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ゴリラとサルに学ぶリーダーシップ〜今、社会に求められるリーダーシップとは〜(全5記事)

なぜ人は“他人からの評価”に振り回されるのか? 人類学者が説く、現代人が抱える「不安」と「承認欲求」の正体

サルのリーダーは腕力で決まり、ゴリラのリーダーは愛嬌やユーモアなどから、仲間内の推薦で決まる。“サル化”している現代社会の中で、どうして人間には“ゴリラ的リーダーシップ”が求められているのか。ゴリラ研究の第一人者である、人類学者の山極寿一氏を招き、脳科学者・駒野宏人氏、『リーダーシップに出会う瞬間』著者の有冬典子氏、株式会社eumo取締役の岩波直樹氏がインタビュー。本記事では、現代人が感じている「不安」や「承認欲求」の正体が何なのか、山極氏が解説しました。

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狩猟生活を送る人々は、あえてリーダーを作らない

駒野宏人氏(以下、駒野):質問していいですか? すごくおもしろい話だなと思ったんですが。

資源が少ないと、やっぱり生き死にが懸かっているじゃないですか。勝ったほうが資源を取れるけど、豊かだと対等でいい。だからひょっとしたら、ゴリラの生息地帯はすごく豊かで、サルはむしろ食べ物とかが少なかったんじゃないのかなという気がする。その辺はいかがでしょうか? 

山極寿一氏(以下、山極):それもあるかもしれないけど、実は人間も定住するまでは、ほとんど狩猟採集で移動生活を送っていたわけだよね。移動生活は縄張りがないので、すべての土地が共有地なんですよ。

狩猟採集生活を送っている方々は、今でもいますよ。アフリカでは「ピグミー」や「ブッシュマン」と言われていて、世界にはそういう民族がいるわけです。そういう人たちは、基本的に平等社会です。格差をつけない、リーダーをあえて作らない、という社会に彼らは暮らしています。

定住生活が始まって、人間には格差が生まれた

山極:格差が生まれちゃったのは、土地に価値を見出して定住をして投資をして、いわゆる農耕牧畜を始めてからなんじゃないかと思うんですね。そこに「個人の所有」と「集団の所有」が生まれて、土地を守ろうとする動きが出てきたわけですね。これは新たな社会性ですよ。

それまでは狩猟採集生活で、その土地の価値が下がる、つまり食物が少なくなるなら移動すればよかったわけですね。人間は生息範囲がすごく広いわけです。ゴリラもやっぱり広い範囲を動き回っているんだけど、食物が少なくなればだいたい移動します。

おっしゃるように、食物が豊富な熱帯雨林にしか(ゴリラは)生息してないわけですね。類人猿は未だに熱帯雨林にしか暮らしてないんだけど、人間の祖先は狩猟採集生活をしながらも、熱帯雨林を出たんです。

食物が少ない、あるいは冬と夏の差や季節による違いが大きい場所へと出ていったので、ずいぶん違ったことに直面したんだろうなと思いましたよね。

駒野:今の社会でも、例えばベーシックインカム(政府がすべての国民に対して、一定の現金を定期的に支給する政策)みたいなのがあれば、またちょっとありようが変わるかもしれませんね。みんなが生活に問題がなければ、対等に考えられる。

ゴリラは“いいヤツ”がボスになる

駒野:もうひとつおもしろいなと思ったのは、いい人がボスになっていくということ。ゴリラって、オスとメスの体格がぜんぜん違うじゃないですか。これは僕の生半可な知識だと、要するに一夫多妻制だと、オスは他のオスと戦うから大きくなる。

だからゴリラは、女性に好かれるのはいいんだけれど、外ではすごい争いがあったんじゃないのかなと思いました。平和主義って言われたけど、それはいかがなんでしょうか?

山極:メスに選ばれないオスもいるわけですよね。若いオスは大きくなると、だいたい自分の父親との間に反発関係を高めて(群れを)出ていくんですよね。

数年間“独りゴリラ”の生活を送ると、メスがやってきてくれるわけです。一生涯“独りゴリラ”はいません。これがおもしろいんですね。メスが1頭のオスのもとにずっと留まり続けずに歩いていくから、オスがあぶれることがないんですね。

しかもこれ、いろんなことが絡んでくるんですよ。ゴリラの集団には縄張りがないから、集団同士が頻繁に出会うわけですよね。メスはそういう時に、オスの品定めをするわけですね。「こっちのオスがいいや」とか、瞬間的に移籍するんです。メスがどっちか迷っているような状態では、オス同士が張り合っちゃうわけですね。

だからオスが一番張り合って大怪我をする時って、こういう時なんです。メスがどっちにいくかわからない、態度を曖昧にしている時は、オスが争っちゃうんです。でもどっちかに移籍しちゃったら、もう追いようがないじゃないですか。だから諦めちゃいますよね。

類人猿でもチンパンジーは、兄弟・親子で血縁関係のあるオス同士が結束していて、逆に自分の集団を離れないんですよ。オス集団をメスが渡り歩いていくのがチンパンジーなんですよ。

人間って、家族を持ちながらチンパンジーのようにオスが結託する社会を作ったわけで、「両方の性質を受け継いでいるなぁ」という気がしています。私はゴリラの研究者だから、ゴリラのことばっかり強調するけれども、チンパンジーの研究者はチンパンジーのあり方を強調するんですけどね。

駒野:人間は中間型なんですね?

山極:両方の特徴を併せ持っている。

駒野:だから、どっちにも転べるということですよね。

オスの睾丸の大きさで「一夫多妻かペアか乱交か」が決まる

駒野:ゴリラの遺伝子の解析から(わかった)、いくつかおもしろいことがあって。

1つはさっきの性の話なんですが、精子の中には競争に関係している遺伝子があって、ゴリラの精子は、その遺伝子がすごく弱い型なんですね。だからたぶん、一夫多妻制で精子同士が争う必要がないんですね。

山極:「一夫多妻かペアか乱交か」というのは、実はオスの睾丸の大きさで決まっているんですよ。ペアや一夫多妻制(のオス)は、睾丸がすごく小さいんです。要するに、フィジカルな力でメスとペアになったり一夫多妻になったりしますから、実際に交尾をする段階では、精子はあまりたくさん必要ないんです。

でも乱交になると、たくさんのオスが1頭のメスと交尾するわけです。そうすると「Sperm competition」と言って、精子間競争になるんですね。1頭のオスがメスを独占するような社会では、精子はちょっとでいいんです。だから睾丸が発達せずに小さいんです。

パラドックスがあって、人間の男の睾丸はゴリラとチンパンジーの中間なんですよ。大きくもなければ小さくもない。これがやばいんですよね。

仮説が2つあって、人間の社会も昔は乱交で、チンパンジーと同じように人間の睾丸は大きかった。だけどペアや社会を作って家族を営むようになって、睾丸は小さくなったという説と、もともと小さかったんだと(いう説)。

ただ僕は、そっちの(もともと小さかったという)説なんですけどね。複数の家族が集まって共同体を作るようになると、不倫は禁止という制度を作ったにしても、破るオスが出てくるわけですよね。だから睾丸がちょっと大きくなったんじゃないかというのが私の説なんですが、それは化石に残りませんから、確かめようがないです。

ゴリラは“不安を感じる遺伝子”が少ない

駒野:あともう1つ、遺伝子解析からわかったことです。不安とかはセロトニンが関係しているんですが、どちらかというと日本人って、遺伝子解析から不安に思うタイプの人が多いんだけど。

先生の研究で、ゴリラはセロトニントランスポーター遺伝子があまり不安に思わない型で、サルとは逆なんですね。先ほど「そうかもしれない」と言われたように、やっぱりゴリラは(生息環境が)資源が豊かだったんじゃないのかな、という気がしてならないんですよね。

山極:もう1つ言うと、ゴリラは霊長類の中で一番体が大きいわけです。要するに、サルは体が小さいから外敵が多いんですね。空からも地上からも来るから、他のチンパンジーもサルを捕って食べますからね。外的に対する防御は常に気にしてなくちゃいけない。

ゴリラは(外敵を)ぜんぜん気にする必要がないんですよね。私はゴリラを見て「泰然自若だ」と思ったんだけど、ゆったりしてますよ。

しかも、チンパンジーよりも食べ物も安泰です。というのは、チンパンジーはほとんどフルーツしか食べないんですね。ところがゴリラは野菜も食べますから、地上に無限にあるような草を食べて暮らすこともできます。

だからゴリラは、チンパンジーに比べて一日の歩く距離が短いんです。僕はいつも「ゴリラはサラダボウルの中に住んでいる」と言うんですが、起きてすぐ周りの物を食べられるわけですよね。そういう意味では、不安に感じる要素があんまりないんじゃないかという気がします。

なぜ人間は、「自分の定義」を他人に委ねるのか

駒野:人間社会もそうなんですよね。あとでそういう話をしたいなと思っているんですが、地位によって給料が違うとかも、やっぱり人間社会が“サル化”している大きな要因じゃないかと思っているんですけど。

山極:特に人間は、大集団で暮らすようになって、自分と周囲の人を比べるんだよね。「自分が劣っている」と感じると、いてもたってもいられないような気持ちになったり。つまり、自分で自分を定義できないことが、大きな要素になってるんじゃないかと思うんです。そこは、人間の共感力の問題なのかもしれないなと思っていて。

共感力を高めたおかげで社会力が高まったんだけど、逆に個人だけでは生きられなくなっちゃった。さっき「人間は自分で自分を定義できない」と言ったのは、仲間が「お前はこういうやつだ」と定義してくれるわけですよね。それは裏を返せば、自己の承認願望につながるわけです。

「自分はこういう人間だ」と自分で思っていても、他の人が「お前は弱虫」「お前は独りよがりだ」とか言えば、(他人には)そういう人間として映っているわけだから、そういう人間になるんですね。

“他の人が自分を定義してくれる世界”に住んでいるから、やっぱり他人の言うことや他人の態度が常に気になる。それが逆に、不安をかき立てている結果になっているんじゃないかと思いますね。

「承認欲求」に振り回され、サル化する人間社会

駒野:岩波さん、その辺は意識の発達と関係しているのかもしれないですけど、そういうことですよね?(笑)。

岩波直樹氏(以下、岩波):今日はお話がとてもおもしろくて。たぶん人間は、サル的な社会もゴリラ的な社会も、どちらも選ぶことができる状態にいるんだなと思います。ちょっとあれですけど、睾丸の大きさもちょうど中間ぐらいだという。

駒野:(笑)。

岩波:「どちらも自分で選択できるんだ」ということをまず知ることが、すごく重要だと思っていて。意識の中に入っていないと、その選択を選べない。山極先生がおっしゃるとおりで、どちらかと言うと今の社会って、サル化した社会の比重がとても強いので。

自分で自分を定義できないこと。承認欲求によって、サル社会にすごく巻き込まれるというか、そこから逃れられなくなっちゃっているような気もして。

そういう意味では、今日みたいな「お前はどっちの社会を作りたいんだ」「俺たちは、ゴリラ的な社会も作れる能力を持っているんだぞ」ということを知って選択することは、改めて今日お話を聞いていて、すごく重要だなと思います。

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