画一的な量産品を提供する時代の終焉

ーー矢野さんはもともと日立製作所で半導体の研究をされていて、途中から幸福の研究をされるようになったとお聞きしました。最初に、そのあたりの経緯をお聞かせいただけますか。

矢野和男氏(以下、矢野):日立に入って38年ですが、最初の20年ぐらいは半導体の研究開発をやっていました。半導体事業で日本が非常に強い時期でもあり、楽しく仕事をやっていましたが、今から18年前に日立が半導体の事業を辞めることになりまして。

そこで、何か新しいことを始める必要があったわけです。どういう目的の事業を研究開発していくかと考えた時に、20世紀の大量生産・大量消費、それから効率を重視し、画一的な量産品をみんなに同じように提供するといった仕事や提供の仕方。これが21世紀は大きく変わるのではないかと考えました。

いわゆるサービス労働や知識労働を、データを使って21世紀型に変えていくことを、大きなテーマにしたいなと。

ただ、さまざまなデータを取ることができますが、それを取りまとめるためには、目的にあたる概念やその数値をちゃんと測れるかが大事になります。

目的は、経済的に言うと利益やGDPの成長だったりしますが、その前提となる良い働き方ができているか。組織が良い回り方をしているか。あるいはマネジメントが21世紀にふさわしいかたちになっているか。

そういった本質的なKPIを考えようという時にたどり着いたのが「幸せ」でした。

幸せで前向きな人たちの多い会社は、1人あたりの利益率が高い

矢野:1990年代の後半から、米国では幸せの科学的な研究やポジティブ心理学などが急速に高まりつつありました。その中で、「幸せで前向きな人たちは生産性が高く、クリエイティビティも高い。さらに、そういう人たちが多い会社は、1人あたりの利益も高い」ということがわかり始めていて。それは非常に大きな可能性を秘めているんじゃないかと考えました。

ただ問題は新しい事業を起こす時に、我々は基本的には技術者や研究者であり、日立という会社もテクノロジーオリエンテッド(技術志向)な会社であるということ。いわゆるテクノロジーの世界と、人が前向きであるとか、幸せであるというものに、大きなギャップがあるということでした。

しかし私は、「だからだめだね」とは思わず、「だからチャンスがあるんじゃないかな」と思いまして。幸せの研究をされている一流の方々と直接話せたらおもしろいなと思って。

そういう中、今はハピネスプラネットのCOOをやっている荒(宏視)さんがMIT(マサチューセッツ工科大学)に行きまして。MITにはSloan School(スローン・スクール)というビジネススクールがあります。

非常にオープンな気風なので、企画書だけの段階で「こんなおもしろいことを考えているから、手伝ってくれない?」と相談したら、10人ぐらいの人が「やるよ」と言ってくれて。

その中心でまとめてくれたのが、今は世界銀行にいる金平(直人)さんという方で。『Sensible Organizations』という立派なビジネス企画を作ってくれました。こうした学術的なボストンの街に集まる人たちに刺激を受けながら、幸せの研究が始まったんです。

その後は、ポジティブ心理学で中心的な活動をされているソニア・リュボミアスキー(Sonja Lyubomirsky)先生や、ミハイ・チクセントミハイ(Mihaly Csikszentmihalyi)先生など世界的な権威の方たちと共同研究をやったり、一緒に論文を書いたりしてきました。

そして、「いよいよ時期が来た」ということで、去年7月に日立の出島会社となるハピネスプラネットという会社を作り、私が代表になって1年ぐらい活動をしてきたところです。

「キャリアプランの設定」には賛同しない

ーー矢野さんは学生時代から「幸せ」に興味を持たれていたそうですが、幸せが好きだから、幸せに関連したデータを集めて事業化しようとお考えになったのか。それともデータを見ている中で、幸せの研究に結びつけられそうだと考えて、研究を進められるようになったのか。それはどちらでしょうか。 

矢野:答えは、どちらでもないし、どちらでもあるとも言えます。キャリアプランとか人生プランみたいな質問をよく受けますが、私自身はキャリアプランの設定みたいなことにはまったく賛同しないんですね。

「人生が、自分で決めた通りになるなんて思わないほうがいいですよ」と、60歳を過ぎた私は思います。半導体研究から幸せの研究をやることになるなんて、私も含めて誰も予測できなかったですし。

キャリアや人生がどうなるかは一種のご縁であって、なるようにしかならないんです。運命というか、時代や置かれた環境と、本人の努力や意志などいろいろな要素が掛け合わさって、反映されるものなので。

「どっちが原因で、どっちが結果か」という議論は、私はあまり意味がないと思っています。

幸せは3つに分類できる

ーー運命、流れの中で選択していくということかと思いますが、矢野さんは著書の中でも、大切なのは主体的に決断して行動することであり、その行動の結果が失敗でも問題はなく、主体的に考えて行動することが幸せにつながると言われていますね。

矢野:まず、「幸せ」という言葉を整理することが大切です。いろんな意味で使われている「幸せ」ですが、大きく3つに分けられます。

1つ目は「手段」としての幸せ。今おっしゃったような、どういう選択をするか、どういう行為を行うかですね。

「今日はインタビューを受ける」「誰かとデートする」「ステーキを500グラム食べる」とか。そういうのは全部自分で選択することができます。データ解析の言葉では、これを「制御変数」と言います。コントロールできる変数ですね。

2つ目が、「境遇」としての幸せ。「あの人は不幸せな星のもとに生まれた」と言う時などがそうですね。あるいは「あの人は最近リストラされて幸せじゃない」とか、「あの人は離婚して参っている」とか。

その人の心中を見ているわけではなくて、外から見て境遇が良くないようだということですね。この境遇を表す変数は「状況変数」と言います。

3つ目が、その結果として起こる「バイオケミカル(生化学的)な反応」としての幸せ。

我々の体内では、血管や内臓、筋肉の収縮や、呼吸、心拍など、バイオケミカルなフィードバックが常に起きています。前向きになれる反応もあれば、後ろ向きの、「早くこの状態を避けたほうがいい」というネガティブなフィードバックもある。

幸せ、不幸せというのは、このバイオケミカルな反応に依るところが大きいんです。この結果としてのバイオケミカルな反応を、「目的変数」と言います。

多くの人が言う「幸せ」という言葉には、この3つがあるわけですね。全部違うものなんですけど、幸せという1つの言葉でくくられている。

幸せに影響を与える3つの要因

矢野:そして、先ほど話したリュボミアスキー先生は、幸せに影響を与える要因を3つに分類しています。

まず生物学的に与えられた、「遺伝的な情報」。それから「与えられる境遇」。そして「前向きな1日を作るためのスキル」。この3つがあります。

「バイオケミカルな、遺伝的な情報」というのは変えられないんですね。幸せに占めるここの割合は半分くらいとけっこう大きいんですが、行動を掛け合わせていけば変えられるので、問題はありません。

「与えられる境遇」では、先日のパラリンピックなどがそうですけど、どんなに制約があってもすごいことをやる人たちがいます。制約があるからだめと言うのではなく、制約をどう使うかの話なんです。

もちろん前向きになりにくい境遇もあります。ただ、幸せに占める境遇の影響は意外に小さく、全体の10パーセントぐらいしかありません。

幸せに影響を与える要因として大きいのは、3つ目の「前向きな1日を作るためのスキル」です。

これを明らかにしたのが、フレッド・ルーサンス(​​Fred Luthans)という米国の経営学会の会長も務めた先生です。

前向きな1日を作るためのスキル「HERO」

矢野:「前向きな1日を作るためのスキル」として、大事なことは4つあります。

我々には先が見えないことが必ずあります。というよりは、見えていることはごく一部で、見えないことのほうが多いぐらいです。1つ目は、この見えないことに対して、道は進めば見つかると「信じる力」です。

2つ目は、信じるだけではなく、そこで行動を起こすための「踏み出す力」。

踏み出しても、当然うまくいかないこともあり、人生には苦境も試練もあります。その苦境や試練に逃げずに「立ち向かう力」が3つ目です。

4つ目は、ほとんどの状況において、絶対的にうまくいくとか、絶対的にだめということは決してありません。そういう中で、前向きなところ、ポジティブなところにストーリーを組み立てられる力。これを「楽しむ力」と言っています。

「信じる力」「踏み出す力」「立ち向かう力」「楽しむ力」の4つ。英語では、Hope、Efficacy、Resilience、Optimism。この頭文字を取って「HERO」と呼ばれています。語呂もいいですよね。

要するに、「前向きな1日を作る力」ですね。境遇が良いかどうかは、誰も保証できない。何かをやる時にうまくいくかどうかの保証もできない。うまくいかないことも必ずあるし、困難や試練が降りかかってくることは、どんな人にも必ずあります。

だとしても、前向きに生きているか、生きられるかが、「幸せかどうか」なんですね。そういうことが、人生訓ではなく、この20年くらいでデータによってわかっています。