「こども哲学」とは、心理学をベースに作られたコミュニケーション方法

岩田拓真氏(以下、岩田):前に、川辺さんのお子さんが、お父さんとしゃべりたいから哲学対話しにくるというお話を聞いてて。

川辺洋平氏(以下、川辺):そう、そう。

岩田:なんかそういうの、すごくおもしろい。本当に遊びになっているんだなという。

川辺:ラッキーでしたね。こども哲学もいろんな流派というか、発祥と言われる国があるんですけど。最初にこども哲学を習ったのが、毛糸のボールを使う国の先生だったんですよ。

そのボールがかわいいというのがまずあって。それをお父さんに渡すとお父さんがしゃべってくれて、私がもらったら私の番になるという発言権が可視化されているのが、おもしろかったみたいですね。

お父さんがそのボールを持たされると、「ちょっと今ごめん、忙しい」とか「ごめん、今メール打ってるから待って」とか言わないという。そういう権力の象徴みたいなところがボールにあったと思うんですよ。これ渡したら絶対みたいな。

岩田:しゃべってくれる。

川辺:そう。それを僕が子どもに使えば権力だし、子どもが僕に使えばお父さんの時間を奪うという権力なんですよね。偶然フラットな関係がそこで生まれたというか。それがゲームだったのかなという気がしますね。

岩田:子どものそういう遊びがきっかけで、あるいは「いやもういいよ」とならずに川辺さんが楽しんで続けたからこそというのはすごくあるんだろうなとは(思いますけど)。

川辺:ですね。僕の場合はこども哲学で、子どもの話を聞いてみたいというのがまず最初だった。でも、よくよく勉強してみると、こども哲学というのは人とのコミュニケーションの仕方で。

こうするとセーフティだとか、こうするとアサーション(相手の立場を尊重しながらも、自分の意見をしっかり伝えるコミュニケーションスキル)だとか、そういう心理学の過去の研究を踏まえて作られているプログラムなんですよ。

岩田:なるほど。仕組みというか、そうなっていたってことですよね。

川辺:そうなんですよ。いい活動だから広めようというよりは、「おもしろい」と(うちの)子どもが言ってくれたから、「いろんな地域の子どもたちがおもしろいと言うだろうな」と。それで、ちゃんとロジックを調べたら、むしろこっち(コミュニケーション)につながったという。そういう感じですね。

岩田:入り口が遊びで、その後があったんですね。

川辺:うん、そんな感じでしたね。

小学生になった娘が「こども哲学」の卒業を自ら宣言

岩田:ちなみに今の4〜6歳の時期と小学校に入ってからって、お子さんの環境がすごく変わるじゃないですか。だから6歳ぐらいの小学校に入るまでって、遊びが大事な文化(という考えが)、保護者の方もそうだし、保育園とかでもある気がするんですけど。

小学校に入ってから、学校での過ごし方や保護者の意識がちょっとずつ変わっていくと感じています。「遊んでないで」みたいな、遊びと勉強の対立って、小学校に入ってからがすごく多いと思うんですよ。

川辺さんの場合は、お子さんが小学校に入ってからそのへんの変化はあったんですか? 

川辺:超明確にありましたよ。

岩田:えー、ちょっと聞いてみたいです。

川辺:すごく台本を準備したかのように振ってもらったんですけど。

岩田:あ、本当? ちなみにまったく準備してないですけど(笑)。

川辺:僕、長女が小学校1年生になった時、ある日お風呂で、「お父さん、子どもの哲学のめあて、って何なの?」と言われたんですよ。

岩田:あぁ、学校でよく言う、めあて、ね。学びの目標というか、授業の目標。

川辺:「あの活動に参加して何が得られるの?」みたいなことを子どもに言われて。

岩田:へー。

川辺:「自分と違う人の意見を聞くという態度とかさぁ」自分の思ったことを自分の言葉で言うとかぁ」みたいなことを、いろいろ言ったんですけど。「私は哲学はもう卒業したい」と。うちの子どもが言ったんですよ。

岩田:へー。

川辺:その時、まず2つ思って。1つはすごくいい終わり方だなと思ったこと。自分と意見が違う人の話は聞くけど、自分の意見は言ったほうがいいというのが哲学対話なわけで。

「私は参加しないよ。お父さんはやりたいのかもしれないけど」と言えたことがまずすごくいい。

岩田:自分で終わらせたってことですよね。

川辺:そうそう。「もう私はこのゲームはやらない」って。

岩田:へー、言ったんですね。おもしろい。

小学生になると、子ども自身が「何かを学びたい」気持ちを持ち始める

川辺:それが僕がすごく感動した終わり方だったんですけど。2つ目によかったことは、子どもが自分の能力を伸ばしたいと思ったことです。意味、わかります? 

楽しいからやる年齢もあっていいんだけど、これができるようになりたいとか、それが身につくならやりたいとか。自分の行きたい方向に合っているか、その道の上にある遊びなのかを、子どもが僕に聞いたわけで。

子どもは勉強が嫌いだと大人は思っちゃってるけど、小学校1年生はそんなことないんですよ。1年生っていろんな足し算をしたいし、どんどん字を書けるようになりたいんですよ。子どもは勉強嫌いだと大人が思う感覚が、3~4年生あたりで伝わっちゃったりとか。

あと(子どもは勉強が)したくなったらちゃんとするんだけど、「勉強しなさい」と言っちゃうとか。そういうことが、どこかで透明な天井を敷いてしまう気がしてて。

話を戻すと、学校に入っての変化としては「ゲームをしたくない」と言えたことがよかった。

それと自分に何が身につくのかに、子どもが関心を持ったという。自分が何かを学びたいという気持ちを、子ども自身が持ち始めることが、学校に入った時の変化という気がしますね。

岩田:それはイメージとして、学校に入って「これができるようになりたい」「あれができるようになりたい」ってことがたくさん出てきて、そっちに向かっていったってことですよね。それが哲学対話とはちょっと違うなと思ったと。

川辺:そうですね。

岩田:なるほど。それはおもしろい。ちょっと違うかもしれないですけど、確かに親側が「難しい」と先に想定しすぎていることってありますよね。

エイスクールでは昨年、コロナになってオンラインでも授業をやるようになったんですね。

最初にすごく言われたのが、低学年のお子さんのタイピング。特に1年生とかだとまだ文字も書いたことがないし、パソコンも使っているわけじゃないから、Zoomで授業に参加できるのかみたいな。「うちの子は大丈夫かな」みたいな心配を、すごく保護者の方からいただいてたんですけど。

やってみると、ほとんど問題なくて。1~2年生の子は、授業に参加するためにタイピングを覚えたいというモチベーションがすごくて。みんな文字を覚えるし、どんどん打てるようになるし、ものすごい勢いで成長して。

この年齢の子だからまだ使いこなせないとか言葉が理解できないとかって、大人が思いすぎてたんだなと、すごく思い知らされましたね。

小学生1~2年生の頃って、手を動かしたりとかの幅が、だんだん発達もしてきて。できることが増えますもんね。

小学生になると顔を出す、「勉強しなさい」の親モード

川辺:そうですね。岩田さんは、小学生を見ることが多いので、自分の子どもを見てると、そこにある見えない壁みたいなものを感じるんじゃないですか? 小さい子どもを見ていると、さっき僕らが話したみたいに、とにかく遊ぶことに夢中なわけですよね。だけどそうじゃない子どもも見るし。

保護者の観点でいうと、「子どもの頃は遊んで」と大いに思っているのに、子どもが小学校(に入る)ぐらいになると、きっと岩田さんでも「親モード」が変わったりするわけですよ。

岩田:はい、はい、はい。

川辺:そう考えると僕なんかは小学校の真ん中へんぐらいに、学校への不安なのか社会に対する不満なのか、なんかスイッチが入っちゃうというか、「勉強しなさい」と言いたくなっちゃったり。

1~2年生の時の「おっしゃ、生活科やるぜ!」みたいなモードから、違うところにドロッと入っていくような。何か見えない壁みたいなのがあるのかなと思って、聞いたんですね。

岩田:あー、そうですね。今、逆に川辺さんのお子さんの話をお聞きして、ネガティブじゃない捉え方もできてすごく発見だったんですけど。

小学校に入ると、それまでよりも「できる・できない」に、子どもたちもそうだし、保護者の目も向いていくという。それまでは、「うちの子は日々楽しんでいるかな」という目線で子どもたちを見たり、子どもたちと一緒に過ごしたのに、その比重ができる・できないにシフトしていくのをすごく感じるんですね。

子ども自身も、人と比べたり、大人に言われたりするなかで、自分はできないんだみたいな相対的な評価を意識する機会がすごく増えてくる。中学受験をみんながするような地域だと、小学校の真ん中ぐらいから、さらにその傾向が強くなってきて。

大人になって世の中はただ楽しいだけじゃいけないというのはありますし、できるようになること自体が楽しいというのはいいことでもあるので、ちょっとずつそういうのが増えるのは、全然ネガティブなことじゃないんだなと改めて思ったんですけど。

過度に「できる・できない」を気にすることの弊害

岩田:ただ、「できる・できない文化」の割合が大きくなりすぎると、過度に自信を失くしたり焦りを感じてしまうようないびつさは、小学生以上の子どもたちや保護者の方々を見て感じる部分ではありますね。

川辺:そのできる・できないは体育とかでもいいのかな? 

岩田:そうです。

川辺:それぞれの道と言うとかっこつけすぎなんだけど、「あぁなんか俺、足が速いんだな」って気づいちゃったりとか、「私もしかしたら絵がめちゃくちゃだめかも」みたいなことを思っちゃったりとか。

無限の可能性の中から、他者によって、いくつか選択肢が削られていくようなことが起こるんですかね。

岩田:そんなイメージですね。もちろん絞っていくことは大事で。大事だと思うんですけど、大人になるにつれ絞って、じっくりやっていくことで見えてくることもあるし。

こっちは自分に合わないかもと思って、逆のことに力を注ごうと決めること自体は大事だと思うんですけど。それを、自分で考えて自分で決めるというより、周りの声などによって決められているというか。そういう雰囲気が多いことを感じたりしていますかね。

人生は、自分の得意・不得意が見つかるゲーム

川辺:なるほどね。でも今の岩田さんの話を聞いていて、書籍のタイトル(『「勉強しなさい」より「一緒にゲームしない?」』)になぞらえるのもちょっと恐縮なんですけど。僕は人生って得意・不得意が見つかるゲームなんじゃないかなって気がしていて。

岩田:そうですよね。

川辺:そのゲームのルールとして、たくさんの職業に出会ったり、いろんな友だちとか大人に出会うというのがある気がして。それぞれをかじってみないと。

岩田:そうなんですよね。体験してみないと。

川辺:僕自身の話をすると、いろんなことができなくて今のポジションだと思うんですよ。

いろいろ試したんだけど、あっちの道だとすぐ会社を辞めたり、こういう人と付き合うとそりが合わなかったり。そういう中でいろいろ断ったり断られたりして、残っているのが今の場所な気がしていて。

そういうふうに小学生の時に思えるような経験ができるのは、すごくいいなぁと思ったし。そのためには親だけじゃなくて、いろんな人と出会うことを親がゲーム感覚で、一緒に「俺、あの人の話を聞いてみたいから一緒に行こうよ」とか、「お母さん、今度こういう人に会うけど一緒に行かない?」みたいな。

そうやって見聞を広げていくのは、すごく大事な気がしましたね。

岩田:確かに。何歳になってもそうですよね。遊び続けるというか。