才能のある人は平面で見ていない

鳥羽周作氏(以下、鳥羽):松永さんと川村さんに聞きたいんですけども、川村さんはよく天才だと言われていますけど……。

川村真司氏(以下、川村):それやめてよ(笑)。

鳥羽:松永さんは編集をする中で多くの天才と出会ってきて、お二人が思う「天才」の定義とは何なのかを、僕は聞きたいなと思っているんです。

松永光弘氏(以下、松永):天才の定義ですか。

鳥羽:「どういう人を天才と言うんですか」を聞きたい。

川村:俺、言ってないからね。どういう人を天才と言っているんですか?(笑)。

松永:天才ですよね、2人とも。

鳥羽:いやいや、そんな感じじゃなくて、天才とはどういう定義だと思います?

川村:どういうパラメーターが天才なのか。

松永:世間が二人を天才だと言っているだけなんでね。僕が呼んでいるわけではなくて……と言い訳したりして(笑)。

鳥羽:もし自分で天才を定義するとしたら、どう定義するか、興味があります。

松永:天才はこれ……。けっこう具体的な話をしていいですか?

鳥羽:もちろんお願いします。超興味があるので。

松永:これは僕自身が思っていることというより、僕自身が「そうだな」と思った話ですけど。10年ぐらい前かな、個性というか自分自身を問う講座みたいなものを、京都芸術大学と一緒にやったことがあるんです。

その時にホスト役をやったんですけど、「自分がこの道で生きることを決めた瞬間」を、有名な人に何人か来てもらってしゃべってもらう。「道を探すヒントみたいなことがわかる講座になるといいな」みたいな目的でやったんです。

その中に養老孟司さんもいらっしゃいました。要するに脳の視点から個性の話とか才能の話を語ってもらうということで来ていただいて対談したんです。その時に養老さんがおっしゃっていたのは……。しーんとしていたらすごくしゃべりにくいんだけど。

(会場笑)

鳥羽:いやいや、たぶんみんな相当興味があるんじゃない? 僕もめちゃくちゃ興味がある。

松永:養老さんがおっしゃっていたのは、例えば中田英寿さんとかは、サッカーをやる時に平面にいるけれども、ピッチの上から見てパスを出したりしている、とおっしゃっていたんですね。パスが選手たちの間をすり抜けていくのは、平面上で見ているのではなくて上から見ているからと。

その分野の才能がある人は、上から見られる目線を、俯瞰できる目線を持っているのではないか、というのが養老さんの仮説です。僕も、けっこうそうなのではないかなと思っています。

鳥羽:慌てて上からものを見るようになっちゃいますね。

川村:「そうなんだー!」と思ったね。

天才の定義

鳥羽:川村さんはどうですか。

川村:いや、天才の定義はわからないですね。

鳥羽:定義を付けるとしたら。

川村:何だろうな。ひらめきとかとは違う感じもするんですね。なんか……。

松永:一言「俺」と言えば済む話ですよ。

川村:え? 違う違う、ぜんぜん自己同一化できないから。努力家だと思ってやってきているから、逆に天才と呼ばれたくないんですよ。そんな先天的な話ではないという。この場合も先天的なつもりで使っていないんだと思うんだけど。

天才とは……。そうか、天の与えた才能だからね。僕があえて言うとすると、どんな状況に置かれても、なにがしか解決策を見つけられる人が、天才かなと思いますね。

鳥羽:なんかいい。それ。

松永:くそう、負けたな(笑)。

川村:負けた? 養老さんの仮説ですよね?

松永:負けたとかそういう話ではないですよね(笑)。

川村:シチュエーションとかジャンルとかぜんぜん関係ないんだけど、やっぱりそれができ続けるのは天才なのかなと思いますね。

鳥羽:いいですね、それ。

川村:その定義だったら、そうありたいなと思えます。

松永:じゃあ最後に鳥羽さん。

鳥羽:けっこうこの話は聞かれるんですけど、僕の中ではインプット量の多さかなと思っています。解決案を出すには、何らかの情報がないといけない。その情報をどれだけ日々の生活の中で溜められるか。ストックできる量とスピードがすごく大事なのではないかと思っています。

僕がマクドナルドに行ったら、たぶんみんなが10しか考えつかないものを100とか1,000考えるんです。そういう感覚で生きているというか、コップを持った時に「ああ、この薄さが気持ちいいんだな」とか、温度はこれでいいんだなとか、触れるもの全部に自分の神経を尖らせています。

自分はまだその領域には行けていないけど、毎日の中でインプット量を増やす。気持ちいい・気持ち良くない、まずい・おいしいとかもいろいろあると思うんですけど、その感覚を大事にしていくのはすごく大事かなと思っています。

「畑違い」の専門家から吸収し、成長できる人の特徴

川村:すげえいい話。でもアイディアとかクリエイティビティを育てるためのメソッドとしてもそれはすごくありますよね。「どうやったらいいアイディアを生み出せるんですか?」という質問は一般の人や社内の悩む子からもけっこう聞かれるんですよ。

あんまりうまく答えられないんだけど、唯一、「たくさん見ろ」みたいな話は言えている。自分のいいと思うものをたくさん見て、かつ、それをちゃんとその場で要素還元しろという話をします。

それのどこがどう良かったとか、AとBが好きなんだけど、その組み合わせだからいいとか、それともAとCが同居しているからいいとかとやっていくと、ルールがわかってくる。

鳥羽:そうです。自分の中で手駒を打ち続けていくのがすごく大事です。点を打っていくことで、それが線になって面になっていった時に自分の物差しができるというか。その物差しの精度が高い人のほうが天才の可能性が高いので。そこを毎日作るのが大事な作業かなと思います。

松永:解像度の高さは確かに天才の1つですよね。

鳥羽:まさに今日その話をしていたんだよね。やっぱり昔はベースがぜんぜんないから、いろんなすごい人と会ってもその人の話がすんなり入ってこないし、入感もしない。

だけどある程度ベースができて解像度が上がってくると、ちょっと違う職業の人と仕事をしても、すぐその人の言いたいこともやりたいこともわかる。もう今日から川村さんの考えを自分の中にすんなりなじませて仕事ができる、みたいになっていくんですよ。

だから、すごくセッションが早くなっていくんです。ベースがあるから対応できる。だから一流の演奏者はすごいじゃないですか。

松永:確かに。

鳥羽:解像度が高まってくると、自分の専門外の人と仕事をしたほうがどんどん成長するというか。だからたぶん、同業の人と仕事をしなくなるんですよね。

川村:そのジャンプというかね、つながる線が遠いほどそのぶん学びも大きいし、得るものもでかいということはすごくわかります。

鳥羽:だから、こういう状況が生まれるのもすごくわかるというか、必然だなと思いますね。

松永:ほう。

鳥羽:自分のところに点を打ちすぎているから、別の点を打つ新しい画用紙が必要になるという感覚かなと思っていますね。生意気ですけど、今日はここ最近出会った人の中で一番話が同じ方向を見ている感じがしています。すごくやばいですよね。

川村:(笑)。やばいですよね。僕もビリビリきています。完全に考え方が同じなので。

鳥羽:だからたぶん「仕事が終わらないな」という感じになってしまうと思うんですね。

川村:だから地獄のデス労働が始まるわけですね。

(会場笑)

クリエイティブは「経営」にも必要

鳥羽:こういう感じで仕事をしだしてしまうと延々とアイディアが出て、一回鬼のように散らかるんですよ。テーブルの上が散らかってしまって、たたむ人がいないと、となる。自分は会社の中でだいたい「たためないタイプ」と言われるんですけど、本当はたためるんですよ。

川村:すごくわかる。

鳥羽:けど、たたむことよりも出すことのほうが大変だから、「そっちは任せた」という感じなのに、「散らかす人」みたいに言われるのは、ちょっとさみしい。

川村:完全に同じですね。「ぜんぜん着地させてもいいんだけどさ」みたいな。

鳥羽:そうです。

川村:みんな見えているんだけど。

鳥羽:そう。もっと「いいじゃん」というものが出てしまうから言っているのを、「散らかすなあ」みたいな目で見られてしまう。

松永:(笑)。

川村:(笑)。だから大変ですよ。経営もやっていて、クリエイティブパートもやっているじゃないですか。僕は、前職ではそれをやっていたんですけど、やっぱりどんどん分裂症みたいになってくるんですよ。自分で「うわあ」と出した上で「あかん、あかん」みたいに言いながら、ぜんぜんそれが間に合わなくて苦しくなっていって。

今は、プロデューサーとかCEOもいて、ファイナンスも見てくれている。

鳥羽:そうですよね。

川村:というのに結局僕は戻ってきたんですけど。鳥羽さんはやっぱり今のスタイル、経営もやりつつ料理人、クリエイティブであり続ける体制で、まだしばらくはいこうかなと?

鳥羽:そうですね。でも今は、会社としてはわりと整備してきているので。

川村:つまりちゃんとチームのメンバーというのが……。

鳥羽:います、います。やっぱり自分の一番得意な本分と、会社としてやらないといけないところもあると思うし。そこは今けっこうちゃんとしてきていますね。

でも、さっき言った「感動体験をどう作るか」という視点では、経営もある意味クリエイティブだと思っています。この窮地を経営としてどう乗り切るか、どう回していくかというところにもクリエイティブな手段は要るわけですから。

川村:契約書を作るとかもそうです。

鳥羽:そうそう。

川村:何事もクリエイティブが要るんですよ。

鳥羽:人に物事をわかりやすく伝えるためには、伝え方も要るだろうしという「視点」の話なので。「クリエイティブは手段」とは、まさにそういうことです。

川村:そうですね。

鳥羽:全部の課題を解決するのに、クリエイティブがあると考えると、経営も楽しめるというか。苦手ですけど楽しんでやっています。

中途半端で終わらず、「やり切る」ことの効果

鳥羽:それにトライアンドエラーを楽しめるかという話もあると思っていて。だから僕は今年、本当にイカれているぐらい服を買っているわけです。別にお金をめちゃくちゃ持っているわけではないんですけど、服を買うと決めたことでそれをつき抜けてしまう。

だから、「こいつやばいな」と会社のやつも諦めているぐらい服を買う。お店の人とかもそうです。そうなってくると、その世界でしか見れない絡み方だったりおもしろいことがあるというか。

川村:そこまで行くとね。

鳥羽:そう。僕、お店に大好きなスタイリストさんがいて、別にぜんぜんアートを集める必要も何にもないんですけど、この間その人の写真展みたいなのに行ったんですよ。

一応常識はあるから、最初に小さい絵を買って、「これを買いました」「ありがとうございます」みたいなやりとりをする。でも、こっちの別のデザインみたいな絵もいいんですよ。デッサンみたいなのを写真に描いているやつは高いんだけど、それがないベースのやつは逆に安いんですよと言われたから、「そっか」と思ったんですね。

その絵は一番高いやつでけっこうしたんですけど、でも「これはいいと言ってくれているんだな」と思って速攻戻って、ぼんって買ったんですよ。でもそれを買ったことで「こいつ、やっぱり違うな」みたいに相手が思ってくれ「めちゃくちゃうれしかった」みたいなことをInstagramに上げてくれていて。それでめちゃくちゃ仲良くなったりということがありました。つき抜けるというか、やり切るのはすごく大事で。

川村:中途半端が一番良くないね。

鳥羽:それが一番良くない。本当に何にもならない。だから僕は、本当にやるんだったらやったほうがいいと思う。

松永:やらないんだったら部屋の電気も消さないぐらい。

鳥羽:うん、やらないです。最終的に(家族に)認知されるんですよね。「消さないよね」と言われるんですよ。そこまでいくというね。

だからやり切ることは思いの外やったほうがいい。やり切ると、ダメだったとしてもそのジャンルにおける何かの解像度がめちゃくちゃ上がるので。

川村:知ったら、「もうそっちは行かないな」と言えるので。マックスを見たから、それ以上ここで掘るものはないなと思う。

鳥羽:中途半端だと、わかりづらくなってしまって良くないんです。僕はやり切るのはいいと思いますね。

松永:何かが見えれば、そこを掘るんですか?

鳥羽:そうですね。基本は結果が出るまで掘ってしまいます。でも、「これをここまでやってダメだったら次に行こう」みたいな話もあったと思うんですけど、わりとそこに対しての軌道修正は早くできると思いますよ。「あ、違うんだ」みたいな感じになるから。

川村:10センチぐらい掘ったらここは何も出ないとか。

鳥羽:という場合もあります。1メートル掘っても出ない場合もあるので。でもね、1メートルぐらい掘ってしまうと、何か出るまでずっと掘りますね。もう、失敗している自分を認めないというね。

川村:(笑)。