自国の映画のシェアが50%以上ある、珍しい日本の市場

久保田修氏:今、構造のお話をさせていただいたので、そのへんの話をしておきます。「今言った製作委員会って何よ?」と。あとね、「製作委員会はあんまりシステムとして良くないんじゃない?」みたいな言い方もされることもあるんですけれど、そんなことはなくて。今、十分に日本映画がまだ生き残っているのは、製作委員会があったおかげだと思っているんです。

そうそう。意外とみなさんは当たり前のように日本映画を見ていると思うんですけれども、日本の映画の興行収入はだいたい年間で2,000億円ぐらいで、そのうち自国の映画が興行収入で50パーセントくらいです。自分の国で映画のシェアが50パーセントもある国は、実は少ないんです。世界的に見て、そんな国はあまりありません。

インドとかアメリカはもちろんすごく自国のシェア率は高いんですけど、フランスもたぶん50パーセントを切っていると思うし、当然ドイツも50パーセントを切っているんじゃないかな。イギリスはどうだろう? イギリスは、英語圏なのでちょっと判断が難しいかもしれないですけれども。

すごいすごいと言われている韓国でも、スクリーンクォーター制と言って、国のほうで劇場の何分の一かは韓国映画をかけないといけないという決まりがあるんですね。そういったものが日本はまったくないにも関わらず、自分の国の映画が50パーセント以上のシェアを持っている。実は恵まれたというか、世界的に見たら珍しいケースだと思っておいてください。

裏を返せば、要はそのくらい世界的にはハリウッド映画が強いということです。スペインとかそういったところに行けば、7~8割がハリウッド映画で、(自国の映画は)作れないという国もいっぱいあります。

『ロボコップ』で有名なポール・バーホーベン......。彼の一番有名な映画は何になるんだろう。若い人は知らないかな。オランダの監督ですけれど、要はオランダでは監督として食えないのでアメリカに行くパターンがほとんどです。基本的には市場規模的に言うと、そういうものです。

(この理由については、)日本は人口が1億人以上いて多いからというところに尽きるんですけどね。ヨーロッパだと、一番大きいドイツですらせいぜい人口は8,000万人ぐらいなので。

日本映画業界に訪れた、1970代以降の厳しい状況

「製作委員会」についてですが、歴史的に言うと、昔は実はありませんでした。昔はメジャーの映画会社、みなさんもご存知の東宝だったりとか松竹だったりとか東映だったりとかという会社が存在していて、その会社が自分のところのお金で作って、自分の力で配給して、かつ劇場まで持っているという時代がずっとありました。

ちなみに日本で一番映画が見られていたのは1958年です。観客動員数が11億人という時代があるんですよ。1年間に1人10本映画を見ているという時代がありました。

それが1973年ぐらいになると、年間で2億人を切ってしまって、それ以降はずっと、日本はだいたい観客動員数は1億人前後を推移しています。ということは、まあ1年間にだいたい1本しか見てくれないという計算ですよね。そういう産業になるんです。

極端に悪くなってくるのは1960年代後半になってからです。1970年代になると、映画会社が単独では映画を作れない時代が来ます。

すごくわかりやすいのが1971年に大映というすごく大きい映画会社が倒産して、東宝が制作部門を別会社にしてしまうんですね。その配給会社としての東宝は残るんですけれども、作ってる部門は別会社にして、東宝映画という会社を作ります。

あと実は歴史的に言うと、一番古い日活という会社は、(設立が)1912年なので大正元年ですよね。すごく歴史のある映画会社ですけれども。日活が一般映画を諦めて、日活ロマンポルノという成人映画だけを作る会社に変わるのが1971年です。1970代以降、本当に日本映画は厳しい状況が続きます。

日本映画が生き残れた「製作委員会」の仕組み

その中で生き残る術として出てきた方法論が、製作委員会というやり方です。簡単に言うと共同事業体と思ってもらえばいいと思います。

もちろん代表会社はあるんですけれども、1社だけで映画を作るのではなくて、いろんな会社さんがお金を出しあって、共同事業体を作って、そこでリスクを分散する。かつこの集まっている方々は基本的に映像産業に携わっている人たちなので、宣伝媒体を持っている。例えばテレビ局とかラジオ局であったりとか。あと広告代理店だったり、要は宣伝をできる会社でもあるところが集まって、映画を作るのが始まります。

調べてみないとわからないんですけれども、製作委員会の一番最初は、おそらく東宝とナベプロ(渡辺プロダクション)という事務所があって、そこが共同で映画を作るところから始まって。だんだん製作委員会というやり方が出来ていったんだと思います。

いろいろな功罪もあると言われている製作委員会なんですけれども、結局はこの製作委員会形式が定着したので、日本映画は死に絶えることなく現在まで生き残ったのではないかなと個人的には思います。

日本映画の著作権は「製作委員会」が持っている

先ほども言ったんですけれども、著作権法も実は国によって違うので一概に言えませんが、日本の著作権法の場合、この映画の著作権者は製作委員会になります。だから監督とかそういう人たちは、著作者ではあるけれども著作権者ではないのが日本の仕組みです。

映画はいろんな著作者がいっぱい関与して成立するものですよね。監督もいればカメラマンもいれば、照明の人もいるところで、その人たちが全部著作権者だと、映画自体を運用できないことになってしまう。

日本映画の場合、その映画に参加する意思を表明した段階で、その著作権は製作者に帰属するという方法をとっています。なので基本的に今の日本の場合でいうと、著作権は製作委員会が持っているかたちになります。

その製作委員会が、その映画というのを運用して……。「運用して」という言い方だと違和感があるかもしれないですが、簡単に言うと上映したり配信したりビデオグラムにしたりして、お金を回収するということです。

映像そのものでお金を回収するのは、映像ビジネスで映画だけ

「回収する」という言い方をしたんですけれども、ある映画で……『ジョゼ虎』(『ジョゼと虎と魚たち』)なら問題ないかな。『ジョゼ虎』という映画は、9,300万円で作られました。すごく安いんです。

その9,300万円というお金というのをどう回収しているかというと、実はすごくわかりやすくて。一人ひとりのお客さんが買った劇場のチケットだったり、借りたDVDのレンタル代だったり、買ってくれたDVDの印税だったりで、もともとの原価を回収していく仕組みです。

映像自体にかかったお金を、お客さんからいただいて回収するというビジネスは、実は映画だけです。テレビとかは違いますよね。みなさんご存知のとおり、テレビドラマの制作費はみなさんが払っているわけではなくて、テレビドラマを流している放送局に対するCMの広告料で作られている仕組みになっています。

今はそのテレビドラマがビデオやDVDになったりしますけれども、テレビの場合は根本的にはそういう仕組みです。当然広告CMは、そのコマーシャル自体でお金を回収しているわけもなく、そのコマーシャルでやっている商品が売れて初めてお金が回収される仕組みなので。映像自体でお金を回収しなきゃいけないのが、実は映画だけなんです。

まったく一緒ではないんですけれども、それにある種近いかたちなのが、逆に今出てきているNetflixさんとかの映像配信の会社です。Amazonさんの場合はちょっと構造が違うので、一概に一緒とは言えないんですけれども。例えば「Disney+」などはそうですね。

例えばNetflixでやらせていただいた『全裸監督 シーズン2』でかかったお金は、Netflixさんの会員の方から回収しています。ただし当たり前ですけど、月額を払っていれば見放題なので、「1本あたり」じゃないんですよね。あくまでも会員ビジネスなので、そこは映画とは違うところです。

勝ち負けがはっきりわかる、映画ビジネスの厳しさ

映画のほうがもっとビジネスとしてはシビアで、1本1本の損益分岐、要はその映画が儲かったか儲からなかったか、かかった原価が回収できたかできてないかが、一目瞭然でわかってしまうというビジネスです。

逆に言うと、それだけ勝ち負けがはっきりしています。わかりやすいぶん、プロデューサーの評価としては厳しい。「あの映画はプラスだった、(この映画は)マイナスだった」と言われる厳しいビジネスでもあります。

さっきちらっとお話ししましたけれども、映画の成立の過程は本当にケースバイケースです。先ほど言ったように制作プロダクションから提案される時もあれば、幹事会社から提案される場合もあったり、まちまちです。

あまり構造のことばかり調べててもしょうがないんですけれども、今お話ししたように、映画は映像ビジネスの中でもすごく特殊なポジションなんですよということを、みなさんに知っていただきたいなぁと(思い、お話させていただきました)。

それと「製作委員会」。よくみなさんがクレジットで見ている「製作委員会」は、最初から明確にこういう形になると思ってスタートされたわけではないとは思うんですけれども、結果として、いろんな時代的なニーズに応えるかたちでこのシステムがだんだん整えられていった。ここは歴史的に考えてもおもしろいというか、(日本映画ビジネスの)肝になるところです。

製作に携わるなら、ビジネス構造や評価を把握すること

みなさんはこれからクリエイターなのかプロデューサーなのかわかりませんが、いろんな立場で映画に携わっていかれると思います。その時に、映画ビジネスはどう成立しているのか、そのお金とはどこから出てくるのか、その製作費はどう回収されていくのかという構造を、やはり知っておくべきだと思うんですよね。

仮に技術職であろうが何であろうが、その構造自体は知っておくべきです。特に監督やプロデューサーといった、映画の全体を見なきゃいけない立場に立とうと考えている方々は、きちんと認識しておくべきことだと思います。

特に制作プロダクションの立場などでは、「納品しちゃえばその映画が当たろうが当たるまいが関係ない」という考え方もあるかもしれないですが、そうではなくて。やはりどういうふうに運用されて、どんな評価を得ているのか、もしくはちゃんと利益を生んでいるのか、把握しておくことが重要なんじゃないかなと思います。

あとは権利に噛めないものに関して、例えばNetflixとかそうですけれども、我々はNetflixさんから発注を受けて作って、納品したら終わりになっちゃうんです。でもやっぱりNetflix内でどういった評価を得たかというところに関しては(理解するべきです)。Netflixさんも実際の細かい数字をライブで出してはくれないのでわからないんですけれども、どのくらい視聴者に見てもらったのかとか、しっかり把握する。これは当たり前ですけれども重要です。

「映画」は、産まれた瞬間から「ビジネス」だった

一方で「いやいや、僕はアートなんだよ」と。「芸術性が大事、自分が作りたいものが作れればいいんですよ」という考え方ももちろんあると思うんです。ただ、そもそも歴史的なことを言うと、いわゆる「映画」というメディアは、諸説あるんですけど、1895年にフランスでリュミエール兄弟という人たちが人々を集めてフィルムを映写したというのが、一番最初のスタートと言われています。

その前にキネトスコープという、エジソンが発明した覗いて見るタイプの映像がありましたが、それは「覗いて見る」タイプなんですよね。(リュミエール兄弟がやったのは、)今の映画館みたいにスクリーンがあって、今のみなさんと同じように、「大人数が同じ方向を見つめる」というかたちでした。

簡単に言うと「興業」と一緒ですよね。ライブをやっているのと一緒です。ここに演者さんがいて、お笑いとか歌を歌っているのと一緒です。みんなが1点を見つめている。実は映画ってすごく不思議なビジネスなんですけれども、実はスクリーンには何もない。なのにそこをみんなが見つめているという、冷静に考えると不思議なビジネスだと思うんですけど。

そういう方式を一番最初にやったのがリュミエール兄弟です。その何がおもしろいかと言うと、その時点から「見世物」だったんですね。要はリュミエール兄弟は、来た人たちからお金を取ってるんですよ。僕が考えるに、あくまでも「興行」としてスタートしているというのが、映画というメディアの特徴だと思います。

絵とか歌とかダンスとか、たぶん文学もそうだと思うんですけれども、それらは別にお金を儲けるためではなく、もっと自然発生的に生まれているメディアだと思うんです。その点で映画は、良い悪い関係なく、もう産まれた瞬間からビジネスでもあった。だから(映画における)「クリエイティブ」と「ビジネス」は双子みたいなもので、もうついてまわってるものなんだと僕は思います。

映画において「クリエイティブ」と「ビジネス」は表裏一体

なので、どちらかだけが優れていればいいというものではなく、やはりバランス。両方がきちんと組み合わさって回転していくことが、映画ビジネスの醍醐味なんじゃないかなと個人的には思っています。

もちろんクリエイティブもすごく重要なんですけれども、ビジネスと切り分ける必要はないと僕は思っています。クリエイティブとビジネスは合致してる、コインの表裏みたいなものだと思っています。

後半戦、若干面倒くさめのものをしゃべらせていただいたのは、そういう理由からでした。まず「映画ビジネス」というものがどういう構造なのか、きちんとみなさんに知っていただきたいし、その上でどういったポジションをみなさんが選んでいかれるかということも考えていただきたいと思っています。

時間的に、話はだいたいいいですかね。