「子育てのその先へ」をテーマに、山口周氏が登壇

司会者:本日は「神山まるごと高専 presents 未来の学校FES」にご参加いただき、ありがとうございます。これより保護者さま向け授業、株式会社ライプニッツ代表取締役・山口周さま「子育てのその先へ! ソーシャルインパクトを生み出す、『交差点人材』の育て方」を開始いたします。それでは山口さま、お願いいたします。

(会場拍手)

山口周氏(以下、山口):みなさん、おはようございます。今日のテーマ「子育てのその先へ」で、うちの家内が「あなたが話すの!?」と言っていました。

(会場笑)

本当に僭越ですけれども、お話しさせていただきたいと思います(笑)。さっそく入っていきたいんですけれども、最初にみなさん、あるいはこれを聞いてる若い方がいらっしゃれば、ぜひ考えてほしいんです。

今、このコロナが始まってから、経済成長率についてものすごく色々言われていますよね。「今年はどうなる」とか「マイナス4パーセント」だとか「来年は上がるんじゃないか」とか。そうしたらまた戦争で、今年はひどいことになっている。経済成長率が「最も重要な、世の中がうまくいってるかいってないかを測る物差し」のように扱われているんです。

僕がいつも気になっているのは、そういう人たちはものすごく短期的な話をしているんですね。「来年どうなる」とか「去年どうだった」とか「四半期どうだった」という話をしているんです。だから高速道路を走っている時に、目の前の1メートル先しか見ていないような、そういう議論をしている感じがするんですね。

先進7ヶ国の経済成長率が最高の数字を記録したのはいつ?

物事がどういう方向にいくかは、やっぱり引いて見ないといけない。あらためてこの大きな流れで見た時に、今は上り調子なのか下り調子なのか、そもそも一番良かったのはいつなのか、を考える。特に若い子にはそういう頭の癖をつけてほしいなと思って、こういうクイズを出しているんですね。

「先進7ヶ国の経済成長率が最高の数字を記録したのはいつですか?」。

わかりやすく高度経済成長の「1960年代」。いや、バブル経済の「1980年代」。いやいや、シリコンバレー・インターネットテクノロジーの「2000年代」と、いろんな答え方がある。お答えはだいたいこれ三分されるんですね。

今日は時間も限られているので、すぐ答えを言うと……こうなっています。1960年代に5.55パーセントの成長率を記録してから、実は過去一度も上回ることなく、着実にゼロ成長に向かって進んでいるのが今の世界なんです。「日本はアメリカに負けている」とか「追いつけ」とか未だに言っている人がいて、それはそれでわからなくはないんですけど。

この数字、7ヶ国の平均値ですからね。個別に見ていくと日本がだいたい(画面のグラフの)このへんですね。2010年代の平均で、0.5パーセントから0.6パーセントぐらい。アメリカは大体1.5パーセントぐらいなので、このあたりなんですよ。

この差。確かにこの時点で見てみれば0.5パーセントと1.5パーセントで、すごく大きな差ですけどね。50年前って、このあたり(5.55パーセント)にみんないたんですよ。ここ(5.55パーセント付近)からガーッとここ(1.06パーセント付近)にきている中で、ほにゃららミクスとかナントカ田ミクスだとか言ってますけれども(笑)、この先どういう方向になるのかは、だいたいもうわかってますよね。

インターネットが経済成長にもたらした貢献

あらためて考えてみると、神山まるごと高専はテクノロジーが大きなテーマなんですけれども、テクノロジーはどんどん発展してるんです。1960年代は、まだオフィスに電卓がない時代ですよ、みなさん。こういう時代。電話は黒電話しかない、コピーもFAXもない。文書を写す時には、全部手書きです。計算をやるんだったらそろばん、あるいは計算尺ですよね。

でもそういう時代に日本は毎年8パーセント経済成長していた。ここ20年で働き方はものすごく変わって、こんな右側のようなイケてる感じになったんですけども。イケてる感じは気分だけなんですね。だって、経済成長率0.5パーセントですから。

スマホが出てきたのが2007年かな。だからこの後半ですよね。インターネットが出てきたのが90年代。人工知能が実装されたのは2010年代ですけれども、イケてる感じは気分だけということですね。テクノロジーは先端的なものをやればすぐに経済成長したり、価値が生まれると思っている人が多いんですけど、これ、1つの宗教です。なぜ宗教かというと、エビデンスがないから。

こちらはアビジット・V・バナジーとエステル・デュフロという、2019年のノーベル経済学賞を取った2人です。彼らも、あまりにも世の中の言われ方に対して違和感があったので、こういうことを書いたんだと思うんです。ちょっと長いんですが、どういうことを書いてるかっていうと……。

『FacebookのCEOマーク・ザッカーバーグはインターネットの接続性が計り知れないプラス効果をもたらすと信じているが、そうした信念を共有する人は大勢いるらしく、多くの報告書や論文にそれが反映されている。

例えばアフリカなど新興国に特化した戦略コンサルティング会社ダルバーグが発表した報告書には「インターネットが持つ疑う余地なく膨大な力がアフリカの経済成長と社会変革に寄与することは間違いない」と書かれている。

この事実はほとんど自明なので、あれこれ証拠を挙げて読者を煩わせるまでもないと考えたのだろうか、何のデータも引用されていない。これは賢い判断だったと言うべきだろう。そんなデータは存在しないからだ。

先進国に関する限り、インターネットの出現によって新たな成長が始まったという証拠はいっさい存在しない。IMFはいかにも歯切れ悪く「インターネットがもたらした経済成長への貢献は現時点で何とも言えない」としている』

……これ、別に90年代の文言じゃないですからね。2020年に出た本です。その時点で「インターネットが経済成長にもたらした貢献は何とも言えない」と言っているんですね。

不便で課題の多かった昭和の時代

ここで考えないといけないのが、さっきの質問ですね。1990年代にインターネットが普及して、2000年代にスマートフォンが普及して、いろいろなサービスが出てきて。スマートフォンだSNSだ人工知能だ、と出てきたんですけれども、経済成長率は低下の一途をたどっていて、反転の兆しはないということですね。

ひとことで言うと、今、問題がなくなってきてしまっているんですね。昭和はものすごくたくさん問題があった時代なんですね。「三種の神器」はみなさん、聞かれたことあると思います。冷蔵庫、洗濯機、テレビです。これは三種の神器と言われるぐらいなので、誰もが欲しがったということなんです。

気持ちはわかりますよね。だって外にわざわざ洗濯しにいくわけですよ。寒い冬も、たらいに洗濯物を入れて洗濯板でゴシゴシやってたわけですよね。これを機械がやってくれますよとなったら、「お父さんあれ買ってよ」とやっぱり思いますよね(笑)。

あるいは冷蔵庫がなかった時代。今ここにいらっしゃっているみなさんで「いや、実はうち冷蔵庫ないんですよ」という方、いらっしゃったら手を挙げていただきたいんですけど……。これね、大学で授業をやって、200人ぐらい入る大教室に学生を集めてやると、たまにいるんですよ。だいたい男性なんですけれども。

「君どうやって暮らしてるの?」って言うと、だいたい答えは同じなんです。「アパートの2階に暮らしていて、1階がコンビニなんです」という答えなんですね(笑)。だから1階のコンビニが冷蔵庫代わりになっている。

これ(スライドの)グラフがちょっと細かいんですが、見ていただきましょう。

このあいだ東京オリンピックが終わりましたが、前回の東京オリンピックは1964年ですよね。1964年の時を見てみると、例えば電気冷蔵庫の普及率は20パーセントなんですよ。8割の家に冷蔵庫がないんです。今みなさん、冷蔵庫のない暮らしなんて想像できないでしょう。

機械がないということは、逆に言うとほかのインフラがちゃんとあった。昔は、町というか、1区画に氷屋さんが必ずあったんですよね。その氷屋さんが氷を配って歩いて、冷蔵庫の中に氷を入れて食べ物を冷やしていたんです。要するに、私たちが今やっているキャンプですよ(笑)。みなさんもキャンプに行く時に、コンビニエンスストアに寄って氷買って冷やしていると思うんですけど、あれを毎日やっているわけですよね。

まさにキャンプだなと思うのが、お風呂もね。当時は風呂釜がありませんから、冬に外で雨が降っているような時も、薪をくべて火を焚いてるわけです。僕もギリギリ、五右衛門風呂の経験があります。田舎のおじの家に行った時にどうするかというと、「ちょっとぬるくなってきたからまた焚いてくれ」とお風呂から言うと、奥さんが外に行って薪をくべるわけですよね(笑)。

「モノはいらない」、広告は「余計なお世話」の時代

この生活をしている時に「洗濯機どうですか」「冷蔵庫どうですか」「湯沸かし器どうですか」と言ったら、まぁ飛びつきますよね。それが経済を押し上げたということで、端的に言うとこれが仕事だったわけです。モノを作るだけじゃなくて、ものすごく困っている人がいたら、「あなたの困ってることを解決するものができたよ」と当然知らせてあげたいと思いますよね。逆に知らせてほしいとみんな思っている。

だから僕がずっとやっていた広告の仕事も、世の中からものすごく求められていた。みんな知りたいと思っていたわけです。でも今、みんな広告をスキップするようになったでしょ。だから知らせてほしいと思うことが、ないんですよ。「買い替えませんか」と言われても、「余計なお世話」とみんな思っているんですね。

「もう洗濯しなくていいですよ」「氷を買う必要はありませんよ」「薪をくべてお風呂を焚く必要はありませんよ」と、次から次に自分の困りごとの解決を企業がやってくれるので。作る仕事も大事だし、知らせる仕事も大事だし、作るために設備投資するためのお金を用意する、金融の仕組みも大事だし。ありとあらゆる仕事が価値を持つわけですよね。

それをずっとやってきた結果どういう社会がやってきたかというと、(スライドの)これです。

僕が言う「高原社会」ですけれども、細かいデータは色々書いてありますが、一番左側だけ見てください。「個人生活物質面での満足度」、これはNHKのデータですけど、80パーセントなんですね。ですから1割、2割の人を除いては、「もうモノはいらない」という世の中がやってきたわけですよね。

「モノはいらない」という世の中がやってきた時に、じゃあ仕事はどういうものに変わっていくのか、ということです。これをこれから先、特に若い子どもたち、あるいはそれを育てている親の立場の人たちが考えていかなければいけないことだと思います。

仕事の「ブルシット化」を招いた要因

これ(次のスライド)は、松下幸之助が会社を作る時に立てたマニフェストです。どういうことを言って彼は松下電器を作ったかというと……。

『生産者の使命は貴重な生活物資を、水道の水のごとく無尽蔵たらしめることである。いかに貴重なるものでも量を多くして、無代に等しい価格をもって提供することにある。かくしてこそ、貧は除かれていく。貧から生ずるあらゆる悩みは除かれていく。生活の煩悶も極度に縮小されていく。物資を中心とした楽園に、宗教の力による精神的安心が加わって人生は完成する。ここだ、われわれの真の経営は』

……ということです。物質的満足度が8割を超えてしまった今、このマニフェストは無効化されていると思うんですね。

経営はすごく不思議なんです。今「パーパス」とか「ミッション」と言われて、盛んに議論されている。パーパスとかミッションは、立てる以上「達成することを求めるもの」ですよね。で、達成したらお祝いするべきもの、喜ぶべきものですよね。

明らかに達成したんですよ。達成したので、通常は達成するために何らかの組織が作られると、解散しますよね。「誕生日会をやるために企画のチーム考えました」とか「祝勝会のチーム作りました」とか「企画のメンバー集めました」とやると、仕事が終わると解散するんですけれども。

これだけ世界中でパーパスとかミッションとか言われているのに、「パーパスを達成したので解散することにしました」とか「ミッションを達成したので華々しく散ることになりました」という話は、聞いたことないでしょう。全世界に何千万という会社があるのに、なんでそういうことが起こらないのか不思議ですよね。

だから会社はものすごく、アクセルとブレーキを両方思いっきり踏んでいるような存在です。達成しそうな状況になるといらぬ混乱を作り出して、「いやいや、まだ達成してない」とやって、それがどんどん仕事の「ブルシット化」を招いてる状態だと思います。ですから本当に優れた問題を見つけてこないと、仕事がものすごく意味のないものになってしまう。そういう時代を生きていると思うんですね。