新しいアイデアが生まれづらくなる、デザイナーとしての「ゆるやかな死」

江川みどり氏(以下、江川):先生、「ゆるやかな死」の記事は、一言でまとめるとどういった内容になりますか?

モンブラン氏(以下、モンブラン):ざっくりと言うと、ずっと同じデザインを作り続け「慢性的なスランプ」に陥っていた僕が、どうやってその状況を打破していったか、という内容になっています。新しいアイデアが生まれなくなってしまって、ジリ貧になってしまったりとか、単純に体力的につらいな、デザイナーとしてつらくなってきたな、など、そういった方に向けて書いた記事です。

江川:なるほど。私はもちろん記事を読みました!

受講生1:寿命が尽きたということでしょうか……。

モンブラン:そうですね。正確に言うと、デザインのスキルとしての寿命が、「うわっ、やばいかも」というところで捉えてもらえるといいとかと思います。

江川:受講生のみなさんからのコメントを見ていきたいと思います。

受講生2:今もゆるやかに死んでいる気がしてならないです。

受講生3:今まさにそうです……。人出が足りず、他の業務をしてデザインから離れる時間が長くなってインプット・アウトプットすることが減りました……。

江川:切実ですね。

受講生1:センスがなくなっていくという「実感」をどう得たらいいのかわかんないです……。

モンブラン:なるほど。実感……するのは、確かに難しいところですよね。僕も、完全にゆるやかな死を実感した頃には、もう、(デザイナーとして)死にそう……という感じでしたからね。

江川:ゆるやかな死ですもんね。いつのまにかというところがあると思います。

ひさびさにもの作りをした時に「ゆるやかな死」を実感

江川:全体の印象としては、ゆるやかな死に「陥っている」もしくは「陥りかけている」という人がけっこういるという印象でしょうか。

モンブラン:そうですね。

受講生4:毎晩、このままでいいのかなと漠然と不安になりますね……。でも打開する勇気も体力もないです。

モンブラン:わかるー!「毎晩このままでいいのかな」というのは、僕は入社2、3年目でありましたね。わかるなあ~。

江川:先生もわかる、わかると。あらためて、先生が書かれた「ゆるやかな死」の記事について、それを書かれた背景もふまえてお話しいただけますか?

モンブラン:はい。noteという、誰でも書けるブログメディアがあるんです。そこで、自分の過去の経験とかも踏まえて「デザイナーとしての『ゆるやかな死』」というものを書かせていただいております。

これを書いたきっかけなんですけれども最近、自分がデザインのクリエイティブの作成以外にも、マーケティング・広告の運用なども並行してやっているんですが、もの作りに携わる時間がどんどん減っていることを実感し始めたんです。そのあとに久々にクリエイティブをやってみたら、「あまり良いものを作れなくなった」というのがあったりしたんです。

そういった僕の経験をきっかけに、そういえば「昔こういうことがあったな」とか、「昔こういう先輩がいたな」とか、過去の記憶が蘇ってきたことが、記事を書いたきっかけになります。内容としては、僕がSOD(ソフト・オン・デマンド)にいた頃の話ですね。当時、先輩のデザイナーがいたんですけれども、途中で辞められて……。

その状況を見た僕の上司の「センスって消えるんだなあ」というエピソードや、自分自身が「ゆるやかな死」みたいなものを経験した時のことですね。「クリエイティブを作ろうとした時の作りづらさ」だったりとか、そういったことを書いています。あとは、「インプットを怠らないほうが良いよ」というところの自分の思ったことや知見を書いていったんです。

アイデアやセンスには「残高」がある

江川:では、ゆるやかな死について、さらに詳しく解説していただきたいと思います。

モンブラン:ブログの記事ももとにしつつ、2つの事象をまとめています。1つ目が、「ゆるやかな死=センスの枯渇」というところです。僕はいま30歳なんですが、会社の先輩が、当時30歳でSODを退職されたんです。その時に、部長さんが「あいつはセンスがなくなったんだな」とぼやいていたんですね。

僕からすると、当時、センスは湯水のごとく溢れるものだと思っていたので、「センスってなくなるんだ……」という衝撃を受けたんですね。当時の僕は、グラフィックデザインでパッケージを作っていたんです。そのあとから、Webデザインに転向しました。けっこう小さい会社だったので、Webデザインの担当者が僕だけだったんですよ。

ずっとWebサイトを更新したりとか。更新作業って、毎月あったりするじゃないですか。そのルーティンをずっと続けているうちに、いざロゴとかクリエイティブを作る時とかに、まさに「ゆるやかな死」に近づいていることを実感したんです。もう同じものしか作れなくて、「やばいな……」と思って。そこでアイデアが枯渇するというのを経験したという感じですね。

この時に思ったのが、センスには残高というものがあるということです。インプットしたものをアウトプットするということを怠ってしまっていると、いつの間にかアイデアやセンスの残高がなくなってしまう……。その状態で何かものを作る時に、「ちゃんとしたものが作れない」というのをまとめたという感じですね。

同じものを作り続ける「負のルーティン化」

モンブラン:もう1つが、「ゆるやかな死=アウトプットの停止」だと思っています。「負のルーティン化」っていうのがあると思っています。例えば、バナーを毎月20個作ります、30個作りますというのが、ただ毎月ルーティンが起き続けていると、同じものを作っていることによって、いわゆる作るものに対してのマンネリ化が発生していくと思うんです。

ただ、バナーを30個作るって、クリエイティブのものにもよるんですけど、けっこう大変なことだったりするんです。それに時間に追われて、インプットも減っていくのがルーティン化してしまうという感じですね。

例えると「料理のレパートリー問題」に近いところがあって。僕、自分でお弁当を作るんですよ。自炊をしていて、毎週作り置きみたいな形で、今週は何を作る、と考えているんですけど。忙しいと、来週何を作ろうといって、同じものを作っちゃうんですよ。事実、僕、先月からずっとピーマンばっかを、刻んで、作って(笑)。

江川:ピーマン炒めですか?

モンブラン:そうです。ピーマン炒めとか、ピーマンをレンジでチンしたやつとか。自分のお弁当の中に負のルーティン化が発生しちゃったりするんですけど。

江川:ピーマン……(笑)。

モンブラン:そういうときは、例えば、自分の献立に鮭を入れようとか、牛肉を入れようとか。牛肉だったらどういう調理方法にすれば良いのかなとか、自分からインプットをしにいくというところが、まさしく「負のルーティン化から脱する」みたいなところの活量になると思います。

逆に、それをやらないということは、ずっとピーマンのレパートリーを作り続けることになる。もう、飽きちゃうじゃないですか。それと似ていると思っていて。これも「インプットとアウトプット」を料理で言うと、レシピを覚えることがインプットで、アウトプットが料理するということになってくると。

やっぱり、ずっとピーマンだけを作り続けるのは、アウトプットがずっと並列しすぎて、インプットは新しい料理のレパートリーが見つからない。もしくは見つけることができないことによって同じピーマン料理しか作れないみたいな結果が起きてしまうっていう……。この2つのことが起きて、「ゆるやかな死」というのが起きると考えています。

「センスの枯渇」に、ネタを使ってクリエイティブをする人たちが共感

江川:みなさんから、共感や、「これってこういうことですか?」という声をいただいていましたので、ちょっと見ていきたいと思います。

受講生1:センスの枯渇、非常にこわい言葉ですね。

モンブラン:いや~、こわいですよ。

受講生4:枯渇=ネタ切れ感?

モンブラン:言ってしまえば、それにかなり近いですね。ただ、ネタ切れもあるんですけど、自分の作るものにそのネタを生かせなくなったりとかもします……。おっしゃっているところは、けっこう合っているなという印象ですね。

受講生3:記事読みました! センスの枯渇というより、アウトプットが固定化したことにより、その人にとっての「普通」がそのままアウトプットに反映されてしまった状態なのかな、という印象を受けました。

モンブラン:なるほど。そうですね。まさに、さっきお話したピーマン。ずっとピーマンを使い続けるみたいな話ですよね。

江川:負のピーマンのルーティンがあるということですね。それこそ、これはデザイナーの方以外にも共通するなと思いましたね。特にお弁当の話。

モンブラン:そうなんですよ。けっこう記事も、デザイナーさんから記事を共有いただいたことも、もちろんあるんですけど。次に多かったのがライターさん。こわいとか、いろいろ反響をいただいていて。やっぱり、何かものを作るにはネタが必要という方からの共感は、すごくいただいているしだいですね。

受講生3:インプットをしないとアレンジができなくなる……。

受講生1:インプットとアウトプットのバランスが崩れると死に向かうのだな……。

モンブラン:そうです、そうです。

受講生4:アウトプットの一定化は、環境に起因することも大きいように思います……。

モンブラン:そうですね。僕がまさに、そのゆるやかな死に陥った時というのが、ひたすら激務で……。さっきお話した先輩さんとは別で。Webデザイナーを当時2人でやっていたんですけど、突然、1人がお辞めになってしまって。そこから、何個だったか……。めちゃくちゃ、いろんなサイトを引き継がなければならないということに陥ってしまいました。

毎週、毎週更新に追われていたのもあって、かなり環境も影響してくるかなという。だから、僕、記事にも書いたんですけど、1回、「休みます」と言って会社を休んだんです。ひたすら、ベッドに寝そべりながら、スマホで溜まりきっていたデザインの記事とか、もしくはちょっと外に出て仕事をやってみたりとか、切り替えをした感じですね。そこでちょっとだけ活路が見えたという感じですね。

江川:想像するだけで本当につらい……。

モンブラン:そうですね。つらい時期でしたね、本当。

自分の意見を人にアウトプットすると、記憶に残りやすい

江川:ここからは「ゆるやかな死を防ぐ」にはどうしたら良いのかということを、先生と一緒に考えていきたいと思います。

モンブラン:本筋をいえば、ゆるやかな死にはなりたくないじゃないですか。じゃあ「ゆるやかな死を防ぐにはどうすれば良いんだっけ?」というところについて、お話します。これは、半分、僕の自論にも近いところなので、ご容赦というか、優しい目で見ていただければと思います。「ゆるやかな死を防ぐ」というところで、何個かポイントがあります。

1つは「どうインプットするのか」というところですね。まずは、「人と話す、議論する」こと。例えば、自分の記事を書いた、自分が何か記事を見た時に、「自分はこう思った」とか、「こういうふうに、これって違うんじゃないかな?」とか、そういうことを誰かと話すのが大事だと思っています。

要は、自分の中だけにインプットすると、いずれ忘れるんですよ。僕も、Feedly(RSSリーダー)を使って記事を流し読みするんです。でも、流し読みをしたものって、だいたいの場合は忘れるんですよね。それに対して、「この記事おもしろかったよね!」とか、誰かと話したりすると、やっぱり記憶に残りやすいと思います。

なので、「自分の感想、意見を持ってしっかりアウトプットする」。自分の意見を持つというのは、ポイントですね。人と話すというのが、自分が間違った解釈をしている時に「いや、それって違うんじゃない?」と直してくれる。だから、世間的に見て正しい方向にインプットするという意味でも、「人と話す、議論する」ってすごく大事だと思っています。

インプットは「自分の好きなもの」で行う

モンブラン:もう1つは「刺激あるインプット」ですね。これは、自分にとって「興味・関心が強いものでインプットしていく」ことが大事だと思っています。「自分の好きなものでインプットする」。僕は、Nintendo Switchだとか、あとは今はやっていないですけど『コール オブ デューティ』とか、そういう普通のコンシューマー型のゲームが好きなんです。

最近、Switchだと、『ゼルダの伝説』が出たんです。ただ見るだけだと、『ゼルダの伝説』って普通におもしろいゲームですが、そこからもうちょっと深掘ってみる。ゲームをしている時でも、この画面に出てくる「地形の波」とか「高低差」はなぜこのようなデザインになっているんだろう?とか考えるんです。

実はあれってユーザーを飽きさせないために意図的にデザインされているはずなので、そういったところからもインプットすることができると思います。

「いつもと違う場所」でのインプットも、記憶に残りやすい

モンブラン:あともう1つが「環境を変える」というところですね。これはもう「旅行」だったり、「美術館」だったり、自分の環境が変わっていると、刺激が強くなるというか、記憶に残りやすいですよね。少なくとも、旅行に行ったという記憶って、なかなか忘れないじゃないですか。

「箱根? 箱根行ったかな……」みたいな、なかなかないと思うんですけど、それとつながって、「箱根のここに行ったよね」とかっていうので、ツリー式に記憶の、インプットの枝を持っていくというところは、大事かなと思っていますね。でもこれって、旅行とか美術館というふうに書いていますけど、例えばいつもと違う場所であればいいと思っています。

いつもは家で勉強とかしているけど、たまにはカフェに行くとか、スタバでパソコンを開いて、じゃないですけど(笑)。違う環境でインプットしてみたりとか、スイッチングをするみたいなところに近いですね。「角度を変えたインプット」というのもそれで。これ、ちょっと、上の2つ(「自分の好きなものでインプット」「環境を変える」)に若干かかってはいるんですけれども。

自分が「デザインの記事、デザインの記事!デザインの記事!」というふうに、全部まったく同じカテゴリー以外にも、例えば、「デザインって、作る時に何を考えるんだっけ?」となってくると、心理学を学ぶのもいいと思います。要は、ユーザーがどう受け入れるのかを心理的にどうやれば良いんだとか。あとは、建築ですかね。

建築だと、「この支えはこういう意味なんだよ」とかっていうのを、曲解ですけど、例えばそれをWebの考え方に取り入れたりとか。自分がインプットしたことがないジャンルとかを気分的に角度を変えてインプットしていくと良いと思います。「刺激あるインプット」という形なんですけれども。

アウトプットをしたことで、得られるインプットもある

モンブラン:最後になりますが、「アウトプットを目標としたインプット」というのもありだなと思っています。これ、僕、実はめちゃくちゃ実行していて、僕の2018年の目標は「可視化」なんですよ。

江川:可視化?

モンブラン:僕、さっき自己紹介にも書きましたけど、SODという、けっこうネタになる職場にいたので(笑)。

江川:けっこうインパクトはありますね(笑)。

モンブラン:実際、僕はnoteの記事以外にも、モザイクだったりとか、あと目線の記事とかもあったりするんですけれども。あれも、自分の中で意見を持っていたわけではなくて……。でも書いたことによって、新たに意見を持ったりするんです。

書いたことによってその記事を読んでくれた人から「実は僕も同じ業界にいて、こういうふうに作っていたんですよ」って、実際ツイートをもらったこともあるんですよね。自分でアウトプットしたことによって得られるインプットというものもあるので。「発表を目的にしてインプットする」というのは、そういうことですね。

あと「ブログで発信するためにインプットする」っていうのは、まさしく僕がnoteをはじめた理由なんです。ブログで発信するときって、下手すると炎上するじゃないですか。変なことを書いたりすると。だから、自分が正しいことを書かなければいけないというか……。そうなってくると、自分で正しいことを知るために、自分で書こうと思ったテーマからさらにインプットしないといけないんですよね。

Webの記事であれば、本当はこのWebで書いているコードのタグって、「本当にこうすると良いんだっけ?」って。「本来はこの使い方だけど、この使い方ができるよ」というふうにやると、それは「本来だと」と言った部分って、「新たなインプット」になります。そうなると、インプット癖がついていくところがありますね。

「切り口を増やす」ために、アウトプットの場を強制的に設ける

モンブラン:もう1つは「アウトプットの場を強制的に設ける」っていう。これもそうです(笑)。

江川:Schooの登壇も(笑)。

モンブラン:こうやってSchooに出演させていただくこともそうですし(笑)。最近ですと、「ポートフォリオナイト」や「クリエイターズ交流会」っていう、けっこうデザイナーさんが主催しているところでもライトニングトークという短い発表の場があるんです。主催者さんには申し訳ないんですけど、何も考えずに、とにかく参加したんですよ。

参加するってなると、もちろん資料が必要なんです。だから、資料を作るために、いろんなものをインプットしないといけない。その「ポートフォリオナイト」の参加条件が当たり前ですけど「ポートフォリオサイトを持っている」ことだったんですね。でも、僕、ポートフォリオサイトないんですよ、実は(笑)。ないけど、「出たい!」と思って、主催者の方に直談判したんです。

あと、ポートフォリオの記事がnoteにあったりはするので、それをネタに「お会いさせてください!」と。そうなった時に「ポートフォリオサイトがないのに、普通にポートフォリオの説明をしても、厳しいな」と思って……。別の切り口から攻めることにしたんです。「Adobe XD」という、プロトタイピングツールを使ってプレゼンテーションをするという荒技を思いついて、やったんですよ。

「Adobe XD」は、ポートフォリオサイトを作るためのツールではなく、スマホのデザインなどを見るツールなのに、です。でもそうすることで、「こいつおもしろいな」って注目してもらえると思ったんです。今まで使ったことなかったんですが、実際それで僕、XDを始めて……(笑)。

そのためにいろいろ、「XDでスライドを作るためには」というところを通して、XDの触り方だったりとかを自らインプットしていったという感じですね。なので、アウトプットを意識してインプットをしていくという、本来とは逆転しているかもしれないんですけど、そういった切り口でもゆるやかな死を防いでいけるのではないかなと思います。そんな感じですね。