「がん」とは何か?

ハンク・グリーン氏:この動画のタイトル(『単細胞の犬がいる』)は意味不明ですよね。単細胞の犬というのはいません。犬は多細胞どころか、脊椎動物でなおかつ哺乳類です。

定義上、単細胞生物に「犬」はいませんが、6万年前から1万1千年前までの間には「犬」がいたのです。

名前も、オスかメスかもわかりません。ただ、私たちはその犬についてかなり多くのことを知っています。コヨーテに祖先を持つ、黒か茶色で、近親交配された集団から生まれていて、さらに「がんであること」もわかっています。

何が起こり、それがどれほど奇妙なことかを理解するためには、がんが何かを理解する必要があります。「ハンク、がんのことなんて知ってる」と言いたいでしょう。がんとは、生物の細胞が誤作動を起こし、制御不能に繁殖し、その生物の体の別の場所に移動することによって引き起こされる病気だと考えているのでしょう。

それは真実であり、すこし真実とは言えません。問題は、細胞が誤動作しているのか、それとも「成功」しているのか、ということです。

その質問に答えるためには、もう1つ別の質問をする必要があります。なぜ機能不全の細胞はよく制御不能に繁殖するのか、です。「進化が何を欲しているか」という観点で進化を語るのは簡単ですが、進化は何も「欲していない」のです。

自然淘汰とは単に成功した形質と、それに関連する遺伝子が継承され、次の世代に受け継がれることだとする考え方があります。犬のほぼすべての細胞は、犬が生き残るのを助けようとします。細胞同士が協力して動物の機能を維持することで、遺伝物質が現在の犬や子孫にも存続できるわけです。

しかし、生殖は有性生殖だけではありませんね。単細胞生物はよく無性生殖を行います。自然淘汰は種に進化をもたらしますが、そのスピードはより遅い。そして、犬の内部では、自然淘汰は犬というスケールだけでなく、細胞というスケールでも淘汰されていることが想像できます。

自然淘汰は難しい話ではありません。もし何かがそれ自体を「より多く作る」ことができれば「より多く存在する」ようになる、ということですよね。もし、ネズミが1,000人の子供を産める遺伝子を持っていたら、その遺伝子はあっという間にネズミの集団に広がっていきます。

しかし、もし生物の中の細胞が、自分自身のコピーを10万個も1億個も持つことができる遺伝子を持っていたら、その遺伝子は、何かで止めない限り、生物中に非常に急速に拡散していくことになります。そうして、生物の中の個々の細胞が、抑制されないまま自己複製する方法を進化させたものを、私たちは「がん」と呼んでいます。

がんは生物ではなく、細胞レベルの「進化」

がんは、生物そのものというよりも、多細胞生物の細胞に作用する進化の結果にすぎないという考え方があります。がん細胞は「進化的に成功」しているということです。もちろん、生物のためではなく細胞のため、という意味です。

がんは生物の細胞が誤動作しているのではありません。「単細胞の生活に戻る」という感じですね。宿主であるあなたをまだ必要とし、その過程で宿主を傷つけるのが普通ですから、「大きな一歩」とは言えず、少なくとも一歩程度です。

それでも、あなたの細胞はより病原体に近い存在になってしまっています。人間のDNAを持ちながら、あなたのためではなく「自分」のために生き始め、代謝し、複製し、進化しているのです。

つまり、がんは単細胞生物であり、多細胞生物のDNAを持っているという見方ができます。なぜなら、そうなれば、その生物はもはや遺伝子を受け継ぐことができなくなるからです。

しかし、細胞レベルの進化はなかなか克服できません。自然淘汰は常に行われており、遺伝子は常に変異しています。たった1つの細胞が、免疫システムから逃れることに長けていて、利己的に自己を永久に複製し続けるだけで生物全体が崩壊してしまうということです。

がんは最も自然なものであり、私たちの体はがんが私たちを殺さないように途方もない手段を進化させてきました。それにもかかわらず、がんは至極一般的な死因であり続けています。

がんは単細胞生物の一種でしょうか。ホットドッグはサンドイッチでしょうか。つまりそんなことはどうでもよくて、がんは死に至る病であり、病人から飛び降りて勝手に生きていくわけではありません。

伝染により、何千年も犬の中に存在し続ける「がん」

何千年も前に死んだ犬を覚えていますか? その犬は死ぬ前に、性的接触によって少なくとも1匹の犬にがんを移しました。このがん細胞は、今や数千年もの間、単細胞のライフスタイルをうまく送ってきた伝染性の病原体だったのです。

この病気は「Canine Transmissible Venereal Tumor(CTVT=可移植性性器腫瘍)」と呼ばれています。そして、この病気の原因となる細胞は生きていないとは言えません。なぜなら、彼らは成長し、繁殖し、代謝し、進化しているからです。

CTVTの犬は、自分の細胞でできたがんではなく、数千年前に死んだ犬の子孫の細胞でできた病気を持っています。2014年の論文の著者が指摘するように、「通常、1匹の犬の生涯で15年も生き延びないはずのDNAを持つ体細胞が、寄生生命体として数千年も存在し続けたことは驚くべきこと」です。

CTVTの生存と世界的支配は、哺乳類の体細胞ゲノムが新しい生態的ニッチに適応し存続する能力の証だと言えます。つまり、このがんは、ある見方をすれば「単細胞の犬」なのです。

さて、CTVTの「成功」は、非常に奇妙で異常なことです。がん細胞は属している生体の免疫システムを回避するために進化します。だから、(属している)ある生物から別の生物にがんがうつることは極めて稀なことなのです。

今では犬だけでなく、ジャッカルやコヨーテも感染

CTVTがどのようにして発生したのか完全にはわかっていませんが、他の感染性のがんは、集団ボトルネックの種で発生しました。つまり、その種の集団が大きく縮小し、その集団の個体がひどく近親交配された結果発生したのです。

このようなことが初期の犬の集団に起こると想像するのは難しいことではありません。この場合、CTVTは犬から犬へと移動することができます。遺伝的多様性が低いため、免疫システムがその細胞が他の誰かのものであることに気づく可能性が低いという理由が挙げられます。

ある生物で増殖するだけでなく、他の生物に感染して生き残るという新たな進化的圧力を受けて、CTVTは進化を続け、今ではほとんどの犬だけでなく、ジャッカルやコヨーテなどの近縁動物にも感染することができるようになったのです。

古代犬の子孫である病原性細胞が、無性生殖を行い何千年も存続しているという事実。私がこれまで生物学について調べてきた中で最も奇妙なことのひとつです。そしてそれは、がんを「故障」としてではなくある種の恐ろしい「進化の成功」と見なす場合にのみ、理解できます。

このような観点から見ると、がんは生物学的に避けられないものであり、私たちの身体が制御するためのシステムを開発し、私たちが身体の制御を助けることができるものであると考える必要があります。

進化によって、利己的な細胞は、それを破壊するための私たちの体のシステムも、それを破壊するための私たちの技術も回避することができるようになったのです。私たちは競争をしているのですが、以前にも増して勝ちつつあるのです。