突然の難局と向き合った3年間の道のり

司会者1:続いての講義は、モリパックス株式会社代表取締役社長の住田裕子さんです。

司会者2:先代社長だった父が急逝。突然の事業承継という人生の大転機に直面した娘が、一期一会の企業理念を受け継ぎ、会社の舵取りに挑戦した物語です。

(会場拍手)

住田裕子氏(以下、住田):みなさん、こんにちは。モリパックス株式会社の代表取締役社長をしております、住田と申します。

さて突然ですが、みなさんには大切にしている言葉や座右の銘はありますか? 私は「一期一会」の言葉を大切にしています。この言葉は父が大事にしていた言葉で、「人との出会いに感謝しなさい」「人とのご縁を大切にしなさい」と子どもの頃から育てられてきました。

今でこそ、こうして製造業の三代目を務めておりますが、ほんの数年前までの私は「事業承継が怖い」と本当に心の底から思う、とても心の弱い人間でした。みなさんの中にも、新しい立場での仕事に不安を抱えている方はいらっしゃるのではないでしょうか。

本日は、突然の難局と向き合った私の3年間の道のりと、この「一期一会」が私の人生にどう影響を与えてきたのかをお話しさせていただく中で、そうしたみなさまの背中を、少しだけでも押すきっかけとなれば、とてもうれしく思います。

会社を思えば思うほど大きくなる「会社を継ぐ」ことへの恐怖心

住田:その前に少しだけ、当社の紹介をさせてください。当社は1959年に祖父が愛知県で創業しました。現在は真空成形という技術を使って、自動車部品や半導体を運ぶ工業用トレイ、一般消費者向けのパッケージ製品を企画・製造・販売しているメーカーです。

私は、住田家の三姉妹の長女として生まれました。子どもの頃は「会社を継ぐ」ということはよくわかっていませんでしたが、周りから三代目として期待されていることは、子どもながらに薄々と感じていました。一方の父も私を後継者として意識しながらも、娘に社長を継がせるということには長年葛藤していました。

大学を卒業後、商社で約3年勤務した頃、その時の自分に何ができるかはわかりませんでしたが「父の近くで会社を手伝ってみたい」と思うようになり、自分の意思で入社を決めました。2010年に家業に入社後、総務部と経営企画室で会社を学ぶ一方で、父の近くで、秘書のような立場で、お取引先さまとのお付き合いの仕方や従業員との関わり方など、父の経営者としての姿を間近で見て、聞いて、感じて、覚えることができました。

しかし一方では、社内を見渡せば私よりも知識も経験も豊富な先輩社員ばかり、男性社会の製造業で女性の私に存在価値があるのかと、私は自分に自信がなくなり、先の見えない不安を感じるようになりました。

そんな時出会ったのが、グロービス経営大学院でした。大学院では多くの事業承継の先輩や同じ境遇の仲間と出会い、事業承継との向き合い方や心得をたくさん学ばせていただきました。しかしそうした先輩や仲間からの体験談や苦労話、理想論だけではないファミリービジネスの過酷な裏側に触れれば触れるほど、私は事業承継が怖くなってしまいました。

継ぎたくないと思っていたわけではありませんが、会社のことを思えば思うほど「継ぐ」という言葉を口に出せなくなってしまいました。当時の私は本当に覚悟ができない、とても心の弱い人間でした。

父の急逝に湧き上がったのは、「私しかいない」という気持ち

住田:ところが、そんな私にある大きな転機が訪れます。2019年の夏、両親がお盆休みを兼ねて旅行に出かけていた時のこと。母親から一本の電話をもらいました。「お父さんが倒れた」……私は一瞬、何が起こったかわかりませんでした。それもそのはず、私はこの電話をもらうほんの10分前、両親が朝から散歩に出かけていた様子をメールでもらっていたからです。

父はこの時、急性大動脈解離で亡くなりました。私は自分の身に何が起こったのかわかりませんでしたが、今でも覚えているのは、当時の私は泣きじゃくることも取り乱すこともなく、不思議なくらい至って冷静で、父を失ったという家族のことよりも、会社に対する思いが一番に頭に浮かびました。

「会社、どうしよう」。そんな私に湧き上がったのは「私しかいない」という気持ちでした。ただこれは自信からきたものではなくて、「父の無念や会社に対する思いを受け継げるのは、父を近くで見てきた娘の私しかいない」……気持ちの面と本能的なものでした。

家族だけではなくて、従業員、お取引先さま、地域のみなさまにとっても、あまりに衝撃的なできごとだったので、私はこの状況を落ち着かせなければいけないと思い、安心感を作ることを意識していました。

社外に対してはお別れの会を通して、新しい体制でも今までどおり安心していただける雰囲気を作り出すことを最大限努力しました。従業員に対しては「大丈夫、今までどおりやっていこう。大丈夫だから」と伝え続け、また目標を見失ってはいけないと思い、就任直後に5ヶ年計画を策定し、不安を少しでも和らげることができると思えたことを、とにかくやり続けていました。

「経営者の前に人間、泣きたい時には泣けばいい」

住田:しかし時間が経つにつれ、私の中にも父・社長を失ったという感覚がじわじわと戻ってくると、外に対して「大丈夫、大丈夫」と言っていた自分の心のバランスが崩れました。どんな経緯であれ社長になった以上は泣いてはいけない。「つらい」「悲しい」「できない」と言ってはいけないと、自分をどんどん追い込んでいました。

そんな時、私を救ってくれたのは、本日私をこの場に導いてくださった恩師の田久保先生からのお言葉でした。それは、「経営者の前に人間、泣きたい時には泣けばいい。つらい時にはつらいと言えばいい」と、こんなすてきな言葉を私に贈ってくださいました。

私は本当に心の底から救われました。自分の心の声や感情を大事にしていいと思えたこと、そして経営者になっても周りを頼っていいと思えたことに、本当に肩の荷が下りた瞬間でした。

田久保先生をはじめ多くの講師の方々、事業承継の先輩や仲間たち、同期やクラスメイト……私は本当に多くの方々に支えていただいていました。私が今日まで気持ちの面で前を向き続けていられたのは、こうした大学院で得た人とのつながりのおかげです。

父が遺した大きな試練を乗り越えられた理由

住田:そして私にはもう1つ、この難局で乗り越えなければいけないことがありました。それは新社屋の建設です。このプロジェクトは、創業60周年を記念して父が土地を購入した、私たち次世代に向けた希望のプロジェクトでした。

奇しくも父が亡くなった2019年が創業60周年でした。しかし父はこの土地を残して、突然目の前からいなくなってしまいました。私は突然この大きなプロジェクトを1人で舵取りしなくてはいけなくなった現実に、とてつもなく大きなプレッシャーと恐怖を感じていました。

私はこのプレッシャーを、周りと自分を信じることで乗り越えました。この構想を実現させるために、従業員がこれまで培ってきた技術やノウハウ、そしてものづくりに対する誇りやプライドを、私は信じることにしました。機械を動かせない、モノを作れない私にとって、現場の力を信じるしかありませんでした。

たくさん会話をしていろんなアイデアを吸い上げ、グランドデザインをしながら一緒に構想を固めました。このプロジェクトは、私にとっては父が遺した大きな試練でしたが、一方ではこの希望があったからこそ、私は約1年半の共同作業を通して、従業員とともにこの難局を乗り越えることができたんだと思います。

新社屋は「テクノベーションセンター」と名付けました。2021年3月に完成した時、私は本当に心からホッとしました。現在のテクノベーションセンターは、過去からの製造工程の課題と真摯に向き合いながら、これからの新しい時代のものづくりを、新しい発想をもって推進していく、当社の重要な拠点の1つとなっています。

父のバトンを受け継ぎ、自分なりの「一期一会」を体現

住田:こうして事業承継をして、まもなく3年が経ちます。決して心が強くなかった私が今日まで前を向き続けていられたのは、これまで出会った多くの方々に支えていただいたおかげです。人との出会いは必然的なもの。目の前に起こったことは自分の人生において必要だったこと。この気持ちがあれば、想定外のことが起こっても小さな一歩を踏み出す勇気につながると思います。

もし周囲の期待に「私にできるかな」と不安やプレッシャーを感じた時は、どうか大丈夫なふりはせず、自分に嘘をつかず、自分の心の声や感情を大切にしてほしいと思います。自分の弱さと向き合うことは、決して恥ずかしいことではありません。むしろ壁を乗り越えるための、大切な心の準備期間だと思います。そしてもう1つ。助けが必要な時に頼れる人間関係を、日頃から築いておくこともとても大切なことだと思います。

当社をはじめ製造業を取り巻く環境は、この数年で大きく様変わりしました。父が命をかけて私に託したこのバトン。私は無駄にすることがないように、そしていつまでも「この会社は今、こんなことをしているよ」と伝え続けられるように、私なりの「一期一会」を体現しながら、男性と女性の感性を融合させた新しい時代のものづくりの舵取りに、これからも邁進していきたいと思っています。本日はご清聴ありがとうございました。

(会場拍手)

司会者2:住田さん、ありがとうございました。

住田:ありがとうございました。

大きな重圧から逃げずに向き合い続けることができた原動力

司会者2:ものすごいドラマがあったんだなと感じました。お父さまが急に亡くなられて、でも感情を乱すこともなく、その時にすぐに会社のことを考えたというところに非常に驚きました。その時は冷静でいられたんですか?

住田:今振り返ってもその時の感情はあまり思い出せなくて。ただ本当にその時は「自分、心壊しちゃったな」というぐらい、何も感情がなかったのが正直なところだったように思います。泣くことも悲しむことも、何も記憶に残っていないので。

ただとにかく、「お父さんいなくなっちゃったな」という気持ちはもちろんあったんですけど、やっぱりすぐに「会社どうしよう」になって。すぐに会社の幹部やスタッフに連絡をとっていた光景は思い出せるので、きっと一番に会社のことを思ったんじゃないかなと思います。

司会者2:突然の事業承継についてご質問もいただいています。「後継者として非常に大きな重圧があったと思います。逃げずに向き合い続けることができた原動力は何だったのか」というご質問です。

住田:私はもともと自分が強くはなくて、今回この事業承継と向き合う中で大学院に通っていた時は、とにかく弱い人間だったんです。事業承継なんて本当にできないと、そればっかり言っていたので。おそらく私の近くにいた仲間たちはそれを見ているので、信じられないなって思っている方は多いと思うんですけど(笑)。

ただ本当にそういった場面になった時にすごく多くの方が心配してくださって、支えて下さったというのが、本当に私を支えていた1つの原動力かなと思います。なのでこの場に立てたこともそうですけど、周りの方の支えがなければ今の私はいないと思います。

心が壊れてしまったら何もできない

司会者2:一方で「自分の心の声や感情を出すことで、失うものがあるんじゃないか」という心配している声もあるんですよね。この方(質問者)はなかなか抵抗感があると。そういう方にはどういう声をかけますか?

住田:そうですね……心が壊れてしまったら、たぶんもう何もできないかなと思います。最初は私も、泣くことも弱いということも、やっぱり格好悪いとか、言ってはいけないかなとか思っていました。特に大学院に行っていた時なんかは、周りの方々が本当にすばらしく強い、本当に格好いい方ばっかりだったので。そんなことを言ってる自分は劣等生といいますか、この場にいてはいけないのかなと思うくらいだったんです。

けれど、やっぱり最後は自分なので。自分が怖いなら怖いし、自分ができると思ったらできると、あまり周りを気にせずに、自分の心とすごく対話をしていました。

司会者2:みなさんもぜひ自分の心に素直になって、感情をさらけ出してみてください。ではみなさま、大きな拍手をお送りください。住田さんでした、ありがとうございました。

(会場拍手)