「もう、ツアーが苦痛で苦痛で仕方がない」

伊藤力氏(以下、伊藤):僕も25歳っていうと、思い返してみると社会人もしてて。まだ5年目というところで、なかなかそういった大きなプレッシャーっていうのを感じることはなかったんですけど。

それを18歳からひしひしと感じていた中で、肉体的にはもちろんきつい部分はあったと思いますし、精神部分もどんどん削れていく部分もあったと思うんですけど。実際に引退の決断は「この試合を終えたらもう引退しよう」というふうに決めたのかとか、そういったのは考えていたんですか?

伊達公子氏(以下、伊達):実際には引退する2年前ぐらいに、一度「引退」っていうことが頭をよぎった時があったんですけれども。でもその時は「もう1年きっちり、勝負にこだわって戦ってみよう」っていう決断をして、1年を乗り越えて。

その翌年の引退する年ですね。シーズンインした時に「もう今年いっぱいで辞めよう」と自分の中では決めて。それまでツアーというものを私は楽しむことがほとんどできなくて、本当に3日ぐらい日にちがあったら「日本に帰ってきたい」って思うぐらい、もうツアーが苦痛で苦痛で仕方がない頃だったので。

1年はできるだけ勝負にこだわりはするんですけど、その中でもツアーは楽しみながら世界を転戦して。「この1年を最後に、戦い抜こう」という思いで、1年を過ごしてました。

引退したあと、まず一番にやったこと

伊藤:1年前ぐらいに引退を決断された、ということだったんですけど。親しい方たちにはご相談だったり、宣言をされたと思うんですけど。どういった反応でしたか?

伊達:もう1年、シーズンインした時に「今年いっぱいでもう引退するつもりで。最後もう一度やってみようと思うので、サポートしてほしい」っていうことで、チームのみんなに伝えてはいました。

なので、周りの方たちからすると「突然の引退」だったんですけれども、チームの中では「今年1年を、なんとか私がやり切れる思いを持ってできるか?」っていうことで、みんながサポートをしてくれてましたね。でも引退を決めて「そろそろ発表」っていう直前にいろんな方に報告をした時には、たくさんの方々から「考え直せ」っていうお手紙をいただきました(笑)。

伊藤:ちなみになんですけども、引退されたあとって何をされてたんですか?

伊達:引退したあと、まず一番にやったことは、ラケットを見えないところのクローゼットに片付けました。もうラケットは見たくなかったし「誰ががんばってる」とか「誰が勝ってる、負けてる」っていう興味も封印したかたちで、距離を置く。あえてその時は距離を置いていて。家にいないとできないことを、しばらく楽しんでましたね。

幼少期の6歳からテニスを始めて、ずーっとある種、テニス一色の生活をしてきて。青春時代も経験することなく、本当にテニス一色だったので(笑)。家にいなきゃできないことっていうので、ぬか漬けを漬け始めてみたりとか、お料理教室行ってみたりとか、茶道でお茶のお稽古に行ったりとか。そういう自分の趣味的なこと。今まで、本来ならばもう少し若い世代の時に、誰もが経験をしてきたような当たり前のことだと思うんですけど、その当たり前のことが私の中にはなかったので。それを埋めるかのように、引退してからはやってました。

伊藤:「遅れてきた青春」的な感じですかね(笑)。

伊達:そうですね、はい(笑)。

引退してから12年後、37歳での現役復帰

伊藤:なるほど。そして、再度驚かされましたね。それは引退12年、1周したところの37歳で、改めてプロの世界に挑戦されました。率直に、なぜ復帰を決意されたのか? そして、なぜプロをそのまま続けていこうと思ったのか? そういった挑戦の理由もお聞かせ願えますか。

伊達:1つには、やはり女子テニス界っていうものがもっともっと育ってきてほしい、という思いがあったんです。今は大坂なおみ選手がいますけれども、当時はなかなか「世界のトップレベルにいく」ということがままならない状態だったというところで。

たまたま私はエキシビションのお話をいただいていて、そのために練習を積んでいたんですけれども。1つエピソードがありまして。その時にずっと、現役の女子の選手と練習を重ねていたんですけれども。本来ならば、エキシビションのためだけの練習だったので、自分の満足いくプレーができればよかったんですけれど。彼女とプレーしている時に「なにかピースが埋まれば、彼女に勝てるんじゃないかな?」っていうことを、どこか頭の中で感じ始めている自分がいて。

「そのことを感じちゃいけない」って、自分で抑え込んでたところがあったんですけど。彼女と練習することによって、その“勝負魂”みたいなものが自分の中に生まれてきたことに気づいてるんだけど、気づかないようにしていて。それを1つずつひもといていく中で「私はやっぱり、もう一度コートに立ちたいって思ってるんだ」っていう理由付けを一生懸命自分の中でやって。それで、最終的に再チャレンジということを決断することになったんですね。

そこに成功がなくたって、したいんだから挑戦してもいい

伊藤:なにかこう……チャレンジというか、復帰のための理由を逆に探してたっていう感じですかね?

伊達:うーん……26歳になった時に1度目の引退をした。それに対しての後悔っていうものは一切なかったし、未練があったとも思っていなかったんですけど。でもやっぱり勝負が好きだし、テニスが大好きだし。

「再びコートに立つなんてことがあってはいけない、できるはずがない」って思ってたんですよね。だから、コートに立ってしまったら、まず自分がどう思うかっていうことと。それを見た人が「強かった伊達公子」っていうところで、同じようにはいかない姿を、やっぱり見たくないと思う人もいるんじゃないか? とか。

そういうことを一つひとつ整理していく中で、でも私は心のどこか奥底で「それにチャレンジしたいって思っていることに、嘘をついてはいけない。チャレンジしたいんだから、そこに成功っていうものがなくったって、チャレンジしたいんだからしてもいいんじゃないか」っていうことを整理していった、という感じですかね。

そこはやっぱり、大きなハードルだったことには間違いないんですけど。でもやっぱりやりたいことをやる、スタートさせるっていうところに行き着きました。

「チャレンジする場所があるならば、しない理由はない」

伊藤:なるほど、ありがとうございます。先ほどお伝えしましたが、全日本選手権での最年長記録の優勝。これはもちろん圧巻でしたけども、この全日本選手権含め復帰後のモチベーションっていうのは、なにかあったんでしょうか?

伊達:1つには、先ほどお話しした、日本女子テニス界でトップにいく選手が育ってほしいっていうところで。口でなにかいろんなことを言うよりも、同じコートに立ってプレーをすることが一番の刺激になるんじゃないかな? っていうところで。同じコートに立って、その自分の戦う姿勢だったり、取り組み方だったり。そういうものを、後輩たちにもしっかりと刺激として与えたいという思いでしたね。

伊藤:ほかの選手と、年齢やそれ以外のなにかに「壁」を感じたりしましたか?

伊達:実際1年目、最初に再チャレンジを始めた時っていうのは、世界を見据えていたわけではなく、結果的に世界にチャレンジできるランキングっていうものが手に入ったので。その時にも「チャレンジする場所があるならば、しない理由はない」っていうところで世界に行くようになったんですけども。

いざ世界に行くと、やはり自分が想像していた以上、目で見てきてた以上に、コートに立ってみると、女子のテニスがパワー化していたことに戸惑いというものは隠せなくて。当然、ブランクっていうものもありましたし、なにより目がついていかなかったっていうことに。

体力を埋める、スタミナとかフィジカル的なものを埋めるっていうこともしつつなんですけども、そこに目・反応が追いつかない。やっぱりそこはもう、ブランクと年齢っていうところで。そこを埋めていく作業っていうのが、すごく苦労しましたね。

必ず答えが返ってくるスポーツと、答えのないことに取り組む不妊治療

伊藤:30代後半っていうところで。私自身も実際、パラテコンドーに挑戦したのは30歳からのスタートだったんですけど。その中で、やはり仕事や家庭、あとプライベートのバランスっていうのは非常に難しいっていう方が、特に30代の中では多いと思うんですけど。テニスではもちろんだとは思うんですけど、家庭のことだったりプライベートのことで、違った挑戦だったり課題っていうのはあったりしましたか?

伊達:私の場合、1つには、一次期のファーストキャリアの後に12年というブランクがあったんですけれども。その期間の中で結婚し、そして子どもを作ろうという時期もあったので。ただ、なかなかできなかったっていうところで、不妊治療っていうことも経験を経てきたんですけれども。

やっぱりテニスの世界、スポーツの世界っていうのは、必ず結果が伴うものだったんですね。スポーツの世界は「なにかにトライすれば必ず答えが返ってくる」。勝つ時もあれば負ける時もあるけど、でも必ず結果というものが伴ってくるものなんですけど。

不妊治療というのは、結果が伴ってこない、答えが見つからない。答えのないことに取り組む、そして先が見えない期間で取り組まなければならないっていうことが、初めての経験だったというか。それはけっこうつらい時期がありましたね。

体を動かすことも大好きだったし。ある時期は本当にそれをグッとこらえて体を動かさないで、耐えて、不妊治療をなによりも優先させて取り組むっていう期間がけっこうあったので、そこのジレンマ。自分の体を動かしたいのに、子どもができるための体作りっていうことで、自分を抑え込みながらやっていた時期がありましたね。

「実は私、弱い人間だと思ってるんですよ」

伊藤:なかなか答え・結果が見えないところで行動していったりっていうのは、精神的にも厳しい部分があったと思うんですけど。実際にですね、なにか思いどおりにいかなかったりとか、やっぱりどうしてもネガティブになってしまう時もあったと思うんですけど。そういった時、どういった考えや行動でご自身をコントロールされていましたか?

伊達:「前向きな気持ちを持ち続けられて、モチベーションが持ち続けられて、気持ちが強いね」って言われることも多いんですけれども、けっして私は強いわけではなく。実は私、弱い人間だと思ってるんですよ。でも弱いから「強くなるためにどうすればいいんだろう?」っていうことに対する思いを、誰よりも持ち続けられる力があると思っていて。

本当に天才肌でもなかったし、器用なほうでもないので。でもそこに辿り着くことに対する執着心に対しては、たぶん持ち続けられるほうだと思うんです。だから、それができる方法を探そうともするし「じゃあ、どうやったらできるのかな? 最短でどうやったらできるんだろう?」っていうことを考える。

なので、時間のメリハリをつけるとか、落ち込んで考えすぎてネガティブになりそうな時に、シフトチェンジをして。そのことを、頭から切り離せる時間を持つことによって、集中から解き放たれた時に新しいアイデアが生まれたりするので。そこをうまくやることが、私にとっては手段だったりやり方としてあるのかなっていうことは思います。

伊藤:私もけっこう、目標に対してずーっと一直線にいっちゃうんで。そこ今後、意識してやっていこうかなと思います(笑)。

伊達:(その方法が)効くといいんですけれども(笑)。