ディー・エヌ・エー南場氏とメルカリ山田氏が登壇

井上祐巳梨氏(以下、井上):モデレートさせていただきます、一般社団法人STEAM JAPAN代表理事の井上祐巳梨です。よろしくお願いいたします。お待ちかねの大変豪華なゲストにお越しいただいています。株式会社ディー・エヌ・エー代表取締役会長の南場さんです。よろしくお願いします。

南場智子氏(以下、南場):よろしくお願いします。

井上:続きまして山田進太郎D&I財団代表理事、そして株式会社メルカリ代表取締役CEOの山田さんです。よろしくお願いします。

山田進太郎氏(以下、山田):よろしくお願いします。

井上:もう見てるだけでみなさんドキドキするような……。

南場:しない、しない(笑)。

山田:しない(笑)。

井上:日本を代表する起業家のお二方の対談ということで、事前質問も非常にたくさんいただいております。みなさん、本当にありがとうございます。お話し中もこちらに出ていますハッシュタグ、#StemGirlsFesta で、ぜひとも感想だったり質問をバンバンいただけたらなと思います。

南場氏の好奇心や行動力の源泉

井上:それではご質問をして、お二方にご回答いただく流れにさせていただきます。まず、最初の質問です。今回のトークセッションは「好きなことをやろう! やりたいことに突き進むチカラとは」というタイトルです。

その中で、「自分がやりたいことに対して、親の反対があります。お二人は周囲の反対などはありましたか? 反対の乗り越え方も教えてください」という質問が来ています。よかったらお二人、いくらでも、ご回答をお願いします。

山田:どうぞ、どうぞ。先に。

南場:実はこの質問にすごく答えたかった。親の問題がめっちゃあったんだよね。もう父がやりたいことを何もやらせてくれないと言っても過言ではない状態で。封建的というか、女・子どもは男の所有物という、私の時代でもなかなかいないようなタイプの父だったんですよね。

だから例えばピアノを習いたいというと、そんな派手なものはだめで、人の前でチャラチャラさせてはいけない……。

山田:(笑)。

南場:習い事をするなら、習字とそろばんだとか。それから、学校の宿題とか勉強もしなくていいとか。とにかく部活もこういうのをやりたいと言っても、ぜんぜんだめとか。進学ももちろん父親が決める。

だから乗り越え方って言うけど、そういう意味では、家の中では父があまりに怖くて、偉大で。かつすべての経済的なものを握っていて、乗り越えられないのでずっと我慢していた。

「自転車を買ってください」も「危ないからだめ」ですよね。だから結局母親のほうにずっと八つ当たりして生きてきたんだけど、今、私ががんばる・がんばっているエネルギーは、自分のやりたいことができることの喜びで爆発している感じです。

山田:(笑)。なるほど。

南場:そう。ぜんぜん今の中高生の参考にならないんだけど、ドラマチックに変わったのは、結婚した時だった。うちの父の頭の中では、「結婚したら、娘は旦那さんの所有物になった」んですよ。

ところがうちの旦那はぜんぜんリベラルで普通の人だから、「お前の好きなようにやれ」と言ってくれた。起業の時も周り全員が反対したけど、うちの旦那にだけは「個人保証さえしなければ、何をやってもいいよ」と言われました。

それで起業はできたんです。今になってからピアノをやったり、仕事をすごいがむしゃらにがんばってきたのも、あの時できなかったことを、やりたいことをやらせてもらえることのありがたさがわかっているから。

それもあってやってきたかなと思う。だから乗り越え方ではないんだけど、「乗り越えられなくて、すごい我慢していることがあるかもしれないけど、それもエネルギーになるから」ということは伝えたいかな。

上京後も続いた父親の強い影響力

山田:本とかで南場さんの経歴を読ませていただいたら、やっぱり大学で東京に出てきたのも、けっこう大きかった。

南場:そう、「新潟大学に行け」と言われていました。高校の先生も家に来て、「智子さんを東京の大学に行かせてください」と言ってくれたけれど、それもすごい大変でした。結局、大学と学部は指定で、東京の僻地にある、大学の女子寮があるところだけ許可が出たんです。

山田:なるほど。

南場:そこまでもう本当に母もがんばったし、父もそこまでギリギリ妥協はしてくれたけど。それでも、自分の進学も、大学に行かせてもらえるかどうかも、思いどおりにならない。高校も父が決めているからさ。新潟高校を受けさせてもらえるのかどうかもわからず、最後までもじもじしていた。

山田:大学に入ったらわりと自由にやっていましたか? 

南場:いや、大学も女子寮に入って、門限が11時20分だったかな。それを越えると、どこかでうちの父が見張っているんじゃないかと思ってしまって。

山田:(笑)。

南場:父の使いの者が来て見張っているとか、寮のほうから報告がいって父からシメられるんじゃないかとか、そればっかり怖がっていました。でも私がアメリカに留学する時は、父の経済的なもの(援助)がまったく必要がなくて。大学と文科省の、その時は文科省じゃないな。文部省だ。

山田:文部科学省の前身みたいな。

南場:親が一銭も出せなくていい、奨学金で留学にいけたんですが、その時も、父はものすごく怒りました。

山田:へぇ~。

南場:それで東京に飛んできて、先生をほとんどシメそうになっていました。

山田:なるほど。

南場:親の反対でも、たぶんそんな人いないでしょ。そんな親いないから。

山田:確かに。これよりはマシだっていう。

南場:そう! マシだということをエネルギーにしてがんばってください! 

山田:そうですね。

やりたいことを「実現する」より難しいこと

井上:しょっぱなからすごいエピソードがきました(笑)。山田さんはこのあたりはどうですか。

山田:いや、うちはね~。ぜんぜん親の反対はなかったんですよね。うちは、父親が弁護士で、母親が税理士という、わりとリベラルというか、好きに生きたいみたいな感じの家庭だったので。僕が起業する時も、むしろ「税務と法務はやってあげる」みたいな感じだったので。

南場:はぁ~。そうなんだ。

山田:好きなことをやるといいよ、みたいな感じでしたね。だから財団のキャッチコピーも「好きなことをやろう」にしているんです。僕は本当に、それはすごくラッキーだったと思っています。みんなもそうなってほしいなという思いもこめての財団でもあります。

井上:まさに真反対のエピソードが出てきてちょっと驚きましたが、次の質問に移らせていただきたいと思います。「やりたい! と思うことを実現させること」。これに必要だと思うスキルやマインドを、ぜひ教えてくださいということです。南場さん、山田さん、いかがでしょうか。

南場:どうですか? 

山田:どちらかと言うと、これはまず「やりたい」と思うまでに至るほうが大変だと思うんです。それを見つけたら、なんとしても実現させようと、とにかくあらゆることを、失敗しながらああでもないこうでもないとやっていく。こっちじゃなかった、じゃあこっちかなみたいなことをやっていくと思うんです。

そういう意味では、何かをやりたい気持ちが強ければ、できると僕は思っていて。その前の、やりたいことを見つけるほうが難しいのかなという感覚はあります。どうですか。

南場:そうだよね。何がやりたいかわからない時は、けっこうあると思うんですよね。

山田:そうですね。

人間は、やりたい気持ちが強ければできるようにできている

南場:それもぜんぜん焦らなくていいと思うんです。いろんなことを経験していくうちに、何かやりたいと思うことが沸き起こってくるので。

それが沸き起こってきたらもうスキルとかマインドというよりも、何て言うんだろう。できると思うんだよね。人間は、やりたい気持ちが強ければできるようにできているんじゃないかな。1人でできないことはあっても、いろんな人に助けてもらったりして。

山田:南場さんは、いろいろ抑圧された中で、「これがやりたい」が先にあってそれに向かっていったのか、それとも、まずそこ(抑圧された環境)から抜け出して、「これだったんだ」という何かを見つけたのか。どっち……。

南場:若い時は、例えば中高生だったら絶対習わせてもらえないピアノをすごくやりたいと思っていました。父がすごくピアノを弾く人だったので、家にピアノがあったんだよね。だから隠れて弾いてた。

山田:そうなんですね(笑)。

南場:それから、ピアノが上手な友だちの演奏をずっと見て観察して、自分も真似してみたりしていた。だからそういう意味だと、やりたいと思うことというか、その程度のすごくちっちゃいレベルのこともいっぱいあるじゃん。

山田:そうですね。

南場:それだったらできるかなと思う。

やりたいことが見つかったらそれが天職

山田:起業に対してはどこで……? 

南場:起業はある時やりたいと思ったら熱病にかかってしまって。スキルだヘチマだって関係なくて、地面から足が10センチぐらい浮いてしまったような、とにかく熱病という感じだった。だからやることなすこと、みんなその頂上に向かってやる感じでしたよね。頂上はその時々で変わっていいんだけど。それだけ熱中できるものがあるのはすごく幸せですよね。

山田:そうですね。僕は、20代半ばぐらいまでけっこうふらふらして、アメリカまで行きました。楽天でオークションの立ち上げを一緒にやったりして、その後、一応起業したんですけど、その時は例えば不動産とか飲食とか、インターネットではないビジネスもやってみたいなとか、アメリカに住んでみたいとか思うことがけっこうありました。

20代を費やして、やりたいこと探ししたんですが、アメリカに住むわけでもなかったし、飲食でもなかったし、不動産でもなかった。でも、いろいろやっているうちに、やっぱりインターネットサービスを作ることが、本当に好きなんだなと思ったんです。

それで28歳くらいで日本に帰ってきました。やりたいことが見つかったらそれが天職だし、一生やっていこうと思ったので。今は、続けられてすごく幸せだなぁと思っています。

南場:例えば財団を立ち上げるとか、特にインターネットビジネスではないことについてもやりたい気持ちが沸き起こってきて、行動に移すじゃないですか。だから、1つの何かにとどまっているわけではないよね。

山田:そうですね。ただまぁ、財団も奨学金とかそういう形にはなっていて、Webサービスとは言えないんですけど、「サービスを作る」ことが共通しているかなぁと思っていて。

さっきもちょっとお話ししたんですけど、インターネットでフォームだけで投稿できるようにしていたりとか。プロセスも、裏側でデータベースを使ってやっていたりとか。そういうところはインターネットっぽくやっているつもりで、そこはすごくおもしろいなと。

南場:インターネットビジネスやサービスを立ち上げるのが好きなのもあるし、仲間と一緒に何かをがんばるのが好きということでもありますよね。

山田:はい、それもあります。

南場:いろんなたぐいがあるかなと思います。

山田:そうです。

井上:ありがとうございます。