35歳は「イライラ・モヤモヤのマックス」

伊藤秋津氏:いきなり抽象度の高い話をしてもつまらないので、まずは拙い話ですけど、私自身がどんなふうに生きてきたか、その実例を、ライフシフトに絞ってお伝えさせていただきます。

さらに、私の実例はn=1ですが、それ以外にも、コーチングでもワークショップでもたくさんの方をご支援してるので、その方々に共通していることを抜き出して「こんなステップもいいんじゃないかな」ということをお伝えしたいと思います。

まず実例で言うと、私は35歳ぐらいに大きなターニングポイントがありました。ひとことで言うと「イライラ・モヤモヤのマックス」でしたね。何かというと、私は人事コンサルタントでプロジェクト・マネージャーをしていたんですけど、その自分が部下とうまくいってなかったんです(笑)。最悪の紺屋の白袴だったんですよね。

ごめんなさい、ストレートに言うと(部下に対して)「なんでこの人たち、もっとちゃんと仕事しないんだろう?」とか「なんでこんなこともできないの?」って。あまり言いたくないんですけど、そんなことで毎日イライラしてたんですね。

部下から「息が詰まる」と言われていた

でもそれを言っちゃうとパワハラになっちゃう。それで嫌われるのもイヤだったので、オブラートに包んで言うんですけど、まぁバレバレですよね。たぶん本音が駄々漏れしていて、ソフトに言ってるつもりが全部バレていました。

私の上司からの人事評価で「秋津さん、コンサルタントとしては仕事も取れてるしOKだけど、マネージャーとしてはこれダメだよ」と言われました。「秋津さん知らないかもしれないけど、部下からなんて言われてるか知ってる? 『秋津さんのマネジメントはとにかく息が詰まるんです』ってみんな言ってるけど、知ってる?」って言われて。「知りませんでした」って泣きそうになって、このままじゃダメだと思いました。

でもどうすりゃいいかわからないんですよね。当時あまりコーチングのことは知らなかったんですけど、とにかくコーチングに助けを求めようとしました。アーサーアンダーセンの時の同僚がたまたま独立してコーチをやっていたので、彼のもとに駆け込みました。

同じ会社の同僚とか上司に言っちゃうと話が回っちゃって、「秋津、なんかダメらしい」みたいに、また評価が下がってしまいそうでイヤだった。とにかく社内ではデキるふりして、社外に助けを求めたんですね。とにかく誰かに聞いてほしいと。

評価されないと居場所がなくなるという「怖れ」

最初は、ぶっちゃけた話、部下に対する愚痴のオンパレードでした。とにかく自分に溜まった毒を吐いてたんですよね。2時間ぐらい毒を吐き続けました。でも、それが2回、3回続いていくうちに、どんどん「内省」に変わっていって。

結果6回くらい終わった時に、2つ気づいたことがあったんですね。1つは、自分は「怖れ」から生きていたということ。さっき言ったような、めちゃめちゃ重い鎧を着ているという自覚がやっとできたんです。

「自分は価値を出さないと生きていけない」と思ってたんです。価値を出さなきゃ評価されない、評価されないと自分の居場所はどこにもない。だからとにかく価値を出さなきゃいけないって、すごい怖さがあったんです。

自己肯定感は今でもそんなに高くないんですけど、当時はめちゃくちゃ低かった。とにかく自分は、いるだけではまったく価値がない人間だと思っていて、ぜんぜん価値がない、だからとにかくがんばらなきゃいけない。がんばってがんばってがんばって、何か人のできないことをやる。人の期待を超えないと、いる価値がないって思ったんですね。

部下の成長を止めていたのは自分だった

上司からも評価されなきゃいけない、クライアントからも評価されなきゃいけない、そして、部下からも「秋津さんってすごい人だね」って言われないと居場所がないって思ってた。

部下の育成では「この人たちにもっと成長してほしい」という気持ちもありましたけど、たぶん「お前たちよりも俺のほうができる」というマウンティングをずっとしてたんですよね。そういうことにやっと気づいた。この人たちの成長を止めてたのは、実は他でもない私だった、ということなんですね。

で、奥さんにも……当時結婚して、子どもができたばっかりでしたが、妻に対しても、価値を出して評価されなければダメなんだって思っていました。妻から直接そんなことを言われたことは全くないんですけど、私が夫としてちゃんと稼いで価値を出さないと、見捨てられるって思ってたんですね。だから夫としてちゃんと稼いで、甲斐性のあるとこ見せなきゃダメだって思ってた。でないと居場所がないって思ったんですね。

独立しても「食えるわけない」と思った

もう1つ気づいたのは「じゃあ本当はどう生きたいんだ?」ということ。本当にこのまま、怖れのままがんばって生き続けたいのかと考えた時に、「絶対イヤだ」って思ったんですね。

どう生きたいか、2つ思ったんです。今はもっと解像度高く自分がどう生きたいか言葉にできてますけど、当時は2つ思ったんです。

1つは「俺は、本当は自由が大好きだ」って思ったんですね。人のジャッジを受けながら「こう生きなきゃいけない」と思うとか、「自分は価値を出しているかな、出さなきゃ」って思いながら、これからも長い人生を生きるのは絶対にイヤだって思ったんです。自由が欲しい、とにかく自由に生きたい。「考えてみれば、学生の頃からずっと自由が大好きだったな」って思ったんですね。

もう1つは、コンサルティングの仕事は大好きです。でも上司から評価されたり、会社から評価されるのは大嫌いで、「町医者」になりたいと思ったんですね。お客さんと私だけの関係で、とにかくお客さんに対してだけきちんと仕事をして、お客さんからだけ評価されたいと思ったんです。

じゃあ独立しろよって話なんですけど、超怖いですよね。そりゃ怖いですよ(笑)。丁寧に町医者のように仕事をしたいんだけど、「食えるわけないよな」と。社労士の資格とかあるわけじゃないし、人事コンサルタントなんて言ったって、結局大手のコンサルティング会社の看板を持っているから仕事がくるので。ポンって独立したら35歳のただのおっちゃんで、そんなの食えるわけないよなって思ったんですね。

同じパターンを繰り返す人生から脱するために独立

なので、その時、僕は本当の自分の気持ちから逃げたんです。本当にありがたいことに、急成長していたクライアントのベンチャー企業に、役員として行かせていただきました。経営陣の1人として仕事をさせていただいたんですね。

もちろんすばらしい会社で、やりがいのある仕事をさせていただいたんですが、自分がオーナーではないので、完全に自由ではないんですね。「うわぁ、やっぱり評価される立場だな」と。じゃあまたコンサルティング会社に戻るのか。「無理無理」って思ったんですね。そこでもう、独立するしかない。

だから、かっこよく自分の夢と志を持って独立したのではなく、「また同じパターンを繰り返してるよ。もうこれ以上同じパターンを繰り返す人生はダメ!もう独立しかねぇよ」って追い込まれて独立したんです。

でも私1人だったら独立できてなかったと思うんです。背中を押してくれた恩人が2人いるんです。1人は山口揚平さんという人で、今日これから話をしてくれます。私が事業会社の人事担当役員をやっていて悶々としてた時、「揚平さん、俺今なんかすげぇ悶々としているんだよね」って連絡したんです。

そうしたら一緒にご飯を食べに行くことになって。彼はブルー・マーリン・パートナーズという、このジーニアス・ファインダーをやってる会社の代表をずっと経営していたので、「あきっちゃん、じゃあうちのコンサルティングの案件あるから、役員やりながら副業でコンサルやらない?」って言ってくれたんです。

本当はちょっと良くないかもしれないんだけど、「やるやる!」って飛びついたんですよね。ちゃんと役員の仕事もしながらですけど(笑)。

背中を押してくれた2人の恩人

揚平さんに紹介してもらって、提案書を書いて、案件を取ろうとしたんですよね。残念ながら私の実力不足で取れなかったんですけど、その時に「めちゃくちゃ楽しいな」と思ったんですよ。

「やっぱコンサル楽しいな」……自分で提案書を書いて、提案して取れたら「やった!」だし、取れなかったら「俺のせいだ」ってはっきりしているので、なんて楽しい仕事だろうと思って。「やっぱコンサルだな」と確信しました。

揚平さんにその話をしたら「あきっちゃん、独立しちゃいなよ。なんか案件回せるかもしれないしさ」って言ってくれたんですよね。すげぇうれしいんだけど、でもやっぱり怖い。そんなにありがたい条件なのに、まだ「怖いな」と思うんです。

そんなことをごちゃごちゃ言っていたら、もう一人の恩人、うちの奥さんが「もうそろそろやんなさいよ。絶対大丈夫だから」って、背中を押してくれたんですよね。

その2人がいなかったら私は独立できてないと思います。ありがたいことに、そういう人がいてくれて、独立できた感じなんですね。

独立後の別の恐怖感

でも、とにかく最初は「自分らしく」とか考える前に、とにかく「食えるようにならなきゃ」なんですよね。でも怖れが消えたかというと、まったく消えなくて、違う怖れが出てきました。「やっぱ食えねぇんじゃねぇかな」と。

最初は揚平さんも仕事を回してくれたりして、「ありがとう」って言いながらやってたんですよね。でもずっとそれはできないので、自分の会社を立ち上げて、自分で営業し始めたんですね。そこで「ぜんぜん食えねぇんじゃねぇかな」(と不安になるわけです)。

当時子どもは4歳で、奥さんは専業主婦でした。一回もそんなこと言われたことないんですけど、夫として、父として「なんだ、結局こんなもんか」と思われるんじゃないか。家族から見放されちゃうんじゃないか。居場所がまたなくなっちゃうんじゃないかな。「また」って、1回もなくなったことないんですけど、その恐怖感がめちゃくちゃありました。

その恐怖感から何をしたかというと、また自分の正直な心とは違う仕事に邁進したんですね。研修講師の仕事です。

モヤモヤを抱えながらやっていた、食っていくための仕事

もちろん、研修講師ってすごく大事な仕事です。私自身、今でも忘れられない研修がありますし、研修がターニングポイントになった方もたくさん知ってます。だから研修講師はすばらしい仕事なんですけど、私は苦手なんです。

でも研修って、リピートでお仕事をいただけるんですよね。1回いい感じにやらせてもらうと、「来年もお願いします」って依頼をいただけるので、安定するんですよ。

コンサルティングの仕事は大好きなんです。でもそれって、プロジェクトが1本取れたら例えば500~600万円の売上で、取れなかったら0円ということが平気であるんですね。それはちょっと怖いなと思って、やっぱり「安定感」が大事だな……と思って、研修の仕事をとにかく取りました。

特に研修会社さまには本当に感謝しています。研修会社さまが創られたコンテンツをデリバリーする仕事はすごく安定感があるんですね。だからこそすばらしい研修の仕事をされる講師の方もたくさんいらっしゃるんですけど、私は合ってなかった。

ワガママで自由が好きなので(笑)、私は私で言いたいことがあるんだけど、研修会社さまのメッセージと違うことを言ってはいけない。当たり前ですけど。それがすごくモヤモヤしたし、20〜30人の受講者の方々一人ひとりに丁寧に関われないというモヤモヤもあった。だからずっとモヤモヤを抱えながら、食っていくため、お金のためと思ってやっていたというのが正直な話です。

コーチングとの再開

あと時間と体力の限界がありました。結局コンサルティングのプロジェクトもありがたいことにたくさんいただけたんですけど、怖いから「とにかく取れるだけ取っておこう」って、取りまくったんですね。もうヘトヘト。これが5年間、2018年まで続きました。

それでバーンアウトしたんですね。「もうここからはいいや、やりたいことだけやろう」って、バンザイしたんですね。

そこから、コーチングとの再会をしました。一応それまでもコーチングの真似ごとみたいなことはやってたんですけど、改めて本当にちゃんとコーチングを学んで、資格を取る機会があって。

日本でコーチングを広めた方の1人に、榎本英剛さんという方がいらっしゃいます。私が研修講師をした時に知り合った講師の方の奥さまが、榎本さんの直接の後輩で「いつでも紹介しますよ」って言ってくれて、私も本は読んでたので「うわぁ、すげぇうれしい」と感動したんですね。

そこから3ヶ月ぐらいもじもじしてたんです。でもやっぱり紹介してほしいなと思って、思い切って「紹介してください」とメールを出しました。それから榎本さんのセミナーに行ったり、対話会に参加しました。そしてプロコーチの資格を取るための学びをするようになってから、バタバタバタッと扉が勝手に開くような感覚がありました。

何か努力したとかがんばったとかって感覚がまったくなく、勝手に連れていかれた感じで今、この場所にいるんですね。

自分の正直な心にフィットしない仕事は断るように

直感的に「やりたい」という自分の本当の気持ちに沿って、川下りするように、波に乗っかって人生を生きていくと、それに必要なだけのお金は必ず現れてくると言われたんですが、本当にそうだなって実感したんです。今でも実感をしてます。

「これのほうが合理的だな」とか「これのほうが得だな」って考えることは、もちろんそれは大切なことですけど、それをやめたんですね。一応コンサルタントなので、戦略を立てて事業計画を創ってってやってたんですけど、それを全部やめたんです。

Excelシートを全部捨てて、その時の直感でやりたい仕事をやる。自分の正直な心にフィットしない仕事は、丁寧にお断りし始めたんですね。感謝しつつ、ほかの方に紹介して、私はやらない。

超怖かったんですけど、そういうことをやったんです。人生の実験だと思ってやったら、すごく良かったんですよね。

フィットしない仕事を手放すことで楽になった

今日は全部話そうと思っているのでオープンにお話しすると、うちの会社の売上高。見ていただいてわかるように、けっこう一人でがんばったんですよ。さっき申し上げたように、とにかく食っていかなきゃいけない。とにかく安定的にと思って必死にやっていました。

この2017年から2018年にターニングポイントがあって、先ほど言ったようにバンザイして、自分の素直な気持ちに従って仕事を決めるようにしたんです。

ずっとご支援させていただいたある会社さまがあって、少ない年でも700万ぐらい、多い年では1,300万ぐらいの売上をコンスタントにいただいて、研修の講師をやらせていただいた会社さまがあったんですね。

その会社さまはすごくいいお客さまで、社員の方々もみんな大好きだったんです。でも、正直言って「もうお客さまはマンネリを感じていただろう」と思うんですね。

私の実感として、お客さまの多くの社員の方はもう私の研修に慣れちゃって、飽きてるんじゃないかなと思ったんですね。ただ惰性でご依頼をいただいているような感覚があったので、お互いにとって良くないんじゃないかと思って「もうやめましょう」って言ったんです。

ほかの方をご紹介して、私は手放したんです。そうしたら、本当に楽になったんですよね。結局好きなこと、ピンとくることだけやる。直感に従ってやるってことをしたら、本当に楽になった。

大切なのは「自分が本当はどう生きたいのか」

ただ、今日この前半のパートで自分の実例をお話しする中で、何を最後に言いたいかというと、ここが一番私が言いたいことなんですけど。この2013年から2017年、5年間は無駄だったのかというと、まったくそんなことはない。むしろこの時があったから今があると本当に思ってます。この時に感謝をしています。

自分のやりたいこととか、自分の素直な心に「100パーセント従ってはいないな」「まだまだ自分の人生を生きてないな」と思っても、前よりもちょっとでもそれに近づいてる感覚、あるいは近づくんじゃないかという仮説があるんだったら、絶対にやったほうがいい。ちょっとでも行動したほうがいいと思っています。

当たり前ですけど、今日のセミナーって独立セミナーでもないし、転職セミナーでもないんですね。私はたまたま独立がフィットしたんです。転職がフィットする方もいらっしゃれば、そうじゃない方もいらっしゃると思うんです。大事なのは転職でも独立でもなくて、「自分が本当はどう生きたいのか」です。

自分は本当はどういう人なのか、自分の中で見つめて、解像度高く明らかにして、「自分はこの仕事がフィットしてるんだ」と思えば、その仕事で輝けると思うんですよね。今の仕事を変える必要はまったくないし、今の仕事の中で少しずつ変えていくこともぜんぜんできる。そうじゃなければ転職したり、独立したりするだけの話。大事なことは、自分の人生をどう生きたいかってことを、解像度高く言葉にすること。

「自分らしい人生」は、小さくても行動することから

それで、100パーセントじゃないとしても、少しずつ近づけるんじゃないかと仮説が立ったら、ちょっとずつでもいいから扉を開いてみる。小さくても行動することがすごく大事だと思っています。ちっちゃく扉を開いて、違ったら閉めればいいんですよ。

次の扉をちょっと開けてみて、こっちかなと思ったらまたちょっと開けてみて。またこっちかなと思ったら、開けてみればいい。また違ったら閉めればいいだけなので、ちょっとずつ行動してみることがすごく大事じゃないかなって思います。

必ずそのうちにフィット感のあるものが出てきます。そうしたらバタバタバタッと扉が開いて、勝手に連れていかれる事象が起きると、私は確信してます。私自身もそうでしたし、ほかの「自分らしい人生」を生きている方々にもたくさんお話をうかがって、間違いなくそういうことが起きると確信をしています。