性転換治療は千差万別の違いが出てくる

コウタ氏(以下、コウタ):みなさんは普通「性転換」って、外科的な手術のことを思いますよね。実はそれは最終的なステージなんです。ホルモン治療から始めて、脳下垂体からの男性ホルモンと女性ホルモンの性質を変えるわけです。いきなり脳に強制的に違う信号を送るわけです。

それで体ができてきた時に、初めて外科手術になる。喉仏は早めの手術でしたけど、私の場合、こういった細い体だったんですけど、けっこう声が太くて。喉仏が今また出始めてきたんだけど、当時はすごく出てたの。それで一発で(男性だと)わかっちゃうので、最初に手術を受けたの。

ようやく体ができたんですが、まだ性転換の治療というのは定義がないんですね。千差万別、人によっていろんな違いが出てくるんですよ。性転換をやる場合には、みんなティーンエージャーの時にやれと言います。体ができあがっていない時にやっちゃいなさい、できあがってからではけっこう大変ですよというのがある。

特に私の場合は中年を超えてから性転換の治療を始めたので大変だろうと思われていたんです。ところが、本当に神さまに感謝なんですが、私の場合はものすごく自然にこのまま移行しちゃったんですね。

最初のうちはね、驚くわよ。アメリカで治療を始めたんですけどね。妊娠線がおへその下から出ていたことがあるんです。

萩野苑子氏(以下、萩野):ええ!

コウタ:それを主治医に見せたら、主治医もゲラゲラ笑い始めて。「あんた、なに笑ってんのよ! どういうことなのよ」と言ったら、「コウタ、よく聞けよ。千差万別なんだ。まだこれっていう定義がないんだ。みんな違うように出てくるんだ」と言われたんです。

住谷知厚氏(以下、住谷):すごい。

「LGBTQ」という言葉も死語になるくらい、多様性のある未来を

コウタ:今では日本のナグモクリニックというところで、2週間に1回、注射を受けています。一番最後に話しますけど、男性から女性への性転換だけじゃなく、今日本では女性から男性に転換される方も非常に増えています。

ナグモクリニックは乳がんのクリニックでもあるんですけど、そういった女性から男性への性転換治療の患者さんでいっぱいなのよ。あそこはむしろ男性から女性のほうが人数の割合として低いの。

1人、私のお仲間で、元自衛官だった人でナグモクリニックで(男性から女性への)性転換された方がいるのね。もともと身長が185センチくらいで、なかなか体が変わらない。そうすると、中が女性になっちゃっているんで、待合室でも非常に後ろめたそうに座っている。

ところが、女性から男性は体の変化が速いんです。あっという間に髭が生えて、あっという間に声が変わっちゃう。そうすると、男性ホルモンでギラギラしてて、待合室でもこんな感じで堂々と目力強く座ってる。

(一同笑)

コウタ:みなさんすごく自信にあふれているんです。日本でも、もっとそういった人たちにも注目して、「多様性」ということを図っていかないといけないかなと思っています。すみません、脱線しました。

住谷:いえいえ。そういうことが増えてきているんですね。

コウタ:そうですね。これものちほど話させていただきたいんですが、これは1例として話をしています。それこそ2008年、私が日本へ帰ってきた時にはこういった方々のことをみんなまだ「ニューハーフ」と呼んでいました。もう死語でしょ? 

萩野:そうですね。

住谷:聞かないですね。

コウタ:それと同時に、「性同一性障害」とも呼ばれていました。これも死語です。10年後にはこういったワクセルさんの仲間と一緒になって「多様性」をもっと図っていって、「LGBTQ」という言葉もなくなっていっていほしいと思う。つまり、こんなことは当たり前なんだよと。いろんな人がいて、いろんな人がいるのがこの地球じゃない? と持っていきたいと思っています。

性転換の影響は、社会適用性だけでなく体の問題も大きい

住谷:2008年の話に戻るんですけれども、アメリカから日本に帰国後、ライブハウスでウェイトレスとして働きながら、音楽活動に取り組まれるということで。これまたぜんぜん違う活動をされているんですけど、どういうきっかけで日本に戻られて、音楽活動をしようと思われたんですか?

コウタ:長くならないように手短に話しますね(笑)。

住谷:(笑)。

コウタ:ホルモン治療の効果って、最初のうちは絶大なんですよね。つまり、今まで四十何年間、自分が好きだった食べ物とか飲み物とかの癖(へき)が、体が変わっちゃうと、体が求めるものとぜんぜん違うものになっていっちゃう。

それまで私は、男性だった時はビールが大好きだったんです。でも体が女性になったらビールが飲めなくなって。今でもときどき、コップ1杯のお酢を入れて一気飲みをしたいと思っちゃうくらい。

住谷:お酢ですか。

コウタ:体が求めているものと、自分が慣れ親しんだ自分の癖がどんどん変わっちゃう。そうするとアンバランスを起こして、そこで未だに、男性から女性への性転換手術を受けても、自殺してしまう方も中にはいらっしゃいます。それはやはり社会適用性だけではなく体の問題なんですね。

どうしてもホルモンが脳に影響を与えますから、ちょっと私も悩みまして、(自殺)未遂を図ったこともありました。そうして入れられた(療養)施設に、ギターがあったんですね。それでレクレーションの間に弾き始めました。

野球とギターを中学校の時からずっとやっていましたから、その施設で弾き始めたメロディーに、自分で自分の琴線に響きまして。「ようやく本当の自分になれたんだから、これからは表現者として表に立って生きていきたい」と思ったのがミュージシャンになるきっかけなんです。

本物の浩太になるために、名前をそのまま使って生きることを決意

もう1つ、私の名前の「コウタ」というのが、実際には「浩太」なんですが、これは私の父の母、おばあちゃんが東京中の鑑定士を回って調べてくれた名前なんです。そのおばあちゃんは、私が生まれる2日前に自殺しちゃったの。

住谷・萩野:ええ!?

コウタ:そういったことがあった。今までの話のとおり、私が女性となって生きようと思った時に、メアリーでもなければ明美でもマリカでもなんでもないわけですよね。私はこれから浩太として生きようとしている。だったら本当の浩太になろうと思って、カタカナで「コウタ」として、名前をそのまま使って生きることにしたんです。

住谷:そこから次は2010年になっていって、女優業に挑戦し、映画にも出演されたということで、これも新しいチャレンジというかたちで取り組まれたんですかね。

コウタ:そうですね。ちょうどその時も私がある芸能事務所にいたんですが、どうしても私の売り方と私のやりたいことがそぐわなくて、そこを退所したんですね。まさにその当日に、「とある映画監督が、アメリカ人女性の中年の方を探している」と聞いて、オーディションを受けて、その場で決まりました。

そこで初めて演技というのを勉強し始めるんですね。私の場合、ギタリストだけではなく癒し系の音楽を作曲したりもしているんですが、「こういった表現方法もあるんだな」って、もう(演技に)取り憑かれるようになりました。

トランスジェンダーの役を、トランスジェンダーの俳優が演じるアメリカ

コウタ:私が今一番心を燃やしているのは演技です。実際、つい1ヶ月前も『モザイク・ストリート 徳留貴徳の事件簿』という、それこそ今の日本ではない多様性にあふれている世界を舞台にした企画で、そのトランスジェンダーの徳留貴徳という探偵役で出演しています。

これは日本語版も、英語版も同様です。私のアシスタントのマユミを演じるのは、同性愛者の女性でした。もう1人のアシスタントは、アフリカ系と日本のミックスの女の子。そういった中で、なにもかもが当たり前のように受け入れられている世界で生きていくという映画なんです。

これを企画されたのが、松崎悠希さんという方で、ハリウッドで『硫黄島からの手紙』とか『ピンクパンサー』とかに出られている方なんです。昨日は日曜劇場『TOKYO MER~走る緊急救命室~』で鈴木亮平さんの英語指導もやられて、クレジットもされているんですよね。

(松崎さんが)何をやられようとしているかというと、日本ではまだまだこういったトランスジェンダーの役、もしくはゲイの方の役を、普通の俳優さんがやられていますよね。それも名前の通った、誰もが知っている方。

ところが、アメリカでは普通にトランスジェンダーの方の役は、トランスジェンダーの俳優が演じていて、ゲイの方もレズビアンの方も、実際の方たちがやられているわけです。

そういったものをもっと打ち出して、もっと見せていこうというので、この映画は日本語、英語、またジェンダーを超えて、一切(LGBTQといった)そういう言葉を使わない。多様性に溢れている世界があるんだと示している映画になっています。

そういうことを踏まえて、今、表現ということにものすごく取り組んでいるんです。その究極って、やはり演技だろうと。

演技は「第2の青春」

住谷:そうなんですね。その後ですね、音楽活動や女優の仕事をしながら、翻訳や講演活動、ご自身の経験からLGBTQの啓蒙活動などに積極的に取り組まれているということで。

今までと今の活動のことをおうかがいしたんですけれども、もう一度詳しくおうかがいできたらないと。今、コウタさんの中で一番力を入れられているものはなんですか。

コウタ:先ほどもお話した松崎悠希さんという、プロの演出家でありハリウッド男優でもある方の演技の特訓を、先ほどお伝えした『モザイク・ストリート』の映画でずっと受けていたんですね。

そして、あらためて「演技」というものの新しい局面を開けた感じがしたんです。その時に私がもう1つ気付いたのが、さっきは自分の歳を含めて還暦だなんだって、自分のことを茶化そうと思っていたんだけど、今この歳になって、まさに第2の青春を生きているんです。

住谷:おお。

コウタ:これほどまでになにかに取り憑かれたことのは、昔の美術とギターと、正直言って野球以上のものなんですね。「演技」という表現はどういうものかますます追求して、また私の今までの経験を決して軽く取らず、変な言い方になりますけれども、「神さまに与えられたもの」だとして、みなさまに何か貢献できたらなと思っています。

先ほどの自殺未遂の話じゃないですけれども、特にこの(コロナの)状況にあって、また非常事態宣言が延長されるかもしれない。秋に向かって、ますますみなさまの気持ちがちょっと荒んじゃったり、落ち込むかもしれない。

そういった時に、特にこういったワクセルという場を借りて、みなさまと一緒にポジティブに、それこそ軽やかに明るく、「人生って捨てたものじゃないんだよ」「この歳になって、また新たなものを見つけることも、それを活用することもできるんだよ」ということを、お伝えできたらなと思っています。

住谷:うれしいですね。

コウタ:こちらこそ光栄です。こういった場で話をさせていただいて。

努力していれば、必ず誰かが見ている

コウタ:もう1つが、「努力していれば、必ず誰かが見ている」ということなんですよね。この松崎さんと知り合ったのは、実は私は4月25日に、とあるイギリスの番組で50歳から70歳の日本人女優を探していると知りまして。誰もいなかったので、その前日にオーディションテープを送ったら、すぐ次の日に連絡が来まして、翌週の月曜日には監督と主役を踏まえた、コールバックというオンラインでの最終オーディションがあったんです。

本当ならば5月から10月までロンドンで撮影するはずだったんですが、最終で落ちてしまったんです。ところがそれを見ていた企画会社と松崎さんが「コウタさんを主役に番組を作ろう」と、すぐに決まっていったんですね。

これも自慢大会じゃなくて、何でも自分が本当に一生懸命やっていれば、浮かばれないと思っていても絶対誰かが見ている。そういったことのメッセージ性を、ワクセルでも出していきましょうよということなんです。

住谷:いやぁ、本当にありがとうございました。すごい素敵だなって思いますし、やはり活動していく時に、壁にぶつかることが必ずあると思うので、今のコウタさんのメッセージは、すごく勇気付けられるなと思いますね。

コウタ:ありがとうございます。それこそ私の場合、みなさま、いろんな思いされたと思うんですが、お○○○マンと言われたり、アメリカではジャ○○。日本に帰ってきたら逆に外人とか言われて、自分が何者かわからない状況が一時期続いていたんです。

ようやく今になって、「自分が本当のコウタ」というのを見出せているような感じがしているわけです。それこそ、こういったワクセルのような素晴らしい場とこのような機会を得て、このような話をみなさまにさせていただいているということはありますので。

差別・怒り・恨みは、肌のすぐ下に存在しているもの

コウタ:私だけじゃない。本当に多様にわかれたいろんな方がいらっしゃると思うので、ぜひみんなで手を取り合って。それこそお子さんの時代にはもう、もっともっと偏見とか差別がない時代になっていればと思います。

住谷:やはり今でもまだ差別とかってありますかね。

コウタ:ありますね。ただ1つ私はラッキーなことに、性転換したあと日本でもアメリカでも差別的な行為を受けたことはないです。ただ、そういった言葉もそういった偏見性というのも、去年までの4年間のアメリカを見ても同様に思うことで、差別とか怒りとか恨みというのは、肌のすぐ下に存在しているものです。

日本でもそういったものは起こりやすい。だから何度も言いますけれども「多様性」の考えです。いろんな人がいる、それが世の中なんだというメッセージを出していきましょう。

住谷:ぜひそれはワクセルのプロジェクトとしてみんなで作っていって、本当により良い社会ができていったらいいなって思いますので、多様性を大事にしながら進めていけたらなと思います。これからもぜひ“ワクセルファミリー”としてやっていただけたらなと思います(笑)。

コウタ:よろしくお願いします。

住谷:では、今回のゲストはコウタさんになりました。ありがとうございました。

コウタ:ありがとうございました。

萩野:ありがとうございます。

(会場拍手)