2024.10.10
将来は卵1パックの価格が2倍に? 多くの日本人が知らない世界の新潮流、「動物福祉」とは
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慶野英里名氏(以下、慶野):それでは時間になりましたので、「パラキャリ酒場」を始めていきたいと思います。初めての方も常連さんもいらっしゃると思うんですが、複数の軸足を持つ新しい働き方のパラレルキャリアについて、お酒を片手にトークするイベントです。
なぜ「お酒を片手に」なのかと言うと、仕事の話をする時って、だいたいみなさんかっこいい話やきれいな話しかしないんですよね。でも、聞きたいのってもっと本音の部分じゃないですか。なので、「お酒を飲んで、序盤から本音でキャリアについて語ろう」というコンセプトのイベントです。
ご参加のみなさんも、もし飲める環境だったらぜひ飲みながら・食べながら、楽しんでリラックスして参加していただければ幸いです。じゃあ、さっそく乾杯して始めていきましょう。行きますよ。「パラキャリ酒場」、始まるよ! 乾杯!
磯部一郎氏(以下、磯部):乾杯! よろしくお願いします。
慶野:お願いします。あらためまして、パラレルキャリア研究所代表の慶野英里名と申します。簡単に自己紹介をすると、2018年にパラレルキャリア研究所を立ち上げて、これまで80回ほどこのパラキャリ酒場などを開催してきました。
私自身、今日も働いたんですが、出版社で正社員で働きながら兼業で開業届を出して、フリーランスとして講演やコンサルティングなどの仕事をしているパラレルキャリアの実践者です。
慶野:今日はゲストに磯部一郎さんをお招きして、「不況を生き抜く『選択と集中』」について熱く語り合っていきたいと思います。磯部さん、よろしくお願いします。
磯部:こんばんは。よろしくお願いします。
慶野:磯部さんからも、簡単に自己紹介お願いします。
磯部:社会起業家、経営コンサルタントという肩書きで活動しています。隠していないんですが、福水戸家という芸者の置屋の妾の子として、東京都中央区日本橋人形町に生まれて育ちました。江戸っ子です。
大学卒業後、もともとIT企業でプログラマーとして活動していたシステムエンジニアです。3年で辞めて、26歳の時に起業しまして、今は43歳です。10数年経営しまして、大手を中心に業務システム開発の仕事をやってきたんですが、2015年、37歳の時に悪性リンパ腫を発病しました。
抗がん剤治療や放射線治療を経て、1年ぐらいはがんばっていたんですが、事業売却しました。その後、水泳の池江(璃花子)さんがやられた骨髄移植、造血幹細胞移植を行うんですが、失敗しまして。その後、臍帯血移植という赤ちゃんの臍の緒から移植する骨髄移植をやって、また再発してしまって。その時ぐらいから、会社を起こしつつ免疫治療をやったり。
実は今、こう見えて副作用で右目が失明してまったく見えません。そこから紆余曲折経て、去年の2020年の6月には余命宣告を受けて、「あと2ヶ月の命だ」なんて言われていたんですが、奇跡的に助かって生還している状態です。7回再発して8回治るという闘病生活をしていました。
入院と退院を繰り返しながら、その期間中に事業や会社を立ち上げることを繰り返しやってきました。Webのメディアの事業ですとか、ネイルサロンの事業、コワーキングスペース。あと、今は中心でやっているのが、中小企業向けのコンサルティング事業を運営しています。
今まで立ち上げた事業の数は、会社の数で言うと14〜15個あります。最近、福水戸家ホールディングスという持株会社を作って、それこそ今日のテーマの「選択と集中」で活動を絞ってやっています。今日はよろしくお願いいたします。
慶野:よろしくお願いします。
慶野:この短い時間だと話しきれないぐらい波乱万丈な磯部さんと、私の関係なんですが、磯部さんがさっき運営していると言っていたコワーキングスペースが「いいオフィス日本橋」というところなんですが、ここでパラキャリ酒場をオフラインでずっと開催していたんです。
ところが、このコロナ禍で対面イベントから撤退せざるを得なかったんです。そんな感じで、新型コロナウイルスの前と後で、お互いにさまざまな路線変更をしてきました。まず、コロナの前後で磯部さんの事業の展開がどう変わったのか、教えていただけますか?
磯部:先ほどご紹介したみたいに、もともと“1人コロナ状態”だったんです。
慶野:1人コロナ? そっか、外出できないという意味ですね。
磯部:外出できない。骨髄移植した後は、ラーメン屋さんとかに置いてある醤油や胡椒も使えないぐらい免疫力が下がっているので。
だから地下鉄もここ5〜6年ほとんど乗っていないですし、移動する時はタクシーを呼んで。ドアtoドアでタクシーで移動するか、妻に車で(送迎してもらう)。今は右目も失明していて両足も痺れているので、車が運転できないんですが、妻に運転してもらって送ってもらうかのどっちかでしか(移動できない)。行ける距離しか行けないし。そういう感じでやってきたんです。
慶野:聞いているだけで波乱万丈で、びっくりします。
磯部:今日はログミーさんに撮ってもらうから、いつもみたいに長く話さないようにしようということで(笑)。
慶野:お互い、話すと熱くなっちゃうタイプなので(笑)。
磯部:慶野さんのリアクションを待ちながら話すので。
慶野:なるほど(笑)。じゃあ、たくさん相槌を打っていきますね。
磯部:前は(外に)出られなかったので、1人コロナ状態だったんです。そうは言っても体調を押しながら、仕事で支援してくれる仲間たちと一緒にコワーキングスペースを運営していて。
先ほどご紹介にあったみたいに、コワーキングスペースに集まってくる方々に仕事を送って。自分の会社を作るんじゃなくて、ガンで売ってしまった会社はピラミッド型で作っていたんですが、売却してしまったので。新しく会社を作り直すのであれば、ティール型(組織)と言って、横の連携でフリーランスの方々や自立的な人たちが集まって組織を作るというのを、コワーキングスペースを使ってやっていたんです。
今日の話にも出てくると思うんですが。コワーキングスペースで、僕も起業家としてその方々が自分の事業やキャリアを構築していくのをお手伝いをしたい。「うちのコワーキングの会員になってくれたら起業のお手伝いをしますよ」というのをやって、「いいオフィス日本橋」というコワーキングスペースをやっているんです。
ちなみに、「いいオフィス」のグループの中だと450店舗あるんですが、うちが一番最初のフランチャイズ契約の店舗でして。水天宮前で運営しているんですが、そちらに仲間を集めてイベントをやったり、その仲間の1人が慶野さんです。
磯部:どちらかというと僕の事業の拡大は、今やっているオンラインでの経営支援、コンサルティング、DXやサステナブルブランディングだとかを支援するのではなくて、コワーキングスペースを使ったイベントや、日本文化を海外に売っていくだとか。
イベントスペースに人が集まって盛り上がっていって、そういった事業を箱物を中心に展開するか・しないかというところで、コロナが来て。
慶野:ちょうど箱物を盛り上げようとしていた頃ですよね。
磯部:そうです。水天宮前で箱物がわりとうまくいったので、他にイベント会場を借りたり、インバウンド向けの事業を構築したり。そういったことを企画していて、まさに物件を探して契約する・しないというところまで手を伸ばしていたのが、2019年の12月から2020年の1月ぐらいです。
慶野:まさにコロナ目前で、今あるコワーキングスペースの他に物件を探していたということで、その時は拡大路線という感じだったんですかね。
磯部:そうですね。コンサルもどんどん需要が出てきましたし、コワーキングスペースの事業も軌道に乗ってきたので、1ヶ所で作ったものを連携と言いますか。特に近隣で、地域ビジネスとしていろんなエリアにトライアングルにして。
例えば、今は日本橋なんですが、馬喰町や小伝馬町、八丁堀に出したりとか。近いところでサークルを作って、その間をつないでいく戦略を立てて、成功モデルを展開しようという。エグゼクションという、最初の10年で売却してしまった会社はもう転売されてしまったんですが、これは公情報なので。
その会社の時には、東京都内でBtoBでマーケティングすることはけっこう大変だったんです。それを地域に絡めて、コワーキングスペース中心に地域ビジネスとして、箱物プラスSNSというかたちでマーケティングを繰り広げて、集まってくれる人たち中心にイベントを行って広げていく手法でやっていたのがちょうどその頃です。
慶野:そうでしたね。
慶野:私と磯部さんはそのイベントで盛り上がっていたんですが、思えば磯部さんもその時は拡大路線でしたが、コロナの直前で、私も講演やイベントの主催や出演を週3ペースはキープして続けていたんです。
フルタイム残業ありの正社員としてはけっこうハードなスケジュールだったんですが、「この状況がいつまで続くかわからないから、今できるうちにやっておこう」と思って走り抜けていた感じです。「もうちょっと、この良い時期が続くかな」と思っていたところにコロナがやって来まして、私と磯部さんは「いいオフィス日本橋」のイベントスペースから会えなくなっちゃったんですよね。
磯部:そうですね。「コロナだ」と世間が騒ぎ始めたのがたぶん2月に入ってからだと思うんですが、僕はその時に誰よりも早いぐらいの勢いで、1月のうちに方向転換をしてしまったんです。武漢が閉鎖だとかそういう時に、「これは想像以上のことになる可能性があるな」と思って。
僕が予測していたわけじゃなくて、「2020年のオリンピックの後に不景気になる」という話が、世の中のセオリーとして当たり前のように謳われていました。
慶野:そうでしたね。
磯部:なので、自分としては越えた不景気はそれまでに2つあって。リーマンショックと、2011年の東日本大震災の後の不景気が厳しかったので、その時の教訓を活かして早めに不景気モードに切り替えて対応をしようと思って。実は2019年に慶野さんとパラキャリ酒場をやっている時から、もうずっと僕はそれを言っていた。
慶野:リーマンショックと震災の2009年と2011年の時のこと、正直、その時はピンと来ていない人が多かったなと記憶しています。
当時は大学生だったので、ビジネスマンとしてその不況は過ごしていなかったんですが、就職活動の時期で。企業が次々と採用を中止したり、人数を絞ったりするのを目の当たりにして、「不景気になると会社ってヒト・モノ・カネを一気に緊縮させるんだな」というのは、すごく覚えていたんです。
ちょうどその時期に、就職しようと思っていた編集プロダクションの社長が余命宣告されて、会社がなくなる事件もあって。「良い状況って続かないな」と思っていたので、私も歳のわりには「今後、不景気が来るかもしれない」というのに敏感だったと思うんですけれども。
世の中の人は「好景気だから・不景気だから」というところで、あまり敏感に考えていないのかなという印象を受けていました。磯部さんは参加者の反応を見ていてどう感じていましたか?
磯部:僕は2年前のことだから、ずいぶん前だなと思うんですけれども。慶野さんにご紹介いただいて、起業イベントに初めて登壇し始めたのはその頃でした。それまでは治療をやっていたから、一回(事業を)売却して世の中から離れていたところで。
「100人カイギ」で話し始めて、その後に慶野さんにお会いして。口を揃えて言っていたのが「『起業しよう、起業しよう』ってみなさんフワフワしているけれども、危ないと思いますよ」という。だから僕は「背中を押してください」とみなさんに言われたんだけど、「背中なんか押したくない」と言ったのをすごく覚えています。
慶野:そうでしたね。やっぱりそれは、好景気の後には不景気が来るだろうと。好景気の前提でスタートしてもうまくいかない可能性もあるから、よく考えて自分で行動しなさいというスタンスでしたっけ?
磯部:そういうふうに言うと、親父の説教みたいに聞こえてしまって、なかなかみなさんの共感を得られなくて。40人の出席者のイベントで、終わった後に僕と名刺交換してくれた人が5人しかいないイベントがあったのを記憶しています。「俺、ずいぶん不人気だね」「無料でまともなこと言ったつもりなんだけど、おもしろくない」と言って、怒って帰ったことがありましたよね。
慶野:そうでしたね(笑)。
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