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マーケター えとみほさんに学ぶ、人生を切り開くための「手放す力」(全3記事)

一度は起業したものの、38歳で“初めての会社員”に 未経験の世界にも飛び込む、えとみほ氏が持つ「手放す力」

『7つの習慣』出版社公式コミュニティ 7SALONが主催する、対話型オープンイベント「7SALONナイト」。今回のゲストは、Microsoft本社勤務、フリーランスのライター、起業などのキャリアを経て、Jリーグ栃木SCのマーケティング戦略部長として活躍する、「えとみほ」こと江藤美帆氏。江藤氏が歩んできた多彩なキャリアから、人生を切り開くための「手放す力」を学びます。本記事では、新卒でフリーランスになってから起業に至り、その後38歳で会社員になるまで、えとみほ氏が経験してきた「失敗談」を交えながら、当時の様子を語りました。

幼少期に親にゲームを買ってもらえず、自分で制作

西村創一朗氏(以下、西村):ちょっと脱線して、これは完全に僕の興味で聞いてしまうんですけど。ITやプログラミングとは正反対の、職人という世界にいらっしゃるご両親のもとに生まれ育って。しかも決して都心とかじゃなく、富山にいらっしゃった。

さっきMSXの話もありましたけど、なぜそんなにえとみほさんは、小さい頃からテクノロジーの世界に触れて、没頭することができたんですか? 

江藤美帆氏(以下、江藤):わかんないですよね。

西村:わかんない(笑)。

江藤:(笑)。わかんないですけど、そもそも「MSXが欲しいな」と思ったのも、それまでは普通にファミコンみたいなゲームを買ってほしいんだけど、親が買ってくれないんですね。

西村:なるほど。

江藤:だったらMSXを買って自分で(ゲームを)作れば、親に「買って」と言わなくてもいいだろうと思って。

西村:おもしろい発想ですね。

江藤:そうですね。そういう意味では昔からやっぱり、「ないものがあったら作ればいいじゃないか」という考え方をする子どもだったかもしれないですね。

西村:それはある種、生まれながら持った才能みたいなものなんですかね。

江藤:どうなんですかね。あとは昔から、好奇心はけっこうあったというか、危険をあまり顧みない子どもでした。けっこう危ないこと……怪我したりとかもすごく多かったので、たぶん落ち着きがなかった子なんだろうなと思います。

西村:わんぱく少女だったんですね。

江藤:はい。

西村:そうなんですね。ありがとうございます。

就労ビザを切られたことを機に、日本へ帰国

西村:そんなえとみほさんは、こういう経緯があってコンピューターサイエンスの学部ではなく、経営学部に行かれて。大学を卒業される前に、マイクロソフトの本社でお仕事をされていたんですよね?

江藤:そうですね。特に開発とかをしていたわけでもないんですが、「Microsoft Access」というデータベースソフトのオンラインヘルプを、日本語にするプロジェクトが走っていて。そこで日本の翻訳エージェントの方とのディレクションというか、橋渡しをするようなことを1~2年ぐらいやっていました。

西村:ところがビザの関係で、そのままそこに就職ができなくて。確か同じ学部の専門領域じゃないと、その仕事に(就けない)……。

江藤:そうなんですよ。コンピューターサイエンスの学位を持っていないとだめで。だからやっぱり「失敗したな」と思って。

あと就労ビザって、その時の政策とかで「ちょっと日本人が増えすぎだから、日本人を減らそう」みたいなのが働いたりするらしくて。そういう時は、現職で働いてた人たちもけっこうバンバンビザを切られていたので。「これはもう、しばらくちょっと難しいかな」と思って、帰る決断をしました。

西村:そうなんですね。

女性の「四大卒」が、就職で不利だった時代

西村:帰った頃、かたや日本はもう就職氷河期で、どこも今みたいな感じだったんですか? 

江藤:あの時はすごかったですよね。聞いていらっしゃる方で、たぶん同世代の方もいらっしゃるかなと思うんですが、本当に突然ですね。私が大学1年ぐらいの時は、先輩方はバブル(の時代)なので、内定した人を拘束するのに「ハワイに2週間旅行に行ってました」とか、そういう世界だった。

何社も内定がバンバン出るような感じだったのが、ほんの2~3年で、私が帰ってきた時は100社ぐらいエントリーシートを出しても、1通も返ってこないとか、そのぐらい状況が悪化していて。しかもおそらく当時は、女の人で4年制大学を出ると、ちょっと就職に不利だったんですよね。

西村:そっか。まだそういう時代だったんですね。

江藤:やっぱりまだ、高卒や短大卒のほうが大手に就職できて、4大卒がちょっと敬遠されるという。「どうせすぐ結婚して辞めちゃうでしょ」みたいな空気がまだあって、「これはちょっと就職も厳しいな」というので諦めました。

「ITバブル」に乗った、20代のフリーランス時代

西村:かといって、今でこそ「新卒でフリーランスになります」という方も増えてきましたが、当時からしたら決して当たり前の選択肢ではなかったですよね。

江藤:そうですね。たまたまアメリカでやっていた仕事をそのままくれる人がいたので、フリーランスって名乗ってましたけど、基本的には無職ですよね(笑)。

西村:なるほど(笑)。表現を変えれば。

江藤:バイトとかをするのもなかなか厳しくて「どうしよう」って。同じ世代には、最初は正社員になれなくて非正規で働いて、そのままずっと正社員になるチャンスがないという人もたくさんいたので。本当に、運が悪いのかどうなのかという世代だったなと思います。

西村:でもそんな中で、本当にすごい必然というか、たまたま学生時代にやられていたIT×翻訳のお仕事がそのまま生きて、「IT本バブル」に乗っかって。当時、ものすごくたくさん稼がれたんですよね。

江藤:そうですね。その時はアプリの解説本とか、「初めてのWindows○○」というものを、いろいろ書いていて。あれは本当に、ソフトがアップデートするたびに改訂がかかるんですよ。ちょっと画面を差し替えるだけで、もう1回10万部刷ってもらえるみたいな、ありえない世界で。

西村:10万部!? すごい(笑)。 

江藤:5万とか10万とかですね。

西村:10万部刷ったらいくら入るんですか? 

江藤:その時は、1刷り部数で印税も10パーセントとかもらってたので。

西村:すごい時代だ(笑)。

江藤:すごい時代。「そんな時代があった」という感じ。ある意味、そこがバブルはバブルですよね。一般的なバブルは弾けましたけど、別の新しい「ITバブル」が来ていて、そこに乗っかったのかなという感じはしてます。

西村:なるほど。本当に幸運と言うべきか、自らつかみ取った結果でもあると思うんですが、そういう意味ではすごく順風満帆だった20代のフリーランス時代だったと思いますし。

「有名になりたい」一心で無理がたたり、うつ病に

西村:その後も今に至るまで、本当に華々しいご活躍しか見てないんですが、このキャリアを振り返って「一番の失敗体験」というか、「あれはしくじったな」と思うことって何ですか? 

江藤:いや、もうめちゃくちゃいっぱいあって。

西村:そうなんですか? 

江藤:そうなんです。今、西村さんもおっしゃったんですけど、やっぱりSNSとかで発信していると、みんなたぶんいいところしか見てないわけですよ。

わざわざ失敗した話とか、「今、こんなことで困ってます」「ゴタゴタに巻き込まれてます」ということを書かないので。その上澄みだけを見ていくと、すごくうまくいってるように見えると思うんですけど、まったくそんなことはなくて。けっこういろいろありました。

1個あったのは、20代の時にライターの仕事をしていて、やっぱり「早く誰よりも有名になりたい」「お金を稼ぎたい」という、ちょっとガツガツした気持ちがあって。無理をし過ぎてしまって、うつ病になってしまったとか。

その後も自分で会社を立ち上げたはいいけれども、マネジメントの経験もなにもないので。やっぱりそこで人間関係というか、社員との関係がうまくいかなくなって、会社を追い出されちゃった感じなんですけど(笑)。そういうことがあったりとか。

西村:えー! そうなんですね。

江藤:そうですね。本当にいろいろありますね。

「あの失敗があったから今の自分がある」と思える失敗談

西村:あまり失敗を美化する必要もないですし、失敗は失敗だと思うんですが、失敗から学べることもたくさんある中で、「あの失敗があったから今の自分があるな」みたいなものを1つあげるとしたら、どの失敗ですか? 

江藤:やっぱり、起業をしていろんな人と働くというか、それまでの私って、自分の個のスキルで生きてきたわけですね。例えば「英語が話せます」「文章が書けます」「IT、プログラミングができます」という自分のスキルを切り売りして生きてきたんですが、それだとやっぱり広がりがなくて。

自分で起業した時に、初めて周りの人と一緒になにかを作り上げていくことをやって。正直その時はもう「面倒くさいことしかないな」と思ったんですよ。「1人で働いてればこんな思いもしなくていいのに」とか、足を引っ張られてるような気持ちでいたんですけど。

「社長の言っていることが意味がわかりません」「社長は自分たちの気持ちなんか、なにもわからないんだ」みたいなことを言われて。その時は「本当にこの人たちは、なんでこんなに勝手なこと言ってんだろう」と思ったんですけど。

実際にその事業を手放すことになってから、自分が雇われる身になってみて、やっぱり「なるほど。自分のこういうところが足りなかったんだな」「できなかったんだな」ということがわかったので、起業の経験が一番大きいのかなという気がしますね。

西村:そこである種、窮地に立たされるというか。事業は順調なのに組織がなかなか……。

江藤:そうなんです。本当にその時は理由がわからなかったんですが、逆の立場に立ってみて「なるほどなぁ」と思いました。

38歳の時、初めて「会社員」に

西村:実際に、あるベンチャーキャピタリストの方の助言で「逆の立場になってみるのが一番いいよ」と言われて、どうですか?

江藤:よくご存知で。レオス・キャピタルワークスの藤野(英人)さんという、有名なVCの方がいらっしゃるんですけど、私がその方に相談に乗ってもらった時に、1回ご飯に連れて行ってくれて。その顛末をいろいろを話したら「1回、人に雇われてみたらいいんじゃん?」みたいな感じでさらっと言われて。

その時に「ああ、そっか」って思いました。私はその時38歳ぐらいで、今まで1回もちゃんと会社員をやったことがないのに、「今更どっかに就職するの?」みたいな感じで思っいたんですが、それもおもしろいかもなと思って。

実家に帰って、確か近くの金沢のITベンチャーが求人をしてたと思うんですが、そこに応募して採用していただいて。38歳で初めて会社員になりました。

西村:すごい。38歳にして初就職ということですね。

江藤:そうです(笑)。

西村:でもすごいなと思うのが、今までずっと雇う側にいて、普通だったら38歳で雇われる側に行くって、なかなか難しいと思っていて。役割の違いでしかないとは思うものの、いざ自分が雇う側から雇われる立場になった時に……。

「会社員になったら?」と言われて、「そうだな」と思ってすんなりなれた。まさにここに、みほさんのゼロになる力というか「手放す力」や「リセット力」があるなと思っています。その時、本当にすっとアドバイスを受け入れて、自然とそうしようと思えたんですか?

江藤:そうですね、自然に。ただ「雇ってくれるのかな」と思って、そこだけ不安でした。この履歴書で応募して、自分もこういう人が来たら「うーん、怪しい人じゃないかな?」と思っちゃうと思うでの(笑)。

「雇ってくれるんだろうか」という不安はありましたが、もし雇っていただけるのであれば、組織の大きさとかは関係なしに働いてみたいなというのは、本当に素直に思いました。

西村:そうなんですね。

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