2024.11.25
「能動的サイバー防御」時代の幕開け 重要インフラ企業が知るべき法的課題と脅威インテリジェンス活用戦略
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宮崎成悟氏(以下、宮崎):ヤングケアラーの人数は、平成29年度の就業構造基本調査では約55万人いると言われていました。ただ、それが就業構造の調査なので15歳未満がなかなか把握しづらいのと、質問項目が高齢者の身体介護に寄っているので人数が把握しづらいということで、一昨年から厚生労働省が調査を始めました。
それで、これくらいのヤングケアラーがいることが判明しました。だいたいクラスに1人から2人のヤングケアラーがいると言われております。なぜ、ヤングケアラーがこんなにたくさんいるのか。簡単に言うと、人口構造や家族形態の変化があり、要は大人だけでケアを担うことが限界になってきて、子どもが担わざるを得ないという状況なんですね。
ここから私の話をさせていただきますと、私には父と母、2歳上の姉と4個下の弟がいる5人家族です。中学校3年生の頃から昨年まで、ずっと母のケアをしていました。
母はもともと健康だったんですが、前触れもなく病におかされました。それが多系統萎縮症という難病で、徐々に体が動かなくなっていきました。去年亡くなったんですが、亡くなる前は植物状態みたいな感じでした。
(ヤングケアラーになったきっかけは)最初は母の日常的な生活のサポートですね。買い物をしたり、病院の付き添いをしたりから始まって、徐々にサポートの内容が多くなっていきました。階段の上り下りとか、あとは家事全般とかになっていった。
その頃には部活を休んだりと、そういうことも出てきました。高校3年生ぐらいになった時、母の症状が悪化してほぼ寝たきりになったので、そこから大学に行くのを辞めてずっと介護をする日々を2年間過ごしました。
宮崎:痰の吸引や体勢変更、料理、食事介助、投薬など、本当にほぼすべてのことをやっていました。その結果、なかなか大学進学できずに、ギリギリ2年越しでなんとか大学に進学したんですが、入学後もなかなか通うことができなくて孤立した日々を過ごして、誰にも相談できないような数年間を送りました。
そんな感じで、介護しかしていない大学生だったので、就職活動をするにも何もアピールできないような状態になってしまって、就職も苦労しました。
なんとか1社受かったんですが、遠方に配属されて1人暮らしをしていました。しかし母の症状が悪化して、「もうこれは帰らねば」ということで、介護離職してまた母のそばに戻ってきたという感じです。
父親が定年退職するまで、仕事で忙しくてケアに参加できなかったので、子どもたちもそれは理解していてケアをしていたというのが私の経験になります。
これは川内さんが先ほど出されていた図に似ているんですが、横軸がヤングケアラーにおかれた自由度、縦軸が年齢です。左に行けば行くほど支援の緊急度が高い方々なんですね。左下の通学ができないとか、福祉で接触できていないとか、そういった方がメディアではけっこうとりあげられています。
それはもちろん支援が必要なんですが、この真ん中のボリュームゾーンの方々。普通に生活はできていますが、孤立をしていたり、なんとなくつらいと感じていたり、周囲との違いを感じている方が非常に多い印象です。もうちょっと軽いかたちになると、家族の手伝いの延長線上みたいな方々もおりますね。
先ほど川内さんもおっしゃったとおりで、このポジションが固定されているわけじゃなくて、自分自身の状況や家庭の状況によって、一番右にいる人も一番左にいきなり行ってしまったりと家族の状況が変わっていきます。それを未然に防いでいく必要があるんじゃないかなと思っております。
なので、ヤングケアラーとひとえに言っても、本当にいろんな状況の方がいるということを覚えておいていただければと思います。
宮崎:我々ヤングケアラー協会は、元ヤングケアラーで構成された団体で、赤い羽根共同募金さんや日本財団さんから助成をいただきながら、現在計6名で運営しております。
我々は、すべてのヤングケアラーが自分らしく生きられる社会を描いております。これはどういうことかと言いますと、ヤングケアラーを家族から引き離すとか、ヤングケアラーをヤングケアラーでなくするという感じではありません。
ヤングケアラーだったとしても、たくさんの支援があって、理解があって、自分らしく生きられるような社会にしていきたいと思っています。そのためにはヤングケアラーとしての人生に出口を作ろうしています。これは「出口」という表現もあれば、「選択肢」や「道しるべ」と言い換えてもいいと思います。
ヤングケアラーの状態に置かれても、選択肢がたくさんあるとか、将来に光が見える状況を作らなきゃいけないと思っていて、それを作る活動をしております。私からの紹介は以上です。この後の対談を本当に楽しみにしておりますので、川内さん、よろしくお願いいたします。
川内潤氏(以下、川内):成悟さん、ありがとうございました。ここからは成悟さんとの対談をしていこうと思います。やっぱり今の話を聞いていても思ったんですが、きっとどのヤングケアラーの子たちにも「誰にも相談できない」感じがあるのかなと思いました。
自分の家のことを人に相談する、しかもそれがプラスのことではなくてマイナスのことで……。そもそもそれが当たり前の生活をしてきているわけだから、これを相談するべきものなのかどうか、そして相談したことで何がどうなるかが見えないから、まず相談しづらいのではないかなと思うんです。
実際に今、自治体でも各地でヤングケアラーの相談窓口を作っているんですが、当事者の子どもたちからの相談はなかなか増えていないと聞いています。
川内:このあたりのヤングケアラーの支援の難しさに、成悟さんがどう感じているかをまず聞いてみたいなと思ったんですが、どうですか?
宮崎:ありがとうございます。川内さんのおっしゃるとおりで、厚労省の調査でもヤングケアラーが相談しない理由をヒアリングしたところ、やっぱり「誰かに相談するほどのことでもない」「相談したところで何かが変わると思えない」という状況なんですね。
一方で、先ほどの図で示したような学校に行けなくなっちゃっている子は、わりと行政が介入していって発見したりはできるんですが、もやもやした悩みを抱えていたり、孤立しているかという状況はなかなか発見もできない。それがどんどん悪化していくと、本当に取り戻せない状態になっちゃったりするので、そこらへんが難しいなと思っていますね。
川内:ごめんなさいね。すごく意地悪な言い方かもしれないんですけど、相談してくれなかったら支援できないじゃないですか。……というのが、支援する側の気持ちだったりするんじゃないかなと勝手ながら想像していて。
一方で当事者の方々は、「いや、もっとこういう支援があったらよかったのに」とおっしゃる方もたくさんいて。私はその気持ちもすごくわかるし、だからなんとも言えずにもやもやする感じがあるんです。すごくばくっとした質問で申し訳ないんですが、今の段階での成悟さんの考え方をおうかがいしたいなと思っているんですが、どうですかね?
宮崎:相談したい瞬間はあると思っているんですが、それが拾えていない状況があると思うんですよね。
宮崎:ちょっと僕の経験でいいですか?
川内:それは、ぜひ聞きたいです。
宮崎:高校生の時は学校にも行けているし、お友だちと遊ぶこともできていて。もやもやしたつらさは抱えているんですけど、正直それでも別によかったんですね。
川内:うん。なるほど。
宮崎:ただその後、大学進学できないとなった時に、やっぱりその状況はつらかったんですよね。母は要介護度5で、うちにはたくさんの支援者が来ていて、これ以上増やせないというのはわかっていた。父親も仕事を辞めるわけにいかないし、この状態で誰かに相談したら何かが解決するんだろうか? みたいな。
川内:やっぱりそこなんですね。相談したい気持ちはあっても、それを次のアクションとして相談するのは、実はかなりハードルの高いところに足を伸ばすことになるということでしょうかね。「相談したからって何だ」というのは見えてしまっていて、(自分で母を)見ていたいという気持ちもあるのかなと、お話を聞いて思いました。
とはいえ、相談しにくいまま、相談しないまま。成悟さんの場合は2年間大学に行けなかったとか、仕事を辞めざるを得なかったとか、就職先がなかなか見つからなかったということかもしれないんですが、その後はどんな困難が襲ってきたり、だんだんどんな気持ちになっていったんですか?
宮崎:気持ちですか。もう本当に「これがいつまで続くんだろうか」「将来どうしよう」とか。あとはやっぱり、自分を優先すればするほど家族がつらくなったりする。
川内:それはつらいですね。
宮崎:そうですね。どうにもできない状況で、本当に悩ましかったんですよね。
川内:私の受け取り方が間違っていたら申し訳ないんですが、人に相談することが「自分のことを優先すること」とつながりそうだなという気持ちもあったりしますか? それなら相談できないかなと思ったりもしていたんですが、それはさすがにないですか? 成悟さんご自身の気持ちでいいんですけど。
宮崎:「相談できなかった」と言ったんですが、親戚に相談したことはあって。
川内:どうだったんですか?
宮崎:その時は大学に行きたかったんですが、毎日家で料理をしていたので調理師を目指そうと思って、「調理師になろうと思っている」って話をしたんですよ。そうしたら「本当は大学に行きたいんじゃないの? それでいいの?」と言われて。
親戚も一緒に家に来てくれて、翌年から父親と姉がもうちょっと家にいてくれるようになって、僕が勉強する時間ができたんです。
川内:なるほど。
宮崎:だから相談というか、「調理師になりたい」ということは言いました(笑)。
川内:今の話はやっぱり大事です。相談と言うとすごく大袈裟で、1歩踏み出す覚悟みたいなものがいる。さっきのような質問をしたのは、実際に今私が相談を受けている子たちにありそうな気持ちというか、きっとそう思っているんじゃないかなと感じていることなんですね。
川内:支援されることが、自分の親や自分がサポートしてる人にとってプラスになるということが見えづらかったり。または、ちょっと嫌な言い方かもしれないけど、日々介護している場が「居場所」や「自分の生活そのもの」になっているところがあって、それが奪われる気持ちにもなっているんじゃないかなぁとは思うんですよね。どうですかね?
宮崎:そうですね。居場所が奪われるというのはあるかもしれないんですが、一番大きかったのは「母がかわいそう」という気持ちですかね。
川内:それだよね。そうですよね。
宮崎:結局、介護について相談したら施設に入れることを提案されて。
川内:すみません。私は今、過去の自分を反省してドンとなっているんですけど。ごめんなさいね。
宮崎:この間、ある元当事者の方が「相談すると、究極の選択肢しか言われない」と言っていたんですね。例えば僕で言うと施設に入れるとか、あとは1人親が精神疾患で家族を引き離されるとか。そういう選択肢しか与えられないから、なかなか相談しなくなったみたいな話を聞いて。
川内:すみません。なんか、絶句してる場合じゃないんですけど……。
宮崎:(笑)。
川内:これは支援者の反省の弁として聞いていただきたいんですが、出てきたニーズに対してサービス調整をはかっていこうとした時に、そこに寄り添ったり、本当の気持ちをちゃんとこちらが聞き取れていないというか、それに伴走できていないと、きっとご家族からはそう見える。
しかも子どもたちからしたら、それが自分の家庭なわけだから。当然(介護対象者のことを)かわいそうという気持ちになるだろうなと思います。
かなりがんばって介護してきた若い方々とお話をして、どうしたら彼ら・彼女らを支援できるんだろうと悩んではいたんです。でも、そもそもその悩みが間違っているというか。
支援を届けることが目的になってしまっていたんですが、そうじゃなくて。この子たちにとって何か力になることが目的なのに、私たちのサービスメニューにあてはめていいのか? 「要介護5で、多系統萎縮症で。痰抜きが必要で。じゃあ療養型病院ですかね」とか、機械的にあてはめていくのはなんか違うかなと、今の話を聞いて思います。
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