「イケてる私とダメな私」を見つめ直す、自己分離のワーク

坂東孝浩氏(以下、坂東):最近起きた不本意な現実があるんだったら、ちょっと出してみますか?

乾真人(以下、乾):いやぁ、それはやっぱり亜矢子さんのほうがいいんじゃないですか。

坂東:(笑)。

大山亜矢子氏(以下、大山):社長でしょ、社長。

:いやいや。

坂東:乾さん、半年ぶりにもう一斬りしてもらうのはどうですか? 

大山:「あとちょっとなんですよね~」と言ってましたよね。

由佐美加子氏(以下、由佐):亜矢子ちゃんはワークやってくれたんですか? 

大山:私がやったのは、『ザ・メンタルモデル ワークブック』の一番最初の「イケてる私とダメな私」をやってみました。

由佐:自己分離のワークですね。

大山:左がイケてる私、右がダメな私で、真面目にワークブックに沿ってやってみました。「イケてる私」のほうから書いたんですが、イケてるほうがすらすら書けました。書きづらくはなかった。

イケてる私の書いたものの中に、「本当にそうなりたいと思っているのか?」という問いがあったんですが。こちらに挙げたものの中で、「頼られる存在」「一生懸命取り組む姿勢」は、本当になりたいとは思ってない。ダメな私について感じることは、「忘れ物が多い、物をなくす」とか、そこについてはもう諦めている。

由佐:なるほど、おもしろいね。人に求められる人ですね。

大山:この結果だけ見ると「ふーん」って感じだったんですが、次のワークをすると観えてきたものがあるというか。「がんばりたい」と「がんばれない」の狭間で揺れてる私が観えてきたなって思ったんです。

次の、「ダメな私」をどうしようか? というワーク。これは改善したいと思っているものを取り上げているんですが、「頼んだことを断れない私」がダメだなと思っているけど、自分がどうにかがんばればなんとかなるから、現実では自己犠牲をしながらがんばり続けています。

由佐:克服し続けてるんだね。

リスクを取らない=逃避?

大山:その下の気づきがおもしろかったんですが、自分が「ダメだな、なんか違和感あるな」と思う人は、経済的に自立してない人。あとは責任感がないような人や、自己中な人。

その人たちとの付き合い方をどうしようとしているか? という問いについてですが、実際に行った行動としては、何年か前にキャリアコンサルタントの資格を取っていたり、自立への道を探る手伝いをしていたり。

経済的自立をすることは選択肢を増やすことだと思っていて、選択肢を増やせると自分の人生が生きやすくなるんじゃないかと思っている節があります。責任感がない人については、不快だけど放置している感じです。

自分の気付きをメモってるんですが、自立してないということは、選択肢が少なくて、自分の人生が生きにくくて、せっかく与えられた命なのにもったいないなと思うけど、でも「人は人」って諦めている節がある。

由佐:おもしろい(笑)。

大山:自立してないことをどうしようとしているのか? という問いがあって。私自身で言うと、大学を卒業してから今に至るまでずっと働き続けています。そうすることで、経済的自立をしていて、なにかしらの選択肢が多い状態にはいると思っている。

だけどダメな私の項目に、「リスクを取らない」というのがあるんですね。リスクを取らない私を「ダメだな」と思ってるんですが、自立してない人のことを諦めてるのは逃避なんだなと思って。「自分にやっていることを人にもやる」ってワークブックに書いてあったんですね。なので、リスクを取らないということは、私自身も結局逃避してるじゃんって、つながった気がします。

他人に「ダメだな」と感じる気持ちと、自分の過去の関係性

由佐:お母さんはどんな人ですか? 

大山:お母さんは大学を卒業して、有名な企業に入って……。

由佐:自立していた? 

大山:OLをしてたんですが、昔ながらの風習で寿退社して父親と結婚してるんですが、父親に甲斐性があまりなかったので、幼い頃は家がすごく貧乏だったんです。

昔なのに大学を出てるし、母親はちゃんとした人だったというか。今もあるような会社で働いていたのに、そのキャリアを捨てて専業主婦になって、すごく苦労して……。私が幼い頃はパートをしてたと思うんですが、40ぐらいから医療職になって、70手前でまだ働いています。

由佐:なるほど。お母さんみたいになるわけにはいかない感じですよね。

大山:そうですね。

由佐:絶対に影響がありますね。自立して、自分でちゃんと経済的に支えていかなきゃっていうところは、けっこう力点を置いてるんだろうなという感じがします。とはいえ、他の人たちに「あなたもそうしなさいよ」とは言いたくないんですよね。それは、言っちゃうと(相手に)痛みがあるから言いたくないんですか? 

大山:その人を否定している感じになるなって。

由佐:否定したくないよね。だから子どもとしては、お母さんもお父さんも否定したくない感じがあるじゃないですか。そこはすごく尊重したいよね。

大山:お父さんは否定したいんですが……(笑)。

由佐:「もっと働けよ」って言いたいということですか?

大山:うん。お父さんは否定したいですね。

幼少期の親の影響が、大人になっても自分を縛りつける

由佐:人に対して否定したいかもしれないけど、できたかと言ったらできないじゃないですか。

大山:そうですね。思ってはいたけど、直接言ったりしたことはないです。

由佐:言いたいかもしれないけどできないのは、きっと「否定を突きつけたら(相手を)傷つけてしまう」という思いがあるんじゃないかなと思う。だけど、お母さんが苦労したのを見て大きくなってるから、絶対にそうはなりたくないですよね。

大山:うん。そうですね。

由佐:なので、とにかく自立することが大事なんだろうなと、ワークの結果からは見えるよね。でも傷つけたくないから、「あなたもちゃんと自立しなさいよ」とは言えない。お父さんに対しては言いたいかもしれないけどね。

お父さんにそれを言えないということは、子どもにとってある種の無力感になるわけですよ。だって傷つけちゃうから。お母さんは苦労しているから、そうなるわけにはいかないし、できればお母さんを支えたい。当然、子どもは親の影響を受けて自分の人生を組み立てるので、親の影響がすごく大きいんだろうなって思いますよね。

「自立するためにきちんと自分でやることをやって、社会において有能になっていかないといけない」というルートなんじゃないかなと見えます。

だけどそれは生存的なものなので、「そうじゃないとちゃんと生き延びられない」と邁進している。自分が能力を持てるところまではこれでぜんぜんいいし、自立することまではできるんだけど、「この能力を持って何をしたかったんだっけ?」というのは別にないんですよね。

大山:そうなんです。

由佐:だから、そこで行き止まり感になるかもなって思います。

「経済的自立」が崩れると、過去の痛みを繰り返してしまう

大山:リスクとはチャレンジするという意味なんですが、投資して起業するとか、借金を背負ってでも起業するとか。リスクを取ってやらないと、本当に自分がしたいことはできないんじゃないかって思っています。それができてないことが不本意な感じなんです。

由佐:できないよね。自分が経済的な自立を崩してしまったら、あの痛みに触れちゃうから。きっと経済的地盤ありきの話になりますね。 

大山:そう。だから「宝くじ当たらないかな」と思って(笑)。

由佐:そうだよね(笑)。

大山:当たったら好きなことやれるのにって。「あの長い列に並ぼうかな」って思いながら。いつも横目で(売り場を見ています)。

由佐:依頼されたことを果たせる能力をつけてきているんだと思うんですが、自分の命にどうやって責任を取りたいのかは、「?」になっちゃうと思うんですよね。経済的なものが常に絡んじゃうから、本当に自分はそれが答えたいことなのか? というのがわからない。それを失ってまでやれないよね。

踏み留まるということは、システムの中にいたらずっと同じ場所にい続けるんだよね。経済的に守っていかなきゃいけない中で、どうやってバランスを取って自分のやりたいことをやるのか……という選択になるから。

大山:そうです。ずっとそこのループをくるくると……。会社を辞めて今はフリーランスなんですが、私にとってはだいぶチャレンジ。

由佐:だいぶ冒険だよね? 

大山:はい。

これまでの「経済的な呪縛」から抜け出す方法

大山:その一方で、せっかくの命を生きなければいけないという思いがすごく強くて。私に3つ上の兄がいて、私が23歳の頃に兄は27歳だったんですが、突然病気で亡くなったんですね。

兄はやりたいことがすごく多い人で、昔で言う「青年実業家」みたいな感じで。大学生から起業して、ゴリゴリ好きなことをやって、どんどん事業を伸ばしてた人だったんですが、パタッと人生が終わった。だから私は、生きたかったのに生きられなかった人の分まで生きないと。

由佐:それが責任なんだね? 

大山:それがすごく強いですね。

由佐:生きられなかったお兄ちゃんの分も、私が生きなきゃいけないって、それも責任感になってる感じですよね。

大山:それも兄に重ねているのかわからないんですが、チャレンジしてリスクを取らないととは思うけど、経済的自立のループで回っている感じですね。今、話しながらめちゃくちゃ整理がつきました。

由佐:そうだよね。「経済的な自立基盤を失わない範囲で」という前書きが書いてある中でやるしかないと思っているんですよね。それは、ちっちゃい時にお家にあったお母さんの痛みだよね。その痛みは、本質的には家が貧しかったことじゃなくて、お母さんを助けられなかった痛みなんだと思うんですよね。

責任として応えたいのに、助けてあげる能力がないからできないのが、たぶんすごく痛み。だから自分はちゃんと力をつけて、応えてあげられるようにならないといけないって思っているんだと思うんです。

大山:やばい。やばい(涙)。

由佐:「無力だったからなんだ」「お母さんを助けてあげたかったんだよね」って感じたらいいだけですよ。そしたら、この経済的な呪縛からたぶん出られるから。

大山:やばい(涙)。

親の反面教師から、自分自身への“呪縛”が生まれる

由佐:「感じられる」というのはすばらしいですよ。(リスクを取れない原因が)頭では経済的基盤だと思い込んでいたんだと思うんですが、お母さんを助けてあげられなかった、もしくはお父さんにその責任を問えなかった無責任さと、責任を取れない無力感の痛みの合算なんだよね。

お父さんに対しては「おまえ、責任取れや!」と言いたいわけ。でも、そんなことを言ったらお父さんが傷ついちゃうから、お父さんを守るために引っ込めた。当たり前だけど、お父さんを愛しているからですよね。お母さんは助けたいけど、自分にはその力がない。

なので、自分は経済的に力を持てるようになりたいと邁進する。一方で、決してお父さんには突きつけない。だから他の人たちにも突きつけない。2人を支えてあげたい。人に「ちゃんと責任を果たして」って言いたいのを、両方自分で叶えようとしているんですよね。それにお兄ちゃんが乗っかった。亜矢子さんのテーマは「責任」なんだよね。

責任は人に課せられるものじゃなくて、自分にどう応えたいのか。お兄ちゃんの人生はお兄ちゃんの人生だし、亜矢子さんは亜矢子さんの人生があると思いますよ。だから、本当はその分の責任を引き受ける必要はないんだけれども、たぶん「責任マシーン」だから、余計に自分で引き受けちゃう。

でも、どう見えたとしても、それぞれの人がそれぞれの人生を全うしているから。「人から課せられる責任の中で生きている」という古いシステムを持っているんだけど、そうじゃなくて。「私は何に応えたいのか?」ということをテーマにしたらいいんじゃないですかね。

それは経済的な云々の話ではないんだと思うんですよね。どんなことにでも応えられるようにしたい。だから亜矢子さんは、たぶんすごく応える人でしょ。どうですか? 

大山:本当。画面を見ながら、泣き顔が不細工でやばいなと思いながら。

坂東:そんなことはない。大丈夫(笑)。

他人の「痛み」を背負おうとして、増大した責任感

大山:みいちゃんの「お母さんを助けたい」という話を聞いて、すごく思い出す光景があって。兄には生まれつき持病があって、子どもの頃から入退院を繰り返していて。

クリスマスの時に、お母さんと一緒に大学病院へお見舞いに行ったんですね。帰る頃には時間が遅かったので、ケーキが売り切れてたんですよ。すごくまずそうなケーキが1つだけ残っていて、「これしか買えないね」ってお母さんが言ったことを覚えていて。でもそこで私が「そんなに高いの買わなくていい」って言ったんですね。

由佐:なるほどね。

大山:「お兄ちゃんの入院代どうなってるの? 大丈夫なの?」ってお母さんに聞いた時に、「そんなこと言いなさんな」とめっちゃ怒られたのを覚えてるんです。今、みいちゃんに「お母さんを助けたかったんだろうな」と言われた時に、それがすごくフラッシュバックして。

由佐:そうだよね。いろんな人の痛みに責任を取ろうとして、支えてカバーしてあげたかったら、相手を思いやってきている。たぶん、その延長線で今のシステムがあるんです。

もちろん人間は、人の人生に責任を取ろうとしたいんだよね。大事な人たちの人生は大事だから。だけど亜矢子さんが自覚したらいいのは、お兄ちゃんはお兄ちゃんで生ききっているし、ちっちゃい時の責任を果たせなかった自分は終わってるし、亜矢子さんは今はめっちゃ有能だから、なんにでも応えられる。

だから、自分が応えたいものを自分の意思で選んでいったらいい時期なんじゃないんですかね。助けられなかった痛みが経済的なものとリンクしちゃっているから、本当は経済的呪縛は関係なくて。

大山:はぁー……。もう、すごい……。「乾さんを斬ってもらおうね」って坂東さんと裏で話してたのに……。

坂東:裏で打ち合わせしてたのに……。

大山:乾さんから返り討ちに遭いました。

:これはもったいなさすぎます(笑)。亜矢子さん、よかった。

大山:ありがとうございました。

由佐:ありがとうございます。

多くの行動の動機は「愛のかたまり」である

大山:正直、みいちゃんが社長さんを斬っていく中で、私も「やってもらったら?」という話も軽く出ていて。「いやいや……。怖い怖い」とか言ってたけど、実際に斬られると本当にいいものですね……。

(一同笑)

坂東:嫌じゃないのかな? 

大山:YouTubeでばりばり公開されながらですが。

坂東:めちゃくちゃ見てるよ。

大山:みなさん。怖がらずに申し込んでみると、憑き物が取れるような感覚になるかなと思います。

坂東:私も経験あるけど、斬られても痛くないよね。

:蓋を開けてあるのは、美しいものですよね。

大山:美しかった……。お母さんを守りたいんだなんて。

坂東:それを認識したらいいってことなんですかね。

由佐:こういうふうにわかればわかるほど、人間って愛のかたまりじゃないですか。亜矢子さんだって小さい時に、お父さんも思いやり、お母さんだって愛してやまないから、子どもとして精一杯のことをやっていた。でもなかなか自分の思うような応え方ができないから、無力感になる。

「だから有能になりたい」というふうに、人生は展開していくわけじゃないですか。それを理解できることが本当に大事なんですよね。多くの美しい動機が、本当に愛のかたまりだから。「これが自分だ」って自覚を持っていることが、とにかく大事なんですよね。

坂東:そうか。理解したら、結局そこには愛があったことがわかったんですね。

由佐:そう。それしかないんですよ。

痛みを避けて生きると、愛も感じられなくなる

坂東:確かに。最初に「理解が愛」って言ってたのはそれだ。

由佐:だけどそれは、説明してもダメなんですよね。今みたいに亜矢子さんが自分で感じてくれるから涙が出て、「あぁ、これが自分の痛みだ」って気がつく。多くは痛みって愛なんですよ。だって、愛してなかったら痛いわけないじゃないですか。それに気付いてほしい。もうそれだけですよね。

手法は『ザ・メンタルモデル』でもなんでもいいんだけど、痛みってやっぱり愛なんですよ。そこに人間の一番尊いものがあるんだよね。でも痛みに触れたくないって思っているから、痛みを感じなかったら愛も感じられないじゃんって話なんです。

坂東:なるほど。

由佐:なかなか説明が難しいね(笑)。

坂東:そっか、そっか。今日も痛みの奥には愛がありましたね。

由佐:必ずあるんですよ。どうでもいいところに痛みなんかないんだもん。

坂東:なるほど。

:「よくがんばった」って、自分で自分のことを褒めてあげられますもんね。

由佐:そうなんですよ。健気だよね。「それが本当の私の姿じゃん」って感じなんですよ。

坂東:経営者の方は、ぜひ怖がらずに斬られてほしいですよね。経営者だと後ろめたいところもなくはないから、それが出てきたら不安だとは思うんですが、その奥には愛が……。

:愛があることを知るんだよね。

由佐:そうなんですよ。自分の奥は愛なんだを感じることが統合なんですよ。

本イベントの様子は、YouTubeチャンネルにアーカイブも

坂東:そうか。ということでもう時間になってしまったので、終わらなければいけないんですよ。

由佐:それは残念。

坂東:残念なんですが、私もぬいさんも斬られている『今日も斬らせていただきます。』という番組が始まってますので、ぜひチャンネル登録をお願いします。そして私たちもYouTubeをやっているので、こちらもぜひチャンネル登録していただけたら。

このトークライブの内容も、6月にみいちゃんが出てもらったトークライブもアーカイブが出てますので、よかったらお願いします。

ということで、ぬいさんからの思わぬパスで亜矢子さんに行ってしまいましたが、私も泣けてしまいました。ぬいさん、したり顔なのがちょっと腹立つね(笑)。

:よかった~と思って(笑)。

大山:返り討ち。貴重な経験をありがとうございます。

坂東:みいちゃん、本当に今日もありがとうございました。

由佐:みなさんも、見ていただいてありがとうございます。

坂東:ありがとうございました。これでトークライブは終わりにしたいと思います。『ザ・メンタルモデル ワークブック』。

大山:こちらを買っていただくとスパッと斬られることができると思います(笑)。

(一同笑)

坂東:それではありがとうございました。

由佐:ありがとうございます。