プロを夢見た幼少期、まだ「女性プロサッカー選手」は存在しなかった

メアリー・アビゲイル・"アビー"・ワンバック氏:大歓迎ですね! うれしいです。つまり、私はワンバック博士ですね(ワンバック氏は人文学名誉博士号を授与されている)。ありがとうございます。ヴィヴィアーノ会長、スナイダー学長、プーン総長、スカボロー副学長、教授各位、運営スタッフのみなさん、ご家族のみなさん、そして何より2022年卒業生のみなさん、おめでとうございます!

4歳の頃、私は女子サッカーのプロ選手になることを夢見ていましたが、当時はまだ女性のプロサッカー選手は存在しない世界でした。

そして、これは先週のことです。他のオーナーたちと共に、妻と私はバンク・オブ・カリフォルニア・スタジアムのフィールドに足を踏み入れました。史上初の、過半数所有の女子プロサッカーフランチャイズ、エンジェル・シティFCの本拠地開幕戦でした。

ビリー・ジーン・キングや、ミア・ハム、ジュリー・ファウディ、シャノン・ボックスらと肩を並べ、チケット完売の満席のスタンドで、ロサンゼルスの家族連れの観客が熱狂している顔を見上げていました。花火が上がり、煙が晴れると、エンジェル・シティFCの選手たちが賑々しく入場して来ました。

私たちが席に向かうため、フィールドを去ろうとしていると、父親と手をつないだ4歳くらいの女の子の姿を見かけました。女の子は目を丸くしており、身に着けたエンジェル・シティFCのちっちゃなジャージにはケチャップが垂れていました。

その父子の姿が、なぜだか私の目についたのです。父親は小さな娘を指差してから、満場の観衆を指しました。そして、轟く歓声にかき消されないよう叫んでくれました。「これは、娘が知っている唯一の世界です。作ってくれてありがとう」。

(会場拍手)

ね、いい話でしょ? 翌朝、私はスピーチの原稿を書き始め、スピーチの招待に「イエス」と言いました。LMU(ロヨラ・メリーマウント大学)がイエズス会カトリックの伝統校であることを知ったからです。

学校も教会も大好きなのに、「愛されている」と感じられない

私は、カトリックの学校や教会に通う小さなゲイの女の子でした。学校にも教会にも大好きなところはたくさんありましたが、その一方で「愛されている」と感じられない時がありました。神が造りたもうたはずの私なのに、「価値がない」と思う場面が少なからずあり、身の危険すら感じました。本来であれば最も安全で、最も大切にされるはずの場所にもかかわらずです。

あの頃の小さな女の子と、学校や教会、家庭、そしてこの国にいながら疎外感を感じてきた人たちのために、私は今日ここに立つことにしました。

キリスト教の「他者が自分にしてくれたのと同じことを、自分も他者にしてあげるべきである」という教義の意味が、だんだんわかってきました。私は、こう解釈しました。良きクリスチャンが、自分や家族のために良い結果を得たいのなら、すべての人とその家族のためにそれを要求するべきです。

自分がクリスチャンだと自覚するならば、そして公正な賃金や健康的で安価な食品、子どものためのジェンダーアファメーション医療、愛する人との結婚、子どものための安全な学校、法と警察による庇護、男性としての身体の自己決定権と尊厳を望むなら、すべての人のためにこれらを求めて戦わなければなりません。

「他者が自分にしてくれたことを、他者にも行うべし」と、キリスト教の教義は明白に定めています。つまり、権力者にどれほど無視され揉み消されようとも、生涯を費やしてでも、これらを求めて戦わなくてはなりません。

黒人や褐色の肌の人々や、クィアやトランスの人々、女性、ニューロダイバージェント(ASDやADHDなど、脳の機能が異なるさまざまな違いを示す個人のこと)の人、貧しい人、年老いた人、障がいのある人、すべての疎外されてきた人、つまりすべての他者のためにです。これが「what」についての説明です。

権力者の“テーブル”をひっくり返す、3つの方法

次は、「how」についてお話しします。ご存じのように、企業や社会正義では話し合いのテーブルが大切にされています。誰がテーブルに着き、誰が着けないかが常に議論されています。着席できたなら、今度は何をいつ・どのように話すかが議論されます。私の理解が正しければ、イエス様もテーブルにいらっしゃったはずです。

ここでは「ちゃぶ台返し」についてお話しします。力ある者のテーブルをひっくり返す、正しい方法は3つあります。まず1つは、深く掘り下げて数字を要求することです。みなさんが社会に出たら、企業の自己紹介を信じるのをやめましょう。証拠を求め、言葉ではなく数字を要求しましょう。

6月は「プライド月間(多様なセクシュアリティを称え、世界各地でLGBTQ+の権利について啓発を促す月間)」です。みなさんのご想像どおり、私はプライド月間ではひっぱりだこです。たくさんの企業が私の顔を使って、自分たちが平等を重んじていることを立証したいと考えます。だから私は嘘つきにならないよう、企業の主張が事実かを確認します。

プライド月間に来てくれるように依頼する企業には、トランスジェンダーの子どもに対する非人道的な法律に反対して声を上げてきたかどうか、記録を見せてもらいます。さらに、どの政党に寄付をしているか、クィアの人を経営陣においているか、クィアの社員に支払う賃金はいくらかなどを調べます。

ブラック・ライブズ・マター、プライド、女性史月間、アース・デイには、企業に偽りの旗を振らせる代わりに、予算、経営陣名簿や損益報告書、環境インパクト評価を見せるように求めましょう。

旗だけでは、家庭や企業、学校や国の実態は見えません。実態を端的に表すのは投資です。きちんとした証拠を得ない限り、パフォーマンスの依頼を受けてはいけません。そんな話し合いのテーブルは、深く掘り下げて数字を要求することにより、ひっくり返してやりましょう。

会議に参加するものの、男性と対等に見られていない……

次は「話し合いのテーブルに着くことができたなら、相手と対等の立場につき、その立場を維持する」ことについてお話しします。

数年前、“こじゃれたミーティング”に出席したことがあり、お題の1つが「スポーツとメディアにおいて女性が体験すること」でした。セリーナ・ウィリアムズと私が出席し、男性知識人や男性アスリートと共に、テーブルに着いていました。

アスリートの1人は、NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)のクォーターバックでした。さて、机上に1つの議題が提起されました。「スポーツとメディアにおける女性の体験について、我々が知っておくべきこととは何か」というものでした。

私は一呼吸置いてセリーナに目をやり、彼女が話し始めるかどうか様子を見ました。その一瞬の隙をついて、クォーターバックが尊大な威厳をもって話し始めました。そして、延々としゃべり続けたのです。「女性とスポーツ」について、セリーナ・ウィリアムズと私が着いているテーブルで、ですよ。

私はあまりにも長い間、黙ってそこに座っていました。そして心の中で叫んでいました。「なぜ私は沈黙している?」。沈黙の理由は、緊張していたからでした。なぜならそのクォーターバックは、実力の高いアスリートだったからです。

私は、彼にも実力の高い選手だと認めてもらいたかった。さらには、テーブルにいた権力のある男性らにも、チームプレイヤーとして認めてもらいたかった。率直に言えば、その場にいた男性に仲間だと、「男性の1人」だと認めてほしかったのです。

ところが、「私は対等に見られていないんだ」とはっと気づいたのです。そのテーブルでは、クォーターバックと私は同等には見られていなかったのです。その場でテーブルに着いていない女性アスリートたちと同様に、わきまえているべきだとされていたのです。……みなさん、大丈夫ですよ。どうぞ拍手してください。

(会場拍手)

「女子ができることなら、男子にできないはずがない」

ついにテーブルに着席できた時はとてもうれしくて、その席を守るためなら何だってやる、といった気持ちになります。席に着き続けることに夢中で、その席を「使う」ことにまで頭が回らなくなってしまうのです。

私はとうとう手を挙げ、「お話の途中ですが、ちょっと言わせてください」と発言しました。クォーターバックは押し黙ってしまいました。そして、神と彼女の御心のままに、セリーナと私が最後まで会話を続けたのでした。

テーブルに着いてはいるものの、不当に貶められている場合は、どうか発言してください。着いたテーブルで一番持ち上げられている場合は、黙ってください。

(「力ある者のテーブルをひっくり返す方法」の)3番目は、連帯を声に出してください。私は、アメリカサッカーでさまざまな決定に携わる仕事をしています。実情をお伝えしますと、近年女子サッカーチームは、男性サッカーチームよりも高い業績を上げています。

ワールドカップで女子は4回の優勝を遂げている一方で、男子は一勝もしていません。でも男子サッカーは、今年は見込みがあるようですよ。私は男子サッカーチームを応援しています。なぜなら、女子ができることなら、男子にできないはずがないと信じているからです。

「リスクのない連帯」など存在しない

4勝という業績を上げ、アメリカサッカー界を牽引しているのは女性であるにも関わらず、運営組織は野放図にも男性主導に偏っています。私は、公式の電話会議で、このことを理事会に提言しようと考えました。とても緊張したので、事前の準備は入念に行いました。そして会議に出席する予定の女性を全員集め、みなで力を合わせようと事前に声をかけました。

電話会議が始まりました。私はzoomの窓枠の1つに収まって、ほとんど男性で占められた他の40個の窓枠を見ていました。どもったり、口ごもったりはしましたが、言うべきことは言えました。そして、その発言が正当であることは明らかでした。

しかし、場の雰囲気はあからさまに低調でした。出席した男性の中で、私の提案を支持する人は1人もいませんでした。フィールドでの平等を提言する会議にもかかわらず、ただの1人も(支持者は)いなかったのです。

電話を切った私は委縮し、恥じ、怒りに震えていました。ところが、すばらしいことが起こったのです。沈黙していた男性出席者から、メッセージやメールが届き始めました。内容は、「なあ、アビー。君はとても勇敢だったよ。全面的に賛同する」「君の勇気は賞賛に値するよ。君をサポートさせてくれ」といったものでした。

私はメールを凝視しました。「君をサポートさせてくれ」? まじで? ほんとにサポートしてくれるの? もちろん、そんなことはありません。自分の沈黙にフォローを入れて、こっそりと連帯感のポイントを稼ぎたかっただけなのです。でも、そんな連帯は手遅れです。

サポートを表明すれば、古き良きボーイズ・クラブにおける彼の立場を危うくするようなタイミングで連帯を表明したくなかっただけです。リスクなしで連帯を表明したかったのです。でも、リスクのない連帯なんて存在しません。

「世界の悲しみ」を完全に癒す義務はないが、放置する自由もない

テーブルに着いた勇気ある者が、テーブルに着いていない者や、そのテーブルが象徴する“クラブ”に属していない者のために声を挙げた時、声を上げた彼女を見殺しにしてはいけません。そして、後からこっそりフォローするのもやめましょう。リアルタイムで拾ってあげるのです。「沈黙の連帯なんて絶対に存在しない」と、この際決めてしまいましょう。

2022年LMU卒業生のみなさん、「what」と「how」が出ましたね。次は「where」について語りましょう。世界は広いです。ニュースを見ていると、あまりにも広く、壊れていて、野放図すぎると感じることがあります。どこから手をつければよいのかわからなくなります。

ユダヤの言葉に、「世界の悲しみの広大さに怯んではいけない」というものがあります。みなさんには、世界の悲しみを完全に癒す義務はありませんが、放置する自由はありません。この広い世界に出ていくにあたり、ひとまず広い世界は忘れてください。でも、小さな世界を見捨ててはいけません。見聞きし、実際に触れることのできる世界です。

みなさんが変えるべく義務づけられているのは、会社や人間関係、Uberの配達や夕食の食卓、属しているコミュニティなど、この「小さな世界」のほうです。最初にお話しした、小さな女の子を覚えていますか? エンジェル・シティのジャージを着ていた、あのスタジアムが彼女の全世界だった子です。

試合終了後、彼女はもっと広い世界に行きました。「未来」です。女性が最高レベルの試合に出場し、最高の地位に就いて組織を運営し、女性同士が肩を並べて、世界最高峰のフィールドに立っている世界です。少女はそんな現実を引き連れて、スタジアムを後にしたのです。少女は、永遠に影響を及ぼす波となるでしょう。

だから、ニュースを見て時間を無駄にしてはいけません。どうせ、いやなニュースばかりです。その代わり、みなさん自身がニュースになってください。だって、みなさんなら良いニュースになるに決まっているではないですか。

私が今日伝える良いニュースは、目前に、みなさんが永遠に変えてしまうであろう世界が待っているということです。2022年ロヨラ・メリーマウント大学卒業生のみなさん。足を踏み出して、新しい世界を作ってください。他者がみなさんにしてくれたことと同じことを他者にしてあげることによって、世に出て、くだらないテーブルをみなひっくり返してやってください。