「コミュ力エリート」は中距離コミュニケーションが得意

鈴木裕介氏(以下、鈴木):なにか質問来ていました? チラッと見たんですが。80分くらいずっとしゃべっていました。

(視聴者からのコメントで)「なんとなくの質問になってしまうんですが、社会の中でリーダー的な存在の方って、幼い頃に転校が多かったり、軽いイジメを受けていたなどの理由で未成年期の友人が少なくて、地元の友人が希薄な感じがします(ただ連絡する時間がないだけかもしれないんですけど)」。

「もちろん、社会の中で信頼している仲間がいると思うんですが、逆に幼少期の友人と大人になっても深いお付き合いしている方って、社会の中で前に出て来ない(社会に甘えている?)感じがするんですが、先ほどおっしゃっていた「深い関係の回避」は、社会で前に出るための未来の保険行為という解釈もできると思いますか? ゲーマーに対してですが」。

ありがとうございます。難しいですね(笑)。リーダー的な存在の方、これはあると思いますね。いわゆる「コミュ力エリート」みたいな人って、転校の歴が多かったりするし、僕の友人のドクターがまさにそうなんですけど、中距離のコミュニケーションがすごく得意になるんです。

ただ、転校が多いと親密な関係を作るとつらいので、中距離のコミュニケーションで完結させていたから、好感度が高くイジメられにくいコミュニケーションの在り方を掴んでいく人は多い。転校が多ければ多いほど、コミュニケーションの一からのやり直しが増えて、鍛錬の機会も増えるので。

しんどい時でも会える人・会いたい人とは?

鈴木:(視聴者からの質問で)「大人になっても、幼少期の友人と深いお付き合いができている方って、社会の中で前に出て来ない。甘えている感じがするんです」。

これもちょっと、ご質問の意図と合っているかどうかわからないんですが、例えばめちゃくちゃ社交的で、まさに八方美人みたいな感じでバリバリとやっていた方が、適応障害とかになって「もう疲れた」となり、交友関係がめちゃめちゃ狭まることがあるんです。

僕はそういう方に、「本当にしんどい時に会える人間関係から組み直したほうがいい」とよく言います。そうなると、「今までいかに無駄な人間関係に翻弄されていたかがわかった」と言って、交友関係はめちゃくちゃ狭まるんですが、幸福度は上がっているように見える人はわりといるかなと思います。

生田美和氏(以下、生田):鈴木先生のご本の中で、「防御コスト」というお話があったと思うんですが。相手に合わせて自分を作り変えるというか、見せる面を変えていったり、相手に合わせてあげている人って、元気な時はいいんでしょうけど。

鈴木:そうなんですよね。

生田:ちょっと崩れていくと、防御コストを払ってまで(相手に合わせる)という。

鈴木:確かにそうなんです。チューニングコストみたいな感じですよね。元気な時にはわからないので、本当にしんどい時に会える人・会いたい人が誰かって、すごく大きな問いだなと思います。

生田:そうですね。

鈴木:そこで初めて、対人関係における快・不快が出てくるのかなと思うんですね。

生田:そこまで追い詰められないとわからない……。

鈴木:追い詰められないと。

「調整役」を買って出てしまう人の特徴

鈴木:基本的に、自分が全部チューニングする側だと思い込んでいる人ってたぶん多くて。かなり自責的な人格を背負っているというか、相手がちょっと機嫌が悪くなっても、「自分が何かしちゃったかな?」と思ってしまうタイプの方って、得てしてめちゃくちゃ優秀で。

生田:そうですね。

鈴木:みんなから好かれたりとか。

生田:(相手の気持ちに)気付くし、見て取ってわかってしまうというか。なので、自分のものとして引き受けて、調整にコストをかけてしまうというか。

鈴木:調整役をずっと買ってしまうし、それが生存戦略であるという。これも、家族とか幼少期の体験の中で、子どもながらに調整役を買っていたことが多いんですね。お父さんとお母さんもめちゃくちゃ仲が悪かったりとか、得てしてそういう背景がある方に多い。

すべてを幼少期の体験に結びつけるわけではないんですが、こういう役割を負っているから、「自分は生きていける」という役割とセットの居場所感という意識はかなり強くて。自分の視野の中に誰か悲しんでいる人や機嫌が悪い人とかいると、それは「自分がなんとかしないといけないんじゃないか」というモードに入る。

生田:自分の課題として見えてしまう、ということなんですよね。

鈴木:そう。そういう方は、やはりすごくラインオーバーされてしまうんですね。

本音を言えないのは、他人との相性の問題だけではない

鈴木:「あなたがそうですよ」というわけではなく、いったんそういう現象があることは知っていただいて。「もしかしたらその現象は自分にも当てはまるかも」と思ってくれることがあるかもしれない。

そういう機会が少しでも作れればと思って、本を書いたりしているんですが、その一方で、自分がいつも合わせるというスタイルではない、人間関係・関係性を作っていかないと、安心の出しどころというか、本当の自分の出しどころがない。

生田:「本当の自分の出しどころ」という見出しも付いていない人が多いのかなって。「自分が心から合う人と会っていない」みたいな、ぼんやりとした相性のこととして片付けたりしている気がして。

実際は、もちろん合う人がいれば自分を出しやすいというのはあるんでしょうけど、そんなに自分にきっちり合った人が来るわけはないので、性格に凸凹がある者同士で、自分をちょっとずつ出しあっていく。寄りかかり合ったり突き放し合ったりの綱引きに、恐れがあるんだろうな。

鈴木:突き放す安心がないんですよね。

生田:「こんなことを言ったら……」というところのだいぶ手前で止まってしまうことで、本当は家族がそこを注意するとか、親しい友人が「そんなことしちゃ駄目だよ」とか、心配で言ってあげるということに恐れがあったりとか。

逆に、踏み込み過ぎる人ばかりに言ってしまったりとか、ちょうどいいものがなかなか出したり受け取ったりがしにくいのかなと思います。

鈴木:やはり、今すでにある人間関係以外が必要になってくることも多い。もちろん、今ある関係の中で一番安心できるものがあれば、それは大事なリソースだと思うんですが、それがないなと思っている人たちにとっては、新しい関係を見つけていく必要があって、それってめちゃめちゃコストですよね。

生田:そうですよね。

鈴木:しんどい時に絶対やりたくないな、という。

他人との「距離感」を自分で決められる、ゲームの良さ

生田:新しい場所に行くのも本当にしんどいことですし、これ以上自分の管理する場所を増やすのも大変ですよね。  

鈴木:ゲームならまだマシかもしれないですけど。

生田:なるほど。そうですね。

鈴木:実際のゲームの中にも、治安が悪い部分や支配的な人はいるし。ただ、リアルと違って、より属性を取っ払ってフェアになりやすいのはあると思うし、ゲームの中でこそ出やすい本音というのはあると思うんですけどね。

生田:やはり価値観はみなさんあるので、強くなりたい人たちの集まりだったり、そこそこ遊べればいいとか、時々ガチャを回すだけに来ている人たちもいたりして。どれもジャッジがないというか、どれもゲームの遊び方として認められているので。

その中でさらに話せる人だったり、自分は話すのは嫌なんだけど、チャットに書いてある文字を読むことで、ギルドにいるのが楽しかったりという、その人の参加の仕方を選んで・決めていけるのがたぶん楽なんでしょうね。

ゲームの中では、現実よりもきれいに縁を切れる

生田:それが、リアルだと「もうちょっと発言しなければ」「関わっていかなければ」という(気持ちになる)。

鈴木:リスクも背負うし、いちいちエネルギーコストが高いですよね。ゲームの中だと、いざとなったらアカウント消せばいいし。

生田:あと、ブラックリストもあるので。私も入れられたり(笑)。

鈴木:(笑)。

生田:それは悪人を入れる場所ではなくて、自分に合わない人を入れて、検索でお互い会わないための棲み分けが、本当にドライにできている。

鈴木:それ、めちゃくちゃいいですよね。実際に欲しくないですか。

生田:現実よりもきれいに縁を切れる。

鈴木:システムで解決しちゃうというのがね。それ、めちゃくちゃいいな。

生田:それが楽しいところだと思います。

鈴木:なるほどね。「そっち(ゲーム)の世界がいいや」という若い人が、どんどん出てきそうな感じがしますけどね。

生田:でも、喧嘩になって本当に拗れて、掲示板にずっとどこかのギルドの話が載ったりすることもあるので、それはやはり現実に近い。

鈴木:リアルワールドのほうがよっぽどスティッキーですよね(笑)。