仕事で声帯を痛め、「学び」の大切さを知る

――そもそも、佐々木さんが大学受験を決意したきっかけは何ですか?

佐々木望氏(以下、佐々木):もう20年ほど前のことですが、声帯炎になったことが おおもとのきっかけでした。声の酷使と疲労で声帯がひどく腫れてしまって、「発声の仕方を一から変えないと、一時的に治ってもまた何度も声帯炎になるだろう」と医師から告げられるほど悪い状態になったんです。

声優の仕事が大好きで、ここで諦めたくないなと思ったので、それまで自己流だった発声方法や演技を根本的に鍛え直そうと思いました。たくさん本を読んで、発声や演技、体の使い方を学び直したんです。

その甲斐もあって、新しい発声を身につけることができて、演技への理解も深まったと思います。当時は声優としてはピンチな状況でしたが、あの時諦めなくてよかったとつくづく感じます。

――それがどのように大学受験へとつながったのでしょうか?

佐々木:発声方法や演技について学んだことが仕事に良い形で結びついた時、「勉強して良かった」と実感できたんです。諦めずに努力したことが実を結んだのは、とてもありがたい経験でしたし、演技者として成長もできました。いつでも、学ぶことは大切なことなんだと実感しました。

そこから声や演技だけでなく、他のことも「学び直したい」と思ったんです。思えば声優も、一生いろいろなことを勉強し続ける職業で終わりがない。そういう意味でも気持ちに余裕ができたのかもしれません。

じゃあ、何を学び直したいのか。考えた時に頭に浮かんだのは、もともと好きだった英語でした。ただ英語を学び直すにしても指針がほしかったので、英検1級合格と通訳案内士の資格取得を目標にしたんです。

なぜ「東大」を目指したのか

佐々木それらに合格して、さらに英語を学びたい気持ちは膨らみ……。「それならいっそ、大学でアカデミックな英語を学ぶのもありなのでは?」と思い、決断しました。

――数ある大学の中で、東大を選んだ理由を教えてください。

佐々木:大学について調べていくうちに、「最初から英語だけに限ってしまうのはもったいないかも?」と思い始めたんです。

次第に「まったく知らない分野に挑戦してもいいんじゃないか」「もしかしたら他にも好き、楽しいと思えることが見つかるかもしれない。 それなら総合大学を受験したいな」と考えるようにもなって。

条件としては、声優の仕事を続けながら通いやすい場所にあることで、そして教育レベルが充実している大学に行きたいと思いました。せっかく挑戦するなら、目標を高く設定したかったんです。東大は、これらを満たす大学だったので志望しました。

――仕事と勉強の両立は難しかったと思います。大変だったことやストレスを感じたこと はありませんでしたか?

佐々木:正直、勉強に関して大変だと思ったことはありませんでした。もともと、興味や関心を持ったことにのめり込むタイプなので、受験勉強も好きだからやっているという感覚でした。好きなことをするのは楽しいですよね。

ストレスもあまり感じませんでした。そもそも社会人は受験勉強だけに集中できませんよね。勉強は仕事の合間にしかできないし、しないと承知の上で受験勉強に臨んでいたので、勉強の時間が取れなくてもそういうものだと思って気にせず、できる時にできるだけをやっていました。

当時40代、学びの「原動力」はどこにあったのか

――佐々木さんにとって、学びの原動力となっているものは何ですか?

佐々木:学びそのものを「好き、楽しい」と思えていることでしょうか。また自分が演技者だからなのかもしれませんが、自分がいる環境を俯瞰して見て「おもしろいな」と思えていることも原動力なのかなと。

受験期間では、当時40代後半の自分が現役生・高卒生と一緒に学ぶシチュエーション自体を、大学生活では卒業に向けて時間を工面しながら勉強している自分を俯瞰して見ることで、演技者としてもとても刺激を受けました。

一方で、在学中は大学生活を最大限楽しもうと思っていました。入学当初から「大学生活を最短で終わらせるのはもったいない! 大学生でいられる時間をできるだけ延ばしたい」と思っていたので、在籍期間を最大まで延ばして卒業できるように綿密な計画を立てていたんです。

具体的には「この時期は仕事が忙しくなるだろうから、休学しよう」と決めたり、「1年間で何単位取れば最大期間まで在籍できるのか?」などを調べて履修を組んだりしていました。

佐々木:こうして計画的に、かつ楽しく学び続けることができたのは、大学に行く選択を自分でしたからだと思うんです。社会人でこの年齢で、「今から大学に行くなんて何やってるの」と人からは思われるかもしれないけれど、でも行きたい、勉強したいと思って、そこに時間や体力を使う決心をしました。

自分で決めたことだから続けられたし、楽しめたんだと思います。そして、そうすることを許してくださった周りの方々や私を取り巻く環境に本当に感謝しているんです。

気力も体力もすり減った社会人へ、学び直しのアドバイス

――読者の中には、学びたいと思ってもさまざまな理由で一歩踏み出せない人もいます。 そんな方々に向けてアドバイスをするとしたら、どんな言葉を贈りますか?

佐々木:今、社会人で「何かを学びたい」と思っている方は、私と同じように大人になってから「学び」の大切さを実感されたんだと思います。

だけど、多くの社会人は自分のことだけでなく、毎日いろいろなことに気力も体力も使わなければならないので、一歩踏み出したいと思っても、なかなか実際に行動に移すことができなかったりしますよね。

さまざまな事情で学ぶ時間や労力が割けないのであれば、「今は勉強しない、学ばない」というのも1つの価値ある決断です。立場や環境は人それぞれ違いますから、タイミングも人それぞれ。だから、今踏み出せなくても焦ることはないと思うんです。

ただ、もしも具体的な支障がなくて、漠然と「できるかな」とか「できなかったらどうし よう」と思っているのでしたら、あれこれ先のことを考えすぎないで、とりあえず一歩踏み出してみても良いかもしれません。私も東大受験を決めた段階では、卒業できるかどうかまでは考えていませんでした。

まずは「東大を受けよう」「東大に合格しよう」という 目の前のことだけ見ていたんです。合格できなかったらとか、東大の勉強についていけなかったらとか、卒業できなかったらとか、先のことはそうなってから考えれば良いと思っていました。

無理に学ぶ必要はないが、体力の低下には要注意

佐々木:それよりも、今目の前にあることに注力していって、そうするとその積み重ねで変化が起きたり次の選択肢が見えたりしてきたんです。結果的に無事に卒業できて安心しましたが、もし最初から「卒業」を目標にしてしまったら、プレッシャーが大きくなって受験をためらったかもしれません。

自分でその場所に行って、そこでいろいろな物事を見る、聞く、感じる、考えるという体験は、行ってみて初めて体験できることで、それらの経験がもしかしたら自分の人生でかけがえの無い財産になるかもしれません。

自分で動かないとその経験はおそらくできないので、最初の一歩だけでも踏み出してみるのはどうでしょう。人間、最初から最後までを見通すことはできないので、考えても結果がどうなるかはわからないですからね。

――学びたい気持ちはあるけど、何を学んだら良いか分からない人はどうすれば良いで しょうか?

佐々木:学びたいことが特にない時期は、無理に何か探して学ぶ必要はないように思いますけど、それでも何か学んでみたいという気持ちをお持ちなら、対象を勉強的なことに限らずに見つけてみるのはいかがでしょうか。

趣味でもちょっとした興味でも、ワクワクすることや楽しいと思えることに、これまでより少し気持ちや時間を使ってみるとか。ただ年齢が上がってくると、勉強する熱意があっても肉体的な負担を感じやすくなるかもしれません。なので、体を使うことはなるべく早く学び始めた方がいいですよ。体力はなかなか重要なポイントです(笑)。

たとえ3日坊主で終わっても、それも意義ある学びになる

――一方で学び始めたものの、 目的達成がプレッシャーになり、学ぶことが辛くなってしまう人もいると思います。

佐々木:確かに「中途半端はダメ」「学び始めた以上は、目的を達成するまで続けるべきだ」と思わせてしまうような雰囲気が世の中にはありますよね。何かを途中でやめたことを「失敗した」「挫折した」とネガティブにとらえる、みたいな。

でも、そんなことは全くないと思うんです。途中でやめたっていいじゃないですか。いつ何を始めようがやめようが、自分のことなのだから自分で決めていいんですよ。

たとえ3日坊主だったとしても、それをしなかった3日に比べて、それをした3日は、 その人にとって貴重な経験になります。やってみて初めて見えてくることだってあります。もし「自分には合わないかも 」と思ったとしても、それは……3日続けたからこそわかったことかもしれません。

そうやって何かを感じられただけでも、前の自分と今の自分は確実に違うわけですし、それも意義ある学びだと思います。

それから、「その先につながる学びであるべき」という考え方にもあまりとらわれない方 がいいかもしれません。最初から夢や目標を持って勉強していらっしゃる方はもちろん素晴らしいんですけど、必ずしも勉強が先につながらなくても、それはそれでいいのではと思うんです。

私も「何のために勉強しているの?」「大学を受験してどうするつもりな の?」「声優を辞めて違う仕事に就くの?」と聞かれたことがありますが、自分としては、何かにつなげようとか役立たせようと思って勉強しているのではなく、勉強したいから、 勉強が楽しいから勉強しているんです。

学びが続かなかったとしても、自分を責める必要はない

佐々木:結果としてその先に何かにつながったなら、それはうれしいことなんですけどね。目的を持って学ぼうとする人が「目的達成」にとらわれすぎてしまって、学ぶことが辛くなったら本末転倒ですし、心身の健康にも良くないです。

もし追い詰められていると感じた時は、目的志向や成果主義のような考え方から一度離れて、今の自分がしている努力は自分が愛せる努力なんだろうか、自分はワクワクして向かっているだろうかと、気持ちから考えてみてもいいかもしれません。

それと、もし学びが続かなかった場合でも、自分を他者と比べて「何もできていない」とか「自分はダメだ」と思う必要はまったくないです。

それよりも「もう少しだけ頑張ってみよう」「一旦やめて、またいつか気が向いたらトライしてみよう」「今回は続かなかったけど、次は何を学んでみようかな?」と気軽に切り替えたほうが、学びに対する姿勢がいつもポジティブでいられると思います。

――佐々木さんにとって、今までの学びは人生の糧になっていますか?

佐々木:幸せなことに、糧になっていますね。でも、今までの学びが自分の人生の糧になったというのは、今だから言えることなのかもしれません。

過去の自分を振り返ったときに「あの時学んだことが今になって役に立った」と言えても、その逆に今の自分から未来を見て、「これを学ぶと将来の自分の糧になる!」とは言い切れないですよね。

「何かのため」ではなく、好きだから勉強し続ける

佐々木:糧になってくれたらいいなという期待はできても、その時点では不確実な未来のことなので。だから、学びからの糧はありがたくいただきますが、糧はあくまで目的でなく結果だと受け止めています。

それに、糧になるかどうかを考えてしまうと、学びに対するハードルが一気に高くなるような気もします。逆に「知りたい」「楽しそうだから学んでみたい!」と気軽に一歩踏み出したほうが、ハードルを感じないんじゃないでしょうか。学ぶことへの動機や理由は、もっとシンプルで良いと思うんです。

――今後、挑戦したいと思っていることはありますか?

佐々木:東大法学部で学んだ法学や政治の勉強をこれからも続けていきたいです。英語の勉強も再開できればと思っています。挑戦したいことは、勉強系では今は具体的にはないんですが、またなにかふとしたきっかけで思いつくかもしれません。

大学を卒業したのは一つの区切りでしたが、「この分野はここまでやったからもう終わり」とは考えずに、興味あるものなら、学んできたものでも初めてのものでも可能な限り取り組んでいきたいです。

実は、今も数学の問題集を少しずつ解いていたりします。これも「何かのため」ではなくて、好きだからやりたくてやっていることなんです。私にとって学びは興味や関心の対象で、「趣味」に近いような感覚なのかもしれません。 勉強を「趣味」というと不謹慎かもしれませんが、仕事と同じように趣味も全力でやっているんです。

好きなことに全力で取り組める環境にいられるのはありがたいことです。そのことを忘れず、仕事でも勉強でも、次はどんなワクワクするものに出会えるだろうと、これからも楽しみに過ごしていきたいです。