北欧デンマークで、「変化」「向上」をストレスに感じる人が増えている

田村洋一氏(以下、田村):みなさん、お集まりくださってありがとうございます。今日は3月9日に出た『地に足をつけて生きろ! 加速文化の重圧に対抗する7つの方法』の著者で、気鋭のデンマーク人心理学者、スヴェン・ブリンクマン教授が来てくれました。

始まる前に話していたのですが、息子さんが16歳で、今年日本に留学しようと計画中だそうです。直前に「話声が聞こえるな」と思っていたら、日本語での自己紹介を息子さんに聞いていたとのこと。直前に聞いていたという(笑)。息子さんは独学で日本語を勉強しているということです。

5年前に、ブリンクマン教授が学会で初めて日本に来て、その印象を家に帰って話したところ息子さんが日本や日本文化に興味を持って、日本語の勉強を始めたということでした。

さて、今日のトピックはこの本です。3月9日に出たばかりなのですが、あちこちで評判のようです。それでは、よろしくお願いします。

スヴェン・ブリンクマン氏(以下、ブリンクマン):洋一さん、ありがとうございます。みなさんもありがとうございます。よくお越しいただきました。

まずはこの本を出版してくださったみなさんにとても感謝しています。翻訳を出版してくださった田村洋一さん、そして関わってくださったみなさん、全員に感謝します。この本はすでに20ヶ国で翻訳されましたが、日本の出版社が日本語に訳してくれるのをずっと待っていました。日本は私の最も好きな国の1つだからです。

日本は美しい国で、もちろん住んでいる人々も素敵ですが、それだけではありません。日本は私の母国のデンマークと、いろいろ似ているところがあるんです。どちらの国も、裕福で、福祉体系がしっかりしていて、あまり貧富の差がない。

しかしそんなデンマークでも、ある意味で精神的な病のエピデミックが起きていて、それが蔓延している状態なんです。多くの人がストレスや燃え尽き症候群、うつ病、不安症候群を抱えています。

私は心理学の教授を職としているので、このことに興味があります。なぜこんなにも多くの人が精神的な病を抱えているのか。その理由の一部は、今の社会の仕組みにあると思います。今の社会は人々に対して、常に変化し、順応的で、機動的であることを強いています。これは学校でも、職場でも、そしてさまざまな場でも言えることです。私たちは、常に自己を最適化し、向上し続けなければならない状況にあります。

自己向上ではなく、立ち止まる

ブリンクマン:この社会的傾向は一部の人にとっては、非常に興味深く、いろんな学習の機会を与えてくれるものです。しかし多くの人は、これにストレスを感じて、うつ(病)的な状態になってしまいます。そのため、人々が常に変化して順応できるように、たくさんのセラピストや専門家、コーチ(がいて)、自己啓発書がたくさん出ているんです。

でも、もしその問題解決方法が「絶え間ない自己向上」ではなく、「立ち止まること」にあったとしたらどうでしょうか? 立ち止まって、休憩をとって、自分にフォーカスすること。これからは、自己向上して変化するための自己啓発書ではなく、「立ち止まって、しっかり自分で地に足をつける」といった本が必要だと思います。

そのために、私は『地に足をつけて生きろ!』という本を書いたのです。これは、世の中にあふれる自己啓発書とは違う。「自分を変えることなく、ずっと同じでいること」を助けるための本です。

よくある自己啓発書のパロディとして、ユーモアを持って書きました。読者が「自分自身の人生をどう生きているか」ということを考える機会となる本です。ユーモアを交えて書いていますが、メッセージは非常に真面目なものです。自分にコミットして、そして最終的には幸せな人生を生きるための本です。

私は心理学の教授として自己啓発書を読み、その教えるところを全部ひっくり返した本を書いたのです。伝統的な自己啓発の本は、ポジティブなほうにフォーカスするように教えていますが、私はあえて「ネガティブなほうにフォーカスしてください」と伝えているんですね。

そして、通常の自己啓発書は「未来にフォーカスしろ」と説きますが、私の本は「過去にこだわれ」と書いています。また通常、こうした本は「イエス」と言うように諭しますが、私は「ノー」、「断れ」と書きました。もちろん、人間は「イエス」と「ノー」の両方を言うべきだと私は思っています。また、人間は「未来」と「過去」、「ポジティブ」と「ネガティブ」の両方にフォーカスできるようになるべきです。

考え方をあらためるべき、2つの理由

ブリンクマン:人間として良い生き方をするために、学習し直す必要があります。過去を見つめ、批評して、ノーと断ることを身に着けるべきなんです。それには少なくとも2つの理由があります。1つ目は、この加速文化の社会で精神衛生を保つためです。先ほど言ったように、こうした社会のせいで多くの人々はストレス状態やうつ状態に陥っています。

そして、もう1つの理由は倫理的なものです。私たちは、他人のためにも「同じ自分」を保たなければなりません。人間の生活には約束とコミットに基づいた生き方が必要だからです。例えば、今日私はこのオンラインイベントに出演することを、翻訳者や出版チームの方々に約束しました。

でも、そこで「自己向上」や「自己改善」を理由に、「あの時とは別のバージョンの自分になったから、これには出ないよ」と言ったらどうなるでしょうか? もちろん、私はそんなことはしません。ここに来る義務があるし、楽しいし、何より「この場に出演すると約束した」からです。

この約束がきちんと成就するためには、数ヶ月前に「約束をした自分」と、「今の自分」が同一の人間である必要があります。これを哲学者は「自己恒常性」あるいは「自己一貫性」と呼んでいます。つまり時間が経っても、状況が変わっても「同じである」ということ。「同じ自分が、約束を守る」ということは、倫理的な人生を生きる上で、非常に大事なことです。

柔軟性と進歩を求める、現代的な生き方への「解毒剤」

ブリンクマン:私の本はある意味、そんなにオリジナリティがあるものではないんです。古代ストア派の哲学者の知恵を借りているからです。心理療法やライフコーチング、自己啓発の本ができる前に、人々の生き方を助けるための本がすでにあったんですね。

ストア派はまずギリシャで始まり、ローマにも続きました。その哲学者たちが、倫理的な生き方をするためのいろいろな知恵を、人々に授けたのです。そうしたストア派の哲学者のひらめきを基に、私はある解毒剤を考案しました。これは「常に柔軟であれ」「常に進歩し続けろ」という現代的な生き方への解毒剤です。

ストア派の哲学者が、今も私たちにひらめきを与える例を1つ挙げましょう。例えば、今人々に人気があるのは「ポジティブ・ビジュアリゼーション」という方法です。起きてほしいことをイメージして、実現させようというものですね。

こうしてポジティブにイメージすると、それが実現しなかった時は失望する可能性が高い。ですから、ストア派の人々はその代わりに「ネガティブ・ビジュアリゼーション」というものを考案しました。つまりすでに持っているもの、例えば家、車、人間関係が一時的なものだとイメージして、それを失うかもしれないということです。

気が滅入るような話かもしれませんが、それも人生の一部です。「いつ失うのかわからない」と思うことで、今あるものに感謝することができる。そうすれば、今後起きることに対して心の準備もできるかもしれません。ですから本当に大事なもの、例えば「倫理的な義務」などに基づいて、しっかりと「地に足をつけて立つ」という方向性が必要です。

今はストア派を挙げましたが、これは生き方に対する考え方の、1つの提案にすぎません。他にもいろんな宗教や考え方があります。しかし、より良い人間として、より良い人生を生き、いろいろな約束を守るためには、やはりしっかりとした下地が必要で、そこに足をつけて生きなければなりません。ありがとうございました。

「もっともっと得よう」ではなく、「今あるものに感謝しよう」

田村:ここからいろいろ聞いていきたいと思います。本の内容のエッセンスを、非常に簡潔に、明快に伝えてくれたと思います。本を読んだ方は、内容のもっと詳しいことについても、ぜひ気軽にチャットでご質問ください。本を読んでいない方も、今のお話を聞いて疑問に思ったことや、聞きたいことをぜひ書いてください。質問でもいいし、感想やコメントでも大丈夫です。

私も聞きたいことがいろいろあります。私はこの本を、4~5年前に英語訳のもので読んで、「これはおもしろい本だ」と思いました。そして日本語訳のものを出すことになり、去年私が翻訳しました。当然翻訳するにあたって、再度じっくりと読んだんですね。一読者としてざっと読んだ時と違って、「こんなことまで書いてあったんだ」と感心することがありました。それらについても、いくつか聞いていきたいと思います。

その前にちょっと聞いてみたいのは、「ブリンクマン教授がデンマークの人である」ということです。デンマークに生を受けて、デンマークで育って、デンマークで仕事をする人であるということ。デンマークの文化と、ブリンクマン教授が話していることはどのくらい関係があるのでしょうか?

ブリンクマン:私がデンマーク人であるということは非常に重要な要素だと思います。私の書いた本は、アメリカ文化の自己啓発書とは真逆のことを書いています。コーチング系の本や自己最適化系の本の大きな波は、アメリカから、デンマークや日本に入ってきていると思います。

私やストア派の考え方は、もっとリアリズムに基づいています。そして、より謙虚なものです。人生の考え方として、「もっともっと得よう」ではなく、「今あるものに感謝しよう」という姿勢だからです。

デンマークの文化には、ハンス・クリスチャン・アンデルセンという詩人がいます。みなさんご存知かもしれませんが、彼は詩人であり、童話作家です。そして、彼はあまり多くを求めないことの重要性について説いているのです。

田村:なるほど。とてもよくわかりました。デンマーク文化と非常に対照的なものとして、アメリカ文化がある。そしてデンマーク文化のほうが、より現実的で地に足がついているということですね。

自己実現は人々を自由にするものではなく、「新たな罠」

田村:ここで議論するつもりはないのですが、一方で私たちはアメリカの文化を享受しているところもあります。アメリカンドリームというのでしょうか。とにかくどんどん新しいものを作り出すことによって、社会や経済が成長していく。私たちはその恩恵も大いに受けていると思いますが、これについてどう思われますか?

ブリンクマン:良いポイントを突いていると思います。私自身もアメリカンドリームを少し称賛する部分がありますし、一生懸命努力することは良いことだと思います。しかし、現実的には、アメリカでアメリカンドリームを達成することはほとんど不可能なんですね。アメリカは非常に不平等な国です。お金持ちは非常にお金持ちですが、個人主義のせいで貧富の差があり、貧しい人が夢を叶えることはとても困難です。

逆説的な話ですが、デンマークこそがアメリカンドリームを達成できる国なんですね。例えば、デンマークには日本にルーツを持つフランシス・フクヤマという政治学者がいます。彼はデンマークに来ることについて、「アメリカよりも、平等な機会がデンマークにはある」と書いています。

アメリカのような個人主義者が少なく、コミュニティに根ざした人が多いほど、国民全員にとってより良い国であると言えます。そして、デンマークはそういう国の1つです。

「アメリカンドリーム」と「自己実現」「自己最適化」について補足すると、これは歴史的には20世紀半ばから始まったことなんですね。1950年代、1960年代、1970年代に、伝統的な社会のあり方に抵抗して、自己実現をしたいという人々が現れました。これは世界中で起きたことです。1968年にはヨーロッパやアメリカ、アジアで若者による抵抗運動が起きました。

しかし今は状況が変わりました。自己実現や自己開発は、もはや人々を自由にするものではなく「新たな罠」だと言えます。こうした考えが、また別の方法で人々を抑圧しているのです。

昔はこういった運動は、システムや社会に抵抗するためのものでしたが、もはやそうではありません。今は逆に、この傾向がシステムの中にすでに組み込まれているんですね。現代の経済は、市民がもっと消費すること、もっと生産すること、もっと仕事すること、そしてもっと自己成長することに依存しています。

これは私の見解ですが、だからいろいろな自己啓発書や、ライフコーチの本は、しきりに「もっともっと達成しろ」と説いているのだと思います。ですが、これはまったく進歩的でなく、役にも立たず、むしろその真逆だと言えます。