生後の「環境要因」は、子どもにどんな影響を及ぼすか

中野信子:話を戻しますが、生後の環境要因について。これは遺伝と関係ありません。20年ほど前にミーニーという人が研究した内容です。ラットは哺乳類なので、お母さんラットは子どもに毛づくろいをします。そのうち、子どもの毛づくろいをよくするお母さんと、あまりしないお母さんの両方がいるんですね。

お母さんラットからたくさん毛づくろいを受けたり、お母さんラットによく舐めてもらったりした子どもラットは、成長後のストレス耐性が高い、不安傾向が低いということがわかりました。

どうも毛づくろいされなかった子どもラットちゃんたちと比べると、海馬の「グルココルチコイド受容体」という、ストレスホルモンの受容体の発現量が多かったんです。

要するに、ストレスを受けた時に受容体を介して、「もうこれ以上ストレスを感じなくていいよ」って、自分でストレスを低くできるんですね。

また不安や攻撃という行動・情動の中枢として「扁桃体」という場所が知られてるんですけども、これの「GABA受容体」の発現量も増加してました。このGABA受容体というのは、抗不安薬の「ベンゾジアゼピン」という薬物の作用点ですね。その受容体が増えることで、不安が低下していることがわかりました。

こういう行動の変化はどういう部分で起こるのか。舐められるだけで塩基配列が変わるわけないですね。どうもDNAのメチル化によって起こっているのではないかと。さっき言ったEpigeneticな変化によって、子どもたちの脳が変化してたんじゃないかということがわかりました。この研究がたいへんおもしろいということで、『ネイチャー』や『サイエンス』に載ったわけです。

子どものストレス耐性と「親の育て方」の関係

養育行動が子どもの遺伝子の発現頻度を、後天的に修飾している。つまり「親の育て方」は、子どものストレス耐性に効いているのではないかということですね。

このへんが、また「毒親論」を刺激しちゃうこともあるかもしれない。「自分のストレス耐性が低いのは、子どもの頃に親にちゃんと育ててもらえなかったからだ」という話につながってしまうかもしれないね。

生後の環境要因についてどういう研究されてるかというと、「巣を取り替える」ということを行ってます。この灰色のネズミさんは、養育行動をよく取るネズミです。この白い子は養育行動をあまり取らないネズミです。

このネズミの巣を取り替えて、よく子どもを舐めるお母さんの子どもたちを、よく子どもを舐めないお母さんの巣に移す。逆によく舐めないお母さんの子どもを、よく舐めるお母さんに育ててもらう。そういう操作によって、遺伝子そのものの影響を排除して、養育行動だけの影響を見ることができますね。

では、子どもたちがどうなるかというと、この実験では「育ての親」の影響が非常に大きかったことがわかったんです。そのまとめがこれです。一連の変化はどうやらDNAのメチル化によるもので起きたらしいということもわかった。塩基配列、遺伝的に与えられたものが原因じゃなかった、というわけです。

これは、さっきマウスの研究のところでお話しした内容と被ります。遺伝的に持っている頭の悪さは、実は環境要因によって変化させられていた。不安行動・不安傾向についても、親の養育行動でずいぶん変わった。

「地頭の良さ」の遺伝率は約70〜80パーセント

知能の話をしたので、IQの話もしましょう。いろいろな考え方がありますけど、ちょっと前まではこんな分け方をしてました。言語性知能(Verbal IQ)と、非言語性知能(Non-verbal IQ)、人間の知能はこの2つに分けられるんじゃないかというモデルで考えられています、あるいは考えられていました。

Non-verbalな部分は、柔軟にものごとに対処する力だとか、いわゆる「地頭」と呼ばれるところと考えてもらえればいいでしょう。「あの人はあまり知識はないけれども、地頭が良いよね」という場合。機転が利くとか、未知の状況に当たった時に柔軟に対応できる、すばやく決断できるとか、そういう部分です。

ここは生まれつき決まってしまう要素の大きい部分です。遺伝率がけっこう高くて、だいたい70〜80パーセントぐらいと考えられています。でも環境要因はゼロではありません。とはいえ訓練は難しいとされています。がんばってもなかなか伸びるものでもないというか。

「N-back task」というタスクをやると伸ばすことができるという研究もなくはないんですが……このタスク本当につまらないので、知能があがるとかいわれてもやりたくないだろうと思います。私は絶対やりたくない。本当にNon-verbal IQをちょっとでも上げたいという希望がある人はやってもいいかもしれないけど……。アプリも出てますが、けっこうしんどいし、面倒くさいです(笑)。

Non-verbal IQは、ワーキングメモリ(作業記憶、作動記憶)の大きさと関係があるんじゃないの? という研究もありますね。

「教養の知能」は、死ぬまで伸ばすことが可能

一方でVerbal IQ、言語性知能は、教育によって身につけられる知識とか経験、「教養の知能」といってもいいかもしれない。これは生後の環境によって発達させられる側面が大きいです。死ぬまで伸ばすことが可能であると考えられています。

みなさんにどれぐらいの基礎知識があるのか……「SNP(スニップ)」がわかる人はいますか? みなさんの体の中には遺伝子がありますが、その塩基配列は99.9パーセント一緒です。だけど、一緒じゃない部分がいくらかあるんですよね。

例えば、あるタンパク質を発現させる時、そのあるタンパク質を発現させるためのある配列が1文字だけ違うんです。1文字だけでも違ったら機能が違ってしまう、重要な1文字がそれぞれの機能の中にあるんです。その1文字だけ違うことを、「Single Nucleotide Polymorphism」、略してSNPと言います。

そのSNPのうち、エピソード記憶に関するものについて、2006年に『Science』に発表されました。この人の名前、長くて発音したくない(笑)、まあ字面から、いかにもギリシャ人だってわかる名前ですね。

論文によると、この「rs17070145」というサイト1文字が「T」になってる人は、「C」の人よりも20パーセント記憶力が良いことがわかりました。1文字違うだけで20パーセント記憶力が良くなるって、ちょっと不思議な感じがしますよね。

暗記が得意な人はどれぐらいいる? あんまり得意じゃない? たぶん暗記が得意なあなたは「T」ですね(笑)。暗記が苦手な人は、もしかしたら「C」かもしれない。でもまあ言っても20パーセントということなんで、そんなに重大な影響を与えるほどではないでしょうけど。

非言語性知能と遺伝子「SNAP-25」の関係性

エピソード記憶、エピソディックメモリー(Episodic Memory)とは何か説明する必要がありますね。エピソディックメモリーというのは、一般的な情報として覚えておく「意味記憶」とちょっと違っていて、自分の身に何が起こったかを覚えておく能力のことです。

「あの時誰々さんになにを言われた」とか、「あの時、誰それさんとどこどこに行った」「こういうことがあった」というのを覚えておく記憶のことです。このエピソディックメモリーのほうが意味記憶よりも定着しやすいので、「勉強する時はエピソード記憶を使うのが楽だよ」という話を聞いたことがある人もいると思いますけども、そういうことです。

さて、Non verbal-IQ(非言語性知能)のところのお話で、これについても研究があります。遺伝的なものです。family-based studyという血縁関係を基に調べたところ、どうもSNAP-25という遺伝子が関係しているようだとわかりました。

どんなふうに調べるかというと、「rs363039」の部分が両方ともAの人、それからAかGのミックスの人、両方ともGの人を比べます。そうするとこれぐらいNon verbal-IQにある程度の有意差が出てますよとわかりました。インテリジェンスというよりも、visuospatial(視覚空間認知)のwhite matter(白質)のところの厚さに差があるということです。

脳の白質部分の「厚さ」の違いがIQの決定に関わる

IQを決定する部位はどこにあるかと言うと、左右の脳の間の大脳新皮質部分にとても関係あるようです。「AA」「AG」「GG」と書いてあるところがwhite matterですね。白質の部分の厚さが変わっていることがわかりました。これだけじゃわからないと思うので、興味のある方は論文を読んでください。

white matterの厚さは何に関係あるかと言うと、白質と灰白質って聞いたことがありますかね? 脳を輪切りにした写真を見たことあると思いますけど、なんか灰色にちょっと暗く見える部分と、真ん中らへんの白い部分があると思います。

ホルモン屋さんなんかで脳を食べたことがある人いる?(笑)。みなさん上品な感じだからいないかな。クリームチーズみたいな感じでけっこうおいしいんです。豚の脳刺しとかね……。見てみると、白質と灰白質が見えますよ。あんまり脳を解剖する機会はないと思うので、人間の脳でなくてもよければ、本当に見たい人はそういう刺し身で脳が出てくる店に行くといいと思います。

白質の部分は、大人になるにしたがって増えていく

「じゃあ灰白質と白質って何が違うの?」って言うと、灰白質の部分では神経細胞の細胞体がたくさんあります。水がより多く含まれている。細胞体っていうのは、びっくりした吹き出しみたいな形の神経細胞の模式図を見たことがあると思いますけど、たぶん。そういう細胞体の細胞の部分がたくさんあります。

じゃあ白質の部分には何があるって、そこから伸びている足のところ、コードのところ、電源コードみたいな部分なんですけども、この部分がぎっしり詰まっているっていうのが白質の部分です。

なんで白く見えるかと言うと、情報を伝える導線の部分には、絶縁体として脂肪が巻き付いているんです。脂肪が巻きついている線がぎっしり折りたたまれて凝集しているので、白質の部分は白く見えます。

この白質の部分は大人になるにしたがって増えていくんだけれども、なんで増えるように見えるかと言うと、この情報を伝える導線の部分は、生まれたばっかりの頃は裸電線なんですね。あまり脂肪がついていないんです。

(通常の電源コードには)被覆があるので外に電気が漏れないで済みますよね。なんだけど、コードが裸電線だととても大変です。情報が漏れちゃうし。だから育っていくうちにちょっとずつちょっとずつ巻き付いていくんです。

重要なのは、白質化が起きる時の環境

だけどおもしろいことに、これ(通常の電源コード)はずっと切れ目のない被覆ですよね。切れ目のない被覆を見慣れているとちょっと想像しにくいかもしれませんが、脳の中のコードには切れ目がちょっとあります。「ランヴィエの絞輪」という、電車の車両の連結部分のような部分がちょっとずつあるんですね。

裸電線の時には各駅停車のように、ちょっとずつしか情報は伝わっていかないんですが、被覆ができていくと、継ぎ目のところ、さっき言ったランヴィエの絞輪のところで情報を飛び飛びに伝えていくことができます。これを「跳躍伝導」と呼びます。

跳躍伝導では、速く情報が伝わるようになるんです。どれぐらい効率が良くなるかというと、だいたい50倍ぐらいと考えられています。各駅停車が新幹線になる感じのイメージでしょうかね。

それぐらい、子どもの脳の情報処理と大人の脳の情報処理は変わっていきます。場所によって早く白質が厚くなる場所と、遅くまでかかってようやく出来上がっていく場所とがあるので、ちょっと機能によって発達は差があるわけですけども。

この白質化を「ミエリン化」と言いますが、ミエリン化が起きているので白質が厚くなっているように見えるわけです。白質化が起きる時に適切な情報が入ってないと、発達が遅くなる、あるいは行われないことがあります。非常に白質化が起きる時の環境は重要なわけです。

知能に関する場所の白質化は、発達が遅い

早く白質化が起きるところはどこかと言うと、運動野とか視覚野です。もともと運動の才能がある人は、生まれつきの部分が大きい。もともと恵まれている人がより努力してすごくなる、といったイメージでしょうかね。

遅くまでかかって発達する場所はどこかというと、知能に関する場所ですね。あとは人間性に関わる部分、前頭前野の部分はかなり遅くまでかかって発達していきます。

みなさんはだいたい20歳前後でしょうか。そうすると、まだまだぜんぜん発達途中なので、ここは30歳ぐらいまでかかってようやくできていく部分です。みなさんは自分でも心もとない部分がいっぱいあると思いますが、まだ大丈夫です。今が一番大事というか、30代ぐらいになって「あの時にもうちょっと勉強しておけば良かったな」って思い出すのが今ぐらいだと思います。

まあ、みなさんがどうなろうと私がおせっかいをやくところではないので、好きに過ごすといいと思いますけども……(笑)、一応情報を伝えるだけは伝えましたからね。みなさんが後悔をしないように、情報をお伝えをしました。

これから15分くらい質問の時間にしようと思いますので、もし良かったら質問してください。みなさん、お疲れさまでした。

(会場拍手)