「探求心」が組織になって失われてしまう理由とは

斉藤知明氏(以下、斉藤):みなさん、はじめまして、斉藤です。よろしくお願いします。本日はお越しいただきまして、ありがとうございました。今回は、学習する組織は戦略に勝るのか、学習は戦略に勝るのかというテーマです。

ポイントとしては、前例主義の乗り越え方と個人の探究心という2つの糸口から、学習する組織への道をひもといていきます。

みなさん、どうですか。今までは戦略的にやっていたことをずっと積み重ねていけば、成長してきた。そこから変わりつつある今、どんどん変化に対応していかないといけない。外部環境もどんどん変化していく中で、昨今、学習というものや、組織として学習していく、変化していくことの必然性が間違いなく上がっているだろうと思います。

では我々は、どうやれば学習していく組織・変化していく組織になれるのか。それを今日はみなさんと読み解いていきたいと思います。本日はよろしくお願いします。

では、さっそく1つ目の問いに入っていきたいと思います。まず1つ目の問いは、「探求心が、組織になって失われてしまうのはなぜでしょうか」。

教育の現場で重視される「探究心」というワードですね。これがなぜ、どうやって失われていってしまうのでしょうか? ここについて、まず藤原先生よりお話しいただいてもよろしいでしょうか。

極度の「正解至上主義」を崩す必要がある

藤原和博氏(以下、藤原):日本の教育現場は、小学校の3年生ぐらいから、まず10年間以上にわたって「黙れ」っていうことを教えるんです。黙りなさいと。それから中学でも意見は言わない、私見は言うなと教えるんです。

そして、極端な例ですけれども、高校で特に受験指導がきつい進学校では、現代国語の先生が「考えるな」とまで教えるんですね。考えちゃうと、4択問題を間違ってしまうということです。

この極度の正解至上主義を崩さないと、日本はどうにもならないと思います。学生は、基本的にはみんな正解至上主義で10年以上育ってきちゃっている。その前提で、組織に入ったら、まずこれを崩さないといけない。正解が必ずあるとは限らないし。

それから、4択問題って全部、先生が与えているわけですね。そうじゃなくて、自分で仮説を作らなきゃダメなのよと。

例えば、イ、ロ、ハ、ニとあったとして、イ、ロ、ハまでやったらニではなくて、もしかしたらトかもしれないし、実はAとかXかもしれない。正解は、必ずしもないかもしれないんだっていうことを教えないと、組織として非常にまずいんじゃないかと思います。

20世紀の日本の学校教育は「情報処理力偏重」だった

藤原:日本の教育がどんなふうに行われているかについて、最初に、みなさんに、ちょっとつかんでいただきたいので、この図を示しています。

20世紀の成長社会から、21世紀の成熟社会と書いてあります。1997年に日本の高度成長はピークアウトして、1998年から成熟社会へ入ってもう20年以上です。これがどんどん深まっていくわけです。

多様化が進み、複雑化して変化が激しくなる社会ですね。なので、今まではみんな一緒でよかった社会が、それぞれ一人ひとりにばらけていく。ばらけていく個人をネットワークでつないでいくかたちになるわけです。

20世紀の日本の学校教育がどうだったかというと、「情報処理力偏重」と僕は呼んでいます。やっぱり20世紀って、正解がけっこう明確だったんですね。「大きいことはいいことだ」とか「安いことはいいことだ」と正解が明確なので、正解を早く正確に当てる力、つまり情報処理力が非常に大事だった。

特にアメリカに敗戦していますので、目指す姿としてアメリカンライフというものがある。あの人たちのような、すごく豊かな生活がしたいというもの。緑の芝生もいいし、リビングに犬が走ってきて、暖炉の前で休む。あれが憧れなんだという、目指す世界観があったから。

なので、ここに書いてありますけれども、いわば、ジグソーパズル型の学力ですね。情報処理力をそう言い換えています。ミッキーとミニーちゃんの図柄があったとしましょうか。アメリカンライフですね。これが1億ピースあったのか、20億ピースあったのか知りませんけど、ひたすらジグソーパズルを埋めて、キャッチアップする。

これは、キャッチアップ型の途上国にはいいわけです。日本の学校教育は見事に、ジグソーパズルが得意な少年少女を大増産して、処理業務が優秀なホワイトカラー、ブルーカラーを増産しました。

学力は「ジグソーパズル型」から「レゴ型」へ

藤原:ところが、ジグソーパズル大好き少年少女には、できないことが2つあります。まず、世界観そのものを、自分で描き出すこと。それから、途中でミッキーとミニーちゃんに飽きたからといって、ジグソーパズルの中に、どうしてもドラえもんを入れたいといった変更は、もう無理なんですよね。

世界観そのものは、出版社もしくはジグソーパズルメーカーが作っちゃっています。(でも本当は)イマジネーションを持って世界観そのものを作ったり変更したりすることによって、どんどん世界を変えられる。つまり、自分自身の人生観や仕事観、世界観を作っていくためには編集力が必要。

自分の知識、経験、技術のすべての編集、組み合わせですね。(それらを)つなげていく。しかも、異なった要素同士をつなげていく掛け算のような編集力が必要なんです。

これは、「レゴ型の学力」というとわかりやすいと思うんです。レゴは、パーツの種類は少ないけれども、その組み合わせ1つで、文字通り、宇宙船も家も街全体を作り出すこともできる。もう日本は、ジグソーパズル型学力から、レゴ型学力に移行しなければならない。

そこで文部科学省も探究というものを出してきたり、あるいはアクティブラーニングというものを出してきたりしています。これは、自分が主体的に周囲と相談しながらブレストやディベートをしながら考えるという思考力、判断力、表現力を重視するものです。

教育の現場で重視される「探究心」を身につけるには

藤原:今の図でいえば、右側を志向してはいるんですが、現場は左側で成功した人が現在先生をやっていますし、下手をすると親もみんなそうなので、そういう意味でまだまだ、時代の変化に教育現場がついていけていない。

その中で、レゴ型の学力を非常に楽しいかたちで向上させる教室をやっていらっしゃるのが、おそらく隣の探究学舎の宝槻さんじゃないかと思いますね。

斉藤:そうですね。「教育の現場で重視される探究心が」っていうクエスチョンを冒頭に言ったんですけど、教育の現場でもなかなかできていたものじゃなくて、最近重視され始めた。

僕自身も、大学時代にそういう学習をしてきたかって言われると、やっぱり○×を付けられる学習をしてきたなと思うんです。まさに教育を変えようとされている宝槻さん、教育の現場で重視される探究心について、どうやって(身に)つけていこうと思われているのでしょうか。

宝槻泰伸氏(以下、宝槻):まず、藤原先生のレゴ型学力にめちゃくちゃ共感しています。というのは、20年前の20歳ぐらいの時に、僕は本かテレビでこれを見たんですよ。その時に「まったくその通りだな」と思って。

自分自身が21世紀を20年間生きて、20代から40代に今なっているんですけど、そのプロセスで、レゴ型の学力を意識しながら、自己成長させてきたなっていう感覚はすごくあるんですね。

学力とは、自分の人生の幸せの「納得解」を作る力

宝槻:学力は問題解決力とか、世の中にイノベーションを作る力っていう意味でもあるんですけど、自分を幸せにする力とシンプルにも置けると思っていて。

その意味は何かと言うと、自分がやりたいこと、納得解ですよね。自分の人生の幸せっていう納得解を自分の手で作るのは、シンプルにすべての子どもたちや社会人にも、あまねくニーズがある力かなと思っています。

だから、まず標榜したいのは「オレンジ(レゴ型学力)だよね」っていうこと。僕も120パーセント賛成なんですけど、じゃあ、どうやってやっていくのかという話じゃないですか。僕の場合は、教室で子どもたちにあえてボケ回答をさせるファシリテーションを、けっこう意図的にやっています。

要は灰色(ジグソーパズル型学力)でいうと、正解を言う子が格好いい子で優等生で、その場に求められる子。そういう雰囲気からちょっと逸脱する意見とか、まったく見当違いな仮説を言っちゃう子、あるいは笑いを狙ってボケる子も「拍手!」っていう(場作りをする)。

例えばそういう場作り1つでも、正解主義を場の中から消して、ひらめき主義とか思いつき主義とか、あるいは楽しむとか呼んだらいいんでしょうか。教室の場作り、空間作りも1つのオレンジ色の力であり、カルチャーを大切にするアプローチなんじゃないかなと思います。まず1個目の材料として放り込んでみました。

藤原:1つね、先週の『世界一受けたい授業』を見た人います? どうですか。ネットの向こうの人も手を挙げているかな。

斉藤:数名が手を挙げています。

藤原:ねえ。いらっしゃいますね。これはYouTubeとかで流れたりしないのかね。

宝槻:TVerで見られます。

藤原:あ、見られる? これは、宝槻さんが実際に子どもたちにどういう授業をやっているかという本当に素晴らしい番組でね。算数嫌いの子がその中に3人いるんだけど、1時間の授業の後に、算数が好きというよりは算数っぽいことを学ぶことに前向きになっちゃっている、すごい授業です。ぜひ見たらいいと思いますね。

宝槻:ありがとうございます(笑)。

教育の現場が「レゴ型の学力」になかなか移行できない原因

斉藤:教育の現場で、間違ったら恥ずかしいってめちゃくちゃ感じたなと思ったんですよ。やっぱり、○×の文化で生きてきた僕自身もずっと思っていて。今、僕は29なんですよ。20年前に、このスライドをご覧になったっておっしゃったじゃないですか。

それこそ僕は、20年前から10年間くらい教育を受けて育ってきたんですけど、なかなか変わっていないなっていう感覚が、今でも正直あるなと思います。

宝槻:教育現場が?

斉藤:そうです。そこって、どういうレジリエンスがあるのか。抵抗があって今変わっていないのか、重要性がなのか、難しいからなのか、どういうふうに捉えていらっしゃいますか?

宝槻:まず、レゴ型の学力をどう育てるかを、教師やファシリテーターが考えようとした時に、自分の中に原体験がないからどうしていいかわからないのが、まずはあると思いますね。どう思います?

藤原:もう1つは、ジグソーパズル型の評価の手法が確立されちゃっていて、偏差値という猛烈に強い道具があること。ジグソーパズル型で情報編集力を効かせて、自分も関わる他者をも納得させられるような解を導いたとして、それをどう評価するかがなかなか難しいです。

例えば、実際に企業に入れば、Microsoftであろうとリクルートであろうとどんな企業でも、情報編集力が高い人材しか求めないというぐらい強いニーズなんだけど。

何度も訳がわからない質問をした時にどう対応するか、どれほどクリエイティブか、創造力があるかということについては、かなり面接に頼っていますよね。右側のレゴ型は、そこがなかなか数値化ができないので、はがゆいところではあるんです。

学生時代から「前例主義」「正解主義」が始まっている

斉藤:大事だって言ってもパキッと変わるわけじゃない。そうなった時に、石山先生は学生や社会人の方にも教鞭を執っていらっしゃる中で、探究心というのはそういった社会人大学の中でもどんどん重要性が増してきているんですかね? 変わってきているものなんですか?

石山恒貴氏(以下、石山):最初の問いが「学生時代に探究心があったのに、組織の前例主義でなくなるのはどうしてですか?」というものだったんですけど、藤原さんや宝槻さんのお話の通り、そもそも学生時代から前例主義、正解主義だったということなんです。

藤原さんから、「実は企業はレゴ型のもの(人材)を求めている」というお話がありました。でも、企業もけっこうジグソーパズル(型の人材)をバリバリ求めているところもあります。

そもそもみんな正解主義で入ってくるじゃないですか。ところが、今まではオン・ザ・ジョブ・トレーニングで、その会社らしい人になって、みんな同質な自分になっていった。

同じような中で効率的にハイコンテクスト、あうんの呼吸でも伝わる人たちを量産して、それでいいという効率性でやってきちゃったものだから、実はレゴ型の人が企業でも迫害される面がなくもない。そうすると、学校でも企業でもジグソーだということが起こっちゃったりもしているわけですね。

居心地のいい場所から飛び出す「越境学習」のススメ

石山:そこで、僕が言っているのが越境学習です。企業から飛び出して、アウェーの訳のわからないところに行く。そこは居心地が悪いんだけど、固定観念を打破して新しい世界観を自分で作りましょう、というもの。この越境学習がいいと言っているんです。

この研究をしても、越境学習者は、いざ同質性の高い自分の会社に帰ってくると迫害されることがよくあると聞くわけですね。そうすると企業も学校もジグソーだという話になる。宝槻さんのおっしゃる通り、企業でも正解主義が刷り込まれているので、ちょっととぼける、ボケるのがいいっていう話もあります。

例えば私のいる社会人大学院に入ってくると、2年間で修士論文として自分の好きな研究をやるわけですよ。そうすると、正解があるわけないじゃないですか。自分が好きなテーマを見つけて問いを立てて、それを研究していくわけです。

その社会人大学院にくる社会人ですら、「そもそも問いにも正解があるんでしょ」とか、「でも結局落としどころはあるんでしょ」という感じなのです。

斉藤:最初はそう来るんですか?

石山:ええ。例えば企業のワークショップって、なんだかんだ自由に話してくださいって言っても、最後はアクションプランに落とし込みましょう、効率的にこれをやりましょうという話になる。でも、まずうちのワークショップでは、正解もないし、アウトプットも出さなくていいから、とにかくだらだら話すんです。

そうすると「30分も40分もなんでだらだら話しているの? 耐えられない」とみんなすごく抵抗があるようなんですけど、「いや、それ、耐えたほうがいいよね」みたいになって(笑)。だから宝槻さんのとぼけるってめちゃめちゃ大事だと思います。