ゲーム内では、自分の仕事も生きる世界も選べる

生田美和氏(以下、生田):「本当になりたい自分」って、いろいろあると思うんですよね。もちろんそれをリアルでやってきて、ある程度実現できたところもあるし、鈴木先生がおっしゃったように、その結果周りから期待されてしまう自分も大きくなってくる。

「これまでの自分」を続けなきゃいけない現実はどうしてもあって、でもゲームだと、就職先(ジョブ)も選べますし(笑)。「自分はこの世界では、こういうジョブで行くんだ」と言ったら、その先にお友だちができたり。

それから実際にゲームって、実績がどれぐらい貢献しているかが数値で出たりするので。さっき先生がおっしゃっていた、良い大学に入ったりとか、そういうみんなが羨むようなポジションにリアルで就いても、結局「でも自分は……」みたいになっちゃいがちな人が、ゲームで同じことを言ったとしても「でも数値は出ているよね」って(笑)。

鈴木裕介氏(以下、鈴木):そうですね(笑)。

生田:「でもレベルは高いよね」とかって、ツッコミが入りやすいところもあって。自信がなくなっちゃった人たちを励ます要素がいちいち「見える化」しているのも、現実とは違ってすごくわかりやすい。

心の“リハビリ”にもなる

鈴木:素の自分でやったとしても、なにかしらいただいた評価であるとか、高いレベルでいられるようなものを見つけやすいということでしょうかね。

生田:そうですね。たとえ低レベルであっても、その子がいるから助かっている、というところは絶対見えてくるんですね。見えてくることによって、「居てもいいんだ」にすぐ直結する。例えば、ヒーラーさんがいるかいないかで、だいぶ違うんですね。ヒーラーさんが高レベルじゃなきゃいけないのかというと、そうではなくて。

鈴木:そうですよね。タイミングだったりもしますし。「今のアーマーのタイミング神!」みたいな(笑)。

生田:タイミングでやってくれるとか、長く一緒に冒険してくれるとか、活動時間帯が合うというのが大事で。そうなった時に、まるでリアルで頼られているかのように、「今度あそこに狩りに行きたいんだけど、一緒に行ってくれる?」みたいな。

当てにされる自分、すごく素直に頼られている自分とか、逆に自分も素直に頼っていくことを童心に戻ってできるのが、ある人によってはリハビリだったり、ある人にとっては新鮮だったりするのではないかなと思っています。

関係値が“絶妙に遠い人”ほど、弱音を吐きやすい

鈴木:僕は『スプラトゥーン』の話しかできないんですけど(笑)。パブロという筆の武器で、とにかく前線でオトリ的にうろちょろして敵の視線を釘付けにして、生き延びれば仲間がやってくれる、みたいな。そういう連携が噛み合う瞬間があった時に、「心地いいな」という。これはやっぱり、つながりの感覚だなと思う。

顔も名前も知らないし、この5分しか一緒にいないんだけど、「味方と噛み合ったな」ということの充実感や楽しさは、つながりの感覚でもある。それって、勝った・負けたとかとは、ちょっと違う快の感覚があるなと思っていて。RPGだとギルドとかがあるから、よりそういうものが強いんでしょうね。

生田:そうですね。本当に私もギルドゲームが好きなので、生活の一部になっていて(笑)。それがあるおかげで、軽く愚痴をこぼすこともできたり、弱音を吐いたり。でも、それがリアルの私を知っている人だと、一つひとつを大ごとに捉えてしまったり。

今は子育て中なんですが、お母さん同士だと似たような悩みを持っているので、お互いに話すと(会話の内容が)濃くなってしまうんですよ。本当に「つらいね」ってなっちゃう。それも必要なんですけど、もっと遠くにいる人とか、関係ない人にこぼすことで楽になる。荷物を1回下ろせるところがあって。

ギルドとかって、1年とか2年運営するところはあるので、職業も知らないし年齢も性別もあやふやなんですけど、「今どうしてる?」とか「仕事うまくいった?」とか言われて、「おう」という感じで気軽に話したりできて(笑)。

鈴木:挨拶したり愚痴をこぼしたりというのを、絶妙な遠さ(でできる)というか。たぶん、そういうところなんでしょうね。いろんなつながりの濃さやレベル感があって、「この内容はここには言えないけど、こっちだったら言える」という、すごくいい距離にゲーム内のコミュニティがあったり。

生田:そうだと思います。

鈴木:ヴァーチャルならではコミュニケーションコストの低さがある。疲れたらROMればいいという(笑)。

生田:そうですね(笑)。

特に若い人ほど、人間関係に回避的になる

鈴木:どのレベルのつながりにその人が安心を感じるかって、たぶん診療とかカウンセリングとかをやっている中でも、すごく共通する重要なテーマだなと思っていまして。

例えばぐぐっと距離を詰めて、ものすごく親身になって聞いたりすること。「わかるよ、わかるよ」と踏み込むような、共感的なコミュニケーションを取ることがしんどいという方が、けっこういらっしゃるんですね。世の中でいったら、25パーセントぐらいいらっしゃるのかなと。

実際に今、ゲームが命綱というか、人生においてゲームがすごく重要な位置を占めているという患者さんを思い返した時に、やっぱりリアルの人間関係に対して、回避的なところがある人が多いかなと思っています。特に若い人にその傾向が強いと思っていて。

僕が今回、生田さんにお話をお聞きしてみたかった一番の原体験というか、根本の疑問というか、「なんでだろう?」というところがあって。自分なりにちょっと仮説を持ってきた上でお聞きしたいと思うんですが、今、世の中自体が全体的に回避的になっている。リアルで濃いつながりを敬遠するような方向になってきているかな、と思うんですね。

人によっては、逃避的ですらなく、ただもう「固まる」という反応をしていることも多いかなと思って。

社会に対して“フリーズ反応”を起こしてしまう人々

鈴木:よく例えで言うんですけど、尾崎豊(の『卒業』の歌詞)みたいに「行儀よくまじめなんて出来やしなかった」と、夜の校舎を窓ガラス壊して回ってる人って、今はあまり見ないですよね(笑)。「盗んだバイクで走り出す」人もあまりいなくて。

それと同時に、暴走族とかそういう感じじゃなく、家出までもいかず、ただ家にいて不登校になったり、いじめが内向化して陰湿化したり。そういう、この社会の脅威に対しての反応が、より「大人しくなっている」というのがあって。

神経学的な観点からもそう言われている先生がいらっしゃって。環境の変化において、自分のモードを変えるのは自律神経なんですけど、大きく3つのモードがあるんですね。交感神経と副交感神経がそれぞれのモードを担当している。

危機を察知したときに、その危機に対して戦うか、そこから逃げるかという(選択をする)。虎やサソリとか敵が現れた時に、「ガッと動くぞ」というバトルモードに入りますよね。すぐに動けないと「このサソリは大丈夫かな」とかって考えている暇はないので、パッとオンのスイッチが入る。

危機に対して緊急に動けるようにモードに入って、血圧とか心拍や血糖値が上がって、めちゃくちゃ動けるようになる。危機を感じるとドキドキしたり息が上がったりする、こういう「オンの反応」は、交感神経が担当している。さらに、自律神経の中で交感神経に対して副交感神経っていうのがありまして……すみません、マニアックな話をして(笑)。

敵がいない時代になり、人間は「戦う・逃げる」ことができなくなった

鈴木:最近、「リラックス」を担当していると思われていた副交感神経の中にも違う2つのモードがあることがわかって。安心モードを担当しているのは副交感神経の中の「腹側迷走神経」で、もうひとつの「背側迷走神経」というのが、実は人間の「恐怖で凍りつく」反応に関わっているという。

戦うことも逃げることもできないとなった時に、仮死状態になったり記憶を失ったり、意識覚醒レベルが下がる反応になる。実はこれって、人間の中で一番古い反応らしいんですよ。戦争帰還兵が「よく覚えてないけど生き残った」というのは、そういう仮死状態に入っている。これがいわゆるフリーズ反応とか「凍りつき」って言われているんですね。

脅威に対して交感神経が働いて、「バイキルト」「スクリト」「ピオリム」みたいなバフがめっちゃかかってめちゃくちゃ動くモードに入るか、「アストロン」みたいに背側迷走神経が働いてめちゃくちゃ動かないフリーズモードに入るか、という反応がある。

その2つの状態の間に、腹側迷走神経がはたらく最適の覚醒状態がある。だからこのモードでいると、一番安心してリラックスできて楽なんです。交感神経が“炎のモード”、背側迷走神経が“氷のモード”みたいな感じ。その間に腹側迷走神経の“暖かいモード”というものがあって、自動調整しているみたいな感じなんですけど。

さっき言った尾崎豊の世界って、こっち(オンモード)なんですよ。でも「この支配からの卒業」とかって言っていますけど、別にもう何かに支配されているわけでもないし、やっつけるべき敵や反抗すべき権力者がいるわけでもないし、目指すべきストーリーがあるわけでもない。

そうなると、戦う・逃げるという反応が少なくなって、さらにリアルの人間関係がどんどんIT・バーチャルになっていって、身体性もなくなっていくとなると、どんどんこっち(フリーズモード)に入りやすくなっていくのではないか。