「ニュータイプ」と「オールドタイプ」は年齢ではくくれない

山口周氏:ただいまご紹介に与りました、山口でございます。みなさんの貴重な時間を無駄にしないように、さっそく中身に入っていきたいと思います。今日は「ニュータイプの思考と行動」というテーマでお話をさせていただきたいんですが、これはなかなか誤解を招きかねない概念です。

最初にご注意申し上げたいのは、今日は「ニュータイプ」と「オールドタイプ」で対比をしてお話をしようと思うんですが、ニューとオールドをそのまま年齢の概念に捉えないでください。ニュータイプが20〜30代前半ぐらいまでの若手で、オールドタイプは40代、場合によっては50~60代の人たちであるという捉え方は、ありがちな勘違いです。

今、世界はインクルーシブであることが非常に大きなテーマです。ここでみなさんに意識してもらいたいのは、年齢が上の方にも年齢が下の若い方にも、どなたにもニュータイプの側面とオールドタイプの側面があります。

場合によっては、オールドタイプのほうが望ましいケースもあるわけですが、これから先の世の中における価値を生み出していく上では、これまでよしとされてきたオールドタイプのあり方から、新しい思考や行動の様式であるニュータイプの側面が求められる場合が、多々出てくるだろうということです。

すべての場面において「ニューがいい」「オールドがいい」ということではなく、それを適宜切り分けていくような「メタ認知の能力」が認められるだろうということですね。ですから1つ目は、ニューとオールドは年齢の概念ではないということ。

2つ目は、すべての場合においてニューがいいということではなくて、ニューが求められる側面がいろいろなところで出てきている。一方で、場合によってはオールドタイプの思考様式や行動様式が求められる側面もあるので、そこを適宜切り分けていく、一種の知性が必要になってきます。

“正解を出せる人=優秀な人”ではない

この一つひとつを見ると、オールドタイプに書かれていることは、いわゆる「優秀な人」がこれまでやってきた、わかりやすいことのように思われると思うんですが、なかなかそればっかりだと難しいだろうな、という話をここからしたいと思います。

1つ目は、正解を探すことです。これは言うまでもなく、優秀な人物のイメージのど真ん中ですよね。正解を出すのが得意、試験で高い偏差値を叩き出します、というのが日本における優秀な人材の典型的なイメージなんですが、正解を探すだけだと、これからは非常に難しい状況になるだろうなと思います。

それはなぜかと言うと、正解がコモディティ化しているからです。コモディティというのは、ありふれていて非常に安い値段で買い叩かれてしまうことですね。

一方で、今は何が足りなくなっているかというと「問題」だと思います。日本は「課題先進国」と言われているわけですが、先進的というのは、課題の種類や質に関する話です。当たり前ですけど、課題の数自体はどんどん減っていくわけですね。

ビジネスは課題を解決するのが仕事ですから、ビジネスがどんどん進展すればするほど歴史が進み、問題が少なくなるんです。これを非常にわかりやすく示しているのが、経済成長率です。

今、マスコミでも毎日毎日いろんなところで「来年のGDPがどうなる」「今年はどうなる」「日本は遅れている、日本はだめだ」みたいな話があります。この報道の特徴というか、もっと言うと問題は、常に「今年、あるいは来年どうなる」という議論しかしていないことです。

一方で今、私たちが議論しているのは「コロナ後の世界はどうなるのか」ということなわけですが、こういう長い時間軸でのトレンドを捉えようと思ったら、過去30〜40年の推移がどうだったのかを考えないといけないので、「今年はどうだ、来年はどうだ」という議論をいくらしていても、しょうがないわけですね。

近い将来、“経済成長しない社会”がやってくる

改めて、先進7ヵ国の経済成長率がここ50年ぐらいどういう推移で来ているのかを、ぜひみなさんに考えていただきたいんですね。

大学の講義や経営者の育成の会でお話をさせていただくと、(「先進7ヶ国の経済成長率がピークを記録したのは、いつでしょう?」という問いに対して)多い答えの1つは、1960年代の高度経済成長、もう1つが1980年代の日本のバブル期、最後が2000年から2010年代のシリコンバレー・GAFAの影響だということです。

それぞれ3分の1ずつ(回答が)出るんですが、実際の答えがどうかと言うと、こうなっているんですね。

実は1960年代にGDPの成長率はピークを記録して、そこから1回として過去を上回ることなく、安定的に低下してきています。ですから近い将来、ほとんど(経済が)成長しない社会が来ます。

今、「成長社会か定常社会かどちらがいいか」という議論をしていますが、いいかどうかという選択の問題じゃないんですね。選ぶと選ばざるとに関わらず、定常社会がもうそこまで来ているということです。これはつまり、経済全体が成長しないということは、平均的に見ると個別の企業も成長しない時代が来たということですね。

「テクノロジーで生産性が上がった」という錯覚

みなさん、不思議に思われると思うんです。だって1960年代って、こういう働き方をしていたわけですよね。電卓すらない、計算は全部手計算、コピーもファックスもありませんから、文章を写そうと思ったら全部手書きで写さないといけない。遠くにいる人に連絡を取ろうと思ったら、電報ですよね。

向こうは固定電話のそばにいて、電話番号がわかっている限りにおいては固定電話が使えたわけですが、外出してしまうとなかなか(相手を)つかまえるのが難しい。

だから私の世代より上の方は、仕事が遅れている時によく職場で「つかまらない」という理由を言われたと思うんですが、今は「つかまらない」って理由にならないですよね。もう「意味がわからない」という話になるんです。

なぜなら今はもう、ありとあらゆる人がスマートフォンやパソコンを持っていて、ファックスやコピーはおろか、Zoomで遠隔地の人といくらでも会議ができる状態になっているわけです。

先ほど見ていただいたとおり、こういったものが職場に実装された2000年代以降、実は経済成長率はどんどん下がっているわけですね。私たちの職場や仕事は、テクノロジーによってどんどん武装されて、10〜20年前と比べて生産性が上がった、と思っている人が多いと思います。

現実に生み出される価値は増えていないわけですから、「上がった」と錯覚しているだけなんですね。経済成長率はずっと下がり続けているわけですから。つまり何を言っているかといったら、価値を本当にちゃんと考えないと、無駄なものをものすごく高い生産性で生み出していることになるわけです。ここは、非常に注意しないといけない。

一般的には、テクノロジーや人工知能やGAFAやシリコンバレーは、経済成長に貢献していると言われているんですが、これははっきり言って一種の宗教です。なぜかと言うと、事実として言えないからですね。

人間は“テクノロジー教”を信仰している

2019年のノーベル経済学賞を取った、(アビジット・V・)バナジーと(エステル・)デュフロの2人が、最新の本の中でこういうことを言っています。

「先進国に関する限り、インターネットの出現によって新たな成長が始まったという証拠はいっさい存在しない。IMF(国際通貨基金)は歯切れ悪く『インターネットがもたらした経済成長への貢献は、現時点ではなんとも言えない』としている」。

みなさんは「無宗教だ」と思われるかもしれないですが、宗教を信仰しているんです。どういう宗教かと言ったら、「テクノロジーやインターネットやイノベーションで経済成長する」という、“テクノロジー信仰教”です。なぜ信仰かというと、これは科学的根拠がないからです。

「科学的な根拠がなくても、私はそう信じる」、それが信仰ですよね。これは一種の宗教だということです。

でも、バナジーとデュフロも「生産性が激変したように感じられる」と、やっぱり不思議に思っているわけです。ものすごく生産性が上がっているような気がするんだけれども、なぜそれは経済成長に貢献しないのかという問に対して、2人とも明快に答えを述べています。それは「わからない」ということです。

「わからない」は多くの経済学者が言っていることですが、ある1点において全員が共通しているのは、私たちの社会がもはや大きな問題を抱えなくなっている、大きな需要が生み出しにくくなっている、ということです。