「僕しか企画を出さなかった」山﨑貴監督の人生の転機

谷田彰吾氏(以下、谷田):今日の授業は、数多くの名作を生み出している山﨑貴監督の頭の中は何でできているのかをひもといていきます。そのために事前にアンケートとして、50の質問に答えていただきましたので、こちらを元にトークを進めていきながら、山﨑貴監督の頭の中を覗き見していこうと思っております。

優れたクリエイターが「どんなものに影響を受けてアウトプットにつなげているのか」「どんなスタンスで仕事に向かっているのか」などは、クリエイターとは違ったビジネスマンの方々にも、すごくヒントが溢れているのではないかと思います。みなさんも自分と重ね合わせて、探ってみてください。

人生のターニングポイントになった出来事は、「最初の映画の企画を出したこと」とお書きになっていますが、もともとはお仕事でCGやVFXを作っていたところから、どうやってステップアップして映画監督になれたのでしょうか?

山崎貴氏(以下、山崎):単純にうちの会社が「受注仕事だけやってても先がないだろう」と社長が思って、「社内でも企画を作って、メーカーにもなろう」という話を始めたんです。全社員に企画を募集したんですが、僕しか企画を出さなかったんですね。

ですが、私がスターウォーズ育ちなので壮大な内容のものを出してしまい、「うちの会社じゃ無理だ」と言われました。そこでROBOTの阿部(秀司)さんを紹介していただいて、「これを映画にしようじゃないか」という話になり、映画監督になれそうな雰囲気が漂い始めたんですよ。

谷田:それが20代後半ですか?

山崎:いや、31〜32歳くらいだったと思います。

谷田:1通の企画書を出す、出さないというところで、人生が変わったということですか。

山崎:そこが大きかったですね。単純に出して「こんなのできるわけないじゃん」と社長に言われたら終わりだったんですけど、「やりたいし、おもしろいけど、ちょっとうちじゃ無理だね」ということで、ちゃんと作れそうな人を紹介してくれたことがすごく大きかったです。

ROBOTの阿部さんが、当時馬の骨だった僕の企画をきちんと受け取ってくれたのも大きかったです。

予算にもタイミングにも恵まれたデビュー作『ジュブナイル』

谷田:その映画は、結局形になったんですか?

山崎:20億円くらいの規模のプロジェクトだったのですが、いろいろうまくいかなくて、途中で戦略的撤退を決意しました。でも自分は映画監督をやれるんだっていうことを証明しないといけないと思ったので、もっと小さい規模でやれる『ジュブナイル』という映画の企画を急遽作って、ROBOTに出したんです。

そしたら、それをみんな「これだったらできるかもしれない」という話になり、喜んで映画にしてくれました。

谷田:それで、ついにデビューできたってことだったんですね。

山崎:はい。僕はめちゃくちゃ運が良くて、ちょうどROBOTで『踊る大捜査線』が当たった時だったんですね。なので、ROBOTが次はどんな作品を出すのか、世の中が注目していたんです。資金も4.5億円くらい集まりました。

さらに東宝も『学校の怪談』シリーズを夏休みの子供向けシリーズでずっとやってたんですけど、ちょうどその年だけそれに代わる企画がなくて、探してる時だったんです。そこにさくっとハマって、興行の場所も良ければ予算も集まり、とにかくラッキーでした。『踊る大捜査線』には足を向けて寝られないです。

ワタナベアニ氏(以下、ワタナベ):ただ、やっぱりそういう話を成功を納めているいろんな人から聞くと、「運が良かった」ってみなさんおっしゃるんですけど、結局そういう人しか残ってないんですよ。

一番重要なのは、「山﨑さんしかその企画を出さなかった」ということ。そこなんですよ。それ以外の人たちも同じステージに上がれるチャンスがあったのに、1つずつ目の前のことをやっていった努力を、必ず誰かが見ていてくれるということです。

「完璧なものを作ろうと思うと、ずっと悩んでしまう」

山崎:(「Q.アイデアが出ない時にすることは?」)シャワーを浴びる。(「Q.アイデアはどうやって考える?」)適当な状態からとりあえず始める。

谷田:ビジネスマンでも、クリエイティブじゃないけどアイデアって絶対に必要じゃないですか。アイデアを考える時は適当に始めるというのは、どういうことですか?

山崎:完璧なものを作ろうと思うと、ずっと悩んでしまうんですよね。書き出してしまうとか、絵に描いてみるとか、何かをしたときに第三者的になれる感じがします。「岡目八目(おかめはちもく)」という言葉があるじゃないですか。書かれたやつにダメ出しし始めると、すごく頭が回るんですよね。

ワタナベ:ハガキ大のコピー用紙のメモっていうのがすごくわかりやすくて。例えばA4の紙にちゃんとしたソリッドな企画書を書こうと思うと全く進まないけど、ハガキ大の小さいメモに思いついたことを書いておくと、それに自身の批評性が働いた時に「これだとこんなことが起きそう」というのが、カジュアルにイメージできるっていうことですよね。

山崎:そうです。なのでスケッチブックとかも嫌なんですよ。全ページが残っちゃうじゃないですか、そうするといい加減なことが書きづらいんです。破っては捨てられるものがいいんです。

ワタナベ:山﨑さんは学生の頃、ノートを最後まで使うタイプでしたか?

山崎:途中では放棄しなかったですね。

ワタナベ:僕はだいたい3、4ページで辞めちゃうタイプでした。

谷田:早くないですか?

ワタナベ:今、監督のおっしゃったことは、「何ページか失敗するとそのノート全部がダメになった気がする」ということなんです。

谷田:それはすごくわかります。

ワタナベ:元のページに戻りたくないんです。だから完璧に書きたい人は最後まで書きにくくて、ちゃんと完璧に書ける人は最後まで書けるんですよね。

山崎:スケッチブックは頭の数ページで終わってるってよくありますね。僕は向いてないです。書くならA4のコピー用紙か、もっと簡単なものはハガキ大のコピー用紙です。

谷田:アイデアを一時的にアウトプットする場としてメモがあって、それを残しておくのではなく、捨てていくっていう作業をするために一回書くんですね。

山崎:そうですね。またパソコンに打ち込むとちょっと遠い気がして、あまり第三者になれないんです。愛情が持てないといいますか、手で書いたハガキ大のコピー用紙くらいが、愛情と客観性のバランスがいいと感じます。

『ALWAYS 三丁目の夕日』制作秘話

ワタナベ:「プレゼンをする時に相手の予想を一段裏切る」というのは、具体的にどういったことですか?

山崎:『ジュブナイル』というデビュー作でいうと、デモリールを作っておいて、「実はこんなのも作っているんです」とアピールするとか、要求してきた仕事に映像や絵など「もう一段上のメディア」を用意しておくんです。雰囲気が良ければそれを見せていく。そこまでの段階でみんながしょんぼりしていたら、あえて公開しないで隠したまま帰ります。

谷田:準備しておくことが大事だってことですよね。

山崎:僕のプレゼンの場合はCMとかで、みんなで競争するのとは違います。例えば、映画の企画をするじゃないですか。それを持っていって「やるか、やらないか」を決めるんです。相手が「ノッてくれるか、ノッてくれないか」なので、イメージとして絵を見せるということです。

ワタナベ:相手がワクワクするかどうかを丁寧に説明してあげるということですね。

山崎:『ALWAYS 三丁目の夕日』を作った際、「昭和の映画で人情もの」といった時にみんなが思い描いたイメージは恐らく、小さなセットで行う朝ドラ的なものだろうと。しかし阿部さんが作りたいと言ったのは、東京タワーが出来上がっていく様子や、同時の広大な風景などのスペクタクルも含めたものでした。

その時もデモリールを作って見せたんですけど、役者さんたちがものすごくノッてくれました。脚本のみでは一見地味な世界観だったけど、この世界なら入り込みたいと受け取ってもらえて、いい役者さんを捕まえるという意味ではすごく良かったです。

「なんでこんなにお金がかかるのか」なども、参考イメージがあるとないのとでは、みなさんのノリが違います。「これだったらおもしろそうじゃん」って空気が変わる瞬間があるんですよ。それが楽しくてやっています。

谷田:なるほど。参考イメージを共有させることは大切ですね。山崎監督、本日はありがとうございました!