今までで一番思い出深い企画は、小学校の「迷路」

小早川:この話の流れで次の質問にお答えしたいんですけど、「高瀬さん・國友さんにとって、今までで一番思い出深い企画はありますか? あとみなさんに、初めて企画した時のお話をうかがいたいです」。

この質問は2つとも「思い」とつながると思うんですけど、思い出深い企画と初めての企画、併せてお話ししていただきたいです。高瀬さん、何かありますかね? 初めての企画が思い出深い企画という場合もあるかもしれないですけど。

高瀬:そうですね、一番ねぇ……。いろいろあるんだけどな。最近いろいろインタビューとか取材とかをしていただく中で、昔のことを思い出すようにしていまして。

それで言うと、子どもの頃にジャポニカ学習帳の自由帳があったじゃないですか。白紙のあれに、誰にも頼まれてないのに、迷路をとにかく作るんです。紙と鉛筆と消しゴムで作れるゲームって、当時の僕にはあんまり思いつかなかったんだけど、迷路をいっぱい作っていました。

その迷路を時間内に解いた人には、購買でなけなしのお小遣いで買った50円の消しゴムをプレゼントするっていうことをやってたんですよ。

小早川:小学生ぐらいですか? 

高瀬:小学校低学年ぐらいの時ですね。我ながらすごく現実的なフォーマットでやってたなって思うんです。やっぱり何か報酬がないとやらないだろうという、そのいやらしさも含めて。そういう意味で言うと「思い出深い」っていうとそういうことになってくるなと、今この質問を見ながら思い出しましたけどね。

小早川:その時から今やってるっぽいことをやっていたのかもしれないですよね。

高瀬:今の時代に合わせた言葉で言うと、すごく人に承認されたい子どもだったんだろうなって。誰かに自分の存在理由を感じさせたい、めんどくさい子どもだったんだろうなとすごく思いますよ。

小早川:おもしろいですね。でも、お2人が企画されたもので代表作がありますけど、この人はこれが思い出深いだろうなと私たちが思っていることとはぜんぜん違うんでしょうね。まさか小学校の迷路というのは……。

高瀬:初めて企画した時のことと、リンクさせて答えたつもりだったんですけど。

曾祖母が亡くなるまでの10年間を映像に残していた

小早川:そうですよね。國友さんはそれで言うと何かありますか。

國友:そうですね。私は結果的に思い出深い企画になったみたいなようなもので。テレビの世界にいた時に、ある程度多くの人が知ってもらっているような番組を作っていて、周りからはそれに対しての評価を受けると、ちょっと勘違いし始めるところがあって。

どういう勘違いをさせてるかというと、自分が番組になにかしらの思いを乗っけてコンテンツを発信してるわけですけれども。「俺は誰のためにコンテンツ作ってるんだろう?」って迷った時が1回あったんですよ。

「視聴率20パーセント取った、わーい!」ってなっても、私は見知らぬ誰かのためにコンテンツを届けているんだけども、あんがい身近な、自分の家族であったり恋人であったり友だちとかを、けっこうないがしろにしていた時期があったんです。

そんな時に、映像の力ってすごいなって思った企画があって。私の曾祖母が97歳で亡くなったんですけども、僕は『情熱大陸』をはじめとしたドキュメンタリーを、自分でカメラを回しながらやっていたので、実は自分の曾祖母が亡くなるまでの10年間をずっと映像に残していたんです。

その映像の中で、曾祖母からうちの父の子ども時代からの思い出や親族の思い出とか、全員のエピソードを引き出しまくって、亡くなった日の葬式に、親族一同の前で、もうだだ流しの、編集もしないような状態で映像を見せたんです。

亡くなって焼却された曾祖母が、その場でにいる孫や子どもに対しての、思い出深いエピソードを話している。結局、自分の中で計算して出したコンテンツじゃないんです。でもそれが親族一同の猛烈な感動を呼び起こしたというのは、すごく思い出深い経験で。

「映像をやっててよかったな」というのと同時に、亡くなった後もそのテレビの画面で動いているというのは、映像の力強さですごいインパクトを残したんですよね。強い思い出体験として、自分の中に残っていますね。

企画は人生で、人生は企画

小早川:なるほどね。ありがとうございます。高瀬さんと企画の本を作っていて、「企画ってなんだろうね」という話をずっとしてた時に、「決めること」というのもありましたけど、「企画は人生で、人生は企画だよね」という話も出ていました。お2人とも、思い出深い企画というのは、あんがい仕事じゃなくて人生で起こったことなんですね。

國友:そうですね。誰に対して価値を提供したのかが明確なので、印象に残っているんじゃないかなと思いますね。

小早川:なるほどね。どうですか、高瀬さん。お2人も、自分も含めてなんですけど、あんがい仕事も人生もごちゃまぜで生きてるような気がしますからね。

高瀬:そうですね。

小早川:仕事とそれ以外みたいにわけてはいけないと思うんですけどね。おもしろいな。ちょっと話をキャリアの話に戻して、國友さんはKDDIにいらっしゃって、お2人の出会いは、冒頭でテレビの時じゃないと話があったんですけれども。出会いはその後ですか? 國友さんがアソビジョンを作られてからですか? 

國友:そうですね。縁としてつなげていただいたのが、Gunosy(グノシー)という会社の社長なんですけれども。ちょっとご縁があって、私はKDDI時代にGunosyに出資をしてた立場で、Gunosyとは共同事業を展開して事業成長させたという接点があって。Gunosyが映像分野で次なるチャレンジをしたいというタイミングで、高瀬さんと接点を持ったというところです。

企画のプロ2人が意気投合した理由

國友:なので最初、「高瀬さんという人を知ってますか?」という連絡が来て。「お名前は知ってます。なんでつながったの?」という。フジテレビを辞める前ですかね。

高瀬:辞める前ですね。

國友:なのでまだちょっとセンシティブな状態で。「今後一緒に仕事をしようとしてるんですけど」という話を聞いた時に、「これ絶対やったほうがいいよ」ということで接点ができて、実際に会食をする機会からというつながりですね。

小早川:そうなんですね。

高瀬:その社長さんがいろんな人を紹介してくれるんですよ。なので、「すごいおもしろい人がいて会わせたいから」っていって、ご紹介いただいた感じですね。

小早川:そうですか。高瀬さんはGunosyのアドバイザーをやられてますもんね。

高瀬:はい。

小早川:私も高瀬さんに社長さんを紹介していただいたことがあって。おもしろい社長さんで、すごいですよね。

國友:天才ですよね。

小早川:そういう縁なんですね。なるほどね。でもお2人が一番初めに会われた時には意気投合というか、なんかね。

國友:僕は憧れの『逃走中』を作った方にお会いできるというので、いちファンとして参加しているという感じでした。

高瀬:印象は今と変わんないです。飄々と、すごく理路整然と(お話しされるので)、すごく頭のいい方なんだなと思ってて。「なんかしゃべろう」と言いながら、ずっと目を見て、なにかを見透かすような感じでしゃべられるので。すごくドキドキしながらしゃべっていたのを覚えてます。

でも、なぜか「僕にすごく興味を持ってくれている」という感じは伝わったんです。こんなに長いお付き合いになるというか、仲良くなるとはその時は思わなかったですけどね。

最近で一番キツかった仕事は「スポーツチームのコーチのコーチ」

小早川:なるほどね、そうですか。國友さんはご自身の会社を作られて、おもしろいことをやられてますよね。良くも悪くも、なんでもおもしろいことをやるぞみたいな。

國友:そうですね。自分がやったことのないことをしたいというところがあるので。日本初とか世界初につながるような取り組みで言うと、それこそアカデミアの世界であったり。場合によっては大企業の研究所で眠ってるような研究のシーズを、どうやって社会に対して出していくかみたいな取り組みをしてます。

一方で、僕がここ最近で一番きつかった仕事は、とあるスポーツチームの監督・コーチ陣をコーチをするという立場で入ったお仕事がありまして。

小早川:おぉ! なんかぜんぜん関係なさそうな……。

國友:そうなんですよ。スポーツって、その日のうちに勝ち負けが決まる仕事じゃないですか。なので事業とは異なる大きなプレッシャーがありまして。プロのスポーツの世界って、現役時代に活躍された選手が監督・コーチにそのままなることが多くて、その場合、選手を指導する時に自分の体験が中心になり勝ちなんです。体育会系と呼ばれるような指導の仕方ともいまだに続いているところもあり、先輩・後輩もやっぱりくっきりしてます。

そういったところに対して、どうやったら選手個々人に沿ったコーチングができるかという仕事もしていました。それって冒頭に言ったロボットの研究がすごく生きるんです。

「スポーツ×テクノロジー」の現場で生きるインターネット畑の経験

國友:選手それぞれがロボットだとした場合に、このロボットにどんなメッセージを出すと、思うような良好な状態に持っていけるのかという探究にもつながるので、すごくおもしろい世界であり。

あと、勝ち負けがその日のうちに決まるので、胃が痛い思いをしましたね。試合が始まると、あとは祈るしかないみたいなかたちで取り組ませてもらいました。

小早川:でも國友さんに仕事を依頼された方は、いいセンスしてますよね。張本勲さんと國友さんって、たぶんぜんぜん違いますからね。

高瀬:張本さんって言ってないですか(笑)。

小早川:いや、ちょっと真逆の例えなんですけどね(笑)。

國友:ちょうどスポーツの世界もテクノロジーが導入されつつあるところなんですよ。その導入されたテクノロジーをどうやって選手の育成につなげるかって、監督・コーチも使ったことがないからわからないんですよね。

テクノロジーを導入することで、例えばボールの回転数をどれくらい意識してかけるとボールが曲がるかとかが、データでちゃんと上がってくる。これはインターネットの世界にいた経験がすごく役に立っていますね。

企画ができる人になるためには、何から始めたらいい?

小早川:なるほどね。このまま朝まで話せちゃうぐらいなテーマで、どんどん盛り上がっていけそうな感じなんですけど。時間が来ましたので、最後に。視聴者の方が一番聞きたいことなんじゃないかなと思うんですけれど「企画ができる人になるためには、まず何から始めたらいいのか」をお聞きできたらなと思います。

お2人とも、企画でずっと生きてきて、これからも大きな企画をやられていくと思うんですけど。お2人みたいになりたい方が多いと思うので、企画ができる人になるためにはまず私たちはなにから始めればいいのか、國友さんからお願いします。

國友:これは個々人に対してのアドバイスはしやすいですけども、抽象度を上げた時が極めて難しいですね。

これから企画をしようとしている人にまずしてもらいたいことは、世の中にある通った企画やサービスになったものの中で、例えば「自分がiPhone好きだ」ってなった時に、仮にiPhoneがまだ世の中に出てない時に、自分だったらどうやってこれを企画書というかたちでアピールしたかというところですね。

自分が好きなものとか関心を持ったものから、それを企画書にあえて逆算して逆に落としていくと、どういったものができるかということを、いくつかトレーニングとしてやると、自分の中で「こう伝えるといいんじゃないか」とか「ああ伝えるといいんじゃないか」とかがわかるかなと思いますね。

自分が好きなものからあえて企画書にしてみるというのは、いいトレーニングになるなって思うので、ぜひチャレンジしてもらいたいなと思います。

小早川:また「好き」が出てきましたね。それが大事なんですね。

國友:そうですね。

とにかく世の中に出して、世の中の人にフィードバックをもらう

小早川:ありがとうございます。じゃあ、高瀬さん最後に。

高瀬:1人しかいないんだったら1人でできること、2人いるんだったら2人ならできること、なんでもいいからやってみて、世の中にまず出してみるということですかね。

どんなに小さなことでもいいです。別にツイート1発でもいいし、ツイート100発でもいいし、noteで記事を書くでもなんでもいいんですけど。まず自分で考えて、これをしようと意を決して、それを世の中に出して、世の中の人のフィードバックをもらう。これをとにかく繰り返していくことですかね。

小早川:ありがとうございます。みなさんは、今日自分の意志で参加したこと自体が、まず企画ができる人の第一歩だと思いますね。時間になりましたので、これで『企画』の出版記念イベント終了になります。お2人とも、今日はありがとうございました。

企画 「いい企画」なんて存在しない

高瀬:本もそうなんだけど、告知していい?

小早川:どうぞ、どうぞ。

高瀬:1人じゃいろんなことをやりにくいと思うんです。それを同じような志を、同じようなタイミングで持っている仲間というか、チームだったり、共同作業をする相手ってなかなか見つかんないなと思っていて。そこでいわゆるオンラインサロンを立ち上げました。

コンテンツファクトリー2030サロン」というんですけど。なぜ2030かというと、ゴールがないと人のモチベーションって保てないので、「2030年にみんなでとりあえずばかでかいお祭りをしようよ」ということだけを決めたサロンなんですね。

生業としていろいろやっている方もいるし、ぜんぜんそうじゃない方もいるし。いろんな職業だったりいろんな経歴の人が今集まっていて、すごくおもしろいことになっています。

とりあえずそこでなにかを放り込むと、誰かしらが反応するし、手伝ってくれる人に救われるかもしれないし。困った時はアドバイスもあるかもしれないし。単純に企画以外でも心の支えになったりするので、ご興味がある方はちょっとチェックしてみてください。

小早川:ありがとうございます。

司会者:高瀬さん、國友さん、小早川さん、ありがとうございました。ご視聴の方もたくさんの質問をありがとうございました。本当に具体的で思いのある答えをいただき、僕もとても勉強になりました。

本日のイベント、準備整い次第アーカイブ配信もさせていただきます。こちらもしばらくお待ちくださいませ。それではイベントを終了させていただきます。ありがとうございました。