建前だけで話が終わり、本音が聞き出せないときは

安斎勇樹氏(以下、安斎):みなさんチャットを活発にいただいていて。今100人以上の方がリアルタイムでご視聴いただいていますので……。

石井遼介氏(以下、石井):すごい。

安斎:ぜひ質問もチャット、Q&Aのほうにいただければと思います。

石井:これは安斎さん、いい問いじゃないですか。「表面上は意見が出たり議論があるんですけど深掘りができなくて、本音は違う」ことに悩んでる視聴者の方がいらっしゃいます。丸投げみたいな(笑)。

安斎:そうですよね、今完全に建前だけで話が終わろうとしているよなーとか、みんなわかっているんだけどそのまま進んでいくとかね。ありますよね。

石井:問いかけじゃないですけど僕らだったら、あれそもそも大事なことなんだっけ、というところに戻ったり、「これ本当にやります?」という話は、僕だけではなくて、みんなから出たりしますよね。

安斎:それは確かにいいパターンというか、うちもあるかもしれないですね。惰性でそれをやることが自己目的化したままプロジェクトの定例が進んでいくんだけど、みんなそこに衝動を感じなくなっていく感じで。

形骸化しつつある空気の時に、誰かがそこに、「本当にみんなやりたいですか」とか、「そもそもなんでやるんでしたっけ」とか、足場に対して「そもそも」とか「本当に」という枕詞と共に疑いをかけていくのは、けっこう大事だなと思いますよね。

石井:大事ですね。「このプロジェクト、どうなったら我々はめっちゃハッピーなんでしたっけ」とか、たまに社内で聞かれますね。

安斎:このへんを引き出すのがうまい人はいますよね。1回聞いておいて「なるほど、なるほど~。ぶっちゃけどうですか」みたいな。

(一同笑)

石井:それ、いい(笑)。でも確かに1回目は上司が言ってるからとか、このプロジェクトにアサインされた時のドキュメントに書いたものをちゃんと記憶しているから、みたいなのが出てきたりしますね。

「主語を変える」と、視座をコントロールしやすい

石井:それで言うと、『問いかけの作法』に書いてあった「主語を変える」って技がすごくいいので、ぜひ紹介していただきたいと思ったんです。

安斎:そうですね。やっぱり問いかけのコントロールで一番簡単なのは、質問の主語を変えることですよね。けっこうそこはおろそかになりがちですけれども、暗黙のうちに会社の意見が形骸化している時には、主語がだんだん浮遊していってるんですよ。

この組織は、この会社は、このチームは。かつ、あるべきみたいな掛け算になっていて、主語が大きくなっているんです。そこに対して、「ああでもそうですよね。このチームとしてそうですね。でも○○さんはどう思いますか」と、主語を個人に投げてみると……。

石井:「私ですか!?」ってなりますよね(笑)。

安斎:今暗黙のうちにチームの総意としての意見でしたよね、とそこまでは言わないんだけれども、「○○さん的には個人的にはどう思いますか」とちょっと主語を下げるというか。

逆にみんなが個人主語でばらばらにしゃべっていたら、「チームとしてはどうしていきましょうね」とチーム主語で投げるとか。視座をコントロールすると目線が変えやすいので。ファシリテーターとしては、一番着手しやすいところなのかなと思ったんですけれどね。

「間違っていることが恥ずかしいから意見が言えない」問題

石井:何度か僕の講演を聞いていただいている方が、ふだんと違うのではないかと言っていただいていますが。安斎さんのいい問いかけのおかげなんでしょうね。

安斎:あとはこの蔦屋家電さんの……。

石井:リラックスルーム。

安斎:「デート席か」と言いながら、石井さんと(この講演が)始まる前に行ったんです(笑)。このリラックスした空間が、そうさせているのかもしれません。でも物理的空間って大事ですよね。

石井:いや、物理的空間は大事ですよね。でも今日は、旧友と、ということもありますし、こういうおしゃれな場所ということもあるので、ふだんとは(違って)ちょっとカジュアル寄りの服装をしてきました。

安斎:確かに。

石井:安斎さんもネクタイとかされていなくてよかったです(笑)。

安斎:そうですね。ネクタイは結婚式用しか持ってないので。

石井:ネクタイを持っていない。深掘りモードになっている(笑)。

安斎:そうですね。スタッフさん、チャットもいろいろいただいていますね。

石井:(会議中に)間違っていることが恥ずかしいから意見が言えない、みたいな話はありますよね。

安斎:そうなんですよねぇ。実はファシリテーターが少し「抜けている人」だったりすると、会議がかえってうまくいくことがあります。オンラインミーティングとかで、完璧な儀式的なイントロをするよりも、最初少しグダグダくらいのほうが、空気がゆるむこともあります。

「しょうもない意見」が、次の意見を出しやすくさせている

石井:ときどき「心理的安全性なんか作って、しょうもない意見ばっかり出てきたらどうするんだ」と言う人がいます。けれども、よくよくその人に話を聞いてみると、今はまだそもそも会議で意見が出ていない。しょうもない意見に困っているのではなく、意見が出ないことに困っていたりするんですね。

で、実は “しょうもない意見” が出てきた時にこそ、「なるほど~」と言ってホワイトボードや議事録に書いたら、「あ、あのぐらい“しょうもなくて”もいいんだ」と安心して次の意見が出てきますから、と。

そうですね。完璧じゃないことというか、『ドラえもん』ののび太くんが……。全員出木杉くんだったら、あのアニメはつまらないかもしれないですね。

安斎:そうですね。居心地悪いですね(笑)。

石井:「ドラえもん! 君はそこで座って見てて。僕一人でやれるから」。

(一同笑)

「あぁ、はい……」みたいな。

安斎:ちょっと見てみたいです(笑)。なるほどね、そうですよね。

「暗黙の規則」から逸脱した人には、ポジティブな声がけをする

安斎:だから僕らはがちがちの大企業でファシリテーションする時、しかもオンラインミーティングでする時とかに、めちゃくちゃ意識していることがあるんです。

うちのエキスパート、ファシリテーターがけっこうやっているなと思うのが、暗黙の規則から逸脱したかもしれない人に、極端にポジティブなフィードバックをするんです。

例えばそのミーティングに2分遅れて入ってくる人がいるじゃないですか。もしかしたら本人はぜんぜん気にしていない、毎回遅れてくる人かもしれないんだけど。その人のためというよりかは、「あ、○○さん、こんにちは」「ぜんぜん今始まったところなんでぜんぜん問題ないですよ」とはっきり言う。

誰も気にしていないかもしれないけど、いつもだったら守られてるかもしれないルールを、今日はちょっと越えても別に構わない場なんだ、という意識が醸成される。遅刻した人が気にしていなかったとしても、ちょっと許容されるんですよね。

石井:場が揺さぶられる感じですね。

安斎:そう、そう。例えばさっきのスーツの話じゃないですけど、向こうのミーティングに、5人中4人スーツを着ていて、1人スーツを着ていない人が在宅勤務にいたとします。その人は、気にしていないかもしれないけれども、例えばこっちも着てなかったとしたら、「○○さんがスーツじゃないもんで、こちらも安心しました」……。

石井:「助かりました」。

安斎:……みたいな感じで、規範をはみ出した人に対して、ポジティブな声がけをしておくことは、その場の心理的安全性を高める上ですごく重要ですよね。

石井:確かに、いま日常がうまくいっていないんだとすると、「何か」を変えないとよくなっていかないので。ちょっと揺さぶってみると、意外と「僕もそれちょっと逸脱したかったんです。言えなかったけど」みたいな人が、1人乗っかってくると、2人・3人・4人と…、実は「みんな」が思っていた、なんてこともありますよね。いいですね。

心理的安全性を1回可視化してみる

石井:他のチャットも見ていくと……。

安斎:Q&Aのほうに……。

石井:お、Q&Aも5つある。

安斎:いただいていますね。例えば1つ、「リーダーが心理的安全性をある程度理解していると主張している」と。その本を読んだんでしょうね。

石井:(笑)。「主張している」って……。

安斎:「体格が大きく、声も大きい人が意見を言うことにより、その人の意見に引っ張られてしまい、結果誰も何も言えなくなる。このような場合、そのリーダーにはどのようにアドバイスすればいいでしょうか」。

石井:アドバイスの前に、「正直、心理的安全性を感じていないんですよ」と言えるかどうかが1歩目ですけどね。

安斎:そうですね(笑)。

石井:もう1歩手前の段階からアクションを考えるとすると、「みんながどのぐらい心理的安全性を感じているかアンケートをしてみましょう」と言う。我々も心理的安全性のサーベイを持っているんですけど。いったん現実を見てみると、「自分はリーダーでこんなに話しやすいと思っていたけれど、みんなは違うんだね……」と、純粋に素朴な驚きとして捉えられたりするので。1回「みんなはこうです」と可視化してみるのは、おすすめな1歩目ですね。

正しいことをそのまま伝えても、人は変わらない

安斎:そうですよね。石井さんのところでサーベイをやっていると思うんですけど、そういうファクトで照らされると、「あれ」と目を背けたくなる結果が一時、あるかもしれませんけど。

石井:「まじか......」みたいなね。

安斎:そこで1回可視化してみるのもいいでしょうし。あとはやんわりフィードバックする方法もなくはないのかなと思っています。「なんか意見ある?」というよりは、「いやー、でも○○さんにそんな正解みたいな意見を出されたら、僕の意見なんか言えないですよ」と。

石井:「怒らないですか?」とか、ちょっと怯えながら言いますけど。これはキャラクターも必要ですよね。芸風によってちょっと突破口が変わりそうですよね。

安斎:まぁでもあなたは心理的安全性はないです。変えたほうがいいですと言っても、あんまり役に立たないことが多いですよね。

石井:そうですねぇ。正しいことをそのまま伝えても、それで人は変わったりしないです。

自分が発してしまっている「無自覚な権力」は気付きにくい

安斎:あと、やっぱり自分が発してしまっている無自覚な権力は、本当になかなか自覚しづらいところだったりするし。

石井:いやぁ、切ないですよねぇ。

安斎:あとは痛烈に批判してしまったけど、その人(にとって)はショッキングな言葉になってしまったりするので、難しいなぁとは思いますよね。あなたの体格のせいですよとは言わないほうがいいんだろうなと思うんですけど。

石井:そこは変えられないですから。まぁでも、体格問題は比較的Zoomのおかげで解消しつつあるのかなとか思います。

安斎:そうですね。

石井:画面上だと大きな声を出してるのか、マイクに近い人なのか、意外と判別しづかったり。

安斎:そうですね。自分のWebマイクの音を上げておくといい。

(一同笑)

などなど、いろいろ短期的なやり方とかね。サーベイを使うとか、あるタイミングで腹を割って1on1で話してみるとか、いろんな方法があるのかなと思います。

問いかける側が「正解を持っている」つもりではないほうがいい

安斎:たぶんご本人も心理的安全性を理解していて、でも無自覚な圧を与えてしまっているのであれば、フィードバックされて一瞬傷つくかもしれないけれど、「言ってくれてありがとう」と絶対なると思うので。そこは、さっきの枕詞とかを工夫しながら「悪気はないんですけど……」と言ってみると、意外に「早く言えばよかったな」となる可能性もある。

石井:一緒に心理的安全なチームを作るのを、私もお手伝いしたいので、いつでも相談にのれます。と言っておくとかですね。

安斎:それは大事ですね。何か言った後に、一緒にやるつもりがあるのは重要ですよね。

安斎:問いかけもそうですけど、問いかけて、お手並み拝見みたいな感じで(笑)。何かいい意見を言ってみなさい、みたいな感じよりは……。

石井:「一緒に…」と。

安斎:そう。自分もわからないから一緒に考えたいんだけど、と問いかけられたほうがいいですよね。

石井:そうですね。問いかける側が「正解を持っている」つもりではないほうがいいでしょうね。心理的安全性がすでに高ければ、リーダーや上司が正解らしきものを「こうではないですか」と言っても、みんなが、「いやそれ違うんじゃないですか」と言ってくれたりするんですけどね。

安斎:そうですね。

アイデアは「否定」ではなく「選抜」にする

安斎:健全な衝突について質問が来ていますね。「意見や指摘を言いあえるというのはすばらしいと思いますが、自分の意見を出した後にそれとは違う意見を出されると、自分の存在を否定されたと受け止める傾向の強い人もいる」と。

心理的安全性の高い組織にいると自然とそのあたりも改善されていくのでしょうか。あるいは特別なサポートが必要でしょうか。

石井:あぁ……。仕組みというか、会議の進め方とかで解決する方法はあると思います。とりあえずこれについてみんなでアイデア、数を出しましょうみたいな方向で。「しょうもない意見」も「すばらしい意見」も等価にホワイトボードであったり付箋であったり、GoogleDocsのオンラインの共有議事録であったりで溜めていって。

「いっぱいアイデアが出たので、どれがピンと来ますか」という順番で話したりすると、言ったこととか書いたことはその場に残っているわけなので。即否定されるということではなく、いったんその場に残ったみたいな感覚で「否定する」のではなく「選抜する」感覚で前に進めるというか。

あと大切なのは、実際には自分が「そうだ(いいアイデア・悪いアイデア)」と信じているだけで、あらかじめ知ることはできないんですよね。本当にいいアイデアか悪いアイデアかはお客さんしか知らなかったりするので。まずは、そういうやり方が工夫としてはあるかなとは思いますね。

課題が大きく緩い時は、意見の批判が「人格否定」になりやすい

安斎:なるほど。そういう工夫1つで、そのあたりは改善できるかなと思うんですけど、これに関してちょっと別意見があるんです。僕は大学院の修士論文の時に、ある実験をしたことがあって。その修論の内容は詳しくは話さないですけど。人の意見に対して、批判がその人の人格否定になりやすい状態ってアジェンダが緩い時なんですよ。

石井:なるほど。

安斎:課題が緩くて大きくて、何を言ってもよさそうな時って、それが起こりやすいんですよね。

石井:へー、おもしろい。

安斎:他方で、ちょっとむちゃぶりっぽい課題とか、めちゃくちゃ難しい課題とか、それこそ突破不可能な矛盾みたいなのが含まれていて、そう簡単に一方向の意見じゃクリアできない難しいお題とか、アジェンダになっていると、自分が言った意見って、この課題はクリアできないので批判しやすいんですよ。

石井:なるほど。

安斎:批判した時にその人の攻撃にならないで課題のせいになるんですよ。

石井:「確かに」となりそうですね。

課題を「無茶振り」にすることで、意見の批判の矛先が揃う

安斎:そう。さっきの『問いかけの作法』の話に通ずるんですけど、アイデア発想の課題でなんでもいいからいいアイデアありませんかと言った時に、その自由状態で誰かが意見を言ってきたら、みんな絶対「それいいアイデアか?」と思うんですよね。

石井:確かに。

安斎:だけど、「この会社を明日から一発で心理的安全性にする魔法の処方箋について、今日はみなさん考えましょう」と、そんなの無理だとという課題が与えられた時に、無茶振りであることが前提になるので。

石井:「確かにな、無茶を実現するには、そのくらい突飛なものじゃないとな」みたいな。

安斎:意見の良し悪しが人のせいではなく「課題のせい」になるんですよね。だからアジェンダのほうを緩すぎずちょっと無茶振りっぽいものにして、無茶振りのせいのもとで我々は試行錯誤しているんだとなると、人のせいにならないというか。

石井:おもしろいですね。

「正解」を知っていることは「教育」なので、議論にしない

石井:「無茶振りの逆」を考えてみたんですが、その場に居る誰も正解を知らない。何なら予想もつかないものが「無茶振り」だとすると、上司や先輩が「正解」を知っているものって、要は「教育」じゃないですか。

本来「教育」の範疇の話をディスカッションにしない、という設定も大事なのかもしれないですね。

安斎:なるほど。

石井:営業のプロセスが会社で決まっていて、「君、次はどうしたらいいと思う」って、形式は問いかけですけれども、実質は正解のある「こうやれ」なんだったら、それは教育の範疇であって、問いかけたりしている場合じゃないってな話は、よくあると思うんですね。

2+3はいくつでしょう。なんて、あまりディスカッションにならない状態ですよね。「僕は5.2だと思います」「違います」みたいな話は教育の範囲であって、会議や問いかけの話ではないということで切り分けができるかもしれないですね。

安斎:なるほど。