医療から「リーダーシップ」に関心が移った理由

ロナルド・ハイフェッツ氏(以下、ロナルド):本日はありがとうございます。私がお話しする時間を作っていただき感謝しています。ハーバード大学ケネディ行政大学院で、39年間リーダーシップについて教えているロナルド・ハイフェッツです。

私は医師としてキャリアをスタートさせました。父のように外科で鍛錬を積み、脳神経外科医になろうと思っていました。しかし、働き出して間もない頃、ニューヨークの刑務所で仕事をしたことがあります。

刑務所の医師として、どんな人が入ってくるかを観察しましたが、その大半が貧しい人たちでした。社会から疎外された人たちであり、ほぼ全員がなんらかのかたちで不当な扱いを受けた経験がありました。そこで通常の医療のように1対1で治療を行う医師ではなく、組織や政治のレベルで貢献したいと考えるようになりました。

また、同時期にニューヨークの大手企業のCEOや副社長を診察する機会もありました。そうした人たちと話をする中で、権威ある立場にある人たちの課題を知ることができたのです。そして、ビジネスリーダーシップと政治的リーダーシップの両方の課題に関心を持つようになりました。

そこでリーダーシップの実践について考えるために、5年ほどかけて新しいスキルを身につけました。精神科で医学研修を終え、ケネディ行政大学院で公共政策や組織について学びました。

1983年、リーダーシップの実践に関する理論を構築するため、教壇に立つことになりました。リーダーシップ実践のためのトレーニングや教育の方法論も構築したかったのです。ケネディ行政大学院には、日本を含め世界中から学生が集まってきます。毎学期40~50ヶ国の人々の事例や話を聞くというすばらしい機会を得ることができます。ビジネスパーソン、政治家、NPOなどの人たちが世界中から集まってきます。

そしてこの40年間でリーダーシップの理論を構築し、世界中のさまざまな組織の人々の日々の実践に照らして理論を検証してきました。私のアイデアのどれが日本のみなさんの文化や組織に適用できるかはわかりません。日本とその文化をとても尊敬していますし、日本の文学や伝統遺産はすばらしいものがあります。

どれが当てはまるかわかりませんが、今日は私の考えをいくつか共有しますので、ご自身の経験に照らして検証してみてください。

各国の大統領、首相、国連事務総長を教え子に持つ

またコンサルティングの仕事の一環として世界中の人々にアドバイスを提供してきました。各国の大統領や首相だけでなく、国連などの国際機関を運営する人たちとも仕事をしてきました。(元国連)事務総長は私の教え子です。

グローバルファンドや国際通貨基金を運営する人たちや地方銀行の人たちとも仕事をしました。多種多様な政府関係者やビジネスや企業の経営者とも仕事をしてきました。今はマイクロソフトやIKEAの人たちと仕事をしています。Googleでもリーダーシップ実践の文化を形成する上で、10年以上にわたり私の研究を参考にしてきました。

今日はリーダーシップというテーマを、明確かつ正確に考えるための基本的なアイデアを紹介します。みなさんの今後の勉強・研究の役に立つ内容であれば幸いです。日本語版の拙著や私の同僚の本を手に取り、ご自身のリーダーシップの実践に取り組んでみてください。

今日お話しする内容はさまざまな人の体験から得た教訓です。まずリーダーシップというものは誰も深く考察を行っていない分野です。リーダーシップは古くからあるものですが、研究分野としてはまだまだ未熟です。経済学、統計学、数学、工学、金融分野のように十分に確立されたものではありません。

十分に確立された分野では、基本的用語について合意されています。その上でより高度なレベルで意見が対立し始めます。例えば、金融危機への対処について経済学者の意見が分かれることもあるでしょう。しかし、コスト限界、効用価格、弾力性など基本的用語の多くが共有されています。

リーダーシップ研究の分野では、基本的用語に関してまだ共有・合意がなされていません。リーダーシップについて考察・執筆をする多くの人がそれぞれの語彙や言葉を使っている状態です。リーダーシップ、権威、権力管理、市民、影響力、フォロワーなど、基本的な言葉について考えてみてください。

これらの言葉はパズルの基本ピースです。さまざまな学者や執筆者が、まったく異なるかたちでパズルのピースを組み合わせています。そのため、リーダーシップを実践している人が明確なアイデアや考え方をどこに求めればいいのかわからない状態です。

リーダーシップを必要とする課題とは?

この40年間、私はリーダーシップの明確なコンセプトの構築に取り組んできました。人々が自分の置かれた状況をより明確に分析し、前に進む方法を見出せるようにするためです。まず理解するべきことは、リーダーシップとは「実銭」と見なすべきものだということです。木工や工学、医学の実践と同じです。ある種の問題を解決するために人が実践するものだということです。

平和で穏やかな時代にはリーダーシップは必要ありません。自分の権限に応じた仕事の進め方を知っている人さえいれば十分です。平和で穏やかな時代には全員が自分の仕事をただこなせばいいのです。

例えば私は医師でしたが、医学ではさまざまな問題に直面します。医学には主に技術的な問題が多く存在します。そこでは、リーダーシップではなく権威ある専門知識が必要とされます。診断方法を知っている医師がいれば、患者の問題を取り除き解決策を提案できます。

しかし、誰もがリーダーシップが必要な問題に直面します。まだ完全な解決策が見つかっていない問題です。人々が新しい能力を構築しなければならない問題であり、新しいビジネスの方法や人との関わり方を学ばなければなりません。新たな組織のあり方やコミュニティ構築法を学ぶ必要があります。

適応課題のわかりやすい例

「適応課題(Adaptive Challenges)」は、技術的な課題とはまったく異なります。新しい方法を学ばなければならない課題であり、問題に対する責任を自ら負わなければなりません。ストレスの多い不透明な時代には、私たちの多くが権威ある人に頼ろうとする傾向があります。そうした時代には、自身が抱える問題に対して責任を持たなければなりません。

適応課題のわかりやすい例を挙げましょう。バンデミックがまさに適応課題です。人々の安全を確保するために、決定を下せる権威ある人々により協調的な対応が必要でした。一方家庭や学校、大小さまざまな規模の企業においては、パンデミックという状況でどう生き延び繁栄していくかを考え、自ら適応していかなければなりませんでした。

パンデミックは権威ある立場の人たちだけで解決できる問題ではありません。適応課題では解決策を生み出すために、コミュニティの集合知が必要となります。解決策を生み出すには、さまざまな環境において小さな適応が数多く必要だからです。家庭、学校、企業、政府のそれぞれです。

責任の分散を必要とするのが、適応課題の特徴として挙げられます。しかし適応課題に直面すると、人々はストレスからさまざまなかたちで仕事を回避しがちです。課題に対応するために必要な変化や新たな能力について責任を負うことを回避するのです。

人が「変化」に抱く2つの感情

適応課題の特徴をいくつか紹介しましょう。適応課題の1つ目の特徴は、自然から学ぶことができます。

自然界では何百万年にもわたる環境の変化に伴い、すべての生物種が驚異的な適応を遂げてきました。あらゆる生物種が、新たな能力を獲得するか滅びるかの二者択一に直面してきました。

自然界は驚異的な変化を遂げてきました。例えば人間はチンパンジーと99パーセントのDNAを共有していますが、1パーセントの違いでも人間は驚異的な能力を備えています。自然界を見ると、変化とは非常に保守的であることがわかります。これは重要な原理です。

なぜならリーダーシップの実践において、多くの人は変わらないことよりも変化に喜びを感じるからです。にもかかわらず変化の話ばかりでは人を怖がらせてしまいます。ですから人々に求められる変化を文脈に即して示すことが非常に重要です。現在の仕事の中で失われるものと、新たに構築しなければならない能力の両方を示す必要があります。これまでと変わらない事柄を示しながら変化の必要性を説明することが重要です。

人は変化をいとわないことが多いですが、その理由を知りたがります。そして理由の多くは、人や国の伝統の中にある文化や価値観に埋め込まれています。適応を成功させるためには、混乱を最小限に抑える必要があります。企業や地域社会が、変化する困難な環境の中で発展していくためです。

企業や社会が直面する、答えが必要な「3つの難問」

適応課題の次の特徴として、企業や社会が直面するほとんどの課題は、複数のセットになっていることが挙げられます。専門的・技術的な課題の場合もありますが、中間の場合が多いと思います。リーダーシップの実践においては、問題のどこが技術的でどこが適応的かを診断しなければなりません。

こうした適応課題を「厄介な問題(Wicked Problem)」と呼ぶ学者もいます。「複合的課題」と呼ぶ人もいれば、「イノベーションの問題」と呼ぶ人もいます。どの言葉でも良いと思います。私が「適応」という言葉を使うのは、イノベーションの過程を理解する上で自然界から学ぶことが多いからです。

生存していくためには、3つの難問に答える必要があります。

地域社会や企業で保持すべきものは何か? どのような文化的DNAを捨てるべきか? 私たちの歴史の中で最も優れたものを未来に伝えるためのイノベーションは何か? 

この3つは大きな問題です。問題のどの部分が技術的なもので、どの部分が適応的なものであるかを選別する必要があります。ですから、上級のコースや私が薦める読み物では「診断の枠組み」を考えてもらいます。

複数の課題が重なっている時、どの部分が技術的なもので権威者による命令で処理できるか。どの部分が適応的で、集団的問題解決や集団的知性、異なる扱いが必要かを判断しなければなりません。そして問題の初期段階から人々を関与させ、問題解決の一員とします。

計画は重要だが、計画そのものに価値はない

適応課題のもう1つの特徴は、即興的なものであるということです。現在地から目指すべき場所までのクリティカルパスを作成すると、この青い線に沿って数多くの問題が発生します。

10億ドルのビルを建てる際には、複雑な行動の調整を行う複雑なプロセスを辿ります。しかし、念入りに計画を立てクリティカルパスを作成します。そしてうまくいけば、予算の2パーセント以内で10億ドルのビルを建てることができます。

そして1年半後ではなく数週間で完成できます。高度に複雑な技術的問題に対する計画を立てて、クリティカルパスに沿って行動することができます。しかし、適応的なプロセスにはそれが当てはまりません。適応的プロセスでは、毎日今どこにいるのかを自問自答して修正や調整を行う必要があります。

ドワイト・アイゼンハワーはアメリカの偉大な大統領の1人です。彼は1944年仏のノルマンディー海岸への侵攻という、欧州史上最も複雑な軍事作戦を指揮しました。「計画なしにノルマンディー上陸はあり得なかったが、上陸の瞬間にその計画を破棄せざるを得なかった」と言っています。

「将来起こる不測の事態を予測するためにも計画は重要だが、計画そのものには価値がない」と大統領として述べています。多少の誇張はあったでしょうが、適応していくためには毎日毎週計画を調整する必要があるということです。適応的なプロセスは組織的境界を越えて行われることも多いです。