自覚だけでは「父親」にはなれない

山極寿一氏(以下、山極):ゴリラはもともと、人間の家族に非常に近い存在だと思うんですよね。なぜ近いと思うかと言うと、「父親」を作ったんですね。

有冬典子氏(以下、有冬):父親を“作った”?

山極:そう。父親というのは、自覚だけではできないんです。「私は父親になりたいです」と手を挙げたって、メスがやってきて自分の子どもを産んでくれて、なおかつ子どもが父親として認めてくれないと、父親にならないわけですよ。

有冬:そっか。母親は生めば母親になれるけど、ということですね。

山極:だって、生まれた時からお母さんは(子どもと)付き合うわけだからね。しかもお乳をあげるわけじゃない。でも父親はお乳をやるわけじゃないし、ゴリラの場合は生まれた時から付き合えないわけです。

生まれたばっかりの赤ん坊は母親が独占しているから、オスが近づけないんですよ。乳離れをするようになると、母親が子どもを連れてきてくれて、父親に預けるんですよ。それでメスは、勝手に自分でエサを食べに行くわけです。

その場に置き去りにされた子どもは、最初は不安そうに辺りを見回しているんだけど、オスの背中がすごく美しいんですよ。「シルバーバック」と呼ばれるみたいに、白銀の背がその前にあるわけです。そこに惹かれて、背によじ登ったり寄りかかったりして遊ぶわけです。

親が「えこひいき」しないから、子は対等な関係で育つ

山極:他のお母さんが連れてきた子どもも、お父さんのシルバーバックのそばに置き去りにされているから、子ども同士で遊び始めます。そうするとオスは、優しく子どもたちの遊びを見守ってくれて、なにかトラブルがあるとすぐに仲裁に入る。

その仲裁の仕方が、ものすごく堂に入っているんですね。(ケンカを)仕掛けたほう、体の大きいほうを諌める。

それがなんで堂に入ってるかというと、えこひいきしないんですよ。つまり「ケンカをしたらダメだ」ということを教えるわけです。だから体の大きさに関わらず、子どもたちが対等に付き合えるわけですよ。対等に付き合えることを学んで、ゴリラは大人になっていくんだよね。

有冬:めちゃくちゃ賢いですね。というか、メスが選んだ賢いオスに育てられるから、賢い子どもになる感じもするんですけど。

山極:ゴリラがもともと賢いわけじゃなくて、メスや子どもに選ばれたオスが、啓発して賢くなるんですよ。

有冬:すごいなぁ。人間よりも賢いなと思っちゃいました。そういえばそのケンカの話って、先生の書籍で興味深いのを拝見したんですが。「(ゴリラは)平和主義で、ドラミング(両腕で胸を叩くこと)は別に威嚇しているのではない。ケンカのやり方がメンツを保ちながら、弱いものに……」という、あれがすごく興味深かったんですけれども。

山極:両手で交互に胸を叩く「ドラミング」というのは、自己主張なんです。「ディスプレイ」と言うんですけれども。

有冬:威嚇じゃないんですよね。

山極:状況によっては威嚇の意もある。だけど、遊びで胸を叩くこともしょっちゅうある。それから「さあ出発しよう」という時に、胸を叩くこともあるしね。昔、誤解されたように、あれは宣戦布告じゃないんです。

ゴリラは“相手に媚びる表情”を持たない

山極:さっき言ったように、ゴリラは体の大きさに関わらず、小さい頃から対等に付き合う社会を作っているわけですね。それはニホンザルとはまったく違います。ニホンザルは、食物や寝場所やセックスの相手だって、強いオスが弱い者の前で独占するんですよ。それを「優劣順位」と言ってるんだけど、ゴリラには優劣順位がないんです。

おもしろいことに、優劣順位があるサルの社会は「負けた」という姿勢や顔の表情があるんです。「負けた」という顔の表情は「grimace」と言って、ニヤッと笑って歯を剥き出す、人間の笑いに近い。

有冬:愛想笑い的な感じですか?

山極:もともと人間の笑いはルーツが2つあって、1つは「参りました。私はあなたに敵意はありません」という、おべっか笑い。これは「grimace(しかめっ面)」から来ているんですね。要するに「私は弱いですよ」という表情です。弱いほうがにっこり笑って相手に媚びるおべっか笑いが、「smile」のもともとの語源なんですよ。

もう1つは「laughter」といって、楽しくて腹の底から笑うこと。これは、遊びの時に出てくる笑い声なんです。2番目の「laughter」の表情と笑い声は、人間以外は類人猿しか出せないんです。さっきの話に戻ると、要するに相手に媚びる笑いというのは、弱いほうの態度や表情なんだよね。

それが発達しているから、強いほうはそれを見るとそれ以上攻撃をしないわけです。ところがゴリラには、そういう「負けました」という表情や姿勢がないんですよ。だからお互い対等なの。

負けず嫌いのゴリラのケンカには「仲裁者」が不可欠

山極:対等だとどういうことが起こるかというと、ケンカが起こると激化しちゃうんですよ。そうすると、仲裁に入る仲裁者が必要です。それが別に力が強い仲裁者じゃなくたって、みんな言うことを聞くわけです。だって、戦いたくないんだもん。

でも「負けたくない」から争っちゃうわけでしょ。そういう秩序の作り方があるってことを、僕はゴリラから教わった。

大きな体をしたでっかいオス同士が、いざ「戦おう」という時に、子どもがわーって入っていったり、あるいはメスがふっと入っていったりすると、オスが言うことを聞くんだよね。これは、お互いメンツを持って引き分けられる。オスにはメンツが必要なんです。

ゴリラって、本当に負けず嫌いなんですよ。子どもだって負けず嫌いだからね。でもそこに仲裁者が入ってきてくれるおかげで、「負けた」という表情をせずに、お互い引き分けられるわけ。

ゴリラはもともと「負けた」という表情がないから、戦い続けるしかないんですよ。そうするとお互いに怪我をしちゃうし、下手したら死んじゃうかもしれない。それは避けたい。自分たち同士ではどうしようもないから、「仲裁者の顔に免じてここは引き分けるか」ということが、いい解決法なんです。

駒野宏人氏(以下、駒野):なるほどね。

人間は「負けたくない」と「勝ちたい」を混同している

山極:ゴリラは負けず嫌いです。僕はそれを見て、人間もそっちだなと思った。人間の子どもを見ていると、みんな負けず嫌いですよ。でも人間社会は「負けたくない」という気持ちと「勝ちたい」という気持ちを混同している。その気持ちは、本当は一緒じゃないんです。

親は「負けたくない」と言う子どもを見て、「この子は勝ちたいと思ってるんだ」と思う。一生懸命背中を押して「勝て、勝て」と言うわけですよ。でも、“負けたくない結果”と“勝つ結果”は違うんです。「負けたくない」と思ってやるのは、相手と対等であるのがゴールなんだよね。だから、相手を押しのけずに済む。友達になれるんですよ。

ところが、勝つと相手を押しのけて屈服させてしまうわけだから、相手は恨みや恐怖を持ちますよね。だから相手は離れていって、友達ができないんですよ。子どもはそれを本能的に知っているから、あえて「勝ちたくない」という子どもがけっこうできるわけ。でも(親は)それを勝たせちゃうわけだよね。

人間の子どもの場合は、勝つと喜んでくれる人がいるから、「勝つ」という結果が子どもの「うれしい感情」となって記憶されるかもしれない。だけど子ども同士では、それはネガティブな結果になることがあるわけですよ。ゴリラはそれを知っているから、あえて勝たない。

ゴリラは「対等性」を、サルは「階層性」を重んじる

山極:おもしろいのは、ニホンザルだとさっき言ったように、おばあちゃん・お母さん・娘は群れの中で固まって暮らしているわけです。そうするとお母さんは娘を、おばあちゃんはお母さんを勝たそうとするわけ。メス同士で連帯して、勝とうとするんですよ。これを「家系順位」と言うんですね。

だから、ある家系は他の家系よりもみんな強い、という結果になるわけですよね。でもゴリラのお母さんは、子どもを勝たそうとしないんですよ。子ども同士がケンカしたら仲裁に入るけれど、子どもを勝たそうとはしないんです。これ、おもしろいでしょ。ぜんぜん社会のあり方が違うんだよね。

ゴリラは対等性を重んじる社会で、サルは階層性を重んじる社会なんです。こういう2つの社会のでき方があるんだということをゴリラから学んだし、僕は人間の社会はゴリラに近いんだと思っているんだよね。

それを履き違えて、サルのような社会(になっている)。だってさっき言ったように、サルの社会は効率的だからね。そっちのほうに行っちゃったのが現代社会で、それで格差が生まれるんですよね。