米コダック社最後のCEO、ジョージ・フィッシャー氏の失敗

松村憲氏(以下、松村):新しく何かを始めようとする推進派と、古いものを守ろうとする保守派の間に介入した実事例がありますので、西田からお伝えしたいと思います。

西田徹氏(以下、西田):かつて優良企業であったコダックの倒産は、本国アメリカの人たちにとっても非常にショックで、倒産の原因については経営学の中で詳しく研究されています。たまたまそこに触れる機会があったので、少しご紹介します。

キーパーソンはジョージ・フィッシャー。CEOはずっと内部昇進だったコダックで、モトローラをV字回復させた実績を買われ、初めて外部から招聘されたCEOです。「デジタルマン」という異名を持つすごい人が、コダックをデジタル化してくれるという期待があったわけですが、結果は我々が知るようにフィッシャーさんはそれを実現できず、コダックは倒産したわけです。

彼自身がコダックでどのような抵抗に直面したかを語る短い動画がありますので、見ていただきたいと思います。

【動画再生】

ジョージ・フィッシャー:みなが「コダックはデジタル市場で成功するはずがない」「消費者向けのデジタル商品を過去に投入したが、悲惨なまでに失敗した』『このビジネスは儲からない。マージンが低すぎる」「デジタルには新しい競争相手がいて、我々は彼らのことをまったくわかっていない」と言いました。

個人的レベルの発言としては、「私はデジタルのことは何もわかりません」「もう30年もコダックで働き続け、今更デジタルを学びたくありません」などがありました。こういった本音はめったに聞けませんでしたが、これが究極の真実でした。

【動画終了】

西田:動画は2層構造になっています。前半は彼自身が受けた抵抗を語っていますが、これは意見や事実であって、プロセスワークではコンセンサスリアリティと呼ぶ、通常みなさんが「現実」というものです。後半では「こういった本音は滅多に聞けませんでした」と言っていましたね。「究極の真実」だと。フィッシャーさんは頭のいい人だから、この本音を聞いた時にやばいと気が付いたわけです。

「30年もコダックで働き続け、今更デジタルを学びたくありません」という本音に対して、もう少し「それはどういうことですか?」と聞くことができたら、たぶんプチッときて「すごい努力をして、銀塩フィルムで輝かしい成績を出した私の実績を否定するんですか!」といった激しい感情が出てきたと思うんです。大切な感情が出かかったことには気付いたけど、フィッシャーさんはそこまでファシリテートすることができなかった。

あとでフェーズ理論というミンデルの最新の理論をお伝えしますが、上の黒いところは意見交換ができている状態で、フェーズ理論のフェーズ1とほぼ変わらない。赤いところはフェーズの1.5。厳密には1.5はなく、フェーズ2に行きかけているところです。私が今解釈したような怒りの感情が出るのはフェーズ2ですが、フィッシャーさんはそこまで持っていくことができなかった。

つまり対立を歓迎することができないリーダーだったわけです。そういったことができるリーダーだったら、デジタル改革にみんなの力を結集することができ、もしかしたらコダックは倒産しなかったかもしれない。そんな気がしております。

社会の多様性や新しい価値観の創造につながる、「女性の本音」の実現

西田:では次、マツケンさんお願いします。

松村:コダック後期の社内の雰囲気を物語る声ですよね。ここの扱いには、組織を再生させる未来が隠されていたのだと思います。

もう1点、ジェンダーに関わる対立の話もさせてください。ジェンダー平等の実現は世界的なテーマですね。こういう構図です。通常は男性のほうに力が偏っていて、女性のジェンダー平等をもっと作ろうという取り組みが多くなります。この男女の視点の違いによる対立は、世界中どこも、1000年、2000年の歴史を感じるくらいヒートアップする傾向があります。

企業や国レベルでジェンダー・ダイバーシティの施策がいろいろと打たれていますが、もし男性志向の考え方やシステムから出た施策であれば、どこまで意味があるのかという問いが出ると思います。

対立を歓迎するということでいきますと、先ほどのジョージ・フィッシャーさんのケースでは最後に「究極の真実」が出てきましたが、その究極の真実につながる女性側の本音を聞くことが大事だと考えています。女性の本音から実現される世界にこそ、新しい可能性があるのではないかと思います。

実際にある組織で、ジェンダーにまつわる対話、対立を最近継続していますが、「女性サイドの視点からすれば」という意見がだんだん出てくるようになっています。「ただ数字を大きくしていくのって、ナンセンスじゃないですか?」「男性と女性の違いがあっていいじゃないですか」とか。

男性が優位に活躍できる場であれば男性が活躍すればいいし、例えば、「女性をターゲットとする商品開発で、意思決定者の多くが男性でいいんでしょうか」みたいな生産的な対話もあります。プロセスワークのここまでの理論で考えれば、社会の多様性や新しい価値観の創造には女性側の声が実現されていくことに未来の可能性があると言えるでしょう。

“対立を歓迎する場”を仕切るには、「陽に対して陰で応じる」

松村:ここまで、文脈のところをお話させていただきましたが、ここからは書籍のハイライト紹介ということで、西田からお話をさせていただきます。

西田:どの章も素晴らしいんですけど、ここでは3つの章をハイライトとして紹介します。まず最初は、第5章の「武道家としてのリーダー」です。実はこの本の原書は『The Leader as Martial Artist』で、直訳すると武道家としてのリーダー。まさにこの5章が原書のタイトルになっています。

私もけっこう格闘技好きですから、原書を手にフムフムと読み始めて「おお!」と思ったのは、何とここで言うMartial Artistが、我が日本の柳生宗矩(新陰流江戸柳生家の初代で、江戸初期の代表的な剣術家)や、合気道の開祖のことを言っているんですね。キックボクシングでもムエタイでもなく、日本の武道を出しているので、「この本を紹介しなきゃ」と思ったんですけれども。

その合気道に関連した起倒流柔術のところで、「相手が陽ならば陰によって勝て」と紹介しています。自分の強さを捨てて相手の強さを使って勝つ、ということですね。でも、ミンデルはかつて「陽に対して陽で応じてしまった」と。

ジェンダーに関するワークショップで、ある女性が「男性が嫌いだ。彼らは本当にうるさいから」と叫んだのを見て、ミンデルは「私も騒がしい人は男性だろうと女性だろうと嫌いです」と、ロジカルに陽に対して陽で応じてしまい、ワークショップがうまくいかなくなったという例を出しています。

ちょっと私の例をご紹介します。あるダイバーシティ&インクルージョンの女性活用ワークショップで、事務局が多少やり過ぎ感のある女性支援例を、素晴らしい事例として出した時に、それまで不満を溜めていた男性管理職のみなさんから激しい怒りがファシリテーターである私にぶつけられました。「この研修はおかしいじゃないか!」ということになりました。

陽をぶつけられて、ファシリテーターの私は簡単に言うと退出を命じたわけですね。「休憩を取るので、このワークショップに来たくない人は戻ってこなくていいですよ」と、退出を命じることで(不満をぶつけた相手と)同じようなことをやってしまい、ワークショップはうまくいきませんでした。

もし私がその前にこのミンデルの本を読んでいたら、絶対こうしたと思います。「男性の管理職のみなさんから、強いご意見が出ていますが、今心中に湧いている感情をもっと教えていただけますか?」みたいなことを言ったでしょう。

妥協するつもりはまったくないんですけれども、彼らにいったん寄り添うという、陽に対して陰で応じることができれば、最終的には女性と男性のそれぞれの本音を出し合い、両方の立場を尊重するワークショップになったんじゃないかと思っています。

相手への苛立ちが消えて関係が改善する、空っぽの椅子を使ったワーク

西田:次は、第8章の「葛藤解決の実践」です。ここもまた男性と女性が少し絡んでいますが、ある夫婦の関係がうまくいっていないということで、二人でミンデルを訪ねるという話です。女性がいきなり旦那さんの味方をして話をし始め、言いたいこと全部言い切った。薪を燃やし尽くしたことで成仏して、「もう違う立場に立ちたくなりました」と言って、中立の立場になった例が書かれています。

私はこのワークで目からコンタクトレンズが20個ぐらいバラバラっと落ちるような体験をしました。ここも、また私の体験を踏まえてお話したいと思います。私が非常に苛立ちを覚える方を対象にしたワークです。その人はおらず、エンプティチェアと呼ばれるテクニックで、私は自分の椅子に座り、向かいには相手の方が座っているかのごとく空っぽの椅子があります。

私は空っぽの椅子に向かって、叫びのような罵詈雑言を浴びせました。薪を燃やし尽くし、それ以上言いたいことがなくなりました。すっきりしたところでファシリテーターに促され、この絵でいうところの相手側の椅子に座りました。相手が田中さんだとしたら、ここで私が田中になります。今や空っぽの自分が座っていた椅子に、あたかも私が座っているかのようにして、私が田中さんになったということですね。

その時、何と言えばいいのか、宇宙戦艦ヤマトのワープのシーン(笑)みたいに世界がグルグルと回ったような感じで、「ああ!」と思いまして。「田中さんはこんな気持ちだったんだ。田中さんから見たら西田(自分)はこんなにひどい奴なのか。田中さんの感情を踏みにじるような我儘なひでぇ奴。コンクリートみたいな感情のない、西田ってひでぇ!」みたいな感じがすごくしました。

最後は中立的な立場に立ちましたが、その時は心の底から相手側の立場に立つことができた。おもしろいもので、田中さんのままで話を続けると、次に田中さんに会った時は関係性がよくなっていて、私から「田中さん、反省しました」とか何も言っていないのにうまくいくようになったという体験もありました。

ロールをスイッチするということですが、自分側、相手側、中立の3つのロールをスイッチしていくことで、葛藤が解決するというパワフルなことが紹介されています。

対立を歓迎するワークが持つ可能性

西田:ハイライトの最後は、第15章の「ディープデモクラシー」です。これは普通に読んでいるとフムフムなんですけど、私は松村からここに書かれた意味をしっかり解説してもらって、「おお!」と思ったんです。脳腫瘍の少年がミンデルとワークをしたら、最終的にはがんが治ったという不思議なエピソードです。

この図のように上にまず「インナーワーク」の世界があり、下に「アウターワーク」の世界がある。さっきの例で言うと、田中さんを例にインナーワークして、その後に実際の生の田中さんと会うのがアウターワークです。内の世界と外のリアルな世界ですね。

「合意できる現実」、コンセンサスリアリティでは、この少年は脳腫瘍を罹っている。ところがその下に、「ドリームランド」というレベルがあります。ミンデルが「どんなふうに痛いんだい?」と尋ねると、少年は「ハンマーで殴られたように痛い」と言う。「ハンマー、ハンマー」と言って少年が自分の膝を叩き始めたので、ミンデルが「もっともっとやって」とお願いしたところ、少年が「ハンマーが何かを言い出した」と言うんですね。

1次プロセス、2次プロセスとも書かれていますが、少年はテレビばかり見てあまり勉強しないダラけた子でしたが、ハンマーが「勉強しろ。テレビを見るな」というようなことを言っている、そんな現象が出たと。この2次プロセスのロールを、もっと少年にしっかり回してもらおうと思ったミンデルは、「宿題なんかするの嫌だ」という少年の役をミンデル自身がロールプレイしたわけです。

そして少年は、今の自身のロールを演じるミンデルに対して「勉強しろ!」と半ばふざけながら迫っていった。こうして、少年の2次プロセスが明らかになりました。ところが、世の中そううまく行かず、強敵がアウターワークで現れた。怠け者の少年を後押しするお母さんが現れたんです。図の1次プロセスですね。お母さんは、少年が無理なことをするのが心配なんです。お母さんが少年の1次プロセスの味方をし始めました。

「痛いんだったら勉強どころじゃないわよね」と、テレビを見たい側のロールを外側から母親が取ったんです。ところがミンデルと少年は、ふざけながら「僕たちはもっと自分を律したいんだ!」と言ってママを追っかけ回して、真面目な少年ロールを演じ始め、結果として脳腫瘍が消えたと。

このようなワークをすれば、必ず脳腫瘍のような重い病気が治るというわけではないんですが、この絵に現れているような非常に深い構造があることを、ご理解いただきたいと思って、ここでお話させていただきました。