徹夜で調べ上げたレポートを「いらない」と言われた新人時代

司会者:では山口揚平さん、ご準備よろしいでしょうか。

山口揚平氏(以下、山口):よろしくお願いします。

司会者:お願いします。最新の揚平さんの頭の中をちょっと覗かせていただきたいなと思っていますので、ぜひよろしくお願いします。

山口:よろしくお願いします。スライド通りにやるかどうかは別として(笑)、お話をさせていただければなと思います。

私は考えることが昔から好きでした。ずーっと物思いにふけるというか、考えることを大事にして暮らしてきました。大学を卒業してコンサルティング会社に入って、最初の仕事がM&Aという、幸か不幸か、ルノーという会社が日産に対して出資するという仕事をカルロス・ゴーンさんと一緒にやったわけです。

当時新人なので、徹夜してバーッと調べあげて(資料を)持っていくと。そうすると「うーん……ちょっとこれ、いらないんだよね」と言われるわけですね。外資の人たちが「そういうことじゃないんだよね」と言う。

膨大な、腰ぐらいまであるレポートを持っていくんですよ。当時労働時間が「9時から5時」で。って言っても、実際は「朝9時から朝5時」です。要するに4時間しか自分の時間がないんです(笑)。今で言うとブラックなのか社畜なのかよくわからないですけど、そういう時代がありました。

求められていたのは「洞察」による「本質」の部分

山口:それでレポートを持っていった時に「いや、こういうのが欲しいんじゃないんだよね」と言われたんです。その時に言われたことがすごく印象的でした。「こういうことじゃなくて、この会社を動かしているものの本質を知りたいんだ」と。「この会社を動かしているコアな部分は、いったい何なんですか」「その本質を知りたいんだ」ということを言っていたんですよね。

それを「ホットボタン」とか、今だと「レバレッジポイント」とか「コア」とか言ったりしますけども、とにかく「ものの本質を見抜くんだ」ということをすごく大事にしていて。私は「ああ、そうか」と。今までやってきたのは情報を調べたり分析したりということではあったんです。けれどもその一歩先にあるのは「洞察」なんですね。それがビジネスのみならず、すごく大事なんだと若い頃に気づかせていただきました。

知識とか情報よりも洞察をすること。そして本質をつかむことが大事だと学んだのが、一番大きかったかなと思っています。

では、洞察ってどこからくるのかなというと、もちろん情報とか分析とかもあるんですけども、「考える」ってことなんです。そして考えるとは何かという本を、22歳の時に書いたんです。それを20年間くらい寝かせておいて、2年前に出したのが『1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法』という本です。

前段の「1日3時間だけ働いて」のインパクトが大きいんですけど(笑)、思考法の本なんですね。タイトル詐欺のようなんですけど、これを読むとやたら難しい。「考えるとは何か」ということが書いてあります。

チンパンジーとヒトの違いは「概念」を持てること

山口:考えるとは何かというと、概念が像を結んで1つのイメージになっていくことだと思っています。「情報の波の中に意識を漂わせて、その概念を有機統合させる作業である」というのが「考える」の定義なんですけども、そんなことをちゃんと書いてます。

よく「考えろ、考えろ」と言われるけれども、本当に「考える」って何なのかなというのがなかなか本当は伝わってないんじゃないかなと思っておりまして。実はその「考える」ことが、チンパンジーと人間の違いなんです。わずか0.06パーセント、DNAレベルで言うと本当に1万分の6の違いですが、人間は「概念」というものを持つんですね。

概念を持つことによって人間は「ヒト」という、動物の一歩先というか、大脳新皮質がついているというか、前頭葉がついているというか……(笑)。そういう存在になれるんだと思っています。だからそれ以外の99.94パーセントは、チンパンジーと変わらない、なんなら生物の一種だなと思っています。

しかしこの「概念を持つ」ところが、人が人であるとともに、人がはまりがちな罠なんじゃないかなと思っています。我々は考えることによって悩んだり、結果として未来を悲観してしまって、自殺をしてしまったりすることがあります。

一方で「お金」という概念。これは「共通思念」と言うんですけども、「お金には(人類)共通に価値があるよ」という概念です。コンセプト、アイデア、どう言ってもいいんですけども。

それ共通思念を使ってコミュニケーションが図れるのが人間なんです。チンパンジーは道具はやり取りするんですけども、お金を使うことはできない。なぜならば概念処理ができないから。ここに違いがあるんです。

「時間」という概念は、ヒトが決めた1つの尺度

山口:我々は「時間」が流れていると思っているんですけども、アリという生物には時間の概念は存在しないんですね。だからアリは時間って考えたこともないんですよ。概念がないので、モラルということも考えたことがないです。

だから我々から見て「時間」は存在しているけども、物理法則の中では「時間」という概念は出てこないんですね。それ(時間に相当するもの)は「エントロピー」という言葉で表現されます。ここに温かいコーヒーがありますけども、この中に冷たい水を入れると、シャーっと広がっていきます。拡散機能とも言うんですかね。これをエントロピーって言います。

ものが腐ることをもって我々は「時間が経っている」なんてことを言いますけども、「時間」もヒトが決めた1つの尺度であって、それもちょっと怪しいなと。そこから考えたほうがいいんじゃないかなと思っています。

「ヒトが作った概念の枠組み」の中にヒトが閉じ込められている

山口:なんでこんな話をしているかというと、時代が「ヒトが作ってきた枠組み」にとらわれすぎてきたなと思っているんですね。「お金」とか「論理」ですね。例えば(「倫理」という枠組みにとらわれて、)LGBTQだとかダイバーシティだとか、そういった問題に発展してきていますし。「ヒトが作った概念の枠組み」の中にヒトが閉じ込められてしまって、結果として動物的な自分、1万分の6ではなくて1万分の9994の、チンパンジーと同じ動物的な自分が失われています。

例えば、食べて寝て風を感じて、エネルギーを取り入れて死んでいく。あるいは動物的、生物的な部分が失われがちなんじゃないかなと思っております。1万分の6の部分にかなり執着して、意識が集中しちゃうことによって、とらわれてしまう。

資本主義だったり、それによる格差だったり。「概念」によって苦しめられるってことが起こっているんじゃないかなと考えるわけですね。

僕は結果として、最初はゴーンさんたちとM&Aとかをやっていたんですけども、そのあと起業したり売却したりして、10年間にわたって会社を10社作ってきました。宇宙開発とかロボットとか、もちろんブロックチェーンの会社とか、2040年の産業の中心になるようなテクノロジーベンチャーの創生に関わってきました。

これからの生き方として示す、2つの方向性

山口:より動物的と言うんですかね。言葉として「オーガニックがいい」とか「動物を食べないほうがいい」とかは思わないんです。体が消費すれば、別に動物でタンパク質を取ってもいいんじゃないのと思うたちです。なので「ロハス」だとか、そういう言葉は必要はないんですが、いったん(これから生き方として、)2つの方向を考えています。

1つは「概念に縛られたヒト」という自分を解き放していこうということ。それは瞑想とかマインドフルネスの方向かなと思ってます。さらにその瞑想とかマインドフルネスの状態に、常に自分がなること。つまり「悟り状態への道」というのが1つあります。

もう1つはやっぱり「土と風とともに生きる」ということでして。そこで今やっているのは、先端の医療技術を使ったリトリートホテルだったり、エコビレッジの創生だったり。今まではビジネスのテーマとしては「企業価値を上げる」ということをずっとやってきたんですけども、この数年で「企業価値」じゃなくて「地域価値」にガラッと大きくテーマを変えてやってきております。

私ができることは、自分が考えて感じたこと、そして自分で行動してきたことを血肉化して、言語化して本にして、それを伝えて広げていくことによって、インスピレーションを与えられたらいいなという生き方をしています。自分を実験的な存在として見なして生きているわけですね。

「事業創造」から「産業創造」、そして「国家創生」へ

山口:キャリアで言うと1999年からM&Aをやっていて、カネボウとかダイエーとか、そういう大きめ(会社の)の再生をやっていました。この時に学んだことは先ほど申し上げたような、「考える」ことについて考えたということ。

特に「考える」ことは意識的な行為であって、その「考える」という行為は、本当はみんな理解してないんじゃないかなと思ったんです。「そうか、考えるとは意識を使うことなんだな」と思いました。時間が余ったら最後に「意識とは何か」という話をしたいと思ってます。

その後に「事業創造」ということで起業をしました。1回、リーマンショックの時に体を壊していました。何が何だかよくわからなくなったんですね(笑)。最初は睡眠時無呼吸症候群になって、そのあとは自律神経失調症になって、そのあとはIBS(過敏性腸症候群)になってという、対処しなきゃいけないことが沢山あって、よくわからないものになってきました。

そういう遍歴も含めて、漢方だとか針だとか東洋的な治療法、西洋的な治療法も含めて、体験記を本にして出したいです。とにかくいろいろやってきました。その会社は売却したんですけども、そのあとに「産業創造」ということで、先ほど申し上げた10社を創生しました。

そのあとに今は「国家創生」って偉そうなこと言ってますけども、「勝手にプライムミニスター」というか(笑)。今は岸田さんがプライムミニスター(首相)で、岸田さんもがんばっていらっしゃるけど、「自分だったらこうするけどなぁ」ということを自分で勝手に出していくことをやっております。全部手金でやってるものですから、「文句は言わせないよ」ということです。

年収が高い職業が、必ずしも社会的価値を生み出すとは限らない

山口:これはFacebookでも1回出していますが、『ブルシット・ジョブ』という本で有名になった話をグラフィカルに表現したものです。いろんな職業がある中で、縦軸が社会的な価値の高さです。1円稼ぐごとに、実際には100円の社会価値を出している職業もある。一方で1円もらうごとに社会的な価値がマイナス、つまり搾取してる職業もあるということで、一生懸命研究してたわけですね。

社会的な価値をずっと追っていく中で研究が進んだのは、やはりテクノロジーのおかげだなと思っています。ブロックチェーンのように記帳して取引をトレースしていく技術だとか、IoT(Internet of Things)と言って、今だと地球上のすべてのものがだいたい5センチ単位の網の目ベースで把握できる世界になってますので。

中島みゆきの『糸』みたいな、縦の糸と横の糸のようなものをイメージしていただければいいと思うんですけども。そういう網の目で、世界の全部をトレースして、デジタルで把握できちゃうんですね。誰が何をどこでやっているのかが全部わかる。すでに技術的には確立していて、監視社会につながるんじゃないかということが危惧されている現状ではあります。

そういう技術を使うと、実際に行ってきた仕事が社会貢献的なものなのか、つまり社会の役に立ってるものなのか、それとも社会から搾取しているものかって、わかっちゃうんですね。僕はほとんどのビジネスが……「搾取」とは言わないですけど、「中毒」だとは思っていますね。

「人を思いやる」ビジネスが、いつの間にか「人から奪う」ものに

山口:「サブスク」という言葉もそうだし、コーラでもなんでもアミノ酸やカフェインが入ってます。ゲームもそうだしスマホもそうだし、非常に長く永続的に、静かに稼ぎ続ける。まさにアヘンですよね。我々は今、コンテンツのアヘンの中にいて、日清戦争前夜の中国のようです(笑)。無料のコンテンツが溢れてる中でコロナを迎えていますから、みんな「Netflixが好きです」とか「YouTube見てます」とかやっているわけです。

そういう社会の中でほとんどのビジネスが、聞こえは良いけども結局は利益創造活動(profitable activities)になっていると私は思ってます。そういうタイトルの本もダイヤモンド社で出ていましたね。「依存症ビジネス」という(笑)、本当にあらゆるビジネスをディスってる本です。

でも会社とビジネスってまた違いますからね。よくよく考えてほしいのが、「ビジネス」という言葉のもともとの意義が「人を思いやる」、awarenessとかcarenessとか、そういうラテン語から転じている言葉なんですね。「It's none of your business」とか「Don't mind my business」という構文を昔学校で覚えさせられたと思うんですけども。それはどういう意味かというと「私のことは気にしないで」って意味ですよね。

だからビジネスというのは「ケアする」「人のことを思いやる」という本質的な意味があったんですよ。でもそれが「人から奪う」「利益を創出する」という方向にいつの間にか変わってきちゃっている。それ、おかしいよねということです。

つまりビジネスって「貢献」、「コントリビューション」なんです。(テクノロジーによって)コントリビューションをトレースできるようになっているのは、大きな福音だと思っています。

テクノロジーで「良いことをすると評価をされる」社会に整ってきている

山口:今、この(社会的価値の高さと年収の高さの)調査はすごく手間暇をかけて一生懸命やっていると思うんです。みなさんわかるように、リサイクル業者とか保育士とか、一部の研究者とか清掃員などの「エッセンシャルワーカー」と呼ばれている人たちは、社会的価値は高いのに「給料が安いよね」と言われ、社会的承認も低い。一方で稼いでる人は……。

この図表でちょっといやらしいのは、広告代理店の役員が一番社会的価値が低いという(笑)。電通問題が出てきた中でこの図を出すのもどうかなと思うんですけども、銀行家とかも社会的価値は低いですけどね、本人も薄々わかってはいるわけです。だから、こういったものが研究されていることはすごく良い方向です。

僕は東京大学の社会情報学修士を経済学で持ってるんですけども、その時の一番有名な先生は宇沢弘文さんという方で、『自動車の社会的費用』という本を書いた方だと思うんです。それは何かというと、自動車は500万円で売ってるけども、社会的には1500万円のマイナスを出してる。排気ガスも出すし、道路も作らなきゃいけないし、交通事故もあるし、警察も動かなきゃいけない。「それってどうなんだ」っていうのを宇沢さんが書いたんです。

『自動車の社会的費用』が(出版されたのが)30年以上前なんですけれども、包括的ですね。宇沢さんは非常に変わった方で、一昨日(9月18日)が命日だったと思います。

一言で言えば「自動車は社会的に費用がかかってますよ」という話なんですよ。つまり自動車会社は「いいとこどり」をしているということですね。ピザで言うと......サラミ好きかどうかわからないですけども(笑)、サラミが乗っかってる部分はおいしいけど、それ以外はなにもない、チーズも乗ってないようなマルゲリータをイメージしてほしいです。

そんな社会が、少しずつなくなりつつあるんですよ。これはけっこう大きなポイントかなと思っています。つまり社会的な貢献をしていくと、それがトラッキングされていくテクノロジーが、IoTとかブロックチェーンという中から出てきています。

だから自然に、ふつうに良いことをしていると評価されるというようにインフラが整ってきていると思いますね。それはすごく経済活動や生活において、良い方向なのかなと思っております。