「文学」に勝ち負けはないが、「文学賞」にはある

今村翔吾氏さっきの例えで言うと、フットサル選手としてプロになったけど、もう1回サッカー選手としてデビューしたようなものです。

これが『童の神』という作品で、初めて僕は直木賞候補になったんです。単行本のデビュー作で、直木賞候補になった。直木賞受賞の時にめっちゃ泣いている映像が、テレビ局各局で擦られているんですけど、あの10倍、直木賞候補に決まった時のほうが泣いてますからね(笑)。頭を床に打ちつけて号泣して、ワンワン泣いて。

自分の槍が、自分の目指してきたベクトルが、届き得るんだと。それがわかれば、ここから先は詰将棋じゃないけど、後はなんとかなると。それがわかったのが、あの瞬間やったんですよ。だから僕は、あの時が一番「1つの山を乗り越えたな」と思った瞬間ですね。

もちろんそこからも直木賞を取るための戦術を考えたりしましたけど。戦術と言うとやらしいけど、勉強ですよね。僕は、「文学」に関しては勝ち負けはないって思うんですよ。どの本もすばらしいし、どの作品もいいんです。ただ「文学賞」には勝ち負けはあると思っている派。僕は『童の神』で真藤順丈先生に負け、『じんかん』で馳星周先生に負けました。僕は「負けた」という言葉を敢えて口にしたい。

直木賞候補になると、「このルールでいきます。この選考委員でいきます。承諾いただけますか?」と聞かれてサインするんですよ。だから、ルールに乗っかっているわけですよね。

さっきのサッカーの例えで言うと、「標高何メートルのスタジアムです」という時に「標高高かったら俺慣れてへんし」っていうのは違うと。結局僕はそのルールに則って戦って負けた。だから「負けた」と言えることが勝者を称えることやと思う。だから僕、今回『塞王の楯』で取った時は「勝った」と敢えて言いたい。

夢を叶える最大の秘訣

30歳から小説家を志してきて、この8年間、文学にしろ何にしろ「挑み続けるということの大切さ」を本当に感じてきました。『塞王の楯』で直木賞を取った時に、まあ泣かんと思っていたんですよ。あの時に涙したんは、うれしかったとかじゃないんです。

ましてや、「直木賞取ったら本売れるぞ。やったー!」とか、そんなんまったく思っていなかった。取った瞬間、「いつか直木賞取ったらどうする?」と言っていた僕の視線と、膝を抱えて聞く子どもたちの幻みたいなものが見えた気がして、もうブワッと来たんですよね(笑)。

僕の話から何が学べるのかわからないですけど、僕は大切なのは打率じゃないと思うんですよ。夢を叶えるのは打率じゃない。0割5分3厘とかそんなんでも、1発ホームラン打ちゃいいんやから。ホームラン合戦なんよ。だからいっぱい打席に立つべき。

「やってみて失敗したらどうしよう」「恥ずかしい」と思う必要はないんです。それなりのヒットはいらんのよ。叶えたい夢、やりたいことがあるならば、それはみなさんにとって、あなたにとってのホームランになるわけでしょ? となると、打席に何回も挑むことが大切。僕は、これが夢を叶える一番の秘訣だと思う。

今村氏の「がんばり」の原動力

あと僕がなぜそこまでがんばれたかというと、きれいごとみたいに言うと「子どもたちの思い」のためなんですよ。テレビとかに……これもテレビやけど、「がんばれた理由をザクッと言ってください」と聞かれたら、「子どもたちの思いを叶えるために、自分の夢を叶えるために」と答えています。

でも、この間、自分がなんでここまでがんばれたか分析したんですよ。それは、「恥ずかしい」という思いがけっこうデカかったんです。子どもや保護者らにあそこまで言ってハズい。じゃあこの「『恥ずかしい』って、悪いことなんか?」と思った時に、「恥の文化」って日本人特有のものなんですよね。

これを話し出すと歴史作家だけに長いんですけど、第二次世界大戦の時に、日本を研究しているアメリカの学者さんが「日本は恥の文化だ」と言っている。欧米は「罪の文化」。逆に言うたら、日本人は人前では規律正しくやっているけど、誰も見てなかったらゴミを捨てよると。

欧米人は、神さまが見ているかもしれないから止める。そういう発想らしい。「恥の文化」は、もちろんアジアを中心にないことはないんですけど、特に日本人は強い。文化として、DNAとして醸造してきたんだと思う。

だから、流れであったとしても僕自身が「小説家になる」と言ってしまったこと。「直木賞取る」と言ってしまったこと。これを叶えられなかったら恥ずかしいという、日本人特有のエネルギー。これが「負」なのか「正」なのかわからないですけど。

せめてええとこまでいかな恥ずかしい。せめて格好悪くないとこまで、せめて小説家になって、直木賞候補ぐらいいかな恥ずかしい。これがけっこうな僕の下支えになったと思うんですよね。だから結果論、僕は叶ったからよかったけど、叶わなかったところで別に誰もあなたのことを笑わないし、俺のこと笑ったって知らんし。

だからさっきも言ったように、打率を気にするんじゃなくて、とにかく「打席に立つ」ことと「勇気を持って、自分の夢を周りに言ってみる」こと。よく「自分を奮い立たせるために言うんだ」とか言わはる人がいるけど、むしろ「やらんかったら恥ずかしい状況に自分を追い込んでいく」。これが、僕の夢を叶えるための、2つのポイントだと思っています。

「夢は叶う」と子どもに言い続けることへの迷い

おかげさまで今年の1月に直木賞をいただきまして、百何十人という子どもたちから「おめでとう」とか「本当に夢叶えたね」とか、いっぱい声をかけていただいて。当時小学校2年生ぐらいで、まだ高校生の子もいるし、来ているSNSはフランクな感じですね。「翔吾くん、スゲー」とか「翔吾くんの人生が小説みたい」とか。一番笑ったんは男の子から来た「有言実行のレベルがガチ過ぎる」というので。

子どもたちに対して、僕は迷ったことがあるんですね。それは「『夢は叶う』と言い続けていいのかどうか」ということです。この世の中、夢が叶わない現実もある。その中で、僕は子どもたちに言い続けていいのか。それを言ったらあかん風潮が、どんどん出てきている。

ただよくよく考えてみると、子どもたちって馬鹿じゃないから「夢が必ず叶うわけではない」ということもわかっている。冷静だし、馬鹿じゃないし、ちゃんと見ている。夢の「闇の部分」を、しっかり理解している。それに向かっていって破れた大人たちがどれだけいるかも、子どもたちはしっかり知っている。

でも、「叶わない可能性があるんだから」と、大人たちが今度は闇の部分を語り出したら、子どもたちは何を見て進んだらいいんや。だから僕自身は、子どもたちが「夢の闇」を知っていると信じた。あるいは、今知らなくても、いつか年を重ねていくことで知ってしまうので、敢えて今後も「夢の光」を語る大人でありたいと思っています。

だから僕自身も、本当にやりたいことは全部やらせてもらっています。きのしたブックセンターという本屋を買ったり、今月から47都道府県、118泊119日で全国の書店さんにお礼しに回ったり。そういう自分のやりたい夢を、どんどんどんどん公言して、叶えにいきたいと思っております。以上です。ご清聴ありがとうございました。

(会場拍手)

今村:汗かくわ。

司会者:今村さん、ありがとうございました。

今村:暑い。

司会者:(笑)。もう裂ぱくの気合でお話しいただいたのが伝わっているようで、ご覧いただいている方から「感動、感動、感動、感動、感動」とスタンプがずっと流れていて。

今村:うおー、ありがとうございます。

司会者:ありがとうございます。

今村:もっと押して押して。

若いうちは「行けたら行く」の返事を封印する

司会者:ご視聴されている方々から質問もたくさん寄せられているので、時間が許す限りお答えいただきます。最初の質問です。「これまでの経験から、若いうちにやっておくべきこと、やっておいてよかったことは何でしょうか?」

今村:若いうちってどれくらいやろな。よく大人たちは「勉強しとけばよかった」って言うやん。けど勉強って、こういう座学の勉強も必要やと思うけど、僕は「断らんかったらよかったな」と思う。大人になると、なんかちょっと面倒くさくなって「またいつか行くわ」とか「行けたらいくわ」というのがどんどん増えてくると思う。

若いうちは「行けたら行く」は封印して、行けるところには全部行っておいたほうがいい気はしますね。その中にめっちゃチャンスがあるという経験もしました。だから、できるだけ行って、役に立たんかったら「この手のタイプの人の集まりは役に立たんねんな」ということが学べるから。

司会者:確かに。

今村:だから僕は行っといたほうがいいんちゃうかなと思います。

司会者:素敵ですね。「これは向いている」とか「向いていない」ということを自分自身が識別するためにも、まずアクションすると。

今村:「行動が思考を作っていく」という言葉があるように、やっぱり先に動くと頭が変わっていくと思うので。動いてみるのが一番いいんじゃないですか?

司会者:ありがとうございます。私もちょっとグサッと来ました。

直木賞受賞後に、再確認したこと

司会者:次の質問です。「直木賞受賞後に、新たに芽生えた価値観などがあればお聞きしたいです」

今村:これ、本当に誤解を招くかも......関係者も見ているんやろな。

司会者:(笑)。

今村:誤解なく。誤解なく。「まあこんなもんか」という感じですよ。直木賞自体には意味はなかったと。いや、歴史ある賞やし意味はあるんですよ。なんだろうね。やっぱり直木賞にしても、どの賞にしても、「そこまでの過程にどんだけ意味があったのか」ということを再確認させてもらえたかな。

終わったら「次の目標何やろ?」となるかなって思ってたけど、次やりたいことすぐ出てきたからね。「こんなもんか」と言うとちょっとちゃうんやけど、「まあよし。よかった! 次や」という感じになりましたね。

これは賞を取ってみんかったら、わからんことやから。これ取らずに言うてたらただの負け惜しみやから、言えるようになってよかったなと思ったね。

司会者:今日はあらためて直木賞のすごさを、今村さんから感じました。「すばらしいものを表彰する」というよりも、その裏にある「さまざまな人の、そこに向けている夢の重なり」を表彰しているんだなとすごく感じまして。非常に勉強になりました。

今村:僕の憧れの先生たちはみんな直木賞取っているので、直木賞は大好きです。「負けるな本屋大賞」みたいなものだとも思っているし、直木賞にもっと注目してほしいです。僕にとっての直木賞みたいなものが、きっとみんなにもあるはずなんですよね。

司会者:そうですね。ありがとうございます。

小説家になるために最も必要とする能力

司会者:続いての質問です。「小説家になるために最も必要とする能力は何ですか?」ということです。これは、今村さん流に言うと、今から書き始めてもいいわけですからね。

今村:(小説家に)なりたい人なんかな? もしそうなら、今Climbers終わった瞬間から書き出す能力ちゃうか。僕はそう思います。もし普通に読者の方が興味を持って質問してくれているならば、やっぱり一番は「行動」ですけど、「論理的思考能力」や、何でも楽しいと思える「好奇心」も大切な気がしますね。

司会者:そうですね。やはり書き出してみることで、いろいろ自分の考えに気づいたりすると思います。一方、今村さんがおっしゃっていた「今まで読んできた量も半端なくて、それが後で糧になった」というお話がありました。書くことはもちろん、読むこともされたほうがいいと思うんですが、読むときのコツは、ご自身を振り返ってみて何かありますか?

今村:僕は歴史小説ばっかり読んできましたけど、作家になると小説を読む時間がほぼなくなるんですよ。だからそれまでに、どんだけ読んでいるかということはけっこう重要ですね。

作家になるまでが一番暇なので、そこを楽しんで。自分が書くようになると、人の本を読み過ぎると影響を受けてしまう。盗作とは言わへんけど、自分のリズムを崩すこともあるから。なる前にできる限り、読書経験を積んでおいたほうがいいと思います。

司会者:そうですね。ありがとうございます。もっともっと聞いていたいのですが、あっという間に時間がきてしまいました。このあたりで本セッションを終了させていただきます。それでは今村さん、最後にご覧いただいている方に、ぜひ「乗り越える」をテーマにメッセージをいただきたいと思います。よろしくお願いします。

今村:みなさんが目指す道、先に道がなくても「道なき道を行く人」になってください。僕は死ぬまでそうあり続けます。ありがとうございます。