「人の決断に従ったっていい」 600年続く八丁味噌の老舗社長が語った、自分で決める生き方

Creation and tradition of the Tokai region #1/2

東海地方に伝わる「八丁味噌」の伝統的な味・製法を600年以上守り続ける、愛知県のまるや八丁味噌。社長の浅井信太郎氏は、オーガニック味噌の海外輸出など味噌の新たな可能性に目を向け、様々な挑戦を試みます。決断の多い人生を歩む同氏が、後悔しない人生の秘訣を語る。(TEDxNayabashi2014より)

八丁味噌の歴史

浅井信太郎氏:私は岡崎のまるや八丁味噌の代表を致しております、浅井信太郎と申します。今日は私にこの時間いただきまして、ありがとうございます。

せっかく時間をいただきましたので、まず八丁味噌がどういったものなのかというお話と、そして今何をしているのか、どういうことをしているか。3つ目として何のためにそれをしているか。今日はこんなことを3つ、大きくわけて話ができればいいなと思っています。

まずこれが東海道にある私の現在の工場です。この場所は江戸時代から動いていません。今も同じ場所で八丁味噌を作り続けています。

この「八丁(現在は八帖)」という地名は、徳川家康が生まれた岡崎城の天守閣から東海道に沿って西に八丁、約900メートル弱くらいのところが八丁村という字名です。そこで作っている2軒の味噌蔵、これが八丁味噌と呼ばれています。

現在も江戸時代から2軒が作り続けています。私の反対の北側に現在19代目の早川久右衛門商店、カクキュー八丁味噌屋さんがあります。

私が東海道の南側なんですが、太田弥治右ェ門の「や」から来ている、まるや八丁味噌、私が21代目を現在務めさせていただいております。

日本では売らないという一大決心

どういう味噌かといいますと、これが私の蔵です。建物としては江戸時代から使っています。その中に基本的に釘や金属を使わない。使うところもありますけども、極力使わない努力をしています。

杉桶の上に石を乗せて、原則的に冬に仕込みたい。春、夏、秋には原則的に私は作らないように努力しています。実際には4~5月に入っても仕込む場合もありますけど、基本的に昔からそうしていなかったので、今もしようと思っていません。

約200本強の桶を構えています。こないだ出てきたのは元治元年、池田屋事件のときに作った桶も出ています。1部にはもう少し古いのもありますが、こうして作る味噌が大変塩分・水分が少ないものです。これを岡崎八帖で江戸時代から作り続けている。

実際には水分が40%入ってますが、大変硬いものになります。会場のみなさんに白い袋が渡っています。ゆっくり開けてどうぞ頬張っていただきたいんですが、これは今私が作っている商品のうちのひとつです。

有機八丁味噌。現在は国内販売しておりますが、私がこのオーガニック八丁味噌を始めようと思ったのは実は25年くらい前の話です。まだ当時日本ではオーガニックという単語はあまり知られていなかったし、多くの方にこの話を持って行っても、ほとんど相手にしてもらえなかった。

私の一大決心はアメリカのOCIAという認定団体があるんですが、そこから大豆を買い込んで。日本では小便かけりゃ同じだと言われてしまう。それで大決心です。もう日本では売らないぞと。

(会場笑)

本当のところ、コンチキショーです。私の大きな決断は、国内販売はゼロにしよう、すべて輸出でやるぞという思いです。たまたま縁がありましたのは、これも自分の決断なんですが、24歳のときにもう日本を出たいと思いました。

店はもういいし、日本以外のとこへ行ってみたいと思ってドイツへ渡ったのが24歳。だからもう40年昔のことになります。

マクロビオティックとの出会い

そのときにドイツで出会ったのがマクロビオティックという考え方です。当時ドイツ語がわからなかった頃、医学生とか法律家が唾を吐いて話をしてる。

そういうことを覚えてますが、それがオーガニックです。まさに日本で言う粗食であります。これはそういうこともありまして、アメリカのOCIAという団体から大豆を買って当時1トン持ち帰りました。そして翌年は2トンです。

少しずつ増やしていったんですけども、仕込んだときは販売先が決まっていなかったものですから急遽イギリスとかフランス、ドイツなどのいろんなところに行きました。当初5~6トンくらいだったのかな。

それをとにかく買ってもらうように、みなさんにお願いをして。2年のうちに出来上がってくるから買ってよねということを言いながら進めたのがこの商品です。

これは、のちに日本でオーガニックの認定が決まってから販売はしたんですけども、それ以前は国内販売ゼロ。一切販売していませんでした。

私としては世界中に販売したいと思っております。八丁味噌の生産量と販売量は違います。中身は加工してしまうものもあります。販売する8%を現在ヨーロッパの輸出へ回してます。

けっこうな量です。財務省の統計だと私は載っていません。アウトサイダーですから。愛知県の団体も脱退しておりますし、私とカクキューさんは味噌組合に入っていませんので。

出てしまったか出されてしまったかわかりませんけども、そういうところにいない。それで国内販売もさることながら輸出に一生懸命になりました。

現場販売を1番するのが社長

これは「三河産」て書いてあります。私は生まれも育ちもずっと三河です。三河で小学校・中学校を過ごしたのですが、私の中学校の同級生が農家をやってます。当時は中学を卒業して高校行く人もいましたけども、まだまだ就職をする方が多かった。

その中の同級生が今幅広く農業をやっています。その同級生から買った大豆です。すべて三河産大豆。今はお互いに60歳を過ぎてますけれど、とても大事です。彼の大豆を買ってからすごく自分に勇気が出ました。

この商品を知ってもらう努力。これが私の大きな賭けです。もちろん他の大豆も買ってます。北海道産とかもあるんですけど、オーガニックと三河産大豆が私の1番知らせたい商品だなと。そこにすごくエネルギーが湧いてくるので、私のみならず、従業員とともにこれを寄与して行きたいと思っています。

それで、少し話は飛んでしまいますが、どうしてそれをやるのか。ときどき東京や埼玉・神奈川でも私は現場販売します。わが社で1番現場販売するのは社長です。

お店に立って、味噌汁を「どうぞ」と。中には通り過ぎて行く人もいますけども、それをやります。朝10時の開店から、1泊していきますので、夜8時まで開いてるだろうから、7時半くらいまでやらせていただいて。

翌日東京の新幹線最終が9時34分くらいなので、8時そこそこまでデモをやって。3日、4日じゃ疲れちゃうので2日です。そういった知ってもらう努力を一生懸命やっています。

そんなことをしながら売っている。それで先ほどの白い袋に戻ります。(会場に向かって)召し上がってもらえましたか? 2つ入ってます。いかがですか? まず触ってみていただきましょうか。そして、ぜひ頬張っていただきたい。

硬いのと柔らかいのがあります。硬いものが八丁味噌で、柔らかいほうが赤味噌です。これは江戸時代からの仕込み場を使って作ったものです。

今、私のここ(法被の襟)に葵御紋のバッジがついてます。来年徳川家康が生まれて400年。今年は399年で浜松と静岡・岡崎で400年のお祝いをやろうと思ってますが、岡崎で一生懸命やった人である徳川家康が召し上がっていただいた八丁味噌。

そのレシピをそのまま今も使っているということです。ぜひ今日は八丁味噌を徳川家康と同じ思いで召し上がってもらうと嬉しいです。

(会場笑)

近道をしてもいいことはない

要は、慌てるな・急ぐな・人のものを盗るな・自分で作る。人を頼りにするな、そうすると自分が何をすべきかわかるんです。

私は一切手形を使いません。アウトサイダーですから。翌々月に支払うことはありません。どんなものでも必ず翌月に現金払いをします。

私社長ですけども、マネキンの帝王であります。全然嫌いじゃありません。この商品を知ってもらう努力です。社長が1番働くというのが私の会社のブログに書いてあります。発信する、これはどなたも同じであります。

今日若い方も、私と同じくらいの方も、もう少し若い方もいらっしゃるでしょうけども、近道をしたいのは確かです。誰もが近道をしてみたいと思っている。

でも私もいくつかいろんなことをやってきて「近道をしていいことがなかったな、安易にお金を儲けたからってどうかな」と思っています。

いつも自分で決心をして。確かに今、私もカクキューさんもきっと有名です。有名ですけど、そんなにすごく裕福であるわけではありません。一生懸命お金を回してます。食品ですからそんなに大きな利益はありませんけども、装置産業ですので、ほとんど壊れるものばっかりです。

今杉桶を作ってもらっています。2年かかります。日本に今1組、作る方がいらっしゃいます。私と同じ年齢の彼は「2020年には俺は廃業だ、桶を頼む人なんて今いないからこの仕事はない」って言っています。でも私もそう何100本も頼めない。年間そんなに要るわけじゃありません。今彼が生きてるので、少し前倒しで頼んでいるんですが。

大事なことは会社を潰さないこと

いつも本当に決断です。先ほど24歳のときにドイツに渡ったと申し上げたんですが、学歴も資産も何もいらない、親から離れて1人で独立してヨーロッパへ行きたい。最終的にはスイスかオーストリアで農家でもやりたいなと思ってドイツへ行きました。

そのときに必要なのはやっぱり語学だったなと。半端なドイツ語じゃだめだということで、1番安く行く方法は大学に入ることだと聞いて一生懸命勉強しました。1年間では合格しなかったので、2年目にハンブルク大学に入れました。努力でした。

友人には上智だとかドイツ語学科出てきた人もいましたし、東大出ていた人もいましたけど、けっこうな努力をしました。それほど賢くもありませんけども努力すればできる。いろんな決断の場所がたくさんありました。

私が一切手形を払わないと言ったのはいろんなことを見てきて、倒産したり、非常に大きくなったのに無くなったりした企業が岡崎にたくさんあります。そういった中で私が21代目になっている。

確かに借金もありましたけれども大事なことは「潰れてない」。私はこの10年、赤字は一切起こしていません。必ず税金を払っています。

これが社会的責任だと思っておりますし、約50人従業員いますけども、基本的な思いとしては、どんなことがあっても給料は下げない、たとえ1円でも上げたい。2月は決算期なんですけども、今週ちょうど月曜日にみんなに決算書類を配っていました。オーナーとしての喜びです。

大して給料は多くありませんけども、待っている家族に不安を与えないこと。従業員の人たちが喜んで会社へ来てくれる。そして喜んで作ってくれる。そうするとこの味噌がおいしく出来上がる。そして、これからもそれを続けていくと思います。

決断が人生をつくる

その際、もう1軒のカクキューさんの早川久右衛門さんと、私は実は仲良くしています。2ヶ月に1回勉強会をやっています。お互いの工場に行き合って情報交換をしています。それは懇ろになっているんじゃありません。勉強会です。私の思いはカクキューさんの味噌を取ることはやらない。基本的に自分で作る。

先週までニューヨークとホノルルを2週間で回ってきました。ここ何年か、マンハッタンのレストランバーで販売をやっています。こういったことで一生懸命です。これは「ステージ」という日本のレストランです。こういったことを絶えずやっている。

今日この機会に私はいろんな決断があります。皆さん若い方、特に大変優秀な方がいろんな企業に勤めていらっしゃいますけども、自分で決断できないならば、人の決断に従えばいい。

それで文句は言えない。そうじゃなかったら自分で決断するべきだ。自分で決断すること、そうすれば悔いはない。私もたくさんいろんな機会があったので、その決断が出来たので良かったなと。そんなことを思っていますので今日、このときに申し上げました。

岡崎の歴史を守っていきたい。岡崎の市民の代表として、拠り所としてこの味噌を作り続けていきたい。そんな思いで今日この時間をいただきました。今、頬張っていただいた味噌が口の中に広がってくれると嬉しいと思います。

今日は貴重な時間をいただきまして、ありがとうございました。

<続きは近日公開>

Published at

TED(テッド)

TED(テッド)に関するログをまとめています。コミュニティをフォローすることで、TED(テッド)に関する新着ログが公開された際に、通知を受け取ることができます。

このログの連載記事

1 「人の決断に従ったっていい」 600年続く八丁味噌の老舗社長が語った、自分で決める生き方
2 近日公開予定

スピーカーをフォロー

関連タグ

人気ログ

人気スピーカー

人気コミュニティ

ピックアップ

編集部のオススメ

ログミーをフォローして最新情報をチェックしよう!

人気ログ

人気スピーカー

人気コミュニティ

ピックアップ

編集部のオススメ

そのイベント、ログしないなんて
もったいない!
苦労して企画や集客したイベント「その場限り」になっていませんか?