管理型組織を脱却する「自律型組織づくり」のセオリー

斉藤知明氏(以下、斉藤):みなさま、おはようございます。Uniposの斉藤です。本日のUniposウェビナーのテーマは「管理型組織を脱却する『自律型組織づくり』のセオリー~強さを生む関わり合いとは~」。

「自律型組織」は私もすごく大事にしている考え方の1つで、昨今、いろんな組織で聞かれるようになってきました。この「自律型組織」と「管理型組織」を対比して、(自律型組織を)どうすれば作っていくことができるか? またサブタイトルに入っている「関わり合い」という言葉ですが、「自律と関わり合い」と言われると「おや、どういうことだろう?」という疑問が出るかもしれません。ぜひその部分についても、ひもといていきたいと思います。

本日のプログラムはこちらです。「自律型組織とはなんなのか?」について、参加者のみなさまと考えていくのが、1つめ。そして2つめが、それを基に鈴木先生にご講演いただくパート。その後ディスカッションに入っていくという流れで、本日はお送りしていきます。

改めまして、Unipos株式会社 執行役員CPO(チーフプロダクトオフィサー)の斉藤です。在学時代にスタートアップを起業したり、今の会社に入って「Unipos」を立ち上げ、子会社化した折には社長をしたり。その後、親会社のFringe81の執行役員もしていたりといったように、さまざまなチーム作りに自主的に関わったり、Uniposを通してたくさんの企業のみなさまの組織づくりを支援させていただいたりした経験から、本日はファシリテートをさせていただきます。よろしくお願いします。

※スライドの役職は当時

では本日のゲスト、神戸大学大学院経営学研究科教授の鈴木竜太先生です。よろしくお願いします。

鈴木竜太氏(以下、鈴木):よろしくお願いします。神戸大学の鈴木です。私は(スライドを指して)ここに書いてあるとおり、経営組織論とか経営管理論とか、組織の中の人間行動をずっと研究してきました。今日は短い時間ですけれども、少しでもみなさんの考えるヒントになればなと思っております。よろしくお願いします。

自律型組織の“悪影響”って、いったい?

斉藤:よろしくお願いします。ではさっそく、この「自律型組織について参加者全員で考える」というところで、我々から2つの問いをお持ちしています。

1つめは、あえてちょっと変な質問です。自律型組織について、世の中ではいろんな理解がされていると思いますが、みなさんはどんな理解をお持ちでしょうか? 

「自律型組織の悪影響として、どういうことが組織に起こると思いますか?」という問いです。「自律型組織って大事だよね」というセミナーですが、あえて「自律型組織の悪影響」という切り口での質問です。

斉藤:ありがとうございます。徐々にコメントが来てますね。「管理するべきところを考えること・行動することを放棄している管理者のいる組織になる」「『俺はその話を聞いてない』って怒る人が増えてくるんじゃないか」。

「まとめるのが大変」「他人の責任を追及する」「方向性がバラバラになる」「自己利益を優先してしまうのではないか」「身勝手・バラバラという印象」「自分から動ける人と指示待ちの人で、パフォーマンスに大きな差が生まれるんじゃないか」。「自律しない人は置いていかれる」。あぁ、まさにですね。なるほど。

「方針が共有されずベクトルがバラバラになる」「全体像を把握しない」「低い目標設定になるんじゃないか」。なるほど、こういう弊害も聞きますね。いかがですか、鈴木先生。

鈴木:責任について言及している人が多くて、おもしろいですね。「責任が無責任になるのではないか?」という意見もあったし、今、斉藤さんが拾ってくださったように、特定の人に責任を押しつけ合うことが起こったり。一般的には、集団でやるとかえって無責任になりがちですけど、自律の場合はやっぱり責任というのは別の意味ですごく意識されるんだなぁと。

斉藤:なるほど、という感じがします。うまくインストールしていかないと、まさにみなさまに書いていただいているような弊害が起こっていくんでしょうね。

「転職者が増えそう」という考え方も出てますね。「感情的なシーンが増える」「自律型を勘違いして、自分で限界を決めてしまうのではないか」「属人型の組織になる可能性が高いか?」という声もあります。「自己利益と組織利益の接点の難しさ」というのは、本当に感じられるところではないでしょうか。

自律型組織の“良い影響”とは?

斉藤:ありがとうございます。では、次の問いに移らせてください。これだけ世間で「自律型組織」と言われています。私も実は「(組織作りのモットーは)自律的な意思決定を促す権限委譲」って、前からプロフィールの一番下に書いていて、自組織では推進したい派です。では、みなさまはどうお考えでしょうか? 自律型組織の良い影響を考えてみたら、どのようなポジティブなことが起こると思うでしょうか? 

斉藤:(コメントを指して)もう一言で「生産性向上につながる」「楽しく仕事ができる」「指示がなくてもみんな同じベクトルで動く」。これが自律型組織の条件なのかもしれないですね。

鈴木:これを目指しているところはあるでしょうね。

斉藤:先ほど出てきた「バラバラになっちゃうんじゃないか」というところと真逆ですよね。

鈴木:ここにも挙がっているように「当事者意識が増す」という考え方もあって。先ほどのコメントと、どっちもわかるような気がします。不思議なものですね。

斉藤:そうですよね。責任のところって本当に難しいですよね。「挑戦を楽しむ組織、新しいことにチャレンジできる組織になる」まさにこの要素は、なぜ自律型組織が必要と言われているのか? という根本にもなるでしょうね。

「各個人が自分の業務に責任を持って取り組めるようになる」「自律型に合う人が残る」。確かに。どういう組織になるか? というので、合わない人が抜けていく・合う人が残るということは生じやすいですからね。

鈴木:好まない人もいますね。

斉藤:「アイデアの成功確率が上がる」。なるほど。主体性・アイデアを持った人が大きな範囲で意思決定できるので、成功確率も上がるのではないか? ということでしょうか。「頭脳労働が促され、自分の考えを言語化する文化が醸成される」。やっぱりそうですね。

「問1」と「問2」で同じぐらいの時間をとっていたんですが、だいたい同じような数のコメントが出てきている状態でした。みなさんご参加ありがとうございます。

やっぱり自律型組織って、すごく難しい考え方だなぁと思っています。誤ったかたちで捉えてインストールすれば、無責任に捉えられてしまう観点もある。ただ、うまくインストールできた時の期待を、みなさんも高く持っていらっしゃいます。じゃあ、この自律型組織ってどうすることが肝要なのか? どういう観点で考えていかないと転けるのか? について、ぜひアカデミックな視点から今日は読み解いていきたいと思います。

斉藤:では「管理型組織を脱却する『自律型組織づくり』のセオリー」と題して、鈴木先生よろしくお願いします。

組織の活力の中で生まれる「小さなイノベーション」

鈴木:はい。では10分ほどですが、私から話をしたいと思います。今日の話はやや観念的な話が多いので、ぜひ考えるヒントとして、いろいろみなさまのきっかけにと思って作ったスライドです。

「管理と自律」というのは、先ほどチャットの中でもたくさんコメントがありました。とても大事だとみなさんは理解されているし、一方で、それが難しいということも理解されているところなので、あまりここは触れません。

ただ、1点だけ触れたいところがあります。社会の中でイノベーションみたいなことが非常に重要視されている時に今、私がけっこう大事にしているのは、組織の活力の中で生まれる「小さなイノベーション」です。もちろん「大きなイノベーション」もすごく大事なんですが、ちょっとした1人の工夫や、少しずつなにか変えていくことが大事だと考えています。本当に小さなことでもいいと思うんですけれど。

例えば、仕事上のバラバラになったファイルを「自分がちょっとまとめてみようか」とやってくれるとか。そういうことでも組織というのは、すごく効率化を図られたりといったことが起こるわけですよね。こういう小さな創意工夫であるとか、他者のためにやる自律的な行動、言われてないけどやってみることは、実は組織や個人に活力を生んでるんではないかな? と思っています。

もちろん、それがより大きな市場を作るイノベーションにつながるなら喜ばしいことではあるんだけど、そうでなくても私はそういう小さなイノベーションみたいなものがどんどん増えていくと組織の力になっていくんではないか? と考えています。

秩序を求めれば自律が減り、自律を求めれば秩序が減る

鈴木:一方でチャットの中でありましたとおり、秩序を求めれば自律が減って、自律を求めれば秩序が減っていく。わがままになっていくみたいなことも起こるわけですね。これについて、少し考えていこうと思います。

私の考えは公共哲学に根ざしています。これは「国のあり方」みたいなことを哲学で考えてきているものですが、それを少しご紹介したいと思います。

よくご存知の全体主義というのは、基本的には秩序を重んじる考え方です。ルールをしっかり作って、そこで秩序を維持していこうという「秩序過剰な組織」です。そういうところでは、なかなか自律性というのは生まれないわけです。

一方で「自律過剰な組織」というのは、まさしくみなさんがチャットで心配したような感じで、自由を重んじる。「全体よりも個」ということでいうと、非常にわがままな組織が興ってくるわけですね。

アメリカなんかは「銃を持つ自由」みたいなかたちで、それがまさしく銃犯罪を起こしてるんだけど、銃を持つ自由のほうを尊重しているんです。会社の中で銃はないと思いますけれども、自律を大事にするということは、そういう問題・わがままの問題があるわけです。

私が考えてるのは、この下のコミュニタリアニズムに根ざしたものです。ポイントは、その公共性をどうやって育むか? ということなんですね。自律的に動きながらも、その中で公共性、助け合いや協働をどうやってうまくバランスをするのか? ということです。

大事になるのは“下から”のマネジメント

鈴木:もう1つポイントがあります。会社の場合は、職場とか職場コミュニティみたいなイメージになると思うんですけど、こういうものを通じた「全体との関係」を考えているということ。

つまりはコミュニティをうまくマネジメントする。まさしく関わり合いなんですが、そういうことを通して秩序と協働、いわゆる公共性をどうやって担保しながら自由に動くか? ということです。

コミュニタリアニズムの考え方は「公共性と自由の両立が良き社会である」というものです。そしてここでは「良き社会とはなにか?」ということから問いたいということです。

公共性と自由の両立がある社会や組織というのは良き組織ではないか? と考えた時に、それはどういうふうに生まれるのか? と考えるわけです。先ほどのお話でもあったように「自由がたくさんあるほうがいいよね」というのもあるし、上から考えれば「きっちりと管理していくほうがいいに決まっている」という考え方もあると思います。これはコミュニティによって成し遂げられる、ということになるわけですね。

ポイントは、良きコミュニティにおいては「このコミュニティのために自分がなにができるか」ということから、さまざまな公共心や自律心が起こってくるということです。

別の結論的にいうと、私の考えている自律的組織というのは「自分のため」ではなくて「このコミュニティのために自分はなにができるだろうか」ということを考えるような組織ですね。もちろん、それは「他者を助ける」「秩序を守る」というだけではなくて、自分がもっと工夫することができるということでもあります。「自分らしさをどんどん発揮することが、この組織のためだ」という「能力を発揮していく」ということ(が自分のできること)であれば、その能力が発揮されるだろうと考えるわけです。

そう考えると、ここでは“上から”コミュニティがもともとできあがっている「仲間意識の中にある」というよりは、互いの関係性の中で生まれる。相互に関係しあう中でお互いが考えていくような“下から”のマネジメントが大事になる、と考えています。

「本当の自由」を与えると、人間はそこから逃げてしまう

鈴木:もうちょっとわかりやすくいうと、(スライドを指して)こういったことです。ややレトリックなところはありますけど、こんなふうなことを考えているわけですね。

このコミュニタリアニズムにおける、ある種の原点的なもので『心の習慣』という本があります、ロバート・N・ベラーという人たちが考えているんですけど、彼らはアメリカ社会を考えながら「強い共同体の上にこそ、強い個人主義が成立する」と、こう考えたわけですね。

つまり先ほど、わがままの話・責任の話がありましたけれども「まったくもっての社会の中での自由」というのは、実は人間は非常に好まないんですね。場合によると「社会の中で1人で立ち向かっていく」というのはすごく難しいんです。結果として我々はなにかしらの秩序、あるいはなにかしらのルールを求めてしまう。これはエーリッヒ・フロムという人が「人間は自由を求めながら自由から逃げてしまう」「自由からの逃走」と言いました。

「本当の自由」というものを与えると、人間はそこから逃げる。例えば組織に入っていったり宗教に入っていったりと、自分で決断するのを避けてしまうということがあるわけです。

そういう意味でいうと「コミュニティがしっかりある」ということ。「自分の寄って立つ、根ざすところがある」というところが、結局、その中で初めて自分の強い個人主義が生まれてくる、と考えるわけです。

もうちょっとわかりやすく言えば『続・ジャングルブック』に「狼の強さは群れにあり、群れの強さは狼にある」という言葉があります。まさしく群れが強いから狼が強いわけではなくて、個々の狼が強いからこそ群れが強くなるし、そして群れの強さがあるからそこに狼の強さが出てくるわけですね。

(スライドを指して)下に書いてあるとおり、共通の目的に向かってまとまっているというところ。そしてそれを担うだけの、それぞれの強さ・多様性を備えないといけないというところ。これが群れの強さを形成している。そういった考え方です。

「他者への尊重」が非常に薄い、滅私奉公と滅公奉私

鈴木:「組織か個人か」という問題についてもう少し考えていくと、「組織―職場―個人」の「公私三元論」みたいな感じで考えるのがいいんじゃないかなと思っています。

我々はいつも「組織か個人か」という関係の中で考えてしまいます。この考え方は、一番上にあるような「滅私奉公」。昔的な感じですけど「自分を殺して公に尽くす」みたいなスタイルか、あるいは近年、自律的キャリアと言われる中での「滅公奉私」。どんだけ「この会社を利用したろか」という感じになる、滅公奉私。これってまったくの両極端のように見えて、実は根っこは一緒で「他者への尊重」が非常に薄いわけですね。

滅私奉公というのは、個人がなくなってしまうという意味では、非常に他者への尊厳、そこで暮らす人たちの個々の尊厳が失われている。同時に、滅公奉私の考え方は「他の人たちは知ったこっちゃない」「俺がよければいい」みたいな話になるわけで。

結局、他者へのリスペクトが薄くなっているんですが、こういうものを取り戻すのが、ある種、職場ではないかなと思います。公私一元論で「組織か個人か」と考えてしまうと、じゃあ「どっちが大事?」に必ずなってしまって。これは答えが先ほどから出ているように「わからない」んですね。

しかし、最近言われているワークライフバランスみたいな考えは二元論で、これまたみなさんも苦労されていると思います。切り分けられない。真ん中ぐらいの“グレーゾーン”があるというところが、なかなか難しいところなんです。

そういう意味でいうと、コミュニティを通して組織に貢献していくし、コミュニティの中で自分らしさを発揮していくような、そういうコミュニティに期待していくわけで。これが「関わり合い」ということになるんです。

あわせて「限られた思いやり」について。これはデイヴィッド・ヒュームという人が言っているんですが、人間はそれなりに近い人に対する思いやりは持ち合わせているんだけど、なかなか遠くへの思いやりが育たない。というか、社会の中・コミットの中でそういうものが醸成される、と言っています。

日本企業の中で、この20年ぐらいの間に「個人主義的な」というか「自律心」みたいなものが叫ばれて、どんどん他者への思いやりのようなものが失われていって……。結局、それが先ほどチャットであったように「自律的な組織にした時に、みんなわがままに振る舞ってしまう」という恐れを抱くことになるんですね。

そういう意味でいうと、この「自律と公共心をどうやってうまく醸成するのか?」というのが、すごく大事なポイントになるのかなと思っています。

関わり合う職場の設計や、目標の相互依存性

鈴木:最後のスライドです。そういった中でいうと、私はこの「関わり合い」ということがすごく大事で、関わり合う職場の設計や目標の相互依存性が大事になるんだと思っています。

どういうことか? といいますと。これだけ複雑な社会の中で我々は「組織の中で働く、職場の中で働く」という「みんなと相互依存的になにかの目標を達成していく」となっているわけですよね。

しかし、目標管理のように個別に目標設定される管理制度の中だと「自分のことさえやってればいい」というふうに、どうしてもなってしまうんです。本当はそんなことにないのに。

だから「自分の仕事が一緒に働いている他者にどれだけ影響を与えるのか?」。また反対に「他者の仕事ぶりが、自分にどう影響を与えるか?」。そういうことをきちんと理解する、多少見えるようにする、認識するということがすごく大事だと考えます。

これが関わり合う職場設計であるとか、目標をみんなで共有するということですね。こういうのは目標の相互依存性として「みんなでやらないと目標は達成できない」ようなマネジメントを目指す、ということが大事かなと思っています。

そこでは、上にあるような「原則として開放的」。つまり、さまざまな価値観の中でそういう人たちが自分らしさを活かしていく。その目標のために、あるいはお互いの仕事のために貢献することが起こる、と考えているわけですね。

細かいところは話すと長くなりますけど。そういう意味で、私は職場のマネジメントがすごく大事だと思っていますし、もちろん組織も大事だけれども、職場というものに期待をしていて、そこで良きコミュニティ・開かれたコミュニティを作るということが、結果として「公共と自由をうまく確立する組織を作る」ということにつながるんじゃないかなと思っています。以上です。