両親の商売の大変さを見て、家業を継がず会社員になることを決意

小森谷浩志氏(以下、小森谷):それでは、さっそく谷川さんから少しお話をいただければと思っております。谷川さん、よろしくお願いいたします。

谷川祐一氏(以下、祐一):有限会社谷川クリーニング代表取締役の谷川祐一です。どうぞ、よろしくお願いします。

谷川麻美氏(以下、麻美):谷川麻美です。よろしくお願いします。

祐一:弊社ですが、僕が継いだのは17年前なんですね。創業が52年前になりまして、父の谷川末男が創業者になっております。ものすごく厳しい職人気質の父だったので、子どもの頃から大変厳しく育てられて、理不尽な目にもたくさんあってきました。

ケンカに負けて帰ってくると「ケンカに負けて帰ってくんじゃねえ、男だったら勝つまで帰ってくるな」と言って叩き出されたりとか。食べ方が悪いと、ちゃぶ台返しで全部ご飯をひっくり返されたりとか。

そういういろんな目に遭いながら、子どもの頃からずっと父親、母親が商売をやっているのを間近で見ながら育ってきたわけです。商売をやっていると、良いこと、悪いことがたくさんあって、例えば両親がお金がなくて困っていたり、人が辞めてしまって悩んでいたりとか、苦労しているところを間近で見るんですね。

その度に両親がちょっと険悪なムードになったり、ケンカしたり、場合によっては父親が母親を殴ったりとか。そういう場面も見ていたので、すごく苦しかったりしたんです。「うちって、なんでこんなに嫌なことがたくさん起こるんだろう」と思った時に、「こんな商売をやっているからなんだな」と思って。

僕は絶対にこの仕事をやらないと子どもの頃に決めていたんですね。そんな調子で、小・中・高・大学まで行かせていただきまして、もう大学が終わった後は就職になる。でも絶対に帰りたくないので、そのための方法を考えて、会社員になったんです。

その時は「いろんなことを経験してから継いだほうがいいと思うから、やりたいことをやらせてくれ」って言って。29歳まで時間をもらって、会社員をやらせてもらいました。会社員をやりながら、なぜか俳優業を目指して俳優をやっていたりもしたんですね。だから、30歳までは二足のわらじでそういう生活をさせていただいていました。

家業を継ぐと決意するも、店舗と工場で見た「すさまじい状態」

祐一:29歳になった頃に、父親からそろそろ帰ってこいと電話がきまして。帰りたくないなというので一悶着あって、いろいろと父親ともバトルを繰り返したんですが。最終的には妹と母親を人質に取られて、僕が帰ってこない間、ずっと母親を「お前のせいで祐一が帰ってこない」と、繰り返し言っていたら母親がちょっと鬱に近い状態になってしまって。それで、自分が帰るしかないと思って帰った。それが17年前です。

帰ってきて、倒産寸前の厳しい(経営)状態でしたので、立て直そうと思ったんですが。店舗と工場に分かれていて、まず店舗を見にいきますと、当時11店舗あったんですが、もうすさまじい状態でした。

扉をガラッと開けて(店舗に)入ると、店員さんが奥に引っ込んでいて、カウンターの前にいないんですね。座敷にシートみたいなものを敷いて、ちゃぶ台を置き、近所のおばあちゃんたちを呼んでお茶会を開いているお店とか。

フィットネス器具を入れてパーソナルトレーニングジムみたいになっているお店とか。ダイニングテーブルにティーセットを2客用意して、恋人との部屋になっているお店とか。ここに住んでいるのかというくらい自分の部屋みたいになったお店。

一方で工場に行きますと、朝「おはようございます」と入っていくと誰も返事を返してくれなくて。「おはようございます」「おはようございます」と言っていると「うるせえ」という声が返ってくるんですね。

「あいさつなんかしている暇があったら手を動かせ」と言うような職人さんたちが何人かいらっしゃって。今度はお昼くらいに見に行きますと、泣いていらっしゃるパートさんがいたり、ここ(首元)をつかまれて殴られている若い男の子がいたり、すごい状況でした。

これをなんとかしていかなきゃいけないし、売上も上げて利益も出していかないと、倒産してしまうなと。そこでまず、ルールを作って規律的に行動してもらうようにしました。あとは事務所に1人ずつ呼んで、面談をしながら教育という名のダメ出しみたいなことをどんどんしていったんです。そういうことを続けながら、売上が低い店舗をやめて、新しく1店舗作るというスクラップ&ビルドをやりながら、どんどん数字を改善していきました。

従業員の管理体制を整えて売上が倍増するも、退職者が後を絶たず

祐一:5年くらい経つと、数字的にはだいぶ改善し、売上も倍くらいになって、人数も40人くらいだったのが50人くらいに増えました。数字的にはいい状況なんですが、ただ、社風というんですかね。退職者が後を絶たず、常に僕の携帯に電話がかかってきて「すみません。社長、ちょっとお話があるんですけど」という。社長をやっている人が一番出たくない電話なんですけど。

そういう電話がたくさんかかってくるような状況で、年間ずーっと求人を出しっぱなしで面接もしっぱなし。入っては出て、入っては出てというのが続いている状態でした。お金がなくて苦しい状態からスタートしたので、売上・利益を出して多少改善したんですが、家族関係もどんどん悪くなっていったんですね。

特に父親との関係が最悪で、「なんでお前は俺の言うとおりにやらないんだ」ということがたくさん起きるわけです。今までのやり方が悪いから、僕が違うやり方を考えてやっているんですが、それが父には理解されなかった。

あと、(父と)対話してお互いに理解をするということが「もうできない」と思ってしまっていたので、その場をやり過ごして、自分は結果だけ出せばいいと考えてやった結果、口もきけない状態になっていました。顔を合わせるともうお互いに悪態しか出てこない。

そのまま進んでいくと、今度は会社についての「あのやり方はどうなっているんだ」という話から、「てめえ、このやろう、表出ろ」「俺に逆らう気なのか」みたいな言葉が父から出てくるんですね。こっちもいろいろと苦しい思いをしながらがんばっているので、もう売り言葉に買い言葉。「ああ、表出てやるよ」みたいなことを言って表に出ると、もう父親がナタを持って外に立っていて、ナタで襲いかかられると(笑)。

あとは、口論の末、そばにあったクリスタルの灰皿で頭を殴られて血を流すとか、そういうことが日常的に起こるようになっていたんですね。それも会社の事務所とかで起きるので、社員さんが数メートル横にいる中でやっていたりするんですけど、もう誰も我関せずみたいな状態になっていました。

僕が一方的にやられるだけだったんですけど、最後の最後に1回だけやり返したことがあって。その時は父親をバックドロップで投げ飛ばしたんですね。そしたら、父親が動けなくなってしまって、ベッドに寝た状態で「てめえ、俺にこんなことをやって(ただで)済むと思うなよ」って。「お前の嫁と子どもを同じ目にあわせてやるからな」みたいな。

絶対やらないってわかっているんですけど、やっぱり売り言葉に買い言葉で、そういう言葉が出てきたりする。それを聞いた時に頭の中が真っ白になって、気づいたら父親の首を締めていて。母親に体当たりで止められて、「あんた、父さんになんてことすんの」と母親から罵倒されたことがありました。

心理学を学び、「いい関係」の構築に必要なことに気づく

祐一:そこで、なんでこんなことが起きているのかとすごく考えたんです。お金がなくて苦しかったから、お金を儲ければなんとかなると思っていたんですけど、お金がある状態になったらもっと苦しくなった。

会社の中でも、たくさん人が辞めて苦しいし、自分はもう親子関係でも人間関係でも本当に苦しい状態でした。このまま行くと僕が死ぬか父親が死ぬか母親が死ぬか、誰かが殺すか自殺するだろうと思って、なんとかしなきゃいけない、何かが違うと思って。そこからいろいろ勉強するようになりました。

それは、経営的に数字を上げるための勉強というよりは、どうしたら人間関係を良くできるかとか、どうしたら心を穏やかにできるんだろうとか。だから心理学とかもいろいろやっていったんですね。その中で、フロイト系の心理学者のエリック・バーン(Eric Berne)という方が体系づけた「交流分析」(TA)というものがあるんですが、「交流分析」という名前なので関係をすごく考えるものなんですね。

相手との関係は、自分自身の幼少期の体験をもとにできるパーソナリティから作られているので、パーソナリティを深く掘り下げていきながら、今の自分がどうなっているかを考えましょう、みたいなやつだったんです。そして、僕が最初に分析して出た結果には「人間らしさを失っていませんか」と書いてあったんですね。

なんでこんなことが書いてあるのかなと思って、その先生によく話を聞くと「自分の感情・感覚を押し殺して、どうしたらいいかを考えて日々の役割をやっているうちに、自分の感覚とか感情がわからなくなっちゃっているのかもね」と言われたんです。

その時に「だって感情を出したらダメじゃないですか」と、僕は先生に言ったんです。そしたら「なんで?」と。「あなたは感情を悪いものだと思っているの?」と言われたんですね。「だってお互いに感情を出し合うと、はちゃめちゃになっちゃわないですか?」と聞いたら、「なんで感情が悪いものだって決めつけるの? ネガティブなものとポジティブなものの両方があって、感情を見せ合わないといい関係にならないじゃない」と先生に言われて、「あれ?」ってなったんですね。

そう言えば、家族間でしばらく笑っていないし、どうせわかり合えないと思って、感情を見せるなんてことをずっとしていなかったなって。そこから、自分のやり方がおかしいんじゃないかという疑問が湧いたんですね。

自分の子育てを客観視して変わった両親との関係

祐一:それで、父親との関係を本気で改善していこうと考えて、いろいろなことをやったんですが、そうしたら、すごく簡単に父親との関係が良くなったんです。時間にして2ヶ月くらいの間だったと思うんですけど。

「自分ってどうしたかったんだっけ?」と思ったら、父親を殺したいとか父親を懲らしめてやりたかったんじゃなくて、父親には笑っていてほしかった。母親と父親が一緒に仲良く豊かに暮らしていってほしい、長生きしてほしいと本当は思っていたし、自分も父母に愛されたいと思っていたけど、今はそうじゃないと感じていた。でも、過去を振り返っていくうちに、自分は父親と母親からちゃんと愛されていたことがわかってきて。

自分は「こうしてほしかった」「ああしてほしかった」っていろいろとあって、ちゃんとそうされていなかったという思いがあったんですが。過去を振り返るうちに、父母も僕の思っていたようにはやってくれなかったんですけれど、でも、精一杯がんばってあれだったとわかったんです。

その時に、「ああ、自分も今、親として小さい子どもを抱えてやっているけど、いい親かどうかと言ったら、自分も精一杯がんばってこの程度だから、しょうがないことだな」と思えたんですね。そこから、父親に対する印象や母親に対する感情が変わって、もうぜんぜん憎くないし、幸せになってほしいと感じられるようになったんです。

それから関係改善をやろうと思ったら、ただあいさつを交わしているだけでも、今までは罵倒しか聞こえなかったのが、ちゃんとあいさつが返ってくるようになって、笑顔で話せるようになった。僕のいないところでは、父親と母親も笑顔で話せるようになって。すごく普通の状態に戻っていったんです。

その時に、こうやって人の関係を直せたけど、壊す時は一瞬で壊れるんだなと思い、会社の中もそうなんじゃないかって。たくさん仕組みを入れたりルールを作ったり、いろんな教育をして変えようとしていたんですけど、そうではなくて、単純にそこにいい関係が作れれば何かが変わるんじゃないかと思って、同じことを会社の中でしていこうと思ったんです。

そのためには、自分の会社に対する考え方・価値観、会社観みたいなものや、働いている人たちに対する見方、人間観みたいなものを見ていかなきゃいけないなと。僕はすごく不信感で人を見ていたから、人はいつか裏切る、いつか嫌なことをしてくると考えていて。

だから、そうならないようにルールを作らなきゃいけない、縛らなきゃいけない、フレームを作って中に入れなきゃいけないと、ずっとやってきたんです。でも、本当に人間がそうなのか(裏切る、嫌なことをしてくる)みたいなことを考えていくと、そうじゃないなと思えることもたくさん起きていたんです。

「いい関係」を目指す意識が、一人ひとりの自律的な行動を生む

祐一:東日本大震災の時も、店舗の人たちはまったく連絡も取れない、電気も通じていない状態なのに、会社やお店に出てきてくれて、掃除をしてくれていたり。自分にはその意味がわからなかったんですね。なんで、そんなことをしてくれるんだと。

「家はどうなんですか?」と聞いたら、「家もぐちゃぐちゃなんですけれど、店舗が心配だったんで」「お客さんももしかしたらお困りかもしれないから、お店に来ちゃいました」ということがたくさんあったんですね。

工場も出社してくれている人がいて、「工場が大丈夫か心配だったんで、朝イチで来ちゃいました」みたいなことを言っている人とか。僕は今までこの人たちをどういう目で見ていたんだろうと。そういうことにすごく疑問を持ってから、人間って信じる・信じないじゃなくて、信頼する、信頼できるものだと思ってから、やり方がどんどん変わっていったんです。

そうやって自分のものの見方、考え方、捉え方が変わっていくうちに、ルールで縛ろうとしていたやり方が、今度は逆にできなくなってきて。人をそんなルールで縛る必要はないんじゃないかなって。

だから、自律分散型組織を作ろうと思いました。人間はもともと自律的で、善良で、良くしようと思うけど、自分の周りの関係に気づけなかったり、見えなかったり、感じられなかったら、無関係という行動をとるんですね。「会社って自分に関係ないものだな」と思っていたから、みんなが自分勝手な行動をとっていただけで。

でも、みんなで一緒に会社をやっていて「人間関係って良いほうがいいよね」と言ったら、全員が「いい」と言うわけです。僕自身もそのほうがいいし、働いている人もそのほうがいい。じゃあ、良くするためには、どうしたらいいんだろうと考えたら、リーダーみたいな人が「あなたたち、仲良くしたほうがいいから仲良くなりなさい」と言って仲良くなれるわけじゃないので。

「一人ひとりがみんなで仲良くしようと思って、かつ、自分自身が良き人であって、人に喜ばれて、人から好かれて選ばれるという状態じゃないと、みんながあなたと仲良くしようと思わないじゃないですか」とだけ言うようにしたんです。そしたら、それに共感してくれた人たちが、そういう行動を取るようになっていったんですね。それが今のうちの状況なんです。

結果的に、今ルールはあんまりないですし。お金を自由に使えたり、工場に朝何時に来て何時に終了するかという就業時間もみなさんが考えてやれるというのは、自分の家や家族と同じように思っているからそうなっているだけで。ルールとか仕組みがあるからではないと、僕たちは認識しています。こんな感じです。どうも、ありがとうございました。

小森谷:本当に惹きつけられました。ありがとうございます。