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宗次德二氏(全2記事)

天涯孤独の私生児で、ギャンブル狂の養父と暮らした幼少期 カレーのココイチ創業者の人生を劇的に変えた「小さな目標」

さまざまな壁を乗り越えてきた各界のトップランナーによる、人生の特別講義を提供するイベント「Climbers(クライマーズ)2021 秋」。本記事ではカレーハウスCoCo壱番屋 創業者の宗次德二氏が登壇されたセッションの模様を公開します。

カレーハウスCoCo壱番屋 創業者・宗次德二氏

舘野晴彦氏(以下、舘野):こんにちは。よろしくお願いいたします。

宗次德二氏(以下、宗次):お願いします。

舘野:今日、お話をうかがいます、幻冬舎の舘野と申します。よろしくお願いいたします。「人生の特別講義」という(タイトルに)、ふさわしいゲストをお招きできてうれしく思っています。

宗次:いえいえ、恐れ入ります。

舘野:僭越ではございますが、(私から宗次氏の)プロフィールを簡単にご紹介させていただきます。

1978年に人気カレーチェーン「カレーハウスCoCo壱番屋」(以降、ココイチ)を創業。こだわりの味と独自のサービスを武器に東証一部上場を果たし、ギネス記録「カレーレストランチェーン店舗数世界一」にも認定されるなど、巨大飲食チェーンの礎を築かれました。経営から勇退された現在では、クラシック音楽ホールの建設や多額の寄付など、新しいフィールドの事業に注力されています。もうこれだけでも、お聞きしたいポイントがいくつもありますし、講演会もきっとたくさん行っていらっしゃると思います。

宗次:コロナ禍の前は、そうですね。

舘野:ここの(会場の)感じはまた、いつもの講演会とは違うんじゃないでしょうか。

宗次:そうですね。なかなか出入りできる所ではないですからね。

舘野:オンラインで生配信なので、バンバンいろんなお話をうかがっていきたいと思います。

宗次氏は物欲ゼロで、友人も作らない「愛すべき変人」?

舘野:まず、こちらの質問です。報道や書籍で拝見したのですが、身近な方々は宗次さんのことを「愛すべき変人」「変わった人」だと、よくおっしゃるそうですね。そんな、変人の変人たる所以というのは、どういうところなんでしょうか?

宗次:そうですね。一般の経営者さんと比較すると、およそ真逆のことをずっとやり続けてきたし、生まれながらにして人とは違う過程を踏んできていますからね。やっぱり変わっていますね。

舘野:変わっていますか。

宗次:それは自分が一番思います。

舘野:自覚されていると。じゃあ、変人と言われるのは……。

宗次:褒め言葉です。

舘野:そういうことですよね。変人と陰で言われていても、怒ったりはしないわけですね。表でも言われているのかもしれませんが。

宗次:はい、うれしいです。

舘野:先ほど出ました「一般の経営者とは違う」というのは、いろいろあると思いますが、主にどんなところなのでしょうか?

宗次:そうですね、例外の人もいるでしょうから、決めつけてはもちろんいけませんが。(一般に経営者というものは)最初は自転車操業で苦しい中で起業して、一生懸命やりますよね。そして見通しが明るくなってくると、制服を脱ぎ捨ててよそ見をしたくなる。「友人を作りたい」「仕事だけが人生じゃない」と。私の周りにはそういう人が圧倒的に多いですね。それはそれで1つの生き方で、悪くはないんですがね。

舘野:そうなんですよね。ですから、さまざまな志を持って活動し始めても、やっぱり経済的な豊かさというものを享受したいというか。それは人間ですから間違っているとは思いませんが、宗次さんはそういうところにまったく興味がないとか。お洋服などにも、あまり時間やお金を費やさないそうですね?

宗次:はい。ブランド品を自分で買った経験がないです。私、物欲も含めて、ゼロですね。それは何よりも、仕事がうまくいくこと、右肩上がりで成長を続けることの喜びに勝るものが自分の中に見つからなかったということです。

舘野:なるほど。変な言い方ですけど、どんなギャンブルよりもヒリヒリするというのか。

宗次:いや、真面目にやっていれば、私の場合は着実に毎期毎期積み上げていくことができましたから。

舘野:友だちも作らないんですよね。

宗次:お付き合いできないですからね。なんせ時間がもったいないし、お金・体力ももったいない。(毎朝)4時前後に早起きして、それで時間を作り出しても足らないですからね。

天涯孤独の私生児で、ギャンブル狂の養父と暮らした幼少期

舘野:幼少期に大変ご苦労されたとうかがっておりますが、今のような思いに至ったのは、その影響もあるのでしょうか?

宗次:意識はしたことがないですが、根底にはあるんでしょうね。つらいことをつらいとも思わないし、遊びたいとか休みたいとか、私は一切思わないんです。

舘野:なるほど。

宗次:それよりも、みんなのために社業をまず発展させようと。その結果、すべてがうまくいくと思っています。

舘野:なるほど。少し幼少期のお話もお聞きしたいと思います。一体どんなご苦労があって、どんな環境で育っていかれたのでしょうか?

宗次:まず天涯孤独で、私生児でした。産んでくれた母親はいましたが、会わずじまいで、生きているかどうかもわかりません。それでもね、人間に生まれただけで幸せだなって。ちゃんと出生届を出しておいてくれた。戸籍があるって、すごくラッキーなことでね。

舘野:なるほど。

宗次:その後はギャンブル狂の養父に育てられまして。名古屋市内で、本当にろうそく(を灯すような)生活で、家賃を入れませんから半年から1年で追い出されて。

舘野:ろうそくを灯しながら生活されて。

宗次:名古屋市内でね。(養父は)数百円のお金があったら競輪場です。ギャンブルです。

舘野:それは育ててくれた養父の方と、2人で行くわけですか?

宗次:小学校5年生ぐらいまでは連れていかれました。下に落ちている外れ車券から、当たりを探すのが私の役割でして。1枚も見つけることはできなかったけども、全部合わせると何百回かは(競輪場に)行っていますね。

舘野:当時は雑草を食べていた時期があった、とお聞きしましたが。

宗次:春先にはね。季節によってですね。

舘野:季節によって(笑)。

宗次:食べても良い雑草ですよ。やたらめったら食べていたわけじゃない。秋だと柿を見つけると、いただいて食べていましたね。

舘野:その時はやっぱり「なにくそ! いつか……」という感じだったんですか?

宗次:ないです。のんきだったんです。行き当たりばったりで、ずっとのんきにやっていました。

舘野:へえ。

宗次:小さな目標ができたところから、人生が劇的に好転したような気がしますね。

小さな喫茶店を開いたその日から、人生が180度変わった

舘野:なるほど。目標、もしくは夢みたいなものって、どういうものなんですか?

宗次:夢は、もちろん子どもの頃はあったんでしょうけど。それは幻想、幻で、ただ見るだけで終わってしまいますから。

真剣に「ああ、これを目標にしたいな」って思ったのは18歳の時です。自動車免許を取った時に、指導員さんの仕事ぶりに興味を持って「自分も指導員になろう」と思った。そこから(人生が)開けていきましたね。

舘野:指導員さんのどういうところに(心)打たれたんでしょうか?

宗次:やっぱり18歳の学生だった私に、熱心に教えてくれたっていうことですね。「私も指導員になろう」と。それで、営業職で車に乗ってする仕事の募集広告を見て、面接に行ったら即採用していただいて。不動産屋さんだったんですが、世間のことを何も知らない18歳の私を採用してくれて、半年後には車をあてがってくれました。

舘野:なるほど。

宗次:そこで実務経験を積んで、後に建築の勉強をしようと建設会社に入りました。そこで今の奥さんと知り合って、巡り会った。

舘野:なるほど。

宗次:嫁さんが社交的だったから「喫茶店でもやろう」と。私は不動産業で独立していましたが、喫茶店を開いたらこれがまたおもしろくて。開店のその日に「もう不動産業を辞めよう」と決めて、それ以来、人生が180度変わりました。

舘野:接客業に目覚めた。

宗次:そうですね、魅力的だったですね。場末の小さな喫茶店なんですがね。

舘野:「バッカス」というお店を(持たれて)。

宗次:ええ。たくさんのお客様が……と言っても知れてたと思うんですが、10数名が朝早く開店前に来てくださって。それが衝撃的だったんです。

日常的に叩かれても、養父を恨んだり、自分を不幸だと思ったことはない

舘野:すみません、ちょっと話が戻ってしまいますが。それだけ小さい頃にいろんなご苦労をされると、やさぐれてしまったりは、なかったんでしょうか?

宗次:ないです。そんな勇気はないです。お父ちゃんが大好きでしたから。苦労はさせられましたが、唯一の同居家族でしたから。日雇いしながら何百円かお金を持って、競輪場へ行くお父ちゃんにくっついて行って。そのお父ちゃんはめちゃくちゃ乱暴で、虐待もいいとこでしたが。

舘野:虐待。

宗次:日常的に虐待は受けていました。

舘野:それはいわゆる暴力的なことですか?

宗次:暴力です。素っ裸にされて、ほうきの柄でびしびし叩かれてっていう。今だったら保護されます(笑)。周囲も止めに入ることもできないくらい、乱暴な父親でした。

舘野:でも、絶望的な気持ちになったりしなかったんですか?

宗次:一度もないです。後になっても恨んだり、自分を不幸・不遇だと思ったこともないんです。それはラッキーなことでしたね。

舘野:当時は、例えば小説、書籍、漫画、映画など何でも良いですが、何か心を打たれて「こういうふうになりたいな」みたいなものはございましたか?

宗次:それはなかったですけども。テレビドラマで、ダイエー創業者の中内㓛さん(の人生を)ドラマ化したものは、印象的でした。ほとんどそういうものは見ないんですが、それは連続して見ていて「中内㓛さんすごいな、格好いいな」って。その程度で、あとは影響を受けたっていうことはないですね。

舘野:スポーツマンに憧れることとか、よくありますが。宗次さんは最初からいわゆる起業家というか、仕事をしている人に何か惹かれるものがあったんでしょうかね。

宗次:そうですね。でも、後にも先にも中内さんだけです。私、基本的に自分の道を歩みたいんですね。だから、今日に至るまでコンサルタントの先生は1人もいないです。

幼少期の体験から、人に相談をすることができないんです。相談をしてアドバイスをいただいたら、それを無視することもできないし、はなから自分で道を切り拓こうと(思っています)。(当時は)喫茶店でしたから、それができました。

名古屋で盛んな「モーニングサービス」は、あえてやらなかった

舘野:「接客業に出会って」というところを、もう少し具体的にお聞きしたいと思います。接客業の何にそんなにビビッときて、人生を変えてしまうような出会いになったんでしょうか?

宗次:出会いっていうかね。それはたまたまテレビドラマの初回を見たら、後を引きずって「また来週も(見よう)」ってなるようなものです。ダイエーの中内さんのドラマ「安売り王(※実際のタイトルは『価格破壊』)」のような。そんなタイトルだったと思います。

私の場合は、うちの奥さんと相談して「日銭商売、喫茶店をやろうか」と。私は建売をちょっとやって、アパート・借家の仲介をやって、不動産業は満ち足りていましたからね。喫茶業を奥さんにやってもらって。その場合、2人で相談したのは、名古屋はモーニングサービスが盛んなんですけど、それはやらないでおこうと。

物を安くしたり、物をお付けして喜んでいただいてもおもしろくない、うれしくないと。「接客重視でいこう。笑顔であふれた店にしよう」と。程なくして作った最初の標語が「お客さまを笑顔で迎え、心で拍手」というもので。一応その時はもう、場末の喫茶店のマスターをやっていましたから。そんな標語まで作って、壁に張ったりして。

舘野:じゃあ当時と今、姿勢としてはまったく変わりはないんですね。

宗次:接客、お客さま本位、お客さま第一。これはもう譲れない気持ちです。今はコンサートホール(の経営)をやっているんですがね、夜もちゃんとお見送りまでしています。9時近いんですが「ありがとうございました」って。

「もっと売上を伸ばそう」と始めた、喫茶メニューの出前サービス

舘野:なるほど。2軒の喫茶店を経営されて、不動産業からは手を引かれて。3軒目を開店する時に「カレーでいこう」というイメージでいらした。

宗次:ひょんなことから喫茶店が超繁盛店になって。最初は大変で、捨てられなかったパンの耳を食べる生活が1年近く続いたりして。

舘野:なかなか儲けに入らないというか。

宗次:ええ、そうです、売上はね。最初からモーニングサービスもないような店でしたから。でも、やがては地域一番の繁盛店になりまして。

3軒目(の開店)を考えていた時に「そうだ、出前でもっと売上を伸ばそう」と思いついて、出前専用の軽四の車を買いました。そこで登場したのがライスメニューで、カレーライスとチャーハンだったんです。「それぐらいだったらできるだろうから」って。

舘野:当時から、喫茶店で宅配をやろうと思っていたんですね?

宗次:そうです。その前にテイクアウトもやっていました。今、そういうことが盛んに行われていて、テレビにも取り上げられていますけど。「いや、そういうことは(経営状況の)良い時にやるべきことです」って、独り言でつぶやいていますけどね。

舘野:(笑)。

宗次:「もっと売上を伸ばしたくて」というものであって、「売上が上がらないからお届けでもしようか」ではないですね。「もうこれ以上来ていただく余地がない」ような状態で(やるべきです)。

舘野:テイクアウトも配達も、そこにプラスアルファするためにということですね。配達というのは、コーヒーを配ったということですか?

宗次:そうですね。近隣に「コーヒー1杯からでもお気軽にどうぞ」ということでサンドイッチだとか、カレーライス、コーヒーを配達しました。

舘野:すごい発想ですね。もう何十年も前ですよね?

宗次:ココイチは(創業が)1978年、昭和53年です。

舘野:すごいですね。

疲れ果てて、踏切で夫婦2人して寝てしまったことも

宗次:大きなことは考えなかったにしても、常に目標はありましたね。1号店を出した時に「日商6万円。25日稼働で150万円の月商になったら2号店を出す」というのが目標だったんです。低レベルな目標でして。

舘野:それは誰に教わった……というか、何から学んだんですか?

宗次:やっぱり現場でやっていればおもしろいですから、「もっと喜ばれよう」「もっとお客さまに来ていただこう」って(思うものです)。その代わり、自分の時間はなくなっていきますよ。

舘野:そうですよね。

宗次:飲食業っていうのは、大変激務ですからね。

舘野:創業し始めの頃の、1日の流れはだいたいどんな感じでなんでしょうか? 朝は何時頃に起きられていたんですか?

宗次:喫茶店の時は、朝6時頃に夫婦で自宅を出て。営業時間が夜7時とか8時までだと、それから片付けて自宅に帰るのに1時間ぐらいかかる。だから朝6時に(家を)出て夜の8時~9時に帰るという感じですね。

舘野:なるほど。

宗次:一回だけ疲れ果てて、踏切で2人とも寝てしまったこともありました。

舘野:踏切で、立てなくなっちゃってってことですか?

宗次:車で止まった時に、疲れで思わず寝てしまったんです。遮断器が降りて、線路の外で止まったから良かったけどね。一度だけですが。

舘野:それでも壮絶ですね。

宗次:お風呂の中で寝るのは日常的でしたね。

舘野:疲れ果てて、湯船の中で寝ちゃうんですか?

宗次:ええ、本当に思いっきりやりましたもん。その代わり朝になると、また嬉々として家を出るんですけどね。とにかく、楽しかったです。お客さまの反応が手に取るようにわかりますから。

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