コロナ禍で顕在化したスポーツ界の課題

森まどか氏(以下、森):岡田さんも龍崎さんも、土地の個性や特色、どういったところにホテルを建ててどんなことができるのか、どういったところにサッカーで町を作っていくのかというところで、非常に共通点があると思います。

そしてお二人の共通点と言えば、「こうしたものを作りたい」「こうしたことをやりたい」といったものをしっかり実現させているところが、またすごいなと考えて聞いておりました。

このあと、またいろいろと詳しくお話をうかがってまいりますが、まず岡田さんにおうかがいしたいです。新型コロナウイルスの影響は、サッカー界、スポーツ界にも非常に打撃が大きかったと思います。

昨年はJリーグも公式戦が延期になったり、「コロナとの戦い」と言ったら変ですが、現在でもまだ向き合っていかなければならない、対策を取らなければならないシーンは多いと思います。コロナ禍で顕在化したスポーツ界の課題を感じていらっしゃることがあれば、お聞かせいただきたいのですが。

岡田武史氏(以下、岡田):「スポーツ界の課題」「コロナ禍で分断が起きた」とか、みなさんよくおっしゃるんだけど、それまでもあったものがより鮮明に表に出てきたような感覚があるんですよね。

今回、コロナで入場できない人が増えた。お客さんを入れないで試合をやらなきゃいけないと、それで赤字になるクラブもたくさんあった。うちはありがたいことに入場料収入の割合が低いこともあるんですが、J1・J2・J3上のチームはやっぱり人数が多いので大変なんです。

目の前の100万円よりも、大事なのはスポンサーの信頼

岡田:我々は企業理念に沿って、「物の豊かさより心の豊かさを大切にしよう」ということで。(チームの)色分けをするために、裏返したら色が変わるビブスを1年目に作るんですが、うちはタオルの町(今治)だからタオルで作ろうぜって言って、タオルで作ったんですね。知らなかったんですが、タオルって裏がパイルで糸が出ていて印刷が乗らないんですよ。

(FC今治では)ビブススポンサーをつけていたんですよね。そうすると、裏返すとスポンサーさんの名前が出ないんですよ。当時で100万円くらいで、僕らの1年目にとって100万円ってすごい金額だったんです。

「これは半分(企業名が)出ているし、良いかな?」ってみんなで言ったんですが、うちの企業理念は目の前の100万円よりも、1回でもスポンサーさんが見て喜ぶ信頼を大事にするって言ってたんじゃないかと。「作り直そうぜ」ということで、みんなで企業理念に沿った経営をしてきたんですね。

実は「そんな甘い経営をしていたら潰れるぞ」って言われたりもしてきたんだけど、うちはコロナ禍でもものすごく大きな黒字が出たんですよ。営業日報なんかを見ていると涙が出そうなんだけど、「うちは大変だけど、お前らがんばっとるから続けるよ」って、スポンサーさんがほとんど降りられなかったんですよね。

僕らは(スポンサーを)「パートナー」と呼ぶんですが、パートナーさんがほとんど降りられなかった。そういうこともあって、我々がやってたことは間違いじゃないなとあらためて思って。

これはスポーツだとかそうじゃなくて、すべてにつながることなのかなと思います。ことスポーツに関して言うと、文化の一部だと思ってるんですが、コロナは逆に追い風だと思ってるんですよね。

外出できないコロナ禍で、人々が見直したスポーツの価値

岡田:さっき言ったように経営的には厳しい面もあるんですが、スポーツの価値をみんなが見直した。それはどういうことかと言うと、例えば「2ヶ月ずっと家にこもっていたら、こんなにお金を使わないでも暮らしていけるんだ」って、みんな気が付いた。僕の家の周りも、ジョギングしたり散歩したりしてる人がすごく増えてるんですよね。

昔、僕はドイツに住んでたことがあって。宗教上、ドイツって週末にどこも開いてないんですよね。そうするとみんな公園へ行ったり、閉まっている店の前を歩いたりしてるんだけど、最初に家族で行った時は物足りないんですよ。日本人って、どっかへ行って何かをする目的が必要なんだけど、(週末にあるのは)家庭だけなんですよね。

ところが慣れてくると、それはそれで楽しくなってくるんですよ。公園へ行ってお茶を飲んで帰ってくるとか、だべって帰ってくるとか、日本人が新たな価値に気付き始めたんじゃないかと。スポーツも単なるエンターテイメントじゃなくて、文化としての価値がある。実はそういうものが生きていくうえで必要だと。

ドイツのメルケルさんが、コロナ(が蔓延状態に)になった時に最初に言いましたよね。「文化は生命維持装置だ。だから我々は文化にはお金を出す」と。日本はすぐには文化にお金を出さなかったですが、そういう意味で今はスポーツにとってものすごく追い風です。

文化は、生きるか死ぬかの時には起きないんですよ。ゆとりが出て、そして遊び心が出た時に文化って起きるんですね。例えば、音楽は危険信号です。敵が攻めてくる、動物が攻めてくると。ところが敵が攻めてこない、動物が来ないとなった時にリズムをつけだして。

スポーツは狩りなんですよね。狩りに出て獲物を捕ってこなかったら、家族が飢え死にすると。でもある時マンモスを射て、1週間狩りに出なくても良いと。その時に「あのマンモスを射たのは俺の弓だ」「いやいや、俺だ」「じゃあお前、競争しよう」「お前の弓が長すぎるからルール作ろう」というところから(スポーツは)来てるんですよね。

そうすると、文化は生きるか死ぬかの時には起こらない。ゆとりができたら起こる。ところが逆に、今の社会のように便利・快適・安全になって、何もしなくても生きていける社会になった時に、逆に文化や生命維持装置がないと生きるのが辛くなってくる。

恐らく(文化には)それぐらいの価値観があるということを、日本人もちょっと気付き始めたんじゃないかなと思っています。だから僕は、コロナでスポーツやそういうものが打撃を受けたって言うけど、多くの人がその価値に気付き始めたんじゃないかなと思ってますね。

多忙な日々の中でふと気づいた、地元民とのつながりの希薄さ

:通常の時期であれば当たり前に思っていて、そんなに大切にしていなかったものの本当の大切さに気付いたのは、コロナ禍ではあるかもしれないですね。

岡田:そうですね。

:特にステイホームの間は自分と向き合う時間が非常に多かったので、そういう面もあるのかなと思うんですが。ただ、その価値に気付いた背景には、FC今治がずっと信頼を築き上げてきた経過があってのことなのかなと思うんです。最初に立ち上げた時から現在に至るまで、どのようにして信頼を築き上げていったのか、人々の暮らしの中に価値を作っていったのか、そのあたりを少し聞かせていただいても良いですか?

岡田:(地元の人に)なかなか受け入れていただけない中で、最初のうちはバックオフィスを6人ぐらいで始めたんですね。でも、はっきり言うとかなりブラックで、夜まで働いたりしてたんです。最近は労働基準局がうるさいので、あんまり働かないんですが。

夜中に「おい。俺たち今治に来て2年になるけど、今治人の友達がいる奴はいるか?」って聞いたら、誰もいなかったんですね。「そうか。俺たち『おもしろいのでサッカーを観に来てください』って言ってたけど、俺たちが行かなきゃいけないんじゃないか? 残業を8時までにして、町に出て友達を作ろう。友達を5人作らないとダメだ」と。

「俺たちはFC今治の仲間で仕事して、FC今治の仲間で飯食って、FC今治の仲間で議論して。そうじゃなくて、俺たちが出て行こう」と言って、「友達作戦」というのをやったり。

「孫の手活動」といって、「家の木を切ってくれ」「重いものを動かしてくれ」「あんたら、サッカーというのをやっとんのか。今回はありがとうな、じゃあ一回行くわ」とか言って、みなさんに来てもらったり。「おじいちゃん、おばあちゃん。何か困ったことがあったら何でも言って下さい」と、我々が育成する子どもたちとコーチと、僕も何回も行きました。

または野外体験教育、環境教育、「バリチャレンジユニバーシティ」という大学生を集めたワークショップとか、サッカー以外のいろんなことをやっていったんですよね。

ついて行きたくなる人とは、頭のいい人でもお金持ちでもない

岡田:そして、そういうことが徐々に認められて。僕自身は法螺に近い夢を語って、社員がその尻拭いに走り回ってるのがだいたいのパターンなんですが。

今治にはスタジアムがなかったんです。「今治には絶対にそんなの無理だ」「そんなもん満員に絶対できない」と言われていたけれど、5,000人のサッカー専用スタジアムができたんですよ。5,000人のスタジアムを満員にしようと思ったら、50万人くらいのバックヤードがいるんですが、今治市って15万人しかいないんですよ。それが満員になったんです。

それはやっぱり、夢を語ってチャレンジしている。「この人について行こうか」って人が思うのは、決して聖人君子について行くわけでもない。頭の良い人、お金持ちについて行くわけでもない。

僕のメンターでもある田坂(広志)先生がよくおっしゃるんですが、「志高い山、要するに私利私欲のない山に必死になって登る姿を見て、人は『このオッサンに付いて行こうか』と思う」と。そういう意味では、我々のいろんなところから集まった仲間が、本当に私利私欲のない目標に向かってがんばってきた。

コロナで、みなさんが自分と向かい合う時間ができた。そのとおりなんですよ。東大から某銀行に行って、ニューヨーク支店にいるやつが、「どうしてもうち(FC今治)へ来たい。面談してくれ」と。「やめなさい、ニューヨークから今治は格差が大きすぎる。給料は3分の1だ」「奥さんもいる」「やめなさい」「いや、どうしても行きたい」と言って、来ちゃったんです。

ニューヨーク支店だったら日頃めちゃくちゃ忙しくて、考える余裕がないんですよ。ところがコロナでずっとステイホームで、「俺って本当は何をやりたいんだろう? 一番大事なものって何だろう?」と考えた時に、ふっと僕の企業理念や、やってることに出会っちゃったと。だから、コロナはそういうきっかけを与えてくれた気はするんですけどね。

:そうですね。一貫したブレない理念を、内部のスタッフの方たちもそうですし、今治の方たちも見てきている。それを一緒に体験することで信頼が積み上がってきたのかなと。「友だち作戦」や「孫の手作戦」、素晴らしいなと思ってお話をうかがってました。ありがとうございます。

龍崎氏が「コロナショックが起きて良かった」と語る理由

:龍崎さんにもコロナのことを少しおうかがいしたいと思います。観光産業が打撃を受けて、みなさん厳しい状況だったと思うんですが、龍崎さんはその中で次々と新しいサービスをローンチさせています。このあたりはどういったお考えで、どういうふうに進められたのか、お聞かせいただけますか。

龍崎翔子(以下、龍崎):ありがとうございます。まず前提として、先ほどの岡田さんの話ともけっこう近いと思うんですが、コロナで何かが変わったということは、実はそんなにないと思っていて。コロナによって、それまであった流れが10倍になった側面のほうが大きいんじゃないのかなと思ってるんですね。

例えば観光で言えば、「インバウンドが減っちゃう」という長期的なトレンドで見たら、絶対に起こっていたであろうことがコロナ禍で一気に起きてしまったり。団体旅行が減ってしまうのは、そもそも世代によって旅行のスタイルが違うので、(コロナの影響で)ものすごいスピードで起きてしまったということにほかならないなと思っていて。

なので、コロナショックはぜんぜん起きるとは思っていなかったんですが、コロナになる前から、遅かれ早かれこの市場で過当競争が起きるだろうなとずっと思ってたんですね。

じゃあ、観光需要が来ることを待って、そこにちゃんと宿泊できる寝床を当てていく観光業は限界があるなと思っていて。宿泊施設をやるにしても、観光需要じゃない他の需要に対して当てていくようなやり方がないだろうか? ということを考えながら事業を作っていったので。

自分はけっこう、コロナショックが起きて良かったなと思っていて。(コロナ禍のダメージは)苦しい“全身複雑骨折”みたいな感じだと思うんですが、業界の課題や自分たちの企業の中の課題があぶり出された、すごくいい機会だったなと思っています。

コロナ禍は、世の中のネガティブを解決するチャンス

龍崎:3月くらいまでは昨対を超えるくらい、お客さまがすごくたくさん来てくださっていて。というのも、私たちのホテルは戦略上、以前からインバウンド客を取るのをやめてたんですね。

日本のお客さんで、かつ値段じゃなくて、ホテル自体を好きでいてくれるからこそ予約してくださる方だけに絞る。というふうに戦略を2017年ぐらいから変えていたので、3月ぐらいまではお客さまの入りがぜんぜん変わらなくて。

ただ、ロックダウン状態になって人が物理的に動けなくなってからは、うちらも休業したんです。その時期はそもそも収入源がなくなってしまうので、けっこうがむしゃらに。例えば、自分自身が困った状況に直面している一個人でもあるので、逆に自分みたいな人のためのサービスを作るチャンスだと思ったんですね。

起業やビジネスって、世の中で発見されていない不満や不快や不安とか、発見されてないネガティブな願望や欲望とか、「困っている」という声を発見して、それをビジネスとして成り立つモデルを作って出していく営みだと思うんです。

そういった意味で、コロナショックは大手もベンチャーも関係なく、世界中の全ての人が同時に課題にぶち当たる、スタートラインが一気に引かれた状態だったとも思うんですよ。という意味で、そこから何をやるかはそれぞれの企業さんのスピード力と瞬発力と、そこから走り出せる体力によるところだったなと思っています。

「ステイホーム」が「ステイセーフ」じゃない人もいる

龍崎:コロナショックが起きた時に何をしてたかと言うと、自分が一経営者として、一個人としての課題がすごく大きかったので。

これは最終的にはビジネス目的ではないんですが、ホテルを先払いで予約することができるシステム。今すぐは行くことはできないけど、困ってる観光事業者さんを支援したいと思っていらっしゃる方ってすごくたくさんいらっしゃったので、そういう方々のためのホテルの先払い予約のプラットフォームを作ったり。

あと、当時は「ステイホーム、ステイセーフ」ってめっちゃ言われてたと思うんですけど、ホームがセーフじゃない方っていっぱいいると思うんですよ。それはもちろん、DVや虐待もあると思いますし、そうじゃなくても親と仲が悪いとか、離婚協議中だからあんまり毎日一緒にはいたくない、みたいな。

(家にいたくない理由が)ライトなものまで幅広くある時に、それだったらホームがセーフじゃない方のために、空いてしまったホテルの客室を提供しましょうという、「HOTEL SHELTER」というプロジェクトをやらせてもらって。全国で2,000室のホテルさんが申し込んでくださっていて、大阪市と協定を組ませてもらったりもしていました。そこはけっこう、瞬発力でやっていた部分です。

そのあと動いていたこととしては、先ほどもあったように、観光需要だけが宿泊施設の満たしてあげられるニーズじゃないなと思っていて、産後ケアホテルというのを企画しているんです。

(ホテルは)宿泊施設ですが、「人が人をケアする場所」と読み替えた時に、旅行の時に泊まる場所じゃなくて、人生で一番誰かに物理的に支えられることが必要な時にケアをすることができたり。子どもを産んだ女性もそうですし、その方とパートナーさんやご家族との関係をサポートするようなことができたり。

観光需要に当てない宿泊事業の企画が本格的に動き出したりしていて。そういったかたちで、自分たちは宿泊業として、何かの新しいニーズにサービスを提供していくことができればいいなと思ってやらせていただいています。

:お話をうかがっていますと、コロナでさまざまな浮き彫りになった社会の問題にサポートできる機能をホテルに付けた。それによって、利用するお客さんとの信頼が増していったという感じですかね。

龍崎:そうですね。良くも悪くも、別に「ホテル業をやりたい」って思ってないんです。世の中にこういうことで困ってる人がいるな、自分も困ってるな、っていうのを発見した時に、自分たちが持ってるアセットで「こういうことができそう」というのを都度考えていくので。コロナであることがネガティブに直結しないと思うんですよね。

そういうところでも、むしろいろいろな新しいチャレンジをさせていただけた機会になったなと思っています。