ドラッカーの「強み論」

黒川剛氏(以下、黒川):「問い」の話もありますけれども、少し別の観点でお聞きしたいと思います。

書籍ですごく印象的だったのが、ドラッカーの言葉の「強みを活かす」ということ。「自分自身の強みを、身近な人に聞いてみるととてもいいよ」というコラムを書いていただいたりしたんですけども。

強みを活かすことと「問い」を投げかける、発するところの部分で、少しエピソードがあればいいなと思うんですけど。

井坂康志氏(以下、井坂):そもそも私は、「強み」というものがこの世に存在していることすら知らなかったんですね。ドラッカーを読むまで本当に知らなかったんです。確か「強み」というのを、ドラッカーが言っているような意味合いでは聞いたことすらなくて。

むしろ、小中高とかの頃は昭和でしたけれども、「弱み」とか不得意なことを、どうやって努力して得意なものに変えるかという話はよく聞いたんですけど、「強み」という、自分の生まれながらに持っている生得的な特性といいますか。そこまで言い切るというのは、よっぽど勇気がないと言えないと思うんですけどね。

得意なことというのは、例えば高校生くらいだとサッカーが得意だとか、絵が得意だとか現象に留まるんですけど、「強み」はもっと根源的なもので、井戸みたいなものです。そこからどんどん水が出てきて、汲めどもつけないくらいの力の源泉になりうるものだという。

「私には強みなんかない」というのは傲慢な発言である

井坂:ドラッカーが言っていた「強み論」は、私にとって救いの福音のようなものとして聞こえたのを覚えていますね。当然ながらちゃんと探せば、自分の中にも「強み」があるはずなんだと。そういう意味で勇気を与えられました。

世の中って謙虚な方が多くて、「私には強みなんかないんだ」とおっしゃる方がけっこういるんですけど、それが私にとっては非常に不遜な発言に聞こえてくるんですよね。

もし本当に「強み」がなかったら、今日まで生き延びることすらできなかったでしょう。サバイバルできなかったはずです。今まで自分がさんざん井戸から水を汲んで喉を潤してきたのに、井戸が存在しないなんていうのは本当に傲慢な発言だと思うんですよ。自分の中にある井戸にちゃんと目を向けさえすればいい。これがドラッカーの主張だったと思うんですよね。

黒川さんのご質問からすると、「強みは何か」というこの「問い」が、自分にとってはものすごく希望の源になってくれたんですよね。もしこれがなかったら、サバイバルすることが本当に難しかったと思うんです。でも自分の「強み」がわかった時から、ある面で怖いものがなくなりました。「自分にできることをやればいいんだ」という。

一方で、「強み」を見ていますと、当然「弱み」が無数に存在していることがわかってきます。でも「弱み」には目を向けないと決めた時に、非常に生きるのが楽になる感覚がありました。「ああ、もう見なくていいんだ」と。

「弱み」に目を向けてはいけない

井坂:上田惇生先生と、よく「強み」や「弱み」の話をしたのを覚えているんです。上田先生は囲碁をたしなむ方でして、囲碁のレベルは中の上くらいの腕だったんだろうと思うんですけど、「囲碁をやっていて、ある時気が付いた」と言ってくれたことがありましてね。

それは「どんな局面であっても、必ず探せば自分が優勢な場所があるはずだ」と言うんですね。「ほんのちょっとかもしれないけど、あるはずだ」と言うんです。

当然ですけど、劣勢のところもいっぱいあるわけですよね。でも、そこで「劣勢のところに目をやると大抵負ける」と言うんです。「優勢のところを探し出して、そこを中心に働きかけていくと、気が付いたら勝っていることが多いんだ」と言うんですね。

これは上田先生が「強み」と「弱み」を説明する上で、囲碁の例を挙げたんだと私は理解しているんです。「弱み」なんていうものは基本的に見ちゃいけないし、目を合わせてもいけない。もっと言うと、「生理的に嫌悪すべきものだ」ということですね。

上田先生が「生理的に嫌悪すべきものだ」と私にはっきり言ったことがあります。人の弱みに目を向けようなんてことは、はっきりいうと品がない行為、卑しい行為だと言っている。でも人の「強み」に目を向けようとすることは、尊い行為であって品格に溢れた行為だと言っている。私もそう感じますね。

本当にこの本にも書きましたけど、「弱み」なんてものはいくらでもあるものなので、そんなところにいちいち目を向けていたら、人の人生なんていくらあっても足りないんですね。私たちって人生1個しか持っていないわけですから。どうせ使うんだったら「強み」に使おうというのがドラッカーの考えで、それが最も生産的だということなのかなと理解しています。

黒川:ありがとうございます。これもやはり先ほどの「問い」と同じように、日本人が苦手な部分なのかもしれませんね。「問い」に目を向けるという教育がなくて、不得意科目を(勉強して)伸ばそうということが多かったせいもあるんでしょうけど。

でもドラッカーがずっと言い続けていることと、さらにこの『Drucker for Survival』の中で井坂さんが「強みに目を向ける。弱みは見なくていい」と書いていただいたことで、人生において勇気や元気がもらえる言葉になったんじゃないかなと思いました。

尊敬できるロールモデルの見つけ方

黒川:上田先生のお話が出てきましたが、「先生との思い出」も本に書いていただいて。最後の章の中で「ロールモデルが大事だ」ということも書いていただいていますけれども、ロールモデルの大切さについて、何か秘訣のようなものがあったら教えてほしいなと思っております。

井坂:ドラッカー自身がロールモデルですよね。つまりロールモデルというのは「自分がこうなりたいんだ」という、実際に生きている自分の身の回りにいる人という意味合いで使っていると思うんですけれども、本では「見つけるのは非常に簡単だ」と書いているんですね。

ある本の中で出てくる言葉をそのまま使いますと、上司が入ったばかりの部下に対して言うべきことは、「君が何者か私は知らない」ということです。新入社員なので知っているはずはないですよね。「君が何者か私は知らない。ただ、自分が成長したいと思うのであれば、尊敬できる人を探しなさい」と言ったというんです。

私の場合、「尊敬できる人を探しなさい」ということに関しては、自分で言うのもなんですけど才能があったと思っています。けっこういろんな人を見つけることができたんですね。

尊敬できる方のところに行って話を聞かせてもらって、いろんなことを教えてもらう。そこで言うべきことは非常にシンプルでありまして、「私、知らないので教えてください」ですね。そう言うとだいたい教えてくれます。

身近に必ずいるロールモデルに目を向ける

井坂:特に若い方に対しては、名を上げたような偉い方であったとしても、「すみません、ちょっとよくわからないです。無知なので教えてください」と言うとびっくりするくらい親切に教えてくれるんですよ。

それは私が20代30代で学んだことの1つなんですが、ロールモデルを探すためには、そういう方が身近に必ずいるはずです。なにでそういう方に目を向けさえすれば、見つかると思いますね。

ドラッカー本人も、晩年に書かれた本の中で、自分がどうロールモデルを見出して、そこから学んできたか(を話しています)。

ロールモデルの中には、身近な新聞社の上司なんかもいるんですけど、当時すでに亡くなってしまったジュゼッペ・ヴェルディというイタリアの作曲家もいました。その方が書いた『ファルスタッフ(Falstaff)』というオペラ作品は、80歳の時に書かれたもので。「晩年で大作をものにした」というところから学んだと語っています。

必ずしも今ご存命の方だけではなくて、亡くなった方をロールモデルにしてもいいんだろうなと思いますね。とにかく探しさえすれば、世の中はロールモデルに満ちあふれています。

相手を立場で判断するのは、ドラッカー的に「極めてまずい見方」

井坂:私は今49歳になっておりますけれども、今でもロールモデルの方は毎年のように見つかっています。たくさんいますので、何歳になっても探そうという意思さえあれば、いくらでも見つかると断言できます。

極端な話、上田さんは、最後に近い本で私のことを「畏友」と呼んでくれています。あとで奥さんから話を聞いた時に、非常に口幅ったいことですけど、私のことを非常に尊敬してくれていたんだと。それを聞いて、すごく心が熱くなったのを覚えているんです。

上田さんから見ると、私は息子くらいの年齢にあたるんですが、年齢ってほとんど関係ない世界だと思いますね。ロールモデルについてはそんなふうに考えております。

黒川:ありがとうございます。「自分のほうが優れている」と思うのではなくて、やはり「何かこの人から学べることはないか」と思いながら、尊敬の念を持って人と接することが大事なのかなと、お聞きしながら思いましたね。

井坂:そうですね。相手を上か下かで見る、立場で人を判断するというのは、ドラッカー的に見ると極めてまずい見方なんですよね。上田さんも本当に嫌っていた考え方です。

上田さんは慶応大学の出身なんですけど、慶応の同窓会にもあまり熱心ではなかったくらいです。きっと学歴とか立場で物を言うのがあまり好きじゃなかったんでしょうね。

300ページ以上の大作を泣く泣く割愛

黒川:ありがとうございます。本当に貴重なお話をいろいろとうかがってきまして、だいぶ時間も迫ってきました。

この書籍を作ったエピソードを私のほうからお話しさせていただくと、書籍を288ページでまとめているんですけれども、原稿は実はプラス100ページぐらいあったんではないかなというような大作でして、本当にどこも削るところがなかったんです。

「300ページを超えてもいいから、ぜひ全部の原稿を載せましょうよ」というお話をしたんですけど、やはり「300ページを超えると読みづらくなってしまう」ということで、井坂さんにかなり削ぎ落としていただきました。

ここで伝えきれなかったこともありますし、それから「ドラッカーのこの本は読んでおいたほうがいいよ」というリーディングリストも入れていただいていたんですけれども、それも割愛しまして、読者特典というかたちで入れさせていただきました。

ここに入れている「マネジメントの樹」もカラー版のPDFのダウンロードとか、そういったものも含めて読者特典ができるようになっておりますので、ぜひ本を読みながら活用いただいたらと思います。

※『未来を大きく変えるドラッカーの問い Drucker for Survival ドラッカー・フォー・サバイバル』 Amazonページの解説より

「マネジメントの樹」が、この本の中で非常に肝になっていて、その樹に付随するような絵がいろいろと出ているんですけども。読者特典でダウンロードできるようにしているので、この本を軸に、1人で内省をしながら読んでいくのも非常に貴重な読み方だと思います。むしろみなさんで勉強会だとか読書会とか、あるいは研修の中で「マネジメントの樹」を活用するなど、非常に有意義な使い方ができるんじゃないかなと思います。

井坂さん、そういった泣く泣く割愛したところや、あるいはドラッカーの書籍で「こんな本を読んだらいいよ」というところ、「マネジメントの樹」のいい活用の仕方をお話しいただけるとありがたいなと思います。

自分で書くのではなく、読者に考えてもらうスタイル

井坂:ありがとうございます。今、コメントを何件かいただいたんですけれども、1つこの質問とも関係しているので、ちょっと読んでいただいてもよろしいですか?

黒川:「例えば、緒方洪庵の適塾は階層を超えて行われた模様です。日本にも『問い』を立てる場や習慣はあったように思いますが、いかがでしょうか」。そうかもしれませんね。

井坂:まったくおっしゃるとおりのご指摘です。最初に300ページを優に超えるくらいの原稿をお出ししてしまいまして、いったん校正まで組んでいただいたわけなんですけれども、そこから約100ページくらいカットしたんですよね。私にとっては、カットする作業自体が、この本のコンセプトをもう1回確認する重要なきっかけになりました。

この本ってやはり「問い」の本なんだよなと思ったんですよね。私もそういう仕事をしてきましたからよく知っているつもりなんですが、本にお金を払って読む方って、すごく知的レベルが高いんですね。この方々の知性を、ドラッカーは間違いなく信用していたんですね。

だったら、これは自分で書くのではなくて、読まれた方に考えていただくというスタイルにしたほうが、この本の趣旨にも叶っているだろうと思ったのが1つあったと思います。

「問い」を立てるという習慣は日本にもある

井坂:先ほどのご質問にもあるように、「問い」を立てるという習慣が実は日本にもありまして。緒方洪庵ですから、江戸時代ですよね。こういう「問い」をベースにつながりあえるような関係性が、ドラッカーの学習者の中にはいっぱいできているんですよね。研究会のようなかたちもそうですし、できれば今回の『Drucker for Survival』も1つのきっかけになればいいなと願っているんですけれども。

その中で一番大きな団体は「ドラッカー学会」という、ドラッカーを師として勉強する学会がありまして。その学会にいらっしゃる方は、本当にいつも緒方洪庵の適塾のように、立場とか年齢とか属性とか、あまりそういうことを考えずに、端的にドラッカーの「問い」を自分の文脈で解釈したり、人の方法を聞いたりしています。非常に風通しのいい、生産的な関係を築いておられると思うんですよね。

それに付随して申し上げますと、11月20日にドラッカー学会の大会が福岡の博多で開催されますので、もしご関心があればオンライン参加も可能ですので(ぜひ覗いてみてください)。

「問い」の妙味というか、今回も個人の内面に焦点を当てた素晴らしいテーマとプログラムを用意されています。私はそちらにも登壇させていただく予定なので、ぜひご関心があれば出られてみていただけるといいかなと思います。

黒川:ありがとうございます。事務局からドラッカー学会博多大会のリンクを、チャットに貼らせていただきましたので、ぜひこちらアクセスいただければと思います。

ドラッカーを読むことによって失われるものは、少なくとも1つもない

黒川:まだまだたくさんお聞きしたいこともあるんですけれども、「Vol.2を期待しています」という話もありますので。

井坂:うれしいですね。

黒川:ぜひこの本の続刊、あるいはこういうイベントもまたVol.2、Vol.3とできるようにしていければなと思っております。時間も限られてまいりましたので、最後にこの本の読者の方、あるいは今日ご参加のみなさんに、井坂さんからあらためてメッセージをお願いします。

井坂:ドラッカーを知ってから、約20年くらい研究してきたんですけれども、とにかく読むたびに訴えているポイントが変わってくるという、不思議な論者なんですよね。たぶん言葉に何か秘密があるんでしょう。

他の論者を批判するつもりはないんですけど、いろんな経営学者の本やビジネス哲学者の本を職業柄読んできたんですが、普通のお湯と温泉くらいの違いがあるというのが、私の印象なんですよね。

温めたお湯に入っているだけなのか、非常に効能の高い温泉に入っているのか。それで言うと、効能の高い温泉のようにじんわり効いている感じは、ドラッカーにしか感じたことがなくて。それもあって、結果的には今日に至るまで、彼に関心を持ってやってきました。

ドラッカーを読むことによって失われるものは、少なくとも1つもないとだけは断言できるんですね。得るものしかない。本当に得るものしかなかったというのが実感であります。

今回のコロナは、冒頭にも申しましたように、誰にとっても安全地帯がない状態です。ここに逃げればいいというのがわからない状態の中で、ビッグクエスチョンが我々の前にいきなり現れるという、歴史的にも稀有な時代を生きているわけです。ぜひこの時にドラッカーと出会うのは、私はすごく幸運だし恵まれていることだなと感じるんですね。

この本を1つのきっかけにして、これから先の指南力を手にしていただく一助にしていただければうれしいなとに思います。また、ドラッカーの「尊敬する人を探せ」という言葉が、私の中の一番重要な指針になっていますので、今日は尊敬するみなさんとご一緒できたことに心からの感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございました。

黒川:こちらこそどうもありがとうございました。