介護でつらかったこと第2位「夜中の細切れ睡眠」

司会者:(介護の中でつらかったことの)トップ2をあえて挙げるとどうですか?

犬山紙子氏(以下、犬山):私、育児と介護は本当につながるなと思うんですけど。

司会者:自分の時間がないとか、自分のなにかを諦めなきゃいけないという感覚は通じるものがあるなと思います。

犬山:2位は、本当に育児と一緒なんですけど、「夜中の細切れ睡眠」ですね。

司会者:育児だと0歳児とか特にそうですね。

犬山:0才児は3時間おきにおっぱいをあげる。ミルクにするにしても、搾乳して母乳あげる場合は1回おっぱいからお乳を抜いておかないと、乳腺炎になっちゃう可能性もあるので、一緒ですね。

司会者:介護でも、夜中がつらい状況だったんですね。どういった状況だったんですか。

犬山:母親の病気がけっこう大変な難病だったんです。初期と後期でちょっと違うんですけど、初期の場合は排泄障害があったので、自分でトイレが満足にできないんですよね。そうなると、まずは夜中にカンカンカンカンとベルみたいな大きい音を鳴らされて、隣で寝ている間もすぐビクッと起きるような感じでした。

それで母をトイレまで連れて行って、そこでも排尿を手伝うだったりとか、摘便をすることもあったりして、夜中に30分くらいかかるわけですね。それが1回だけだったらいいんですけど、夜中に2回、3回とあったりして、朝までグッスリ眠ることができないんです。姉が当番の日は眠れるけど、私が当番の日は眠れない。もしこれが姉や弟がいなかったらどうしていたんだろうって。

やはり睡眠がまともに取れないと、体力もそうなんですけど、とにかくメンタルがやられるんですよね。そこで私もやはりメンタルをちょっとやられて、さらにギックリ腰になって……という状況でしたね。

司会者:体も心も追い詰められていくような状況があったということなんですね。ああ、すごいな。

なんでも自分のせいにせず、社会にSOSを出すことが必要

司会者:Slidoに視聴者の方から「そんなに前から介護されていたの、知らなかったです」というコメントをいただきました。20代前半で介護してますっていう方は、いらっしゃるにはいらっしゃると思うんですけども、数としてはそんなに多いんですか?

犬山:いっぱいいらっしゃると思うんです。いらっしゃると思うんですけど、なかなか声が上げられないと思う。

司会者:そうですね。

犬山:私のやっていた時代は特に自己責任論というか、新自由主義がすごくブイブイ言わせてた時期だったので、余計に言えない。なんでも自分のせいにしちゃう気持ちにさせられるぐらいだったので(笑)。

ただ、やはり周りに頼るというか、社会にSOSを出すところで。母は、後期は気管切開をしていました。気管切開している人は、何時間かごとに痰の吸引が必要なんですね。もちろん夜間も必要なので、そこでも細切れ睡眠が発生するんですけど、ここをなんとヘルパーさんがやってくれるようになったんです。

ヘルパーさんのおかげで私はすごく楽になったというか、本当に助けていただいて。そんな乗り越え方をしました。

「自立」とは、「自分が大変なときにSOSを出せる力があること」

司会者:なるほど。「自分が抱え込むべきものだ」とか、「もっと周りを頼ったり相談したりしていいんだよ」ということ自体がわからなっちゃうところもあるのかなと、お聞きしていて感じました。

犬山:おっしゃるとおりですね。「自己責任論」だったりとか、私たちって「周りに迷惑をかけないで生きてね」という教育を受けていたりするんですよね。でも、人間って絶対に迷惑をかけているし、逆にこっちもかけられるし、お互いさまだと思うんですよ。だからこそ、ヘルパーさんの待遇がもっとよくしなければいけないとも思います。決して安いお金でやってもらうことじゃないと思うんです。そこは国の補助がさらに必要じゃないでしょうか。

「自立」を考えた時に、「1人だけ立つ」という意味の自立って絶対無理だと思うんです。私は常日頃から「自立」の定義を変えたいなと思っていまして。自分が大変な時にちゃんとSOSを出す力があること。逆に他人のSOSを受けたら、適切な機関につなげることができるという、そっちの意味の「自立」に変えてほしいなと思うんですよね。

司会者:そうですよね。「1人で何でもできる」こととかではないですよね。

犬山:無理です。無理です。

司会者:(笑)。すごく素敵な考え方です。こういう言葉とか、「それでいいんだよ」ということが、もっと伝わったらいいなと感じます。

介護で1番つらかったのは、将来やキャリアへの「不安感」

司会者:本当に1位、2位、3位って順位付けるのがどうしても難しいんですが。

犬山:そうなんですよ。つながっちゃっているんですよね。

司会者:そう思いますが、すいません。1位はどうでしょう(笑)。

犬山:「不安感」ですね。将来の不安がすごくて。自分のキャリアとか希望だったりとか、「私のこの先の人生はどうなっているんだろう。どう拓けていくんだろう。お母さんのことは大好きだけど、私の一生って介護だけでもないし。でも今キャリアは進んでいないし、どうしたらいいんだろう」という不安がずっとあったんですね。

不安って誰しもが抱えるものだと思うんですよ。介護していなくても、今はコロナ禍で不安を抱えている方もたくさんいらっしゃると思いますし。でも不安って、1人で抱えると耐えられないものになるんですけど、誰かと共有できた時に、耐えられるものに変わっていくんですよね。

さっきのヤングケアラー(18歳未満で介護や家族のケアをしている子ども)の話につながるんですけれども、お母さんに対するケア、介護される側の人が相談する相手はケアマネージャーになるんですけど、ケアする側の人、自分の相談相手の選択肢が少ないんです。

例えば、「自宅介護を選びました。でも私、仕事もしたいです。どうしよう」だったりとか、そもそもお母さんが難病になったことも、実はまだ受け入れられないところもあったり。あとは正直な気持ちだと、もちろん介護の喜びもあるけど、サボりたい、休みたい、逃げたいという気持ちもあったんですよ。でもその気持ちを、どこにも吐き出せなかったんですよね。

これは姉や弟がいても、姉だって弟だって同じ立場で、逃げたいに決まっているので、言えないんですよ。「自分の将来が不安だ」とか「実際どうしていくべきなのか」とか、そういったケアする側の人の相談に乗ってくれる人。相談員みたいな人がいなかった。今考えると、あの時一番必要なことだったんだろうなと感じましたね。

必要なのは、ケアする側の人も社会と関われる時間

司会者:当時はどう乗り越えていかれたんですか?

犬山:これが、乗り越えてなかったんですよ(笑)。

司会者:ずっと不安だったんですね。不安を抱えて、気がついたらもう今になっているということなんですか。

犬山:(笑)。唯一言えることとすれば、幸い私に姉弟がいたからできたことなんですけど。姉と弟と私の3人共が揃ったのが24歳〜25歳ぐらいの時で、そのあたりから姉がもともと住んでいた東京の小さいアパートをそのまま借りて、姉弟で交代しながら1週間ずつ、東京に休みに行っていたんですね。

そこで介護を休んでいる間に、とにかく外の人とつながっていたんですよ。とにかく私は文章でも漫画でも何でもいいから書きたいから、遊びに行くついでにいろんな人のおもしろい話やエピソードとかを収集して、それをブログに書く。

なんとか社会とつながろうと足掻いていたことが、のちのちの仕事につながったりして。介護と、自分の仕事や自分のキャリアが両立できる、そういう生き方がやっと見えた。

社会とつながろうとする視点が必要なんですが、私はそれって「生存者バイアス」の話もあると思うんですね。私はたまたまデビューできたからいいけど。デビューできたというよりは、たまたま東京に行けたり、姉弟がいたからその時間ができてよかったけれども、それがいない人はどうするんだという話だと思うので。やはりここって、行政の仕事だと思うんですよね。

司会者:やはり「誰でも利用できる」状況が社会の中に根付いている、そういうことが必要ですよね。

犬山:ケアする人も社会と関われる。介護以外のところで、自分たちの自己実現をどうやっていこうかと相談ができる。そういう時間も持てることが、本当に必要だなと思うんですね。

司会者:なるほど。やはり体験されている方の言葉なので、犬山さんの言葉1つひとつがすごく身に染みます。

犬山:いえいえ(笑)。

大切なのは、とにかく人の力を借りること

司会者:視聴者の方からたくさんコメントもいただいているんですけど。

犬山:ありがとうございます。

司会者:「ずっと1人で介護していたら、本当に孤独になりそうですね。想像だけでも、自分に耐えられるかなと思っちゃいました。ここまで明るく前向きな犬山さんは素敵です」。本当にそうですね。

犬山:当時はぜんぜん明るくなかったんで(笑)。

司会者:(笑)。

犬山:いやぁ、こうやって話せて本当によかった。

司会者:本当ですね。その経験を世の中に明るく前向きに発信してくださるのが、本当にありがたい話だなと思います。

「学生時代に母親が祖母の介護をする姿を見ていたので、自分にできる想像が今もできない」「今ちょうど29歳なんですが、今まで付ききりで介護をしていたら、希望を持って生きてこられたかわからない」というコメントもいただいています。

20代で付ききり介護という状況を想像すると、犬山さんが歩まれてきた道はすごく心強いものでもありますよね。大変だったことをお話しいただいたので、自分の時はどうなるんだろうと不安を抱えながらでも、ちょっとずつ、気持ちの準備とかやれることの準備ができていけばいいなとは思います。

犬山:とにかく周りに頼ること。あとは自宅介護こそが絶対善ではなくて、介護する相手と自分の相性もあったりすると思うんですよ。すごく親に傷つけられた育ったとかあるので、私はそこで逃げちゃっていいと思うんです。「私も介護をがんばったから、みんなもやってよ」という話ではないです。とにかく人の力を借りてください(笑)。

司会者:そこはメッセージとして力強いですね。

犬山:はい!(笑)。

司会者:ありがとうございます(笑)。

育児で感じた「命をどうやって守っていくか」というプレッシャー

司会者:次はちょっとステージを変えて、育児のお話をおうかがいできたらなと思っています。育児の部分はどれも大変悩んだしピンチだったと思うんですが、これもあえて順位を付けるとすれば、3位はどうでしょう。

犬山:3位はやはり、赤ちゃんの命を守るのがめっちゃ大変ということですね(笑)。流産が15パーセントの割合で起こるという、数字は知っていたんですよ。それは母親のせいじゃないですよと知ってたけれども、15パーセントってやはりけっこうでかいじゃないですか。

そこからずっと「命をどうやって守っていくか」というプレッシャーがすごかったんですよね。「この命をとりあえず生かさなければいけない」というプレッシャーの中で、私も子どもを産んだんです。子どもがちょっと小さく生まれちゃったので、糖の量が足りなくてNICU(新生児特定集中治療室)に入ったり。

司会者:そうなんですか。

犬山:はい。そういうことがあって、でもNICUでしっかりと見てくださったので、その後はすくすく元気に大きくなったんですけれども、でもその時も、親は生きた心地がしないというか。

司会者:心配ですよね。

犬山:自分のいた産院と違うところに子どもが搬送されたので、産後の体で毎日そこに通ったりとか、1歳過ぎるまでは子どもが起きるので寝られないし、静かに寝ていたら寝ていたで、「息していないかな?」みたいなね(笑)。

司会者:(笑)。心配ですよね。

犬山:怖いんですよ。あの時のプレッシャーが本当にすごかったですね。

世の中の“母親はなんでもできる”という勘違い

司会者:(赤ちゃんに関する)嫌なニュースとか、最悪の事態のニュースとか読んじゃって、必要以上に心配しちゃうとかね。精神的につらいですよね。

犬山:ネットで調べるとエビデンスを示すためのない内容なんだけれども、情報がワーっと出てきて不安にさせられるじゃないですか。あれもちょっとしんどかったですね。

司会者:命の大変さという、母親としてのプレッシャーなんですかね。そういったものはどう向き合ったり乗り越えたりしたんですか。

犬山:私も35歳で出産しているので、介護のあとだったんですね。めちゃくちゃ介護で失敗したので、この時は「よーし、人に頼ろう」みたいな考えが私の中であったんですよ。まずそもそも「1人で赤ちゃんの命を守るの無理やろ」みたいな(笑)。そういう気持ちで自分を責めないほうに持っていって、私の場合は夫や親族に話しました。

夫じゃなくても、近所の方だったり、すごく仲のいい友だちだったり、知り合いだったりとか。そういった人たちにどんどん相談をして、命のプレッシャーを分散させる。1人じゃこのプレッシャーは抱えられないけど、みんなで一緒に抱えていくと「うん、できる」という。

司会者:みんなで負担というとアレなんですけど、不安をちょっとずつシェアしていって、母親1人がすべてを抱えないような状況を、積極的に自分で作っていかれたんですね。

犬山:そうですね。そうやって積極的に自分のマインドを肯定してやらないと、すぐに「母親は完璧にやらなきゃだめ」とか、「赤ちゃんの命を守れて当たり前」「全部やれて当たり前」「女性が産んだあとはホルモンが起きて何でもできる」「産後はスーパーウーマンになる」みたいな、わけわかんないことを言われたりして。

「それは違うよ、親がしんどいながらも根性でやっているんだよ」って。でもそういう勘違いされている現実がまだまだ世界にあるから、そこにやられないように。自分で自分を責めないというのを意識的に持っておかないと、いくら介護した私でも、ちょっと飲み込まれそうになる時はありましたから。

介護で失敗したからこそできた「環境作り」

司会者:介護の経験があったからなのかもしれませんが、事前に妊娠や出産後のいろんな情報を集めて、旦那さんと話し合いをしたり情報をシェアし合ったり、妊娠までの準備や勉強をされていたんだなと書籍を読んでいて感じました。

多くの人って、問題が目の前に来てから「こういう問題があったんだ」と気付くので、「ここからどうしたらいいの?」と悩んじゃう方もすごく多いと思うんですけど。やはりそれは介護での経験があったからこそ、準備に時間をしっかり使って覚悟できたのが大きかったんですかね。

犬山:そうですね。やはり私も介護の時は何の準備もなく、「行ったれ行ったれ!」という感じで撃沈したんですね。介護で痛い目を見たから、出産はめちゃくちゃ石橋を叩いたんですよ。取材もするわ、本も読むわ、夫とも情報交換するわってやってたんですけど、それは私が特別できる人だからではなくて、やはり1回失敗しているからなんですよね。

なので、ここでいう育児で大変だったことの2位に、まさに「環境作り」を入れたんですけれども。妊娠をしている間の仕事だったり、出産後にまた仕事復帰をしてとなると、保育園に入れたりとか、そこまでの環境を整えないと「あ、また一発で私しんどくなるわ」という予想がついたので。

まずは「子どもが欲しいかどうか」という摺り合わせからはじめました。夫とはタブーなくなんでもお互い気持ちを話せるように、そのコミュニケーションをとにかく取る、ちゃんと意見を言うということを意識しましたね。

出産に向けてまず始めたのは、自分のメンタルケア

医務山:私はコミュニケーションを取るとなった時にけっこうバーっと言ってしまうタイプで、PMS(月経前症候群)だと理不尽に怒ってしまうことがあったので、「カウンセリング行って治そう」だったりとか。

やはり子どもの前で理不尽に怒っているところを見せたくない。もちろん正当性のある怒りは大切だと思うので、怒りを封じ込めるというよりは、甘えたい気持ちが怒りとして発露しているものを、ちゃんと甘えることで発散できるようになるとか。そういった自分のメンタルケアからやっていました。

あとは情報収集だったりとか、実際の女性の体の仕組みを夫と共有するだったりとか。あとは例えば妊娠中に私が仕事行きますとなったら、夫に徹底的に、完全にサポートしてもらう。それで当たり前というくらいの気持ちに持っていくというか、そのへんの環境作りは本を出すぐらいやっていたので(笑)。

司会者:そうですよね。妊娠がわかってから短い記録を付けていたと拝見して。旦那さんが産後クライシス(出産後に夫婦関係が悪化する現象)の記事を読んで、「赤ちゃんが生まれたら、どうせ僕のこと嫌いになるんでしょ」と、被害妄想を言ってくるという日があったという(笑)。笑いながらちょっと読んでしまったんですけど。

犬山:(笑)。

司会者:生まれる前から産後クライシスのことを旦那さんが知っているというのが、素晴らしいなと思いました。本当にいろんなことをご夫婦で勉強されて、将来来るであろう困難にどう対策を立てるとか、気持ちの折り合いをつけたり準備したりを、お二人で一生懸命取り組まれてきたんだなと感じていました。それ、みんなもできたらいいですね。

「話し合い」には、練習が必要

犬山:そうなんですよね。そこで必要なのは話し合いのスキルなんですけれども、私たちって「話し合い」って練習なしで、なんとなくできるものだろうと思ってしまいがちなんです。

でも実は、お互い冷静にゴールを見据えながら「よりよいチームとして、よりよくなるためにどうしたらいいんだろう」と話し合うことって、実はすごく練習が必要だったりするんですね。それぞれしっくり来る話し合いのルールも必要なので、実は練習が必要なんです。

だからコミュニケーションの取り方だったりとか、まずはお互いを「チーム」「味方」だって思い合うところは、かなり本を読んで勉強しました。

司会者:いやぁ、いいなぁ。