSでボランティアで来ている学生さんもそうですし、働いているスタッフの方々も、大切なお金を払って、時間を払って、ここに来ているみなさんもそうだと思うんです。

そこで本当に10年、20年、30年かけて日本を元気にしてこうよ! とか、日本の時代を変えていこうよ! という大きな大志で手を握れた奴と、きっと20年、30年後にうまい酒を飲みながら、こういうイベントに参加できるようになると思うんですね。

ですから、「何を」するかよりも「誰と」するかが、30年経営をやっていて一番思うことです。人にしか影響を受けないというか、出会った人と一緒にやっていく事業とかビジネスがうまくいくかいかないかは、結局「人」ですよね。

人と付き合っていくための人間力を、自分の中で一生懸命磨いていく。みんなががんばっているんだったら俺もがんばろうというちっちゃな勇気を、このIVSのイベントでしっかり持って帰っていただきたいなと思いますね。

「この指とまれ」を言うベストなタイミング

真田:トークが始まった時に時間が5分押していたから、ひょっとしてまだ時間があったのかもしれないことに、今気がついたんですけど(笑)。何をやるかよりも、誰とやるか。これが、成功する上でとても大事な秘訣であると思い続けています。でも一方で、リョーマの時から今この会社を作る時に至るまで、僕がやっていることはいつも「この指とまれ」なんです。

僕は最初にビジョンを掲げ、僕1人ではできないので、「この指とまれ」と言って、ビジョンを実行できる人を探す。だから僕のやっていることは「この指とまれ」で、人差し指を差し出すだけ。僕はビジョンを言っているだけで、自分でできないからできる人を探す。

今もまさにWeb3でこんなことをやりたい、それをできるだけ良いタイミングで、この熱狂の中、熱い流れがある時に「この指とまれ」と言うと、とてつもなく優秀な人たちが集まってくる。

これはでも、熱狂がない中で「この指とまれ」と言っても、誰も振り向いてくれないので。今はすごく久々に、10年ぶりに見た良いタイミングですよね。この中で「この指とまれ」を、今回もまたやっているなと、自分で思っております。

ということで、今日はだらだらとリョーマの話をさせていただきましたが、これにて終了。どうもありがとうございました。

今井、加藤、川田:ありがとうございました。

真田:朝早くからみなさんご苦労さまでした。ありがとうございます。