“平成の怪物”こと松坂大輔氏が登壇

狩野恵里氏(以下、狩野):「Climbers2021 秋」。このイベントのトップを飾っていただきますのは、“平成の怪物”こと松坂大輔さんです。よろしくお願いいたします。

松坂大輔氏(以下、松坂):よろしくお願いします。

狩野:お願いいたします。あらためまして、インタビュアーはテレビ東京の狩野がお送りしてまいります。ではさっそく、お座りください。

松坂:はい。

狩野:シーンとした静けさの中、始まりましたけれども(笑)。

松坂:はい。なんかやりづらいですね(笑)。

狩野:やりづらい……!(笑)。いや、楽しんでいってください。さあ、みなさまには説明はもはやいらないとは思いますが、あらためてその功績をご紹介させてください。松坂さんは高校時代、甲子園春夏連覇という偉業を達成し、超大物ルーキーとして注目されドラフト1位で球界入りされました。

埼玉西武ライオンズでの大活躍ですとか、2度のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の優勝、そしてMVPの受賞。さらには、メジャーリーグではワールドシリーズを制覇されるなど、日本だけではなくて、世界をまたにかけ大いに観客を沸かせてくださいました。日米通算170勝、そして、先日10月19日の引退試合は多くの方々の脳裏に焼きついているのではないかと思います。

練習する姿を人に見せないことで付いたあだ名

狩野:このClimbersのテーマは「乗り越える」ということですので、松坂さんがこれまでどんな野球人生を送ってこられて、どんな壁を乗り越えてこられたのかをうかがっていきたいと思います。

松坂:はい。

狩野:まずは、だいぶ時代がさかのぼるんですけど、高校時代のお話をうかがってもよろしいですか?

松坂:はい。

狩野:1998年、夏の甲子園のPL学園との延長17回、あの試合ですとか。あとは、決勝では59年ぶりにノーヒットノーランを達成し優勝されたという、あの夏ですけれども。98年の夏というのは松坂さんにとってどんな思い出ですか?

松坂:そうですね。みなさんからよく言われるようにPL学園との試合もそうなんですけど、準決勝のサヨナラ勝ちも、決勝戦のノーヒットノーランも、自分の中にも強く記憶に残る夏だったなと思いますね。

狩野:その時は、かなり練習はされていたんですか? 「サボりのマツ」なんて言うこともちょっと……えっ? と思うんですけど(笑)。

松坂:(笑)。

狩野:いや、絶対これは練習していただろうなと思うんですけど、実際はどうだったんでしょう。

松坂:小さい時から人前で一生懸命練習するのがどこか恥ずかしいという気持ちと、あとは周りが知らない間にできるようになっている自分を常に考えていたというんですかね。今だから、もういいのかもしれないですけど(笑)。自分で言うのもなんですけど、見ていないところで僕は、相当やっていたと思います。

狩野:そうですよね。でも、人から見られていないということで、周りからは「あいつはやっていないからね」と言われることは苦ではなかったですか?

松坂:そうですね。たぶん、かなり思われていたと思いますね。

狩野:(笑)。

松坂:「大した練習していないやつが試合出て」とか「打って」とか、思われていたかもしれないですね。

狩野:それでもやっぱりご自身の中で、みんなが見えないところでやるのがかっこいいというか、それが流儀だったわけですか?

松坂:それがかっこいいと、正直思っていましたね。

「サボりのマツ」をやめた転機

松坂:その意識が変わったのは高校2年の夏の県大会の準決勝で、自分の責任で負けてしまうんですけども。こう言うとちょっと生意気なんですけど、その時に、「自分1人が上手くても強くてもチームは勝てないんだ」と思い知らされたというんですかね。

もちろん自分もそこからさらなるレベルアップをしなければいけない。でも、自分1人が突出した存在になってもチームは勝てないと思ったので、そこから積極的に練習している姿を見せるようになりましたね。背中で引っ張るというか、自分ががんばることで周りもレベルアップしていけたらいいなと思って、その高校2年の夏から変えました。

狩野:ではその時から、自分の背中を見せてチームを引っ張っていくんだという心意気はもうあったわけですよね。

松坂:もともと言葉で説明するのが苦手なので(笑)。

狩野:そうですか。

松坂:そこそこ黙って……いや、黙ってじゃないですね(笑)。

狩野:(笑)。けっこう朗らかに……。

松坂:けっこう監督やコーチとやり取りをしながら。文句を言い合いながらやっていた部分もありますけど、でも……。

狩野:姿勢で見せていくと。

松坂:そうですね。周りに「あいつがあれだけやっているならみんなも」と。卒業したあと、同級生に聞いたらそういうふうに見てくれていたので、そういうかたちでやるようになってよかったと、あとで思いましたけどね。

松坂氏が考える一流選手の共通点

狩野:自分の人生が1つ変わったところが高校時代だったということですけれども。そのあとドラフト1位で(当時)西武ライオンズに入団して、ものすごい注目を浴びながらプロ野球界に入ったわけですが、やはり高校野球とプロ野球では、レベルがもちろん違うと思います。

松坂:はい。

狩野:この選手は一流だな、この投手は一流だな、この監督、このチームは一流だなと思う時というのは、松坂さんはどんな時に思われましたか?

松坂:僕が見てきて思うのは、結果を出してきている選手、長くやっている選手というのは、常に実戦を想定している。相手を想定して練習に取り組んでいるというところですかね。あとは、目の前でクリアしなければいけない問題もあるんですけど、3年先、5年先、10年先と目標を設定してやっている選手がいたかなと思いますね。

狩野:まさに、目標がその日その日を支配するということなんでしょうか。

松坂:そうですね。僕自身も、目の前にすぐクリアしなければいけない問題とその積み重ねで、このレベル、このレベルをクリアしていくという目標設定はしていました。

狩野:もうプロ野球に入った時から、まずは短期的な目標、中期的な目標、長期的な目標というのが、3段階であったと。

松坂:プロに入った時から考えてやっていました。

狩野:その時の、一番遠くにある長期的な目標は何だったんですか?

松坂:僕は中学生の時にメジャーリーグを意識するようになったので、大きな目標というのはそこで一番になることですかね。漠然とですけど、世界で一番のピッチャーになる、最終目標をそこに置いていました。

狩野:なるほど。それがいずれはワールドシリーズでの勝利につながるからすごいですね(笑)。

松坂:いやいや、それは……(笑)。まあ、チームとしてはですね。個人としては一番になったことは結局一度もなかったですけど。

大舞台でも緊張しなくなったのは高校時代から

狩野:今、海外でという話もありましたけれど、日の丸を背負って海外の選手と戦う。日本代表としてWBCにも2度出場されて、そしてMVPも受賞されていますけど、感覚というのは、やはりプロ野球選手として国内でプレイする、メジャーリーガーとしてプレイするというのと、日本代表として日の丸を背負ってプレイするのはまた違った印象があるんでしょうか。

松坂:ぜんぜん違いましたね。初めて日本代表のユニフォームを着させてもらったのが中学生の時なんですけど、海外の球場で国歌を聴いて、その姿がビジョンに映し出された時の自分を見て、すごく、なんて言うんですかね、気持ちが高揚したというか。緊張……緊張はしなかったですね。

狩野:ふだんからあんまり緊張はされないんですか?

松坂:いえ、します!

狩野:「します」? おおっ(笑)。

松坂:します、します(笑)。するんですけど、その時は日の丸をつけて戦っている自分をカッコイイと思いながらプレイしていましたね(笑)。

狩野:(笑)。いや、それはカッコイイですよ。

狩野:松坂さんのイメージって、どんな時でも基本的にマウンドに立ったら揺るがない、堂々としている。そういうマインドは、小さい頃から基本的にずーっとあったんでしょうか。

松坂:いや、そんなことはないですね。小学生・中学生の時は緊張していましたね。試合で緊張することがなくなったのは、高校に入ってとんでもない練習量をこなすことで、試合が楽だと思い出してからですかね。

狩野:もうこれだけの練習をやったんだから、試合でそれ以上のことは……。

松坂:もう、試合は休む日だと思ってやっていましたね(笑)。

狩野:(笑)。それだけの練習をやっていたってことですもんね。

松坂:はい。

松坂氏の力を引き出した、「特別な存在」イチロー氏

狩野:日の丸を背負って日本代表のチームにいらっしゃる方々も、超一流の方々です。何かそこでのエピソードで、思い出されるものはありますか?

松坂:ええ……? 何ですかね……。

狩野:ふだんは交流することがない選手たちと一緒になるわけですもんね。

松坂:やっぱり国際試合も変わらず結果を出す選手は、ふだんレギュラーシーズンで見ている姿と変わらないというんですかね、特別構えないというか。僕自身も、「国際試合だから」と考えて試合で投げることはなかったですね。いかにふだんどおりの自分で試合に入れるかということを考えていましたね。

狩野:それはもう、高校時代だけじゃなくてずーっとこれだけの練習量を重ねてきたから、自分は大丈夫だという裏づけがあるから平常心でいられる。

松坂:そうですね。やっぱりそう思えるのは、自分がこれだけやってきたという自信がなければできなかったかもしれないですね。その時は「自信があるから大丈夫」と思ったことはなかったですけど、なんとなく、自分でできるだけの準備、やれるだけの準備をしていけば大丈夫と思っていましたね。

狩野:日本代表で一緒に戦った中で、共にお互いを「特別な存在」とおっしゃるイチロー選手は、松坂さんにとってどういった存在ですか?

松坂:やっぱりイチローさんという存在があったからこそ、プロに入ってからもさらに自分の力を引き出してくれたというか、上げてくれたというんですかね。だから本当にイチローさんには感謝しています。

狩野:イチローさんと対戦する時はちょっと松坂さんが変わると聞いたんですけど、本当ですか?

松坂:そうですね。

狩野:(笑)。

松坂:やっぱりプロ入りする前から憧れていた選手でしたし、憧れていたのと同時に「打ち取りたい」「三振を取りたい」という気持ちを持っていた選手だったので。とにかく対戦することが楽しみでしたし、その日どんなに調子が悪くてもイチローさんの時だけは、自然といいボールが「行ってしまう」というんですかね。

それで、当時の監督の東尾(修)さんには、よく怒られましたね。「イチローの時だけ力を入れるな」とか「イチローの時だけいいボール投げやがって」とよく言われたんですけど(笑)。

狩野:(笑)。ほかの時も。

松坂:なんでそうなるかはわからなかったですね。でも、僕にはそういう状態に引き上げてくれる相手がいたということですかね。