『ロッキング・オン』に投稿掲載の選考基準はなかった

長﨑励朗氏(以下、長﨑):他に何か質問はありますか?

司会者:貴重な機会ですので、どしどしご質問いただければと思います。

長﨑:質問が来るまでのつなぎでいうと、社会学の先生が「ひねらないとダメ」って言うのはたぶん、そのまま扱ってもどうしようもないから、すごく特異な対象に絞るとかを意味しているのかな。

あと、昔僕のゼミでアイドルを研究した子で、「オタ卒」の研究した子がいましたね。オタクを卒業しても友情は続くのか。ジャニオタの研究をしてたんですけど、オタ卒するとほとんどのつながりがなくなるという結論でした(笑)。そういう風にちょっと角度をつけると面白い研究になるのかなと思います。

司会者:匿名の方が質問してくださいました。読めますでしょうか?

長﨑:読みます。「好きなロックバンドで研究する予定です。UnisonSquareGardenです」。なるほど、今風やな(笑)。では次の方。

「投稿を選んでいたとおっしゃっていましたが、その選考基準を教えてもらえませんか? 言語化できない何かかもしれませんが、何がロキノン的とか。音楽のことはあまりわからず、入学した大学の図書館で初めて『ロッキング・オン』を手に取った人間です」。これは明らかに橘川さんに当てた質問ですね。どんな基準だったんですか?

橘川幸夫氏(以下、橘川):基準? 基準はないですね。

長﨑:えっ!(笑)。

橘川:そういうガイドラインもなくて。1970年代は僕と渋谷で選んでたのね。もう2人が、まったく違うんですよ。僕はオリジナリティがあって「なんかコイツいい奴だな」「いい感じだな」って思うところを探すんだよ。渋谷はダメなところ探すんだよ。「コイツわかってねえ」とか「ここがダメだ」とか「この文章はダメだ」とかね。

長﨑:(笑)。渋谷っていうのは、渋谷陽一さんですね、『ロッキング・オン』の創刊者です。

橘川:渋谷はあくまで商品として完成度を見るんだけど、俺は可能性。「コイツのこの部分おもしろいよ」とか、そういう選び方をしていて。まあ最終的には渋谷が選ぶんだけど、俺が推薦するのはなんだかよくわかんないような原稿ばっかりでしたね(笑)。

まあ基準を作ったって、合わないわけでさ。基準どおり書いたから載るかっていったら、載らないんですよね。基本的に文章って、書いた人のエネルギーなんだよね。エネルギーが伝わるか伝わらないか。本気で書いてるか、本気で人に伝えたいか。非常にあいまいな言い方だけど、そのエネルギーを感じたら「いいな」と思う。感じなかったら「うわの空な原稿だな」と思うんだよな。

「ロックは死んだ」と言われるうちは、ロックが生きている証拠

長﨑:その話を補足すると、最近よくあるなと思っているのが、「エビデンス」とかそういう言葉にやたら振り回されている。でも、「なんとなくこうするんだ」ってよくありますよね。人間としての直感的な処理というか、僕もそれが大事なんじゃないかなと思うんですよね。

必ず根拠を求められるし、その思考法が大事な時もあるんですけど。「だいたい」な時だってありますよね(笑)。

橘川:音楽は本来、良い悪いの基準がないわけだよ。たまたま聴いて「すげー」と思う。みんなが言っているからすごいわけじゃない。本人の、言ってみれば感性の問題だからさ。特にロックやるんだったらね。僕はそう思います。

長﨑:なるほど。今ロックの話が出たので、もう1個。むちゃくちゃシンプルな「ロックは死んだのでしょうか?」という問い(笑)。これおもしろいな。

橘川:それはあなたが決めることですね。生きるも死ぬも、ロックはナマモノですからね。その人が殺したら死にますよ。俺はぜんぜん死んでないと思うから、未だに探してます。最近ね、Twitterのおかげなんだけど、16歳の女の子のアルバムにはまっちゃったわけですよ。YouTube見たら、再生回数10回ですよ。誰も知らないじゃん。だけど、良い音楽は俺にとって良い音楽なんだよね。

長﨑:僕が思うのは、「ロックは死んだのでしょうか?」という質問はあるけど、例えば「クラシックは死んだ」という言葉は言わないんですよね。「ジャズは死んだ」もあんまり僕は聞いたことがない。「ロックは死んだ」という言葉が言われる間は、ロックは死んでないんじゃないかと思います。

橘川:「1970年代ロックは死んだか」ってことでしょ。

長﨑:確かにそうかもしれない。

橘川:まあ死んだロックもいっぱいあるけど、生まれてくるロックもあるから。

長﨑:コメントで「クラシックが死んだはおもしろい」(笑)。

橘川:いろんな神も死ぬんだから。

長﨑:「何々が死んだ」と言う時は、それがまだみんなの頭の中で生きているんですよね。そのイメージがある程度明確にあるんです。

橘川:死にそうだ、死にぞこないだっていう(笑)。

長﨑:そのとおりなんです。だから僕は「ロックが死んだ」という表現は、ロックが生きてる証拠なのかなって思いますね。こんな答えでいいんでしょうか(笑)。

その時代の一番良いところを楽しむのがロック

長﨑:次、チャットを読み上げます。

「ストリーミング配信の音楽を聴くことが主流になりつつありますが、そのために特定の好きなグループなどの名前が記憶されにくくなるなど言われています。自分はとんでもない世界の中の田舎のミュージシャンの曲などが聴けてうれしいのですが、ストリーミング配信の音楽が普及してきたことについて、お考えが聞けたらうれしいです」。どうですか?

橘川:昔のレコードの時代からCDになっていったけど、やっぱりレコードの時代はジャケットとか「物の価値」があってね。所有感があった。それが廃止になっちゃうと、まったく所有感がない。逆に昔捨てたレコードがストリーミングでまだ聴けるとか、そういう新しい発見もあってね。

どっちが良いとか悪いとかじゃなくて、今はSpotifyの時代だからね。俺なんて、ほとんど中国のヒップホップ音楽を聴いている。昔だったら大変な労力がかかったけど、今は気軽に世界中の音楽が聴けるから、これはこれで違う環境として楽しめばいい。

その時代その時代の一番良いところを楽しむのがロックだと思うんだよな。1970年代を懐かしがって、あれが良いとか悪いじゃなくて、あの時はそれが良かったんだよね。今は今の環境の中でベストな選択をして、時代の一番最先端なところにいることが、一番おもしろいと思うよ。

時代と関係なく、付き合いたい音楽を自分で探す楽しさ

長﨑:もう1人質問者がいて、まさにそういう話をされてるんですけど。

「おもしろい話をありがとうございます。個人的な質問なのですが、最近新しいコンテンツに手を出すのがなかなか億劫になってしまいます。お二方はそういった心の障壁はありませんか。もしくはそれを克服するにはどうしたらいいでしょうか」。

橘川:みんなある意味、情報が飽和しているからね。もう誰かの推薦はダメだと思うんだよ。自分で探す気になったら、こんなに情報が膨大にある時代なんて過去にないわけで。でも、それも楽しいよな。自分で探すのは楽しいよね。誰かが「良いから」って言ってそれを探してるうちはダメだね(笑)。

長﨑:僕、ぜんぜんダメです(笑)。僕はだいたい新しい音楽は人から教えてもらうというか。

橘川:俺もそういう時はあったし、今でももちろんあるけどね。もう1つ、やっぱり「ライブの力」にますます意味があると思うんだよ。聴く音楽とライブに行く音楽はちょっと違う。一応、時代の流れとして聴いとこうみたいな音楽もあるしさ。

長﨑:ありますね。

橘川:でも、「これは時代に関係なくこの音と付き合いたい」みたいな音楽もあるよね。それは使い分けたほうがいいと思う。

長﨑:今風というか、今のものだから聴いておく、流れを抑えるために聴いておくやつと、自分にとって聴きたい音楽があると。

音楽は、時代とのマッチング

橘川:時代に関係なく付き合うっていうね。女の子好きでも、すべての人とは付き合えないわけじゃない。付き合える人は決まるわけでしょ。

長﨑:たまにご飯を食べに行くだけのお友だちみたいな音楽を探すっていうことですかね。

橘川:やっぱり音楽って、時代とのマッチングだからね。その時に聴かないと意味ない音楽があるわけ。欅坂46はデビューから終わりまで付き合ったんだけど、今聴いてもたぶん当時ほど意味ないと思うんだよな。

長﨑:なるほど。リアルタイム。

橘川:ナマモノだから。その生きた時代と付き合う感じかな。

長﨑:僕はそういう意味で、橘川さんに聞いて「ああ、そうか」って思ったことで、僕は新しい音楽が苦手で。さっき言ってたように、深い恋人みたいになるような音楽を常に探しちゃっているんです。ファンとして常に聴けるような音楽というか、自分がすごい良いって思う音楽を常に探しちゃってて。

なんとなく流れを抑えるために聴くこともあるはあるんですけど、そういうのは1回聴いたら「もういいかな」ってなっちゃうんです。

橘川:長﨑くん、「0.8秒と衝撃。」というバンドがあんのね。

長﨑:あ、この本(『欅坂を散歩して。』)の中にちらっと一瞬出てますよね。

橘川:ちらっとね。10年ぐらい前に、『ロッキング・オン』でサイトを作るということで、手伝っていたんだよ。そこでインディーズを募集して、コンテストをやったのね。『ロッキング・オン』でコンテストやれば、それなりにすごいのが集まるわけだよ。みんなすごいレベルだった。俺がそのサイトを作ってたから、そういう応募者の曲を聴いていたわけだよな。

そこに「0.8秒と衝撃。」もあったんだけど、俺にとっては、もう間違いなくすごい。でも、『ロッキング・オン』の中では落選しちゃったんだよ。それで直接連絡して「CDあったら買うから」って言って。そうしたら、会おうということになって、会ってさ。インディーズから本当はメジャーに行くはずだったんだけど、ちょっと喧嘩しちゃって、1回解散しちゃったんだよ。

俺はそいつのライブにずっと行ってたんだよ。ちょっと体壊しちゃって行けなくなってた時期もあったんだけど、まあロックなんだよね。そいつが今年、復活したらしいんだよ。新しい曲を出すらしくて、楽しみなんだよ。

感性の違いから生まれる音楽の「共有できなさ」

橘川:音楽って「自分にとっての音楽」なんだよな。世の中とか流行とかじゃなくて、それぞれ自分にとっての音楽って持ってると思う。それを探すのが、一番おもしろいんじゃないの?音楽ってなかなか、同じような意識のやつとは共有できるけど、普通共有できない。自分の感性と他人の感性は違うもん。

長﨑:そうですね。僕も「これが好きだ」っていう音楽はけっこうあって、共有したいって思っちゃうんですよね。どうしても友だちとか恋人とか、近くにいる人と共有したいと思うんですけど、今までその「共有できなさ」を経験してきたなって思います。

橘川:うちのカミさんなんかもK-POPばっかりで、俺はぜんぜん興味ないよ(笑)。BTSなんか聴かないからさ。

長﨑:この質問の「それを克服するにはどうしたらいいでしょうか」でいうと、僕は自分の周りにいる信頼する人に教えてもらったり、説明上手な友だちを持っておくとか、そういう感じかな。

例えば、音楽が趣味で好きだという奴の家に行くとどうなるかというと……僕みたいな、「共有したいマン」っていうんですかね(笑)。そういう人間はだいたい、「これが好き」「あれが好き」って言われたら、「じゃあこれもいけるんちゃう」「これもいけるんちゃう」みたいに、合うやつを探しちゃう。そういう人もたまにいるんです。

橘川:でも、音楽は非常に危険なもので、どんな音楽でも3回一生懸命聴くと好きになっちゃうんだよ。繰り返し聴いてると馴染んじゃう魔力があるんだよね。それは気をつけたほうがいいと思う(笑)。

長﨑:聴いていると好きになっちゃう。

橘川:聴いていると好きになっちゃう。体が慣れちゃう。ノイズ音楽なんて、はじめは「なんだ?」と思うけど、それを聴いてるとなんとなく気持ちが落ち着いたりするんだよ。

長﨑:わかります。最初聴いた時「なんだこれ?」って思うのに。

橘川:音楽ってそういうもんだから、あんまり人の評価とかというよりかは……。

長﨑:そっかそっか、自分で掘ったほうがいいんですかね。

音楽に出会うのに一番大切なことは「好奇心」

橘川:やっぱり音楽の一番の楽しみは「出会うこと」なんだよな。ハッと思った瞬間が、一番良いんだよね。「これは聴かなきゃいけない」と思って聴くと、それを一生懸命学習しちゃうからね。

長﨑:そうですね、確かに。買ってドキドキしながら「どんな内容やろ」って思いながら家に帰って聴くという体験、ありますよね。新しいコンテンツに手を出すのが難しかった。買って帰るまでの時間がすごく大事やったような気がします。今はもうiPadで聴けちゃうけど、買って帰るまでのあのワクワク感は大事かもしれないですね。

橘川:音楽に出会うのに一番大切なことは、好奇心だよ。それがあれば出会う。受け身じゃダメだよ。

長﨑:「好奇心」という答えしか出せないですね(笑)。

橘川:すげー無責任な感じですいません(笑)。

長﨑:いや、僕もそうやと思いますね。「これどうなん? 今わからんけど、将来わかるかな」とかね。そんな感じですかね。時間的にはもうこんなもんかな。

橘川:あれ、そうか、もう時間。

司会者:そうですね、一応お時間にはなっています(笑)。

橘川:じゃあそろそろ締めに。

司会者:大変楽しい時間でした。音楽って聴いていると「これが良くて、これがダメ」と静観しがちなんですけど、橘川さんのお話を聞いてるとすごく楽しみで、いいなって感じるお話だったと、あらためて思いました。

長﨑:正直言うと、やっぱり橘川さんはすげえなって思ったのは、この『欅坂を散歩して。』という本を見た時。僕はアイドルはあまり聴かないんですね。そもそもロックジャーナリズムから来た橘川さんが、今一番新しいアイドルを聴いてるというところが、本当にすごい。それ自体がすごいと思います。

橘川:そういう体質ですから(笑)。ミーハーなんですよ、時代ミーハーです。

長﨑:コメントで「YouTubeで月1対談してほしい」って(笑)。できることならやりたいですね。

司会者:ありがとうございました。すごく良い話もたくさん聞けて、時間があっという間に過ぎてしまいました。こちらで今回の刊行記念イベントをひとまず終われればと思います。橘川さん、長﨑先生、お二人とも大変ありがとうございました。

橘川:ありがとうございました。

長﨑:ありがとうございました。