学生への信頼があるから、ゼミの内容も毎年変える

竹内:別の質問に行きたいと思います。『情報生産者になってみた』の19ページの坂爪くんが書いたところに、上野ゼミの学部ゼミ指定文献が書かれています。この中に、「何年も残っている文献はありますか?」という質問です。これは上野さんに対する質問だと思うんですが、学部ゼミの文献は変わっていますか?

『情報生産者になってみた ――上野千鶴子に極意を学ぶ 』(ちくま新書)

上野:基本一度使った文献は二度使わないというのが、私のポリシーだったので毎年全部変わりました。まったく何の意味もない単なる私の美意識なんですけど(笑)。

竹内:残らない、残るとかじゃなくて、変えたい。

上野:同じことを10年やったら教師が飽きるんです。

竹内:(笑)。ルーティンになってきますよね。

上野:お客さんは変わるけどね。やっぱり自分も新しいことがしたい。

開沼:そう聞くと、学生への信頼があるんだなと思います。「変える」って薄っぺらいものに変えていくことの逆でしょうから、最新のものやよりレベルの高いものを取り込むことを自分の中でやらないといけないし、いい信頼関係があったんだろうなと思います。たぶん今は、なかなかその前提がないんじゃないかな。

授業の「仕込み」の大変さ

上野:信頼関係だけじゃなくて、東京大学は特別なところかもしれませんが、学部・大学院含めて5年も10年も在籍している人がいるんですよ。

そうすると、その人に去年と同じことやっていると思われたくない(笑)、これがプレッシャーになりましたね。5年いる人に毎年ちゃんと「違うことを言っている」と思ってもらいたいというのもありましたね。

大滝:毎年テーマが変わると、先生の(最新の)研究にもちょっとつながったりして、先生と一緒に学んでいるみたいな、ちょっとしたうれしさを感じていたのを、今思い出しました。

竹内:学部ゼミというよりは、上野ゼミの大学院のゼミのやり方を真似しているんですけど、僕は毎年ゼミのテーマを変えるんですね。来年度は移動の社会学ですけど、去年は多文化共生社会だった。それを変えていくほうが、安住しないという意味でも。自分の健康にも精神的な衛生にもいいんだろうなとずっと思っています。確かに仕込みは……。

上野:仕込みは大変でしたよ。毎年授業準備には、ものすごい時間とエネルギーを取られました。

竹内:(笑)。仕込みは大変ですよ。だって1年分のリーディングリストやアサインメントを作るのって、論文の先行研究をまとめるみたいなことと一緒だと思うんですよね、

上野:あのリーディングリストは、そのまんま論文の参考文献目録に転用できるからね。

竹内:そうです。

上野:学生さんが知っている論文に、私の知らない論文が出てくることもあるわけだから、そこはいつもキャッチアップしなきゃいけないし。

研究者はアーティストではなくアルチザン(職人)

竹内:他には、「この本の中で、上野ゼミについてアルチザンとか保健室というメタファーが用いられていますが、どのような研究室だったのでしょうか。男子学生の位置付けであったり、生存した人と生存しなかった人を分けたのは何だったのでしょうか」という質問があります。

上野:生存率は高かったんじゃない? 私の目から見ると上野ゼミにエントリーしてきた人たちは「厳しいゼミ」と聞いて、すでにセルフスクリーニングをしていて、へこたれない人たちが来ていたから。脱落した人はそんなに記憶にないな。

竹内:でも、上野ゼミに何回か来たけど来れなくなったとか(笑)、来なくなったという人の話は聞いたことがありますね。

上野:ああ、いたかも。

竹内:それはどこのゼミでもいると言えば、いると思うんですけど。

上野:あと前半は何でしたっけ?

竹内:アルチザンとか保健室というメタファーが用いられているという話ですね。

上野:男子も女子も来ましたよ。保健室は関係ありません。

竹内:ないですね。

上野:私は基本、研究者はアーティストではなくてアルチザン(職人)だと考えているので、職人としての技を身に着けてくださいと思っています。

上野ゼミが「東大の保健室」と呼ばれる理由

上野:保健室と言われるのは、メンヘラー(メンタルヘルスに問題のある人)の割合が高かったからです。

竹内:(笑)。

大滝:(笑)。

上野:それにお友だちがいない系。

大滝:(笑)。

竹内:僕はそれも受け継いだ気がしますね。「先生はメンヘラ製造機ですか?」と言われるので(笑)。そういう匂いを放っているんでしょうね。

上野:それは安心感があるからでしょう。

大滝:蓋を開けたら、私のゼミもそういう人が多かったんですよ。ゼミ飲みしたらみんな泣くみたいなことがあって(笑)。そうか。そこも受け継いでいたのか。

竹内:これは個別の話ですが、「『情報生産者になってみた』で開沼先生に対して厳しさが見えますが、上野先生のご経験から来るものでしょうか。古市さんの話も随所に見られますが、何か関係があるのでしょうか」という質問もあります。これは開沼さんのところですが、質問としては上野さんに対してという感じですかね。

上野:私が開沼さんに厳しい? 

竹内:(笑)。

大滝:座談会で、ですよね。「消費されるなよ」とか「なめんなよ」(笑)。

竹内:「なめんなよ」と(笑)言ってたからですよね。どうですか? 特に厳しさはないですか?(笑)。

開沼:特に(笑)。誰に対しても厳しいんじゃないでしょうか。

厳しさは期待の裏返し

上野:私はゼミでのちょっと恐ろしい経験を覚えています。ある学生さんの報告の後で、ゼミ生が「上野さん、あの発表には甘かったね。随分優しかった。あまり期待していないからじゃないの?」という噂が広まったことがあって、ズキーンとしましたね。そんなふうに空気を読まれているんだと思って。厳しいのは期待の裏返しです。

開沼:でも、若さなのか、東大に来たばっかりという新鮮さの中でのことかはわからないけど、遥(洋子)さんが誇張して書いていない限り『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』の時のほうが緊張感があったというのは確実だと思います。

でもそれはよく聞く話で、やっぱりアラフォーぐらいは死ぬほど厳しくて、50歳を超えてくると甘くなるみたいな。それは他の先生でも聞く話ですけど、時期によって甘い、甘くないというのはご自身ではどう振り返りますか(笑)。

上野:年齢効果はあるよね。若い時は学生さんと比較的年齢が近いということもあるけど、それだけでなく、東大生に対する期待値が高かったかも。自分がものすごくひねくれた京大生だったから、学生ってそんなもんだと思っていた。ところが、「え、何? この素直さは。偏差値が高いだけの普通の子じゃん」と思ったという。だから、東大生に対する認識が変わっていったということはあります。

元優等生の教員が、自分自身にかけている“呪縛”

竹内:これは小学校の先生と思われる方からの質問というか感想ですが、「学校に持ってくる持ち物を、ペン1本から教師が決めてしまう」と。「教師が外に開いていないし、学び方を知らない。学びを継続していないために、時代に合わせた教育を考えようとしない。当たり前を疑うことがなかなかできないことに危機感を持っています」というコメントです。

上野:おお、素晴らしい危機感です。持ち物検査なんて馬鹿げたことをやる必要はないですよ。ブラック校則ですね。この方は、スカート丈を測ったり前髪を物差しで測ったりするなんてことをやらされたんでしょう。

教師が自由じゃないところで子どもが自由であるわけがない。最近、高校の先生や中学の先生の集まりに呼ばれることが増えたので、先生たちが自由じゃないっていうのはすごく感じますね。そんな先生たちが自由じゃない学校に、自分の子どもを送りたくないですよね。セッチが深く頷いているね。

大滝:上の子がもうすぐ受験なんですよね(笑)。すごくいろいろ考えちゃいます。

竹内:でも、自分たち自身に対する教員の呪縛もあると思うんですよね。呪縛もあるしそういう環境に置かれてしまっているという。変えたいという人もいるけど、中にいると変えにくいところもあるのかなと思います。

上野:八つ当たり気味に言うと、教師自身が元優等生ですからね。忖度して大人になってきた人たちが教師になって、また忖度する子どもを育てるという再生産サイクルを作ったのは文科省(文部科学省)だから。教員免許がなくても、教壇に立てるのは大学だけ。ここにいる人たちで、教員免許持っている人って……。

竹内:僕は教育学部なので、持っているんですよね。

上野:本当は開沼も私も、教壇なんか立てた身分じゃないんだよ。(笑)

「異論」を封じ込めたら、学問は成り立たない

竹内:僕の問題意識は、大学の教員にも教員免許に近いものがあったほうがいいのか、ということです。でもそれをやると、たぶん今の高校までみたいに標準化されてみんなが同じことをやり始めるということになっちゃうんですよ。

上野:高校までに受けてきた教育と、大学で要求されることのギャップが大きすぎる。日本学術会議は去年政権にひどい目に遭わされたせいで学者が連帯しましたが、学者ってもともと仲が良くないのよ。だって異論を立てることが学者の仕事だから。

相手の人格を否定せずにちゃんと批判するということをやってきたのが学者だから、異論を封じ込めたら学問なんか成り立たない。それまでそういう教育を受けて来なかった子どもたちが大学に来て、何をしていいかわかんないボクちゃん状態なのは、無理もないよね。

竹内:まだ質問はあるんですが、そろそろクロージングの時間なので、1人30秒から1分くらいで何か言い残したことやメッセージを(笑)。開沼さんから行きますか?

情報発信しない自分は、情報社会にいないも同然?

開沼:事前質問で「情報発信しない自分は情報社会にいないも同然」うんぬんと言ってくださった方がいて、とてもおもしろい問いだなと思いました。つまり『情報生産者になってみた』という本が、「情報生産者にみんなならねばならぬ」「なってみたってすごいでしょ」とある種の圧を与えているんじゃないかという話は、いい意味で焦点をずらして脱臼させてくれる問いだなと思いました。

でも、そうなんですよね。みんなSNSで情報発信をしまくって、それが生産しているように見えるこの現実と、ゼミで溜め込んで溜め込んで、発信もなかなかできないというか、そもそも発信以前に言葉にできないもどかしさを感じる空間というのが、今の時代と対照した時にとてもぜいたくだったんだなと思ったところです。

勝手に個人的にこの問いに答えるなら、情報発信をしなくたっていいし、でも学ぶ中でいろいろ自分の中で整理できることがあるんじゃないかなと思いました。とりあえず以上です。

竹内:大滝さんはいかがですか?

大滝:私もこの質問を読んだ時にすごくドキンとして。上野先生だったら何て答えるんだろうと思ったんですよね。それを聞く時間はありますか?

竹内:はい。じゃあ最後にそれに答えていただきましょうか。ちょっと読み上げていただけますか?

大滝:「情報発信をしない自分は、情報世界にいないも同然と感じる。しかし発信すべきこともしたいこともない。たまに言いたいことを思いついても、喉詰まりしたようにうまく出てこない。自分の中の発信のバネが貧弱で中身が空だと感じる時、まず何から手を付けるべきなのでしょうか?」というご質問です。

竹内:ありがとうございます。

しゃべりたくない人はしゃべらなくていい

上野:大滝さんからどうぞ。

大滝:え!? 先生の答えが聞きたかった(笑)。

竹内:(笑)。

大滝:私は最初のところの「『情報発信をしない自分は、情報社会にいないも同然』ではありません」と言いたかったです。まずこの前提が本当にそうかを考えてみてもいいと思うし、もう1つは、情報発信の仕方って、この本だと「物を書く」というところに焦点があたりがちだけど、それだけじゃないと思うんですよね。

もしかしたら自分に合った違う方法、表現方法があるかもしれないし、何かを表現したいという気持ちがあるなら、それは大切にしたらいいと思うし、SNSで発信しなきゃとか、そういうふうに思い込まなくてもいいんじゃないかなって思います。

竹内:今の話に1個だけ付け加えて僕の話として、最後に上野さんにコメントしてもらいたいんですけど。『情報生産者になってみた』の中で、上野さんも坂爪くんも「存在する限りしゃべれ」みたいなことを書いていると思うんですけど、僕は自分のゼミ生には、「絶対しゃべれ」とは言わないようにしています。「しゃべりたくない人はしゃべらなくてもいいですよ」と言っているんですね。そこは上野さんと変えたところで。

「しゃべりたくないこともあるよね」というのが許容なのか、それは教育していないということなのか、ちょっと難しいんだけど。でも僕は、それ以上に自由を大切にしたいと思って、今教えています。「存在する限りしゃべれ」と言ったほうが格好いいんだけど、お茶を濁しているだけなのかもしれないけど、僕は「しゃべりたくない時はあるよね」と向き合っている現実があります。ということで上野さん。

上野:それは、竹内ゼミが自助グループ機能を持っているからよ。私にとって授業はきっちり始まってきっちり終わる、公開のアゴーン(闘技場)でした。闘技場に登場したらプレーヤーになれ。その覚悟で出てこいということだから。

身につけるべきは「違和感」を言語化するスキル

上野:今の質問だけど、3人がこうやって全員反応するほど、この質問自体が強烈な情報発信でしたね(笑)。違和感という名前の情報発信。情報のネタって違和感ですからね。この人は内にも外にも違和感を持っているわけだから、その違和感、言葉に詰まるものを何とか言語化するような、そういうスキルを身に付けてもらったらいいんじゃないかな。

最後にもしメッセージと言うなら、私ははっきり言って、今の日本の高等教育にもものすごい危機感を持っています。こういうかたちで周囲に同調して忖度して、ありものの答えだけを出していくような人材を育てていたら日本の将来はない。今の日本の高等教育が、21世紀型の人材を育てているとは思えません。

一部の大学関係者は努力しておられるけど、大学というシステム全体、あるいはカリキュラムの全体がそれと連動して、総合的に変化しているとは思えない。そういう意味では、日本の大学全体の国際ランキングが下がっているという現実は否定できない。私は幸いなことに引退した元教師ですから、今、大学を担っている現役のみなさん方が、責任を感じていただきたいと思っております。

竹内:ありがとうございました。次につながるような感じのエンドなので、今日はこれでお開きにしたいと思います。お三方もありがとうございました。