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『偏愛的ポピュラー音楽の知識社会学』刊行記念トークイベント 「紙からウェブへ 参加型メディアのゆくえ」(全5記事)

「スティーブ・ジョブズもロックファンなんですよ」 『ロッキング・オン』創刊メンバーが語る、ロックとPCの相性

気鋭の社会学者・長﨑励朗氏の人気講義をもとにした書籍『偏愛的ポピュラー音楽の知識社会学』。同書の刊行記念トークイベントに、著者の長﨑氏と音楽投稿雑誌『ロッキング・オン』の創刊メンバー1人である橘川幸夫氏が登壇。『ロッキング・オン』の投稿者の行方やネット時代に求められる教育のかたちなどを語っています。

ロックとコンピューターの相性

橘川幸夫氏(以下、橘川):田舎と都市で言えば、都市はある意味「個人を生み出す母体」になったわけ。田舎のコミュニティの中では個人にはなれない。そこから反発したり、ドロップアウトした人が集まってるのが都市だから。田舎の共同体に対して、都市は個人というものの役割がある。その個人の組織とか、政党とか、擬似的なコミュニティに入って充足しちゃうのが、俺は嫌だった。

長﨑励朗氏(以下、長﨑):なるほど。

橘川:せっかく個人になったんだから、個人のままで新しいネットワーク型のコミュニティを作るべきだと思ったわけだよ。それはもう一期一会だから、ライブの瞬間だけの仲間でいいんだよ。終わったら解散。終わったら個人になるもの。

共同体に入るか個人になるかという選択じゃなくて、個人なんだけど、ある局面では共同体を作れるというのが、俺にとってやりたかったことだったんだよね。

長﨑:参加型メディアの目指すところはそこだったわけですね。

橘川それがさっきのボツの話だよね。それを突破できることとして、2つ考えたんだよ。1つは、ネットワークをつくって個人と個人が連絡を取れるようにする。今までは放送局とか出版社とか、多くの人に知らしめる方法が組織の構造しかなかった。それがP2P(Peer to Peer)になっていくことが希望だったわけだよね。それでパソコン通信から始めたわけ。

長﨑:なるほど。パソコン通信って今のインターネットの前身ですけど、僕がずっと『ロッキング・オン』を見てて感じたことで、例えば岩谷宏(『ロッキング・オン』の創刊メンバー)さんとかもそうなんですけど、ロック畑からパソコン畑に行く人がけっこういましたよね。あれってなんでなんですか?

橘川:ロックって、ある意味「共同体から切り離される痛み」なんですよ。個人になっていく時の痛みをシャウトしたんだよな。その痛みを持った個人をつなげるのが、実はコンピューターだったわけだよ。パソコンってある意味、「第2の自我」なんだよな。

長﨑:ほうほう、「第2の自我」。

橘川:もう1つの自分なんだよ。もう1つの自分ともう1つの自分がつながっていく。今俺が肉体だけだったらば、こういうふうにできないわけだよね。コンピューターを介してつながってるわけだよね。

長﨑:第2の自我というのは、コンピューター自体が人間に対して影響を与えるような意味なんですか?

橘川:将来ね。それがAIだよ。

スティーブ・ジョブズもロックファン

長﨑:AI。もう音楽の話から完全に逸れましたね(笑)。ちなみに、AIと参加型メディアのつながりってどういうことですか。

橘川:ロックをちゃんと分析したら、もっとおもしろいことがいっぱい出てくるんだけど。例えば、スティーブ・ジョブズもロックファンなんですよ。

長﨑:そうですね、彼はもともとヒッピーですね。

橘川:だいたいネットでなんかやった奴は、みんなロックファンだよ。日本でもね。ロックって、やっぱりエレキなんだよ。ジャズとかクラシックは肉体の延長というか、肉体を最大限使って何が表現できるかを追求するのが、それまでの音楽。

ロックは、機械やコンピューターを使って簡単に拡大・拡張する。俺らの時代にもシンセサイザーができたわけだよな。ジャズの連中たちは、はじめ「機械の音楽なんか、音楽に対する侮辱だ」って言っていたわけ。

長﨑:そうですよね。僕もそれを本で少し扱いましたけど、そういう呪縛もあったんですよね。それを橘川さんはどんどん越えていきはりますよね(笑)。

ちなみに、こんな本がありますという紹介を。これ、フラワームーブメントからパソコンにつながるという『パソコン創世「第3の神話」カウンターカルチャーが育んだ夢』。日本語版はこれですね。こういう動きがありました。

橘川:うん。『ホール・アース・カタログ』(アメリカから発行されたヒッピー向けの雑誌)のあのへんの文化もさ、コンピューターにいくわけじゃない。まずヒッピーとは、あのへんのつながりがあったんだよな。

『ロッキング・オン』の投稿者の行方

長﨑:当時の感覚としては普通だったんですか? 例えば、岩谷さんが突然コンピューターやパソコン関連の本を出して、みんながそういう方向に流れていきましたよね。僕は後追い世代として、実は当時「なんでロックやってた人がパソコンいくの?」とか、初めてヒッピーを知った時も、「ヒッピーって、森の中で暮らすんちゃうん?」とか思っていたんです(笑)。

どうしてパソコンの方向に行くのか。当時の感覚としてはぜんぜんおかしくはなかったというのが、僕からするとすごく意外だったんです。

橘川:わかんない人はわかんないと思うんだけど、岩谷宏って人がいて、言ってみれば1970年代ロックの思想的バックボーンだよな。

長﨑:そうですね。

橘川:彼の関係性の理論とか、俺もすごく影響を受けた。彼がコンピューターとかハードとか、難しくて読んでもわかんないようなコンピューターの本を持っていたんだけど(笑)。まあ、頭の良い人だからそっち側のほうにいったわけだよね。

それでマッキントッシュを軽蔑してさ。「マッキントッシュはウエストコーストの音楽みたいなもんだ」みたいにね(笑)。俺は基本的にそういうのはよくわかんなかった。俺は人と人をどうつなげるかとか、コミュニケーションしかやっていない。言ってみればコンピューターは、そのための手段なわけだよ。

人と人がどう交流して、そこからどんな新しいものが生まれるかってことが一番関心のあるところだから、岩谷さんと俺とは、同じコンピューターでもまったく違うんだと思うんだよな。

長﨑:なるほど。さらに言うと、当時『ロッキング・オン』に投稿してた人たちって、見ていると「書かずにはいられない」感のある文章ばっかりなんですよね。

橘川:内発的なエネルギー。

長﨑:『ロッキング・オン』がだんだん投稿誌から離れていきますよね。その時に、その人たちはどこへ行ったのか。どうされたんですか?

橘川:どこへ行ったかというと、人それぞれバラバラだね。ただ、1つは俺が『ポンプ』で投稿誌をやっていた。メインは中高生で、もちろん大学生もいたけど、みんなものを書くことが好きだった。

1980年代以後、いろんなフリーライターが俺んとこに取材に来るわけ。もう8割が『ロッキング・オン』の読者だよ。文章を書くのが好きだったということがあって、それが仕事に結びついた。それから、やたらと広告代理店が多かったな。メディア関係に行った人が多いと思う。あともう1つは、「2ちゃんねる」だよな。

長﨑:「2ちゃんねる」!

『ポンプ』創刊後の1980年代に花開いた「投稿文化」

橘川:『ポンプ』は1978年に創刊して、6年で潰れたのね。俺は3年間編集長をやって、3年間若い奴に任して引いたんだけど。潰れた理由はいろいろあるけど、まず始めた頃は他に投稿雑誌なんかなかったわけだよ。

僕の考えは「これから参加型社会になるから、それのプロトタイプを作ろう」と。他の雑誌は投稿のページを増やしてくれればそれでいいって思っていて、実際そうなったわけだよね。

例えば、リクルートは投稿をいっぱい採用したタウン誌を作った。俺もいろいろアドバイスしたこともあるんだけど、そうやって投稿が当たり前になっちゃった。女性誌とかもどんどん投稿を受け入れるようになってきて、1980年代はけっこう「投稿文化」が花開いたんだよね。そしたら、別に『ポンプ』だけじゃなくてももういいわけ。

それからもう1つは、メディアが発達して、アスキーネットからパソコン通信が始まるわけだよな。いろんなネットのメディアができた時に、投稿慣れしてる連中はみんな『ロッキング・オン』『ポンプ』の読者なわけだよ。知らない人に原稿書くって、普通はみんな恥ずかしいわけだよ。恥ずかしいから、慣れていなかったらできないじゃない。

長﨑:そうですね。

橘川:だけど投稿雑誌で慣れていれば、そのまんまネットができて、そこで書ける。おもしろい原稿を書けるということで、かなりの人が、俺もそうだけどパソコン通信とかニフティサーブとかにいった。ニフティのホラーものも、何人か読者の人がやっていたけどね。そういうところに流れていったんだな。

長﨑:そこで僕が思うのは、『ポンプ』とか『ロッキング・オン』とかの時は、基本的には一応編集部が掲載するかどうかを考えてたわけですよね。さっき「Twitterは1つの到達点だ」とおっしゃってたんですけど。

僕も今回、本をとりあえず出したから、評判が気になって珍しくサーチするようになったんです。Twitterって前はそんなに開かなかったんですよ。でも頻繁に開いてると、なんかゴミ溜めみたいになってるなと思って(笑)。

橘川:それはね、長﨑くんが悪いんだよ。

長﨑:(笑)。

ボトムアップ型の編集方式で感じたストレス

橘川:『ロッキング・オン』は、ロックという制限もあるし、そんなに投稿ページにいっぱいは割けないから、限定的に俺と渋谷陽一(株式会社ロッキング・オン代表取締役社長。『ロッキング・オン』の創刊メンバー)が選ぶわけだよな。将来ライターになれそうな奴を選ぶわけ。

そうじゃなくて、もっと広げようということで『ポンプ』を開いた。『ポンプ』はいろんな種類があるけど、やはり紙の限界があるから、ボツが出ちゃうわけだよな。今までのメディアは一応編集長に全部の権限があって、そのフィルターで原稿ページを作っている。言ってみれば、トップダウンの方式なわけだよ。俺がやりたかったのはボトムアップの社会だから。それでも紙では限界があるんだけど。

少なくとも、例えば長﨑くんが投稿してきて「コイツおもしろいわ」ってなったとする。旧来の編集長だったらば、「コイツに4ページ書かせろ」とか「コイツで特集やれ」とか、「こいつすごいから、これで特集やったら絶対売れるぜ」って思うわけだよ。

でも、俺はそうしなかった。矢内廣さんの『ぴあ』が感覚的に一番近かったんだけど、『ぴあ』も良い映画とか悪い映画、全部並列に並べていたわけ。

『ポンプ』も投稿が来て、そりゃ右翼もあれば左翼もあるし、ノンポリもあるわけだよ。それぞれの代表的な投稿を載せるということで、あえて選ばなかったわけ。差別をつけなかったわけ。俺自身も投稿したけど、みんなの中に1つ入ってるだけなんだよ(笑)。

でも、それをやると、編集者としてはストレスが溜まるわけだよ。「大したことないな」って思うけど、こういうのもあるんだから載せようってなる。逆に「本当はコイツにもっといっぱい書かせたいんだけど」と思うこともあるわけだよ。それで何をしたかといったら、手紙を書いた。俺は300人ぐらいと文通してたよ。

長﨑:えええ!

橘川:本当に。『ポンプ』を辞める頃には、結局600人になったかな。そのネットワークを作ったわけだよ。

長﨑:何で作られたんですか?

橘川:その当時は郵便だよな。「ロッキング・オンの会」のようなものを俺らで作った。それで一緒に仕事もしたし、マーケティングもしていたね。

Twitterは、投稿雑誌ではなく「投稿箱」

橘川:Twitterってよく『ポンプ』に例えられる。「投稿雑誌だ」ってね。でもそうじゃないんだよ。あれは『ポンプ』の投稿箱なんだよ。選んでないわけ。

長﨑:そうですね。

橘川:例えば、投稿箱から俺が選んで毎月1,000本載せますよというかたちで、読者は俺が選んだものを読んでいる。一応俺のフィルターがかかっているから、変なものは載らない。でもそのままにしたらただの投稿箱で、とんでもないのがいっぱいあるわけだよ。

Twitterはフォローする相手を選べる。だから少なくとも俺のTwitterは、実に有益なTwitterになってるよ。

長﨑:(笑)。

橘川:それも10年かけて。俺はものすごく細かくフォローしてくる奴も選んで、削除してんだよ。変なのはどんどん削除してんの。いっぱいブロックもしてますよ。

長﨑:でも、僕はそんなにフォローもしてないし、フォロワーもいない状態なんです。

橘川:だから放っとくと、どんどん他の人のいいねした投稿が流れてきちゃうから。自分と関係ない人の情報が流れてきちゃうからつまんない。丁寧にやれば、自分が欲しいものを選べるんだよ。

長﨑:なるほど。ということは今の話でいうと、『ロッキング・オン』や『ポンプ』で橘川さんが編集長としてやられてたことを、個人がやる時代になったということですよね。

橘川:たぶんね。それをAIがやるんだよ。

「知の代理人」としての、教育者の役割の終わり

長﨑:そうですね。それで僕もAIの話につながるなと思ったんです。ただ、僕がちょっと思ったのは、僕のフォローとかフォロワーとかは、知り合いしかいない状態で。大学の先生とか多いんですよ。大学の先生が多いとクズTwitterになるということかもしれないんですけど(笑)。

橘川:大学の先生って、俺もそうだけどさ(笑)。やっぱり旧来型の知識人はもうダメなんだよ。

長﨑:ですね。

橘川:だってそれは学問であってね、本当に自分が表現したいことではない。長﨑くんの本は、自分が書きたいことを書いてるわけだろ?

長﨑:そうですね。

橘川:あれは学問じゃないんだよ(笑)。

長﨑:違います(笑)。

橘川:学問は客観的な評価を求めたり、客観的なパフォーマンスが必要になってくるわけだよな。ロックじゃねえんだよ。クラシックなんだよ。

長﨑:確かに。僕も馬鹿馬鹿しいなと思っちゃって。不真面目なんですけど。

橘川:だけどこれから求められるのは、そういう大学だったり、そういう教授だったり。一般的な話はネットに全部出てるんだから、別に先生に教えてもらわなくてもわかっちゃう。その人にしか語れないこととか、その人しか教えてくれないことを聞きたいわけだよな。ネットに書いてあることを整理されても、そりゃネットに直接当たったほうがいいに決まってるじゃん。

今まで教育者とか教授は「知の代理人」だった。特に明治以後は、世界中のあらゆる知的なアーカイブを、一般大衆は拾えないわけだから、代わりに研究してもらって、そのダイジェストをわかりやすく学生に教えるという役割だった。でも今は直接のソースに誰もがたどり着けちゃうから、先生の役割が変わってきてるんだと思うんだよな。

長﨑:僕自身もそうだったし、今の学生はみんなそうじゃないかなと思うのは、学生は個人的な話をしてる時に一番聞いてくれるんですよ。

橘川:それは長﨑くんしかしゃべれないことだからなんだよ。

長﨑:そうですね。

橘川:ネットに書いてない、ネット以前の話だからさ。だから『ポンプ』で投稿募集した時に俺が言ったのは「体験と実感で書いてくれ」ということ。「知識で書いてくるな」「勉強した話を書いてくるな」「自分が体験したことと、自分が実感したことをベースに書いてほしい」と、はじめから言ってるわけね。

体験で言ったことはおもしろいわけだよ。その人が誰かに言われて言ったんじゃなくて、自分でそう感じたことがおもしろいんだよね。

長﨑:僕もそう思います。

橘川:建前とか立場で語ったのは、つまんないしうるさいよね。

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