自己肯定感の低い人が、フィードバックを受け止める時のコツ

――どんな人でも、失敗が続いて落ち込んでいる時は素直にフィードバックを受け止められないというお話を、荒木さんのVoicyで拝聴しました。もともと自己肯定感が低い人が、フィードバックをうまく受け止めるためのポイントはありますか?

荒木博行氏(以下、荒木):短期的な小細工では無理だと思います。内省を通じて、「自分」が「自己」の応援者であるという状態を作らない限りは難しいことなんです。行動と結果には絶対にギャップがあるので、結果ばかり見ていると、自分が自己を応援できない状態になっちゃうんです。

つまり「試合に勝つ」というのは、相手がいるから、自分がどれだけがんばっても負ける時がありますよね。運の要素も強いので。でも、自分が本当にやるべきことをやってたのであれば、その自分は評価する。行動と結果は違うものなので、やるべきことをやっていたらそれはよしとする、という物の見方が必要です。

つい先日、スポーツ心理学者の方にお話を聞く機会があったんですが、強いチームと弱いチームの差は何かというと、強いチームは目標を「最低の目標」と「最高の目標」の2つに分けているそうです。

例えばサッカーでPKをする時に、当然のことながら最高の目標は「PKでゴールを決めること」ですよね。ただ、ゴールを決められるかどうかは、相手のキーパーの動きや運の要素もあるので、どんなにがんばっても決められない時があります。

その時の「最低の目標」は何かというと、例えば「蹴る時にボールを見て、足の甲にボールを当てること」。つまり、まずは自分でコントロールできるところを目標値に定めると、結果としてキーパーに取られたとしても、少なくとも最低の目標はクリアしている。そうすると、慌てなくて済むわけです。

自分自身で「ちゃんとやることはやってるな」と思えることは、すなわち「自己肯定感」に繋がります。だから、結果を求め過ぎちゃって、運要素も含めた結果が自分の評価になっちゃうと難しいですよね。

「みんなから好かれる」というのを目標にしちゃうと、きついじゃないですか。他者が自分のことを好きかどうかは、自分ではコントロールできない。でも、「会った人には必ず挨拶する」というのは可能です。

“フィードバックアレルギー”はなぜ起きる?

荒木:本当に些細なことなんですが、行動と結果をちゃんと切り分けるというのは、アドラー心理学で言われていることでもあるんです。「自分の仕事」と「他者の仕事」を分けるという場合もあると思うんですが、そのへんをごっちゃにしたまま、「自分を評価できない」「自分を応援できない」という状態になっている人は多いような気がしますね。

――他者からのフィードバックに過剰に反応してしまう人も、受けとめやすくなりそうですね。こうした“フィードバックアレルギー”になっている人は少なくないように思うのですが、苦手意識はどこから来るんでしょうか。

荒木:1つの理由は、SNSのような気もします。匿名不特定の人から、関係性がない中でネガティブなフィードバックが来る怖さを目の当たりにしているからだと思います。

学びのサイクルを回す時の鉄板で、「インプットだけじゃなくてアウトプットする」ということは言われつくしていますよね。みんなもそれをわかってるけど、アウトプットの川を渡れない理由はフィードバックが怖いからなんです。

世の中に、自分の名前で、自分のオピニオンを出すことを極端に怖がってるんですね。一回その川を渡っちゃうと、「意外と大したことないな」となるんですが、そこの心理的ハードルはむっちゃ高いです。それがまさに“フィードバックアレルギー”ですよね。

今、気軽にアウトプットできる心理的安全性の高い空間って、あんまりないから。結局は、周囲の人からも応援してもらってるかどうかが大事なんです。だから、狭いコミュニティを作ることですね。

「心理的安全性」も言われつくしていますが、心理的安全性のある場で発信して、「よかったね」「でも、このへんがわかりにくかった」(というフィードバックを受ける)。いきなり大海原で勝負するんじゃなくて、お互いに気心が知れていて、顔がわかっているコミュニティに参加するってことなのかもしれません。

まずは「自己評価」を大切にする

――荒木さまは、不特定多数の方から意見を受ける場面は多いと思いますが、例えば会社の中での「360度評価」とか、関係値のある少数特定からフィードバックを受ける場合もあるかと思います。この2つのフィードバックの受け止め方に違いはありますか?

荒木:不特定多数の場合はすごくシンプルで、1件1件がどうかというよりは、大きい共通項があるかという「傾向」を把握することですね。

1件だけ「こういう話を入れてほしかった」というコメントがあったとしても、「まあ、そりゃそういう人もいるわな」と思いますが、傾向としてそういうコメントが多い場合は、何かズレがあったということです。マスの不特定多数の場合は、大きなトレンドそのものを見極める。この時に、ミクロに過敏に反応しちゃいけないと思います。

どうしても評価はベルカーブになるじゃないですか。だから、バランス的に絶対にマイナスの評価も出てきます。そういうミクロな(ネガティブな)意見に足を引っ張られる気持ちはわかるんですが、それだとしんどくなっちゃいます。

大まかなトレンドは把握する必要があるかなと思いますが、まずは自分が一番「今日はだめだったわ」とわかっているかどうかが大事。

大きなトレンドとして評価がトータルネガティブでも、「自分はすげえやった」とか。これは本当に学習の機会なんですよね。自分でも「やっぱりだめだった」と思っていてだめだった場合とか、「よかった」と思った場合に(実際の評価も)よかったとか。まずは、自己評価そのものを大切にしなきゃいけないということでもあると思います。

有益なフィードバックを得るための「問い」の重要性

荒木:一方で360度評価みたいな、ミクロな人間関係ベースのフィードバックもあるじゃないですか。これ、しんどいですよね。僕も大っ嫌いでしたもん。前職では無記名で毎年1回360度評価があって、定性・定量の両方があったんですが、これはもうしんどかったですね。

(役職が上がっていくと)フィードバックされる人の数がすごく多くなるんですよ。そうすると、「もう、このコメントはなんだろう」みたいな(辛辣なコメントも増えた)。本当にしんどかったな。

匿名になっちゃうと、誰が何を言ったかがわからないので検証のしようがないんですが、実際にプレゼンを聞いてくれた人に「今日のどうだった?」と、直接評価を聞くことは、すごく大事な行為だと思います。

自分がプレゼン担当で、もう1人と営業に2人で行ったとします。その帰りの道すがらでは「今日どうでした? コメントありますか?」と深く問えるので、すごく有益なフィードバックになると思うんです。だから、インタラクティブかどうかがフィードバックの質を高める大事なポイントですね。

職場の匿名の360度評価は、不特定多数とほぼ変わらない。真意を問いただす可能性がないので、マスの傾向でしか把握することができないんですよね。

僕は決してうまいほうではないと思うんですが、うまい人は適切なタイミングで聞き出します。「なんかこの人言いたそうだな」という時に、「いやぁ。今日のプレゼンうまくいかなかったんですよねぇ」という話をすると、「いや、そんなことないですよ。ただ……」と(フィードバックを言ってくれる)。

「今日の俺、よかっただろ?」と言われると言えなくなっちゃうんだけど、自己開示して「ぜんぜんだめだったなぁ。うまくしゃべれなかったけど、どういうふうに見えた?」という自己否定から入ると、「よかったですよ。ただ、気づいたことが2つほどあったんですが……」と教えてくれる。そういうインタラクティブなフィードバックは、本当に尊重したほうがいいです。

成長カーブが寝てきた時は「そもそも論」を重視すべき

――ただ、そんな中でもすべてのフィードバックを取り入れることは難しいと思うので、「聞き流すフィードバック」と「聞き入れるフィードバック」の見極めはどのように行ったらよいのでしょうか。

荒木:ケースバイケースなんですが、人間には「大きく方向転換をすべきタイミング」と「今の方向の延長でブラッシュアップをしていくべきタイミング」があります。ある程度習熟していくと、成長のカーブが寝てくる瞬間があると思うんすが、成長カーブが寝てくる時は、大きく舵を切るタイミングだったりしますよね。

自分がどのフェーズにいるのかを認識する必要があると思います。(成長カーブが)寝てきたタイミングだと、「そもそも論」のフィードバックは重視すべきです。「こんなことをやっていて、意味あるのでしょうか?」という話に真摯に向き合って、「そうかもね。今、考えるべきポイントかもな」と向き合う。

でも、例えば新入社員が初めて仕事を学んでいる時に、「そもそも論」のフィードバックをされても困っちゃうじゃないですか。その場合は、「こういうするとよくなるよ」というフィードバックに真に向き合うべきです。自分の成長、スキルセットにおける成長途上がどのへんなのかを認識した上で、どれぐらい根本的なフィードバックなのかを考える必要があると思います。

ようやくビジネスのドメインが定まって、「ここからこうやって成長していくぞ」という時だと、「そもそも論」はなかなか受け入れづらいですよね。

「無関係の人からのフィードバック」が大事な時もある

荒木:でも、その領域で頭1つ抜けてきて、ようやく稼げるようになってきたり、ある程度みんながボトムアップしてスキルが揃ってきたタイミングで、「このビジネスの意味って何?」「10年後もやっている価値ある?」という根本的なフィードバックは、真剣に考えるタイミングだったりします。

これもまたメタ認知の話になってくるんですが、フィードバックを受けている領域がどれぐらいの習熟度なのかを考えるのは、とても大事なことだと思います。

あとはやっぱり、それを言っている人との人間関係も大きいと思う。文脈を理解した上でのフィードバックと、文脈を理解していないフィードバックで良し悪しがありますから。文脈を理解していると、フィードバックの範囲がかなり適切になるので、飲み込みやすいです。例えば、ふだんから接している上司とか。

一方で、無関係な人からのフィードバックが大事な時もあったりもするじゃないですか。成長カーブが寝てきたタイミングでは、予測のつかないフィードバックがブレイクスルーになったりします。

まったく違う業界から、「そもそも、なんでそんなことやってるの。おかしくない?」「マジ? うちの業界では、そんなこと3年前ぐらいに終わってるんだけど」みたいな。それって、同じ職場の上司からは決して出てこないキーワードだったりしますよね。

フィードバックを受けた時は「四象限」で考える

――ここまでは、ネガティブフィードバックの受け止め方をメインにお聞きしてきましたが、一方で褒められることもありますよね。「褒められたからもっとがんばらなきゃいけないのかな」とプレッシャーに感じてしまうこともあるんですが、肯定的なフィードバックをうまく受け止めるポイントはありますか?

荒木:ネガティブもポジティブも、評価には「抽象的なもの」と「具体的なもの」があります。「なんかよかったね」「いい空気になったよ」「君のプレゼンで場がすごく和んだよ」というのは、すごく抽象的なんですね。そういう評価は再現性がないから、学びにつながりにくいんです。

これはネガティブも一緒で、「なかなか厳しかったぞ」とかね。だからフィードバックを受けた時は、ネガティブもポジティブも、抽象度の高いものは具体的に聞くのが大事なんですよ。

例えば、「荒木さんって、営業の時のお客さんの懐に入るのがすごいっすよね」という話が来るとするじゃないですか。その時に「いや、そんなんじゃないっすよ。ぜんぜん苦手っす」という話もいいんだけれど、「ありがとうございます。具体的にどの瞬間にそう感じましたか? あんまり自覚できてないので教えてほしいです」と聞く。

「名刺交換の時からそうだったよね」と相手に答えてもらって具体になると、自覚ができるんです。照れじゃなくて、具体の話につながっていくと学びになります。これがけっこう大事なポイントです。

フィードバックの構造は四象限で考えたほうがよいです。ポジティブ・ネガティブ、抽象・具体。どっちが縦でどっちが横でもいいんですが、「抽象的なポジティブな評価」「具体的なポジティブな評価」「抽象的なネガティブな評価と」「具体的なネガティブな評価」の4つに分けられるんです。

だからフィードバックを受ける時は、この四象限をちゃんと理解したほうがよくて。フィードバックを受ける側も意識して具体に落とし込まないと、行動改善につながらないんです。

相手の意見を掘り下げることで、自分の行動改善につながる

――受けっぱなしではなくて、フィードバックを受ける側も掘り下げていかないと、学びとして活かすこともできないんですね。

荒木:そうなんですよ。これはやっぱり、顔が見える人とのインタラクティブな会話だからできることです。仮に「いやぁ。荒木さんと会話するといろんなことを話せちゃうんですよね。やっぱ、荒木さんの会話力ってすごいですよね」と言われたとします。

「ありがとうございます。そう感じていただけてうれしいです。それで、そう感じたのはどのへんでしたか?」という話をちゃんと入れると、挨拶程度のつもりだった相手も必死に考えるじゃないですか。そういう会話によって、具体的なものが見つかってくると、フィードバックそのものが行動改善につながります。

そういう会話を繰り返していくことで、何がいいかっていうと、「この人には中途半端なフィードバックはできないな」という関係性ができあがる。

上司でも同僚でもそうなんですが、どんなことでも「具体的には?」って聞かれると、次の時には「必ずそこまで(フィードバックを)求められるな」と思うから、具体的なことを意識しながら相手を観察するようになって、すごく会話の質が高まるんです。なので、この習慣はとてもいいですよ。

――お互いにとって学びになりますし、すごくいい状態になりますね。“フィードバックアレルギー”になってしまっている人は多いかと思いますが、「落ち込む」だけでは終わらせず、フィードバックを行動改善につなげるヒントがたくさんありました。荒木さん、ありがとうございました。