選手・監督で偉業を成し遂げた、柔道家の井上康生氏が登壇

竹﨑由佳氏(以下、竹﨑):あらためましてこのセッションでお話しいただくのは、柔道家の井上康生さんです。よろしくお願いいたします。

井上康生氏(以下、井上):よろしくお願いします。

竹﨑:私事ですが、テレビ東京で『グランドスラム・東京』の中継を担当しておりまして、代表監督の姿を遠くから拝見していました。今日はこうして対談の機会をいただき、重量級のプレッシャーを感じております。

井上:ありがとうございます(笑)。毎年『グランドスラム・東京』を盛り上げていただいて、ありがとうございます。我々にとって競技力の向上、また教育普及としても、本当に大きな力をいただいていますこと、心から感謝しています。

竹﨑:うれしいお言葉をありがとうございます。みなさんご存知だとは思いますが、あらためて井上康生さんのプロフィールの紹介をします。5歳の時に、警察官で柔道家だった父に憧れて柔道をスタート。猛練習の末、才能を開花させて2000年のシドニーオリンピック100キロ級で見事金メダルを獲得されました。

その後、全日本選手権と世界選手権をともに3連覇するなど偉業を達成。選手を引退後、2012年に日本柔道の運命を託され代表監督に就任されます。2016年のリオ、2021年の東京オリンピックの両大会で、指導者として空前の偉業を達成しました。

さて、本日のテーマは「乗り越える」です。井上さんの柔道選手として、監督としての奮闘や栄光の秘話から、苦境を乗り越えるヒントをおうかがいします。

ファッションで、日本柔道界にもたらしたイノベーション

竹﨑:今日もビシッとスーツでキメていらっしゃいますね。井上さんといえば、監督になられてからは、このスーツ姿がとても印象的ですが、実は「柔道選手がスーツを着る」ということも、井上さんが日本柔道界にもたらしたイノベーションだそうですね。

井上:そうですね。柔道選手って本当に格好いいんですよ。

竹﨑:はい。

井上:ですのでより一層、格好よさを引き出してあげたいなと。選手たちは現場で、人生を賭けて、さまざまなことを犠牲にして戦っています。そしてそれは、応援してくださるたくさんの方々のためでもあるんです。本当にかわいい選手たちばかりなので、ますます応援してもらえるようにスーツを着る取り組みをさせていただいています。でも、私はスーツのセンスがまったくなくて……。

竹﨑:ええ!?

井上:本当に最近の選手たちはおしゃれなんですよ。いい匂いもしますし。

竹﨑:そうなんですね(笑)。

井上:見習わなければいけないなと思っていますけどね。

竹﨑:確かに大野将平選手や、阿部一二三選手など、強い上に格好いい選手が増えていますよね。

井上:そうですね。その流れを私が作ったみたいに言っていただくんですが、まったくそういうことはないんです(笑)。彼らは柔道に対する取り組みはもちろん、時代背景もあるのか、美意識も高いんですね。ぜひとも、選手たちをこれからも応援してください。

練習量を追求して破れた、ロンドン五輪の反省

竹﨑:ビジネスパーソンにとって身だしなみは必要だと思いますが、井上さんはそういった部分だけではなく、監督時代にさまざまな改革を行っていますので、どんどんお聞きしていきたいと思います。

遡ること10年、ロンドンオリンピックでは日本柔道が金メダルなしという結果に終わりました。この頃、井上さんは代表のコーチをされていましたが、この結果をどう受け止められましたか?

井上:そうですね。結果としてオリンピックで初めて金メダルゼロという結果に終わってしまった。しかしながら監督、コーチ、スタッフ、また選手たち、さまざまな方々が本当に現場において全力を尽くして戦ったんですね。

しかし結果だけ見ると、本当に厳しい。また私自身は、体重の重たい階級の担当コーチとして一緒に戦わせていただきましたが、自分自身の無力さが本当に悲しく、心から悔しい思いをした大会でした。本当に応援してくださった方々や、選手たちに申し訳なかったと。監督やスタッフにも力を注ぐことができず、悔しい気持ちでいっぱいでしたね。

竹﨑:そして監督就任後の会見では、「世界一乱取りの練習をこなし、また世界一走る量もこなした。でも勝てなかった」とおっしゃっていました。やれることは全部やりきったという感覚だったんでしょうか?

井上:練習方法については、日本人独自のスタイルを作っていくことが非常に大事だと思います。その中で、練習量を追求することももちろん必要で、あの言葉に含まれていたのは「量を追求した。しかしながら破れてしまった」ということです。そして「その原因は何だったんだろうか」ということを分析した上で、次につなげていかなければならないと思いました。

次なる戦いでは、質と量のバランスをうまく噛み合わせて、日本独自の強化方法を作っていくことが大事であると。勝手ながら、そう思いましたね。

「レジリエンス」を強化するための取り組み

竹﨑:練習だけじゃないとなると、畳の上での指導以外の部分でも、いろいろと改革をする必要があったということですよね。

井上:そうですね。我々の戦いは、やっぱり柔道なんです。あるいは柔道の世界で絶対的な力を持つこと。これは間違いなく持たなきゃいけないので、柔道の畳の上で鍛えていくことは1つの柱として持っておきます。

しかしそれだけではなく、いわばアウトフィールドの世界にも、自分たちの能力を引き出していくことがあるんじゃないかと思うところがありました。また、「我々日本代表だからできる」といった目線で、いろんな取り組みをしたこともあります。

竹﨑:具体的にはどういった取り組みをされたのでしょうか?

井上:例えば、いろんな企業の方に来ていただいて、講義形式で「成功や失敗」についてお話しいただいたり。また日本の強さを求めていく中で、日本の伝統文化を学びながら、日本独自の強さを感じ取っていくことも行いました。それから茶道や書道を取り入れたり。

最近よく言われる「レジリエンス」という言葉がありますが、これを強化して逆境に打ち勝っていく。試合、練習、合宿の中で養っていくことはもちろん、意図的に何か別のやり方でレジリエンスを養えないかなと考えて、自衛隊式トレーニングを取り入れたりもしました。

強化するといってもやり方は1つではなく、多角的な視野のもと、さまざまなアプローチを仕掛けていく。そうすることによって、選手の能力、また組織の力を拡張していくことが可能だと思ったんです。

竹﨑:スポーツに留まらず、どこからでもヒントを得ようという意識で、いろんなことに挑戦されたんですね。

井上:そうですね。世の中には宝物がいっぱいあるような気がして。それを固定観念によって排除してしまうのではなく、まずはオープンなマインドを持って物事を見る。そういう視点って、私はすごく大事だと思うんです。

そうした上で、自分自身に「必要なもの・必要ないもの」を選択していけばいい。その前に止めてしまうことのもったいなさをすごく感じたんですね。そういう考えもあって、さまざまな活動を取り入れたところもあります。

「最強だけの柔道家にはなるな」

竹﨑:当時の井上さんは、「最強だけの柔道家にはなるな」と選手たちに言っていたそうですが、この言葉はどんな意味なんでしょうか? 今のお話も含まれているんですかね。

井上:そうですね。自分自身にも言い聞かせていたのかもしれません。やっぱり常に自分自身が視野を広く持つ。そして、柔道の仕事の中では、柔道での成功を収めていく。でも、「自分の能力はそれだけじゃない」という思いもありました。他にも、もっともっと活躍できたり、伸ばしていけたりするものがあるんじゃないかと。

だから、選手たちにもぜひとも、そういう視点を持ってほしいんです。ただ現場で活躍するだけではなく、彼らの能力をもっと広げてもらいたい。そういう思いで、その言葉を使ったのが1点ですね。

もう1点としては、これまで自分が戦わせてもらうことができたのは、やっぱりその前に歴史があるからだと思うんです。数多くの方々が築き上げてきたからこそ、今現在の自分たちがある。そして、自分たちの行動が、これからの未来を開いていく。柔道界の未来を作っていく。勝手ながら、こう思っていました。

私は、「柔道の価値や魅力は、ただ勝つことだけではない」と思っています。もっともっとその価値や魅力をみなさんに感じ取ってもらいたい。今後も柔道が世界中から必要とされるような、応援されるような、そんな組織、選手たち、また自分たちでありたいと思っています。

選手とのコミュニケーション時の心掛け

竹﨑:そうして選手たちの意識がだんだん変わっていったんですね。井上さんは選手たちに積極的にメッセージを伝えている印象があります。監督就任後の2013年の海外合宿では、「昨日まで元気だった大切な人を、いつ亡くすかわからない。1日1日を全力で生きてほしい」と語っていらっしゃいました。これはどんな意味のメッセージだったんでしょうか?

井上:そうですね。常に自分の仕事観、人間観、また死生観を考えることがすごく大事だと思っています。その中でたどり着くのは、やっぱり「1日1日をいかに大事に生きるか」ということです。

私自身も早くに母親と兄を亡くした経験があり、そういう感覚が強いんだと思います。選手たちは戦っていく中で、負けたり、失敗したりして悔いが残ることもあります。でもその過程においては、やはり日々を大事にしながら全力を尽くしてほしい。そして悔いのない人生を送ってもらいたい。そういう意味があって、その言葉を使わせてもらいました。

竹﨑:最近のニュースを見ていても、本当に大切に毎日を生きていきたいなと感じますね。選手とそのようなコミュニケーションを取る上で、どんなことを大切にしていますか?

井上:何でしょうね(笑)。自分自身、素のままで選手と接することは常に考えていました。でも、やっぱり人間と人間のやり取りなので、いい意味で気も遣いながらですね。また、A選手にはこういう言葉を掛けて、B選手にはまた違った言葉など、言葉も使い分けながらやっています。

選手から見ると、どうしても監督に対して壁を作ってしまうと思うんですね。100パーセントまでは難しいとしても、これを少しでも取り除いて、お互いフラットな目線でものが言える環境を作りたいと思っていましたね。

指導者としての「視野」の拡大につながった海外留学

竹﨑:ご自身も選手として、いろんな勝ち負けを経験されているからこその気遣いもあったと思います。選手と監督の違いを一番感じた部分はどんなところですか?

井上:そうですね。選手の時は自分が一番ですからね。「いかに自分自身を高めていくか」ということを考えて日々生活し、また目標に向けて努力をしていました。コーチ・監督になってからは、「いかに相手を活かしていくか」という目線に変わりました。そういう面で、非常に違いを感じますね。

竹﨑:立場が変わることでご自身をアップデートさせていく、変えていくという思いがあったと思います。海外留学を決意されたのも、そういう意味があったのでしょうか?

井上:そうですね。とにかく選手時代は視野が狭かったんですよ。今の選手たちは、コメントにしても活動にしても、「いやぁ、素晴らしいな」と思うことが多くて。自分自身の選手時代を振り返ってみて、「もっといろんなことをやっておけばよかったな」と感じましたね。

選手を終えて次なるステージで戦っていく中で、「社会というものをあまり知らないな」と自分自身思って。もっと社会を知って、勉強して、そして次なるステージに進みたい。そこで恩師からのいろいろなアドバイスをもとに、海外留学を実行させてもらいました。

竹﨑:実際に行ってみて世界は広がりましたか?

井上:広がりました。私自身あれだけ海外に行っていたにも関わらず、語学にしても、宗教や政治に関する知識にしても、コーチングにしても、まったく力がないんだなと。「本当に自分は無学で、無力で、大したことのない人間だな」と強烈に感じました。でも基本ポジティブなので、「あ、俺ってまだまだ伸びしろあるな」と。

竹﨑:なるほど。

井上:「まだまだいけるな」と思う瞬間でもあったので、そこからまたいろんな経験を積ませていただきました。そういう感覚を得ることによって、自分が敢えて上げていたハードルみたいなものがぐっと下がって、自分自身を客観的に、フラットに見つめることができたんですね。これが次のステージですごく活きています。